2011年12月27日火曜日

アトリエは冬休みに入ります

今日は打ち合わせ。
明日は取材が入っている。

日曜日は今年最後の教室を終えて、みんなとケーキを食べた。
さとちゃんのお母さんが作ってくれたケーキ、凄く美味しかった。
そして、悠太も最後の時間に連れて来ることが出来た。
みんなにとても可愛がられて、悠太もご機嫌だった。

絵の時間はさとちゃんの燃えるような深い色に驚いた。
赤と黄色を混ぜて重ねていく。最後は本当に深い色が出来る。

彼らは一人一人、自分の色を持っていて、その色はその人にしか出せない。
同じ青でもしんじくんの青とゆうすけくんの青は違う。
勿論、線もそうだが、色彩の場合、ただ塗っているだけでも、
違う色になる。
筆圧と重ねる速度と時間に個性が出る訳だが、
それは言い換えれば「想い」の違いであり「姿勢」や「こころ」のあらわれだ。

さて、このブログも今年最後の更新となる。
夏から書き始めたブログだが、思った以上に好評でほっとしている。
今年はこれまで以上に伝えるということを重視してきた。
来年はすでにいくつか講演の依頼をいただいている。
アトリエとのスケジュールの調整は難しいが、
可能なかぎりお受けしていきたいと思っている。
このアトリエに、この制作環境やダウン症の人たちの文化に、
少しでも興味をしめして下さる方や、何かヒントを感じて下さる方がいるなら、
出来るだけ伝えていきたいし、少しでも希望や可能性を感じていただきたい。

勿論、制作の場、僕達のメインである教室の時間が最も大切だ。
でも、場には限界があることも確かだ。
物理的に言っても、時間にも人数にも限りがある。
良い実践があるなら、様々な場所や人に広がっていかなければならない。
大阪や名古屋や他の地域でも、この様な場を作って欲しいという声もきく。
人に繋がり、さまざまな場に繋がって行かなければならない。
そして、このアトリエで見えて来たものに普遍的な価値があるなら、
多くの人に知ってもらって、役立つものでなければと思う。
だから伝えることは大切だ。

今年いろいろ書いて来た。
色んな話題にふれたが、すべては制作の場から見えて来たこと、
ダウン症の人たちから学んだことでもある。
彼らが示すものをどのように受け取って行けば良いのか。
そこから、今、この社会を見たとき、どんな問題があるのか。

彼らの感性や在り方について考えた。
今、この時代の問題点も色々見て来た。
彼らを見ていて感じるのは、そこに私達の原点があると言うことだ。

便利さや現代を否定的に書いた部分もあったが、
僕は自然派ではないし、科学やテクノロジーや文明を否定する気はないどころか、
否定出来ないと思っている。
現代よりも昔の方が良かったとも思ってはいない。

ただ、真っすぐに見ていくと、今、私達が失いつつあるもの、
気がつかなくなっているものがあって、
そこにはとてつもない可能性があることは確かだ。
そして、それを失うことは、生命を失うことにつながる。

ダウン症の人たちから見て来たものとは、
私達が本来どのような存在であるのか、あるいはあるべきなのかということ。
それこそが本当の意味での、
自然であり、生命力であり、本能であり感覚の力なのだ。

現実について、質感やリアリティについて、
立体感について書いた。幸福について書いた。
世界は決して一つではないことも。
気づくことの大切さや、世界の豊かさ広大さについても。
それはすべて、今与えられているこの生命と、この世界を、
どんなふうに受け止めて生きていくべきなのかと言うことだ。

ダウン症の人たちはそのことのヒントを与えてくれている。
より良く生きるために、その声に耳を傾けよう。

見えて来るはずだ。聞こえて来るはずだ。
感じられるはずだ。

必要なのはこの世界全体にも、私達の内面深くにもある、
秩序と調和を感じ取ること。
それこそが生命の神秘だ。

調和はいつでもそこにある。
ただ、それを深く自覚し、深く生きればいい。
感覚を研ぎ澄まし生命の本来の力をとり戻そう。

2011年12月25日日曜日

立体感

今日はクリスマス。
そして、今年最後の教室だ。
来週は打ち合わせと取材が2件。それが終わったら、少し冬休み。
毎年そうだけど、短くて長い、長くて短い一年だった。
クリスマスでもお正月でも、考えてみれば来月は普段道理だし、
そんなに違いはない。
でも、季節を区切ることや節目を自覚することは、自分を豊かにする。
それで生に立体感が出てくる。というより、立体感を自覚する。

プレクラスの最終日に悠太を連れて来れて良かった。
みんなとのあたたかい触れ合いがぬくもりとして、皮膚に吸収されていくだろう。
クリちゃんとフクちゃんが来た時もそうだったけど、
子供にとっても彼らにとっても、良い時間になる。
人が全身の感触と感覚だけで生きている時代、
それがすべての基本となっていく。
アトリエで大切にしているのも、感覚の声を大切にする、
全身を使って感じてみる、創造してみるということだ。
だから、ダウン症の人たちと赤ちゃん、そしてアトリエの場は相性がいい。

さて、絵画クラスの制作はいつ見せるか。
それは、悠太がもっともっと大きくなってからだ。
勿論、制作が終わった後にメンバーとあったり、
制作中、待合室で保護者の方達とあったりするのは楽しいと思し、
そういう時間は作っていきたい。
でも、制作を見せるのはまだまだ早い。
そこをわきまえることが親にとっとも、悠太にとっても大事なことだ。
何度も書いたが僕自身は制作の場を神聖視している。
その場に入ると、全身の力が抜けると同時に、
崇高なものに向かう時の緊張感も高まる。
これは大人が自覚を持って、挑ませていただく「場」だ。
子供にとっては大人の姿勢が示すものを感じ取って、違いが自覚されていく。
その様な場面、容易に近づけないものがあると知ることは必要だ。
最初に書いた立体感がここで生まれる。
そういうものがないと、現実はのっぺりとした平面的なものになってしまう。
極端な話、生きている実感がないという世界になってしまう。

大人にならなければ経験出来ないという世界はあるべきだ。
それがないから、いつまでも自立出来ない人がいる。
制作の場は真摯な気持ちで、見せて欲しいと願い、
場を汚さないよう気をつける人だけが、
入ることを許される。そのルールは誰に対しても変わらない。

メリハリ、強弱、緩急、そう言ったものは必要で、片一方だけではだめだ。

よく、お風呂とか温泉施設で、子供が大声を出して泳いでいる事がある。
当然、泳ぐ場所は海かプールだろう。
でも、親は全く叱らないし教えない。
躾けの問題だけではない。
こういう事が実は私達の現実を味気ない平板なものにする。
つまり、場の違い、現実に対応して変化すべきことを教えないと、
現実感はどんどん薄くなっていく。

以前、リアリティや質感について書いた。
同じことを立体感という言葉で言ってみている訳だ。

便利さの弊害も書いて来たが、それもここと関わる。
いつでも手に入るなら、そもそも手に入れたくもなくなるし、
いつでも食べられるなら、食べる必要もなくなる。
今しかみれない、今しか体験出来ない。
今しか食べられないと言うことが、立体感に繋がり、現実の豊かさに気づかせてくれる。

だから、季節のものを食べるとか、雪だるまを作るとか、
海で泳ぐとか、そういうことがなにより大切だと思う。

立体感は遠近法で表現出来るものではなく、
そういう現実の様々な層を知り、経験していくことで滲み出てくる。

エアコンで温度管理して、インターネットでいつでも情報を集めて、
便利に見えても、実はどんどん立体感が損なわれている。
立体感が無くなると現実感が薄くなる。

例えば、安全などないとも書いたが、
安心や安全を絶対視していると生物として鈍くなっていく。
生きている実感と言うが、死を自覚せずに生はない。
この現実はもう二度と経験出来ないから、尊いのだ。
だから生きている実感にあふれている。
いつ死ぬか分からないから、今日の生が輝く。
生と死も、2つあってはじめて立体感が出てくる。

制作の現場においても平板なのっぺりした場であってはならない。
作品は現実を受け止めて生まれるのだから、
のっぺりとした薄い現場からは、のっぺりとした作品しか生まれない。
相手を受け入れるといっても、
ただ受動的にやっていたら相手からは手応えが感じられないだろう。
手応えが立体感でもある。
受け入れるという行為もあくまで主体的であるべきだ。
制作の場自体が、スタッフを含め立体的な質を持つよう、気をつけよう。

僕達の生き方にしても、立体感を大事にしたい。
仕事をしたり遊んだり、夏は下駄が履けるとか、
冬はこのセーターが着れるとか。
そうやってその時にしか出来ないことをする。
この店に入ると自分のテンションが上がるとか、
その場所に行くと自分の原点に立ち返るとか、
そういう、ものや場所を持っている人は強い。
そこから、立体感が生まれる。季節感が生まれる。
今を自覚する。豊かになろう。

しっかりとした強い現実感、リアリティが持てれば、
生命や環境を大切にする人間になれる。
人の気持ちを大切に出来る。
それが本当のやさしさだ。

こんなに豊かな世界の中で、争い合ったり、
わざわざ環境を破壊していくのはバカバカしい。
豊かさが実感出来ないから、間違ったことをしてしまう。

もう一度、命を見直し、より良く生きたいものだ。

2011年12月24日土曜日

お知らせ

東京アトリエは、水曜日にプレクラスも無事終わり冬休みに入りました。
土、日曜日、絵画クラスも今日と明日で今年は終わりです。

プレの最後の日には少しの時間だったけど、みんなに悠太と会ってもらいました。
その話はまた次回書きます。

クリスマスです。
本当に寒いです。今日のアトリエは部屋を暖めることから始めました。

さて、せめてブログをお読みいただいている方にだけでも先にお知らせです。
毎年、この時期に発行しておりました、会報誌と会計報告をお送りする時期が、
少し遅れてしまうことになりました。
申し訳ございません。

改めて、発送させて頂きますので、しばらくお待ち下さい。

たくさんの事があった年ですが、せめて最後くらいは皆さまが
こころ穏やかに静かな時間を過ごせるようにと願っております。

今年も皆さまのお陰で様々な活動に取り組むことができました。
毎年ラッシュジャパンさまからご寄付いただいておりましたが、
今年は東北支援の方にチャリティの活動を絞ると言うことで、
勿論、アトリエもその姿勢に共感でしたが、プレクラス等の活動が、
続けられるか不安でもありました。
皆さまからの支えがありまして、今年も有意義な活動が出来たと感謝しております。

震災の後、2つの展示を行いましたが、
両方とも数年越しの大切な企画でした。
好評に終えられたことを、有り難く思っております。

今年は、様々に考えさせられ、試された年でもありました。
社会にとって意味のある活動であり続けたいと願います。

少しでも平和な時代に向かえるように、
アトリエに出来る事を最大限に行っていこうと思います。

いまこそ、ダウン症の人たちの持つ、調和的な感性と、
平和のこころが広がっていかなければならないと思います。
そのために、彼らの素晴らしさを1人でも多くの方に知って頂くきっかけを、
作っていけたらと思います。
伝えることは勿論ですが、
それ以上に一人一人のこころが平和で満たされて、
繋がっていくことを、このささやかな場を守ることで、
実践していきたいと思います。

ここに来る人たちのこころが絶えず、豊かであり続けることが、
少しづつでも周囲に影響を与え、社会全体に広がっていくことを願っております。

こんな困難な時代にあって、このプロジェクトに可能性を感じ、
応援して下さる皆さまに感謝致します。
力を合わせて平和を信じ、創造していきましょう。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年12月20日火曜日

こころの中にある場所

さて、今日も振込や事務仕事がいっぱいだ。
一日でなんとか終わらせて、明日は今年最後のプレに臨みたい。

昨日は夜、悠太をちょっと寝かせようと洋服のまま添い寝したら、
そのまま眠ってしまった。気がつくと夜中の3時。

今週のプレはてる君が来ているので、みんなにぎやかだ。

冬は空気が澄んで、景気がとてもきれいになる。
こんな場所に自分がいるのかと思う。

プレの教室でのみんなを見ていると、ちょっとした出来事でも、
一つ一つ、みんなで確認し合って場を共有して、想いを通わせている。
瞬間瞬間を慈しんで、世界の隅々までを愛しているなあと感じる。
世の中の人がみんな、こんな風になれたら、こんな気持ちを持てたら、
人を傷つけたり環境を破壊することもなくなると思う。

どんな出来事も、風景も人も自然も、この世界すべてを、
自分の細胞のように、深く感じ、味わっていたい。
やさしい気持ちで。
やさしくなればなるほど、消えて行かなければならない、
この現実の一つ一つが愛おしく、切なくなる。

彼らの知覚に近付くこためには、透明になって行かなければならない。
ほとんど、消えてしまう位に透明に。
感じる力が強くなれば、現実をヒリヒリするような感触で知覚出来る。

制作を通じて、彼らは深く一つになる。
なるというよりは、一つである場所に行く。
僕達スタッフも必ずそこについて行く。
どこまでもすすんでいいよ、大丈夫だよ、もっときれいなものが見えるよ、
と、これはスタッフが伝えることも、彼ら自身が伝えてくれることもある。

そこに立った時、この世界は本当に美しい。
そこに立った時、私達は本当の愛と平和に満たされている。

人のこころの中にはそんな場所がある。
僕達はいつもそこまで出掛けて行く。
生きることも、やがて死んで行くことも、この場所に立つために、
そこから見せてもらうためにこそあるのかも知れない。

その場所にこそ僕達はいる。
その場所にすべてがある。

遥か彼方の無限は、今ここにある私達のこころの内側にある。
すべての答えもこのこころの中に。
それが彼らの制作が示していることだ。

僕達は本当に回り道をしているのだ。
最初から探す場所は目の前にあったのに。

こころの内側にある調和を見つけに行こう。

2011年12月19日月曜日

強さについて

昨日は日曜日午後クラスの方達と、アトリエの後ケーキを食べた。
1、3週のクラスの方達は今年最後の教室だった。
それぞれが本当に良いクラスになっている。
仲間同士の信頼関係も素晴らしい。
見ていて、僕にはこんなに深い関係の友人はいないなあと感じる。
彼らの繋がりの強さや、言葉を超えたコミニケーションの深さも凄い。

プレクラスも今週で終わり。2、4週の土、日曜日クラスも今年最後を向かえる。

来年も良い場をみんなで創りたい。

もう、本当にずっとこんな日々を送っている。
ダウン症の人たちが制作に向かってくれるように、
彼らのこころと一つになり、そこから眺めてみたり、感じてみたり。
次の瞬間にはもっと深く世界を共有しようと努力する。
どうやったら、この豊かな世界が人に伝わるのか、
考え、模索し、様々な活動をする。
たくさんの人にあって、彼らの素晴らしさをお話しする。
苦しんでいる人、こころが動かなくなっている人には、
どうすれば、本来の調和的感覚に戻れるのか、一緒になって探っていく。

そうやって時が流れていく。
いつでも、もっと出来るはず、もっと深められるはずと感じている。
それでも、日に日に何かが深まっていく。

僕達が大切に思い、時に崇高にさえ感じる、彼らのこころ。
それを守り、育てていくことには、強さが必要だ。
今、いつも書いているが、大変な時代に突入している。
僕はこれまでもずっと強さを重視してきたが、いまこそ私達は強くあらねばならない。

良いことを、諦めず持続するのも強さがなければ不可能だ。
強さは誤解されている。強さはあまり大切にされていない。
例えば、とくにこの日本ではなのかも知れないが、
弱くあった方が、あるいは弱く見せていた方が特だったりする。
人にも共感される。
お互い弱いという部分を見せ合って、甘えて許し合っている。
強くあろうとすると、人は敬遠する。
でも、強さは大切なものを持ち、守るために不可欠だ。
伸びていこうとする存在をあえて、甘やかして、
自分達のそばからはなれないようにする。それをやさしさと勘違いする。
それは間違った文化だ。

どんな時でも、そしてこんな時はなおさら、強くならなければならない。
強さは頑さや頑固さではない。

弱いからこそ、弱さが分かり、やさしくなれると信じている人がいる。
それは違うと思う。
物理学や数学とは違うのだから、弱いから弱さに共感出来るというものではない。
こころが強ければ、弱さに深く共感し、弱さを共有することも出来る。
弱さに共感するには、そう出来るだけの強さが必要だ。

また、強く生きようとする人間や、人並み以上の能力を持つ人を、
弱さの中で引き止めてはならない。
行けるところまで行かせてみるのが、みんなのためだ。

勿論、弱い存在が守られ、生きられると言うことは大切だ。
でも、すべての存在が弱くなくてはならないと信じ込むのは間違いだし、
弱い存在と位置づけられる人達が本当に弱いのか、
あるいは弱い部分だけなのか、考え直す必要がある。

やさしい人間は強い。やさしさで自分を甘やかし誤摩化しているのとは違う。

強い気持ちを持てば、なんでも可能かも知れない。
まだまだ出来るし、これまで以上に強くなれる。

2011年12月18日日曜日

彼らから見えること

気がつくと、どんどん月日が流れている。
雪国で育ったので、冬の記憶は多い。
冬は寒いし、雪で真っ白になって、空は高く、空気は澄んでいる。
すべてのものが明晰になる。孤独感がある。
孤独になると明晰になる。

さて、早いもので今年ものこりあとわずか。(どこかで良く聞くフレーズだが)

誰しもが大変な年だったと記憶したはずだ。
本当に色んな事がある。解決出来る事も、出来ないことも。
でも、時は流れていく。

今、苦しんでいる人や、悲しんでいる人は多い。
絶望の真っただ中に居る人も。
世界全体が混乱している。何が正しく、どこへ行けば良いのか。
私達はどうしていけば良いのだろう。

こんな時代だからこそ、人間の原点をみつめ直したい。
可能性や希望をみつけたい。

アトリエでの日々も世の中の変動と無縁ではありえない。
でも、ここには何か大切なものがあるように思う。
前回も書いたが、だからこそ、今このプロジェクトに意義や価値を、
感じて下さる方達や、協力しようとして下さる方々が増えている。
力を合わせれば、何かが出来るはずだ。

今年もずっとダウン症の人たちと、制作の時間を過ごして来た。
このブログでもずっとそれをテーマにしてきたのだが、
彼らから学ぶこと、彼らから見えて来ることは本当に多い。

もう一度、原点に返って考えてみたい。
彼らの存在は私達に何を示しているのか。

理想的な状態にいる時の彼らは(つまり彼らの本質は)、
人間がこのように存在することが出来るという、可能性を示している。
美しい絵画が描けると言うことだけではなく、
彼らには描く行為と、生そのものがまったく一致している。
彼らは美の中に、言い換えれば平和と調和の中を生きている。

彼らと創る「場」には絶えず静けさと安らぎと、楽しさがある。

アトリエの場はダウン症の人たちの文化であり、
彼らの生命の本質であり、魂の「家」のようなものだ。

ここから私達は何を見ていかなければならないのか。
私達はこのような理想的な状態、平和や平安と言ったもの、
愛と言ってしまっても良いかも知れないが、
それを自分自身のこころの中に見つけ、自分のものとしなければならない。
彼らの在り方とは、私達がそうあらねばならない、
人間の本来の姿なのではないだろうか。

世界中が混乱しているのだから、
平和や共生を語る人は多いし、求められてもいる。
でも、愛や平和はそれを語る人自身、聞く人自身の、
こころの中に見出されていなければならない。
その人自身のこころが平和で満たされなければならない。

彼らの絵や彼らの存在は、私達のこころの奥に何があるのか教えてくれる。
目をこらし、耳を澄まそう。
静けさの中で感じ取ろう。そこにこそ私達の見出すべきものがある。

人間は本来、平和で自由で、何者にもとらわれない、存在だ。
こころを解放した時、いたるところに調和のハーモニーを聴き取ることができる。

私達の世界はやさしく平和だ。
すべては繋がりの中にある。

人類は後戻りの出来ない道に入った。原発はその一つだろう。

ここから先は、私達が本当はどんな存在で、世界はどんなものなのか、
もう一度、そこへ立ち返って、
調和と平和を見出していけるのかどうか。
私達自身のこころと感覚の力にかかっている。

ますます、彼らの示しているビィジョンが必要となって来ている。

2011年12月16日金曜日

希望

昨日は悠太の一ヶ月検診。早くも5600グラム。
異常もなく、元気に育っている。
よし子の疲れが少し心配。子供が元気な分、母親の身体には負担がかかっている。
帝王切開した傷跡がなかなか治らない。
一週間後にもう一度、様子を見ることになった。
先日は熱を出した。39度を越していたので心配だった。
少し快復したけど、これからが長いので要注意。
僕も少しでもよし子が休めるように気をつけているが、授乳だけは代われないし。
本当に自分でおっぱいが出せたらと、痛感する。(気持ち悪いが)

三重から肇さんが来てくれて、ずっと付き添ってもらっていた。
明日からはいよいよ、3人だけで生活していかなければ。

さて、始めてのことの連続で、この期間に考えたこと、学んだことは、
たくさんあるのだが、このまま書いていると、
子育てや家庭のことばかりになってしまうので、
そろそろ本題のアトリエに話題を戻していきます。

今日は朝からアトリエで打ち合わせ。
Tシャツを作ってダウンズタウンを応援するプロジェクト。
打ち合わせの度に、たくさんの人と会う。
発起人の溝口さんのお力によって、本当におおくの方達が興味を示してくれ、
一緒に協力してくれようとしている。
こんなに沢山の方に関わっていただけて、嬉しいかぎりだ。
そして、良い企画になっていきそう。
スピードの速い世界なので、アナルグなアトリエと進めていくのは、
お互いが努力していくしかない。
始めから参加するみんなの意識が揃うとは限らないし、
時には行き違いや、意識のズレが生じるだろうと思う。
でも、万全を期して、失敗を避けていては、いつまでたっても前へ進めない。
とにかく、力を合わせて、みんなにとって良いものを作っていきたい。
作家たちにも、保護者の方達にも、一般の方達にも、
もちろん関わって下さる企業の方々にも、すべての人にとって、
良いもの、何かを得られるもの、企画にしていきたい。

年末にきて、打ち合わせや取材もそうだが、来客者も増えている。
最近では小さなお子様を持つ方からのご連絡が多い。
お会いしてお話ししていると、みなさん本当に何かに希望を感じたいと、
切に願っておられる。

お仕事の方達も、ご興味を示してお越し下さる方達も、
こんな時代にも(だからこそかも知れない)、アトリエのような活動に、
何かしら希望や可能性を感じて下さっている。
アトリエ・エレマン・プレザンの存在が、
社会にとって有用なものであり続けるように、努力を続けたい。

少しでも、役に立ち、希望に繋がる仕事をしていきたい。
必要として、感心を示して下さる方達に、ささやかでも勇気が湧く
プロジェクトでありたいと思う。

人が響き合う、つながる場所がある。一人一人のこころの中に。
だからこそ、同じ希望を持って進んでいくことが出来る。
さあ、良いものを創ろう。良い関係と環境を創ろう。
迷ったり、悩んだり、失敗したり。
時には絶望して、諦めかけても、なにがあっても、
ほんの少しでも前に進めもう。
何かが少しだけ見えてくる。何かが少しだけ変わってくる。
何かが少しだけ動き出す。
そうやって少しだけ世界が良くなる。一つ一つの変化が楽しくなる。

やってもやらなくても、結果は同じと言う人がいる。
同じなら、やってみた方が楽しいよと僕は思っている。

挑戦することは楽しい。新しいことは楽しい。
挑み続ける人生は幸福だと思う。

希望を持って進んでいきたい。
来年度に向けて、色々考えています。
楽しみにしていて下さいね。
みなさんに喜んで頂ける、希望あるプロジェクトになっていくといいなと思います。

2011年12月14日水曜日

安全などどこにもない

自分の不注意や最善をつくせなかった結果が、誰かに残るのは耐え難い。
実は反省を書かなければならない。自分の失敗を伝えることで、
何らかのご参考になればと思う。
先日もそろそろ放射能測定器(ガイガーカウンターというのか?)を
買わなければならないと書いた。
今、母が帰り、肇さんが東京に来ている。
ロシア製のガイガーカウンターを持って来てくれたのだが、
それで自宅を計ったところ、とんでもない数値が出てしまった。
すぐに外へ出て周辺や、駅の方まで計った。
心配なアトリエも計った。
結果は、アトリエのエリアは三重県で知り合いの方が計った数値と、
そんなに変わりはなかった。
問題なのは自宅だ。昨日、エアコンや壁、窓等、拭き掃除して、
何度か計り直した。夜には落ち着いて、アトリエ付近と同じ位の数値になった。
考えられるのは、エアコンのある部屋だ。
出産前、生活スペースやよし子の体調と精神状態を考え、
自宅部分だけはどうしても引っ越ししなければ無理だと言うことになった。
バタバタと時間が経ってしまったので、
室内の放射性物質まで頭がまわっていなかった。
完全に注意を怠った結果だ。不注意、注意不足、危機管理の認識が甘かった。
一ヶ月近く、あんなに高い数値の場所で生活していて、
小さな悠太のことを思うと、反省してすまされることではない。
今のところ、数値は下がった。
今後、最善をつくして、これ以上の被爆を避け、
解毒出来る可能性があれば、やっていくしかない。

やっぱり放射能は怖い。結果が5年も10年も経ってから出る。
その時、どうなるのか、本当のところは誰も分からない。
ただ、推測することしか出来ない。

危機感を持つべきだと、何度も書いて来たが、こういう事があるからだ。

今回、アトリエとその周りの数値は比較的低く、
そう言う意味では、そこだけは守れた。
でも、実際のところ本当に大丈夫なのか、警戒は続けるべきだ。

前回も放射能のことを書いた。
条件が許される人は、安全な場所に避難するにこしたことはないと、
これも何度も書いた。
様々な意見を聞く。
命に関わることだし、価値観、人生観の問題でもあり、
誰しもが納得のいく同じ答えはないし、そもそも、答えなどないだろう。

お断りしておくが、安全な場所に避難するべきなのは当然だが、
僕自身がすべての責任を放棄して、この場を離れることはない。
子供の安全は考えるし、今後の状況次第で、
場合によってはよし子と子供だけでも、どこかに避難してもらう可能性はありうる。
日本に安全な場所などあるのか分からないが。

そのように、守るべきものを忘れてはいけないし、
優先すべき命を考え抜いて、疎かにしてはいけないという意味で、
避難することも考えるべきだと書いて来た訳だ。
後では取り返しがつかないのだから。

でも、もう一つ、忘れてはいけない事がある。
命より大切なものはあると言うことだ。
守るだけではいけない。
受け身ではなく積極的に良くしていこうとする事だ。

人はこれまで、安心、安全、安定を求め、
それがどこかにあると信じて疑わなかった。
その結果が自分さえ良ければ良い、生きてさえいれば良いという、
スケールの小さな考えと、縮こまった生き方となった。
いつも不安を抱え、心配ばかりしている。
いつも逃げている。自分さえ、自分の家族さえ助かれば良いと。
助かった先で何がやりたいのだろう。
生きている方が死んでいくより、いいに決まっている。
でも、生きて何をするかの方がさらに大切だ。
怖くて、逃げ回っていて、そこに幸福はない。

福島で被爆した子供達の中から、
「僕達の命は短いんでしょ」「僕達は子供も産めない」
という言葉が発せられていると言う。
痛ましい、あまりに切なく可哀想なことだ。
大人達は真剣に向き合っているのだろうか。
誤摩化さず、答えられる人生を送っている人間がどれだけ居るのか。
僕は直接、彼らと話したい。
本気で向き合いたい。
君達の命はもしかすると短いものになるかも知れない。
子供も産めない可能性がある。
それは原子力を生み出した人類に責任がある。
もっと言えば僕達全員に責任がある。
だから君達の命はみんなで背負い、考えて行かなければならない。
それはみんなの問題だ。
僕は生きて来て、色んなことを教えられて来た。
自分の命より大切なものを持ち、そのために生きる人達を見て来た。
人はいつか死ぬ。安全な場所も、安心もない。
でも、何かのために生きてみる時、こころには安らぎが生まれる。
大きなもののために自分を捧げる時、
この命が本当に価値あるものとして、充実してくる。
この瞬間を本当に輝かしいものにしてくれる。
そういう幸福を見つけるために生きよう。
どんな状況でも、何かをつかみ取ることが出来る。
何かを見つけることが出来る。
その喜びをつかもう。
それを知れば、私達の人生は長くても短くても価値あるものになる。
今より少しでも世界を良くしよう。みんなで良くしよう。
どんな悲劇の中にあろうと、世界は本当は美しいものなのだから。
それに気づくことが出来る様に、こころを磨いていこう。

2011年12月13日火曜日

良くしていこう

平日のプレのみなさんから、出産のお祝いをいただいた。
悠太は、本当にたくさんの人から祝福されて幸せだ。

早くみんなに会わせたい。
アトリエのみんなと一緒に育って欲しい。
人間にとって本当に大切なものにかこまれて、のびのびと生きて欲しい。
大切なものがなんなのか分かる人間に、
本当のことと、嘘のことが見分けられる人間に、
大切なものを丁寧に扱える人間に、
自分とまわりの人や環境にやさしく、愛のある人間になってほしい。
どんな生き方でもいいから、命を、生命を大切に慈しんで、
深く味わって、すべての時を充分に生きて欲しい。

それにしても、放射能は恐ろしい。
小さな未来ある命にとって、決定的に破壊的な暴力だ。

僕達はこのアトリエでも生命を基本にしているのだから、
いつまでも耐えているわけにはいかない。
そろそろ測定器も購入しようと思う。
自分の子供にしても、生徒たちにしても、守るべきものは守らなければならない。

このままでいいのか。
まずは正確な数値を出して、対策を練らなければならない。

守らなければならないものが守れなくなったら、環境を変えるくらいの決断は必要だ。

今の段階では、まだ東京は大丈夫だと思える。
でも、認識が甘いかも知れない。
本当に不安がある人には、個人的には移動することをおすすめしたい。

日本全体がダメになる可能性だって充分にある。

最善を尽くす。
楽観視しないで、事実を正確に見極めたい。

そのうえで、でも希望は捨ててはいけない。
私達は少しでも良くあること、良くすることのために、この場に居るのだから。
無駄なことに関わっているひまはないのだから、
少しでも何かのためになることをしよう。
少しでも次に繋げよう。
自分が居なくなった後に、この世界が今よりは少し良くなっている様に。
そのために全力を尽くそう。
もう、人に理解されなくても、誤解されてもいい。
もう、細かいことを気にしている時ではない。
何かの為に、何かが出来れば、それで良いはずだ。
本質と関わりのないことに煩わされるのはやめよう。
お互いを本当の意味で大切にしよう。
しっかり繋がりを意識しよう。
丁寧に大切に、やさしく、気持ちを前に向けていけば、
繋がりは強いものとして自覚出来る様になる。
そうすれば、無駄なことなど何もない。
今生きて、ここでしていることが、みんなと一緒に、みんなのためのものになる。

制作の現場で日々、つみかさねてきた、こころの平和な繋がり。
今、この小さな場にある深い調和が、全世界に広がらなければならない。
すべては良くしようと言う意志からはじまる。

良いこころを持てば、こんなに良い場が創れるのだから、
社会でもそれが出来ないはずはない。

すべての人が、今自分の居る場所で、最善をつくして、
みんなのためを生きれば、必ず、世界は良くなる。

今こそ本気で生きよう。

2011年12月12日月曜日

無限の前にたたずむ

今週も制作の場が充実したものになった。
毎回、発見も多い。

さて、本当に様々な事にふれ、書いて来た。
絵のこと、人生、思い出、学んできた事、会った人達。
悠太の誕生、その後の毎日、またアトリエのこと。

今後も少しづつ、これらの話題にふれていくことだろう。
でも、すべてのテーマは一つに繋がっている。

調和と言ってみたり、自然と言ってみたり、
人のこころやこの宇宙に、それを見出してみたり。

本当に必要なのは、私達の日々をどんな時間として過ごし、
向き合っていくのかだ。

何度も書いて来た。
何度も、何度も。
目の前にあるものを見つめて来た。
その時おきている現実を、精一杯受け止めて、立ち向かって来た。
私達は絶えず、この瞬間を、この場面を生きている。
私達はここにいる。いま、この場所に。
そこに何があるのか。
よく見て、全身で味わって、生きていたい。
この世界は無限だ。どこまでもはてしがない。

制作の場に入り、一人一人の内面に向き合う。
途方もない無限に包まれる。
そこには限界のない、自由な創造性が動いている。

僕はいつでも、無限を前にして、神聖さとおかしがたさを感じる。
とほうにくれる。
それでも、もっと奥へ、より深く入ろうとする。
近付こうとする。
限りなく、自分の無力を知り、でも、少しでもより良くあろうとする。
いつの間にか自分も消えている。
絶えず新しく、より深く見えてくる。
どこまで行っても終わりがない。
可能性は尽くす事ができない。

僕達は無限に挑む。
無限の前にたち、遥か彼方を見つめる。
どこまでも、どこまでも。
作品を生み出す創造性は、この自然と世界を生み出している原理であり、
それがバランスと調和なのだろう。

以前にも書いた事だけど、作品選定で数千枚の絵を見つめていると、
外の景色が色彩に満ちて、せまってくる。
力が抜けきっているのに、注意力と感覚だけが鋭く、研ぎ澄まされ、
隅々にまで無限が感じられる。
幻覚ではない。むしろ、普段は気がつかない本当の現実が現れる。
花が自然に開花する様に、
どこにも無駄がなく、なるべくしてなっているかの様に、
いくらでも作品が出てくる。
人間にとっての創造性とは何か。
それは、命であり、生きること。
日々、新しく、進んでいくこと。調和していくこと。

ダウン症の人たちとの、制作の場とはこのようなものだ。
そして私達の生きている世界や、
人間のこころの中もこのようにある。

すべては一つのところに収斂されていく。
多分、僕達は無限からやってきて、無限へと帰って行く。
その中で宝物のようなこの時間を大切にしよう。

2011年12月11日日曜日

タイミング

忙しいと色々ある。たいしたことではないが。
先日、これはブログに書かなければという、仕事上重要な気がすることを、
思いついたのだが、書く時間が無いまま忘れてしまった。
まあ、忘れるくらいだから、たいしたことではないのかも知れない。

昨日は哺乳瓶を煮沸消毒していて、お湯から出す時に手が滑って、
熱湯を顔にかぶってしまった。熱い。やけどはしなかったのでよかった。

少しエネルギーが足りないと、タイミングがズレだす。

タイミングって大事だ。
例えば、年に1、2回あるかないかだけど、教室中に絵の具をこぼす事がある。
日常的にはちょっとぼーっとしていた、という事になるが、
制作の場においてスタッフがぼーっとするなどありえない。
だから、全体的に何かバランスが悪い。タイミングがズレているとみる。
そういう時、どうするか。
流れに逆らわずに、ゆっくり呼吸を整えるしかない。
コンディションが良い時と悪い時で、仕事の質が変わるようでは、
本気で挑んでいるとは言えない。
高いレベルの仕事をする事が難しいのではなく、
高いレベルの仕事を絶えず保つことが難しい。
それが出来なければ仕事とはよべない。

ところで、タイミングと言えば、その人らしい絵が描ける様になるのにも、
その人と場のタイミングがある。
最初から上手くいくことが必ずしも良いとは限らない。
時には時間をかけることも必要。
最近、アトリエに通いだした、よう君は昨日のクラスで、
凄い作品を描いた。将来的にはゆうすけ君やしんじ君のような、
どっしりした作風の大物になるかもしれない。
最初の数回は色は赤しか使わなかった。
何度も赤だけで塗り込んでいく。それ自体なかなかの作品に仕上がっている。
一色しか使わなくても、沢山の色を目の前においておく。
本人は塗りながらも、筆圧や画面の構成や、絵の具の染み込ませ方を、
確認して描いている。その際、周りの色も良く見ている。
それは、描かない人でも同じ。
だから、本人が描くタイミングまでこちらはただ見守る。
描かない人も自分のタイミングで描き出す。
よう君の場合も急に色が重なりだす。
そこは動き出したら早い。
でも、本人のタイミングを無視して「他の色使ってみたら」と、
やってしまっていたら昨日のような作品はでて来なかったと思う。
自分のタイミングまで待つこと。
そこへ行くまで時間がかかれば、その分が後で活かされる。
実際に一色で塗っていた時の筆圧や、画面構成が充分に活きてそこに、
色彩が入ることで厚みが出た作品に仕上がっている。
彼らの場合、練習をしないのだから、こうやって学んでいるとも言える。

先週のクラスでは制作がまだ安定していない人に対して、
ゆりあが少し苦心していた。
プレでのイサもそうだけど、相手が迷いだした時に、
こちらもどうしようとなってしまったら、2人で出口を失う。
その瞬間こそ、ある程度相手との間合いを詰めて、注意力を注ぐ。
迷っても大丈夫、一緒に出口を見つけて、出て来ようねという、
強い姿勢が必要だ。
リラックスは大事だが、ダレることとは違う。
相手の注意力が逸れて、遊びの方に行ってしまうなと感じたら、
まず、こちらが絵に注意を注ぐ。その感触は相手に伝わる。

これもタイミングだ。
描くモードからズレていっているから、もう一度モードを変える。
僕から見ていると、態勢を整え直すことが難しいという部分より、
制作から逸れていっている、違う間合いに入って来ていることを、
早い段階で気づくことが出来るかだ。
ゆりあもイサも苦戦するとき、僕から見ていると、
もう少し早い段階から逸れて来ているのが分かる。
早い段階で修正出来れば、こちらの動きは最小限ですむ。
こちらの動きは小さければ小さいほど良い。

タイミング。描くのも休むのも、お話しするのも。
タイミングが外れていては違うものになってしまう。

一回に描く絵の枚数にしても、描く時間にしても、大事なのはタイミング。
何枚描いたと言うことではなく、どういう密度で時間が過ごせたかだ。
一枚で充分な日に、もっと描こうよとやってしまっては、次に繋がらない。
流れと本人の状態を見極めて、良いタイミングで終わること。
良い記憶と感触を残すことが大切。
一枚の絵が仕上がって、紙を変える時も間を置く方がいいのか、
流れを止めずにすぐに置くべきなのか。そのタイミングが命だ。
たくさん描く人。少ししか描かない人。
時間をかける人。すぐに終わる人。
大事なのはその人にとっての充実感と、タイミングだ。
短い時間で純度の高い制作に入る人もいる。
時間や枚数は問題ではない。質が重要なのだ。

2011年12月7日水曜日

量より質

昨日、プレのクラスの途中で、支払いの仕事があったので、
しばらくイサに見てもらって出かけた。
みんなに「ちょっと、銀行行ってくるね」と伝えると、
あきさんが「かさ持って行ってね。帰りに雨ふるよ」と言ってくれた。
本当に大人だなあと思う。
昨日は夕方から雨が降った。

寒くなって来た。
この時期に一番気を遣うのは、やはり体調管理だ。
夏はいくら暑くても、水分と涼しくすることでなんとかなる。
冬は風邪が怖い。
風邪をひいても僕は動けるが、人にうつしたら大変だ。
手洗いうがいと、食生活、睡眠。
なにせ、風邪をひいたから休みますと言う訳にいかない。
この場においては代わりはいない。
だから、毎年気をつけて過ごす。
用事がなければ外へは行かないことにしているが、
なぜ人の多い場所で、マスクもしないで平気で咳をしている人が、
あんなにも多いのだろう。
風邪をひいてしまって、それでもどうしても外に出なければならないなら、
せめてマスクくらいするのが常識だろう。

自分の身体は人や場の為に使うものだ。
良い仕事をするには、体調管理は不可欠。

月刊ソトコトの今月号、
「愛のギフト大特集 ベスト•オブ 社会をよくするお買いモノ」に、
アトリエ・エレマン・プレザン東京佐藤よし子が、商品を紹介いています。
今回はハラペコあおむしさんの野菜を紹介させていただきました。
食の安全と有機農業を応援するという視点です。
質の良い野菜は食べれば分かります。
ここもよし子の同級生のゆみちゃん(なれなれしくてごめん)が頑張っています。

彼女からは昨日、出産祝いで卵やお菓子や、
すてきなレシピの本を送ってもらった。
お手紙からも、よし子を本当に理解している、友情が感じられて嬉しかった。
ありがとう。

野菜は普段、他にも同じくよし子の親友でアトリエにも何度か来てくれた、
かおりんと九州で農業をしているなかたさんからも、送ってもらっている。
それぞれ、すばらしい仕事をしている。

農業問題が語られているが、僕は基本的に日本の農業は、
量より質で勝負するしかないと思う。
輸入を規制することで守ることが本当に出来るのか?
それよりも、違う価値化を目指すべきだ。
比較した時に、輸入物の方が安いから買うという人が多くても、
それを上回る価値があれば、こっちの方が高いが質がいいと選択する人も、
増えて来るはずだ。
それにはビジョンを明確にする必要がある。
日本はどこが強く、どこが弱いのか。
これまで農業だけでなく様々なジャンルが、弱点で勝負して来た。
もう少し自分を知るべきだ。

それはそうと世界的に質より量の時代がつづいたのだから、
そろそろ質を見直すべきだ。

このアトリエでも質にしか重点をおいて来なかった。
これからは質が問われる。
そして質を求める人が増えて来なければならない。

2011年12月6日火曜日

反復の意味

以前、こんなようなことを書いた。
制作の場において、こころの深いところに触れていると、
時に強い怒りや悲しみをぶつけられたり、ケンカしたがったり、
逆に恋愛感情をもたれたり、父性や母性を求められたりする。
それは、どこかで満たされなかった感情や、
解決出来なかった出来事の再現であって、そこを見極めなければならないと。
だから、スタッフは何者でもないのだ。
何者でもない事によって、その時にその人に必要な何者にもなれる訳だ。

また、逃げて向き合わなかったテーマに追いかけられるとも書いた。

つまり、人はくり返す存在だ。
よく、間違ったことをくり返す人や、恋愛で同じ失敗をくり返す人が居る。
まわりの人は、また、と思う。
でも、実はそれは悪いことばかりではない。
そもそも、人はくり返す。反復する。
同じことをくり返すことで、少しづつ自分の中で吸収し乗り越えていく。
だから、繰り返しを嫌ったり、恐れたりする必要はない。
むしろ、つまらないくり返しや、悪いくり返しを、
良いくり返し、よい反復、よいサイクルに変えていくことだ。

人はくり返すと言ったが、もっと言えば生物はくり返す。
世界はくり返すのではないか。
なんの為にくり返しや反復があるかと言うと、
例えば人は気持ち良さや、美味しさや、快感を身体に記憶させることで、
生命を循環させて来たからだ。
人は不快なものを避ける、痛いことを嫌う。
なぜなら苦痛は生命を傷つけるからだ。

生物は食べて繁殖して死んでいく。それはくり返し反復される。
それには気持ちがいいと言う記憶が刻まれている。

反復は生命にとって不可欠で重要なものだ。

制作する環境を創るという、私達の仕事もここに重点がある。
僕は人生の中でどんな小さな時間でも、
一人一人に良い経験や記憶を刻んでもらいたいと思っている。
その時間が次の場面で反復されるからだ。

昔、小さい子供と合宿のようなことをやっていた時、
僕が質の高い経験や道具ばかり提供するので、
ある人にそんな小さい記憶の残らない時にそこまでする意味はない、
もっと大きくなってからでいいと言われた。
それは全く逆だ。
記憶がないから大事なのだ。記憶がないとは無意識と言うことだ。
意識は自分でコントロール出来る。
記憶も、あれは良かった悪かったと自分で判断出来る。
でも、記憶のない時期や、無意識に入ったものは、
その人間の根幹を作っているにもかかわらず、自分ではどうすることも出来ない。
だからこそ、良い経験を刻む必要がある。
道具もそうで、分からない時に質の高いものを使うべきだ。
分かる様になったら、むしろ悪いものでも活かすことが出来る。

よく子育てでも教育でも、抱き癖とか甘え癖とか言う人がいるが、
その様なものはないと思う。
僕自身も学生達に対して甘いと言われることがあるが、
いつまでも甘えてくる人はいない。
甘えたいと言うことは、何か理由がある。
その時に甘えさせなければ、いつまでも成長出来ない。
いつまでたっても甘えているという場合は、
本当にしっかりと甘え切れなかったのではないかと思う。
大事なのはタイミングだ。
どんなに良いことも、それが必要な時期に行われなければ全く意味がない。
甘えさせるから、成長しないのではなく、
必要な時期にしっかり甘えさせなかったから、いつまでもひきずる。
厳しさもそうだ。厳しくするなんて、一瞬で出来ることだ。
それですぐに伝わる。下手なタイミングで厳しくしても、
いくら時間をかけても、本人の中には何も入って来ない。

これも、以前書いたが、絵の中に同じモチーフがくり返し、
反復されると言うことについて、進歩がないと見るのは誤りだ。
むしろ、良い経験や心地良さを刻むこと、
良いサイクルに入っていることを喜ぶべきだ。
くり返すこと、反復することで、そのテーマが自分のものとなる。
良いものを知るともっと知りたくなる。
良い経験をすると、もっと深めたくなる。
良い人に会うともっと会いたくなる。
人にやさしくされれば、人にもやさしくしたくなる。

テレビである写真家が、少し前から良い写真しか撮れない、
何を撮っても傑作になってしまう。
下手に出来なくなってしまったと語っていたが、
それは本当に自分の奥深くに経験が刻まれた結果だろう。

反復はとても大切なものだ。

前回、調和について書いた。
調和も再現や反復なのではないか。
キリスト教では、はじめに言葉があったと言うが、
例えば始めに調和やバランスがあったとする。
それを宇宙も自然も人も、くり返しなぞり、反復する本能があるのではないか。

昨日、プレのクラスを見ていて、みんなの楽しそうな様子が、
あっ数年前にもこんな場面があったなと感じた。
みんなでよい環境を創ろう。よい循環を創ろう。

2011年12月5日月曜日

調和

1、3日曜日午後クラスのみなさんから、出産のお祝いをいただきました。
ありがとうございます。

今日はよく晴れた。
土曜日のアトリエはたくまくんとあみちゃんが、自分の色をもって、
自分のスタイルが出来て来たなと思った。
たくまくんは描くのが凄く早いが、短い時間にぎゅっと凝縮された集中力と、
感覚の開放感がすばらしい。
やまとくんは早い時期から作風が確立されている。
ちえこちゃんは前回から少し雰囲気が変わって、前のスタイルもでちらも良い。
午後はえいたくんが、用事があって少し早く来る。
30分しか時間がないのに5枚も描く。
さすがはベテランの安定感。もう20年も描いているのだから尊敬する。
もえちゃん久しぶりのお休み。
だいすけくんは2人居る。こちらのだいすけくんは、始めてきた時に、
自分の事を三刀流の使い手だと紙に書いたので、みんなに三刀流と呼ばれている。
アトリエではただ1人、黒ペンと定規と鉛筆と絵の具を使って、
看板やポスターのような作品を描く。
道具を交互に器用に使っていく姿は職人のようだ。
これが三刀流の描き方かあ。
ハルコさんは最近、ゆりあのことをドキンちゃんと呼んでいて、
自分はバイキンマンで2人コンビだと言う。
作品のテーマもドキンちゃん、ゆりあの登場するものが多い。
お家も出てくる。凄いのはハルコさんは自分の画面をもっていて、
そこからドキンちゃんが何をしているのか、いつでも見えるらしい。
この前の「太陽描いたから暑くなっちゃった」発言につづき、
今回はパンを描いて「味がして来たー」と言う。

日曜日クラス、さとやんやっぱりすごいなあ。
特に前回と今回はノリにノッている。
なっちゃんの「パパ」シリーズもきれい。パパを描き続ける姿もかわいい。
女の子もいいなあ。
マーくん、「スーパーロボット」シリーズ。
上手くいくとガッツポーズしてみんなに見せる。丁寧に色を重ねる。
いつも終わった後はカードにも同じテーマを描いてもって帰る。
まあゆちゃんはお休み。いつも絵が終わるとお母さんになって、
粘土で料理を作ってくれる。「お父さん、早く帰って来なさい」と
いつも怒られる。今回はお母さんがいなかった。
午後はえいこちゃんがお休み。
けいこちゃんはいつもハイテンション。
絵もあかるいし、元気いっぱい。テーマも面白い。
なんと今回は、ペットボトルのフタというのまであった。
くわたけいすけが大好き。
すぐるくんにずっと「くわがたけいすけはさあ」と言われて、
「クワガタじゃないよ!クワタだよ!」とくり返していた。
すぐるくんの方はみんなの事が本当に大好きで、
いつもみんなの話を楽しそうに聞いている。
とくに男同士でてるくんと向かい合っていつもお話しする。
今回は最後にてるくんと共通の好みのディズニーランドの絵を描く。
シンデレラ城に花火が舞っている。
てるくんもいつも凄いけど、今回は8枚も描いた。
テーブルいっぱいにてるくんの絵を並べると、一つの世界が出来上がる。
アトリエ全部がその空間に包まれる。
軽やかで明るく楽しい気持ちと、やさしさにあふれた素敵な世界。
ゆうりくんは絵が本当に良くなったが、最近はお話も楽しむ様になった。
けいこちゃんと歌を歌い合って、みんなに「うるさい」と言われて、
笑っている。「うるさい」と言っている人達も笑っているから面白い。
日曜日は久しぶりに元学生チームのアカネエさん(ハルコさんのつけたあだな。本当はあかみねさん)が来てくれた。お友達のおかだくんもいい人。

出産前のドタバタで通っていた歯医者さんに行けなくなっていたら、
治療中の歯が痛みだした。そろそろ時間を作って行かなきゃ。

最近、本当に深く感じている事だが、宇宙も人のこころも、
自然に調和に向かって行く、というのは凄いことだ。
この世界のバランスは、ほんの少しでも狂っていては成り立たない。
丁度良いバランスに絶えずあるというのは、神秘以外の何物でもない。
すべては調和に向かっていく。すべてはバランスを保つ方向へ行く。
凄いことだ。
この単純な神秘が、彼らの作品の最も深くにある秘密だ。
以前、多摩美と共同で発行した冊子には「調和を求めるこころ」と書いてある。
この言葉は編集の方がつくった概念だ。
僕が元になる原稿を書いた時には、「調和するこころ」としか書かなかった。
細かいところだが、調和を求めると調和するでは意味が異なる。
調和を求める?
少し違和感がある。
ダウン症の人たちの作品には調和的な世界が現れているが、
調和を求めている状態が描かれている訳ではない。
調和を求めるのはあくまで私達の側なのではないか。
調和がそこにある時、調和を求めることは無い。

2011年12月4日日曜日

自分に投資する

セキユリヲさんから、お祝いのお葉書をいただいた。
素敵な写真でウサギが並んでいる。
本当に可愛くきれい。さすがセキさん、文字もすてき。
絵のようでも、デザインのようでもある。
嬉しいです。ありがとうございました。
無事、出産してから、お仕事の関係の方々からお祝いのお言葉をいただいている。
電話やファックス、お手紙、メール、様々なかたちで、ご連絡頂きながら、
お返事が出来ていない方々がいます。
本当にごめんなさい。そして、あたたかいお言葉を、ありがとうございます。

2日前に悠太のへその緒がとれた。
今日はどんな変化があるだろうか。

早いものでもう12月だ。一年はあっと言う間。
イサはいよいよ入試。ゆりあも卒論、卒制に向けて奮闘している。
2人とも、一生懸命だ。
悔いが無いように全力を出して欲しい。きっと次に繋がる。
思い切り前を向いて、全力で前進。それだけだね。
力を配分する人は、どこにも行けない。
力の出し惜しみをする人は、どれだけ経っても実力は身に付かない。
アトリエで、少なくとも全力で生きるという経験を知ってくれた2人。
その気持ちを活かして欲しい。
力は使えば、もっと出てくる。さらに使えば、さらに出る。
2人共、制作の場で僕が手を抜いたり、
力の配分をした場面を見たことが無いだろう。
僕自身、現場に入ればそこに居る人達の中で、
自分が一番真剣でなければならないと、常に思っている。
自分が賭けた力の分だけ、自分にかえってくる。
その事は、今は分からないが、時間と共に確実に分かる。
一生懸命何かをする事は、自分に投資するようなものだ。

10代の話を書いて来た。
お寺と、共働学舎と図書館を行き来する以外は、
一人暮らしをしていた時期も長かった。
これまで、振り返っても、決して恵まれた環境にはいなかったが、
僕は不思議と自分の願ったことは全部かなって来た。
その意味では運も良かった。欲しいものも手に入れた。
人にも恵まれた。
一つだけ、縁が無かったのはお金くらいだろう。
お金だけはいつも手に出来ない。
もしかしたら、それも守られている事かも知れないが。
そんな自分が、一番お金を自由に使えたのは一人暮らしをしていた時期だ。
いっぱい働いて、得たお金はほとんど使っていた。
僕の基準は、今は勉強する時期で、出し惜しみしてはいけない。
自分に投資せよという考えだった。
見るべきと思ったものは、どこまでも見に行った。
会っておくべきと感じた人には、どこまででも会いに行った。
本もたくさん買ったし、知らなかった世界にも触れてみた。
高級なお店にも1人で行ってみた。
この時期に、貯金ではなく、経験を刻むと言うことに、
自分に投資すると言うことに賭けてみたのは、後々本当にプラスだったと思う。

自分が見たり、聞いたり感じたりして来たもの。
出会った人達や行った場所。
そういった経験が自分を豊かにしてくれる。

間違った事もして来たかも知れない。人を傷つけた事もあった。
きれいな事ばかり書いてはズルいので、いずれそういった事もふりかえろう。

ただ言える事は、絶えず悔いが無いと言うことだ。
全力で行けるところまで行った。
見るべきものはみんな見たと言いきれる。
その時、その場においてやり残した事は何も無い。

自分にたくさんの経験を与え、投資すること。
失敗しようが成功しようが、正しかろうが、間違っていようが、
全力でやり抜く事。その経験が次に何が必要か教えてくれる。

そして、僕達の一番大事な役割であるアトリエの一日にしても、
一時も疎かにしてはならない。
今日も全力で真剣に挑む。また、新しい何かと出会わせてもらう。
毎日が楽しいとはこういう事だ。

2011年12月3日土曜日

はざまを生きる

悠太はとても元気。よく食べるので、大分ふとってきた。
夜は僕の腕をギュッと握って、見つめてくる。

木曜日は妹が来て悠太をダッコしてくれた。
いつか、夏に実家へ帰った時、妹と2人の子供がピッタリくっついて眠っていた。
その姿は微笑ましかった。おおらかな、「家族」を感じた。

それから共働学舎時代にお世話になった、まことさんも来てくれた。
朝、いきなり電話で「おーい、オレ、今どこにいると思う?」
「まさか、近くまで来てるの?」
「一応、母親の身体に負担かけたくないからさあ」
「まことさん、人に気をつかえないでしょ。いいから早く来てよ。」
という訳で。
でも、本当はずっと心配してくれてて、
突然と見せかけて、わざわざ時間をつくってくれたに決まっている。
そんな人だ。

今、朝このブログを書いている。
昨日は絵の具の準備をしながら、前回の作品を見ていた。
みんな、使う色が変わって来たなあと思う。

この前、音楽の話をしていたら、ある女性シンガーの話題になった。
僕も結構好きな人だ。
民謡(この言葉はあまり好きではないが)出身の人だが、
現代の歌を歌っている。
民謡でも名人だったと言う。
話していたのは、その人の現代の歌には魂が感じられて、
本当に凄みがあるのだが、案外、お得意の民謡を聴いても、
その感動はやって来ない。
僕からすれば、民謡にはそんなに魅力が無い。
話していた人も、現代の歌の方が、声に力があるとの感想をもらしていた。
面白いなあと思う。
僕なりの答えがある。
多分、民謡と違って現代の音楽は、彼女にとって自然には歌えない。
歌い易くもない。努力も必要だし、それ以上に、
民謡を捨てて、新しい表現をする事への葛藤も違和感もあるはずだ。
この葛藤や違和感、あるいは矛盾というものが、
とても重要で、それを避けずに見つめた時、本当の表現が生まれるのではないか。

よく、民族アートや、音楽や、芸能に対して、
それがその人達の本当の伝統ではなく、西洋化された見せる為のものになっている、
と批判する人がいる。だからつまらないのだと。
僕は逆だと思っている。
そういった民族の表現は他の文化とぶつかった時にこそ、何かが生まれる。
多分、西洋化されてつまらなくなったのは、
伝統を否定したからではなく、葛藤が無くなったからだろう。

このブログでも、様々な対比を書いて来た。
自然と文明だとか、言葉と言葉を超えた経験とか、
ダウン症の人たちと自閉症の人達とか。
僕は比較はしたが、どちらだけが正しいとは言って来なかった。
大事なのはその間を繋ぐこと。
僕はダウン症の人たちを尊敬している。
だが、自分が彼らと一体だとは言わない。
むしろ彼らと、この社会とを繋ぐこと、対話すること。
今、矛盾があれば、向き合うべきだ。
違いは無いと言ってしまえば楽だが、それは違う。
共働学舎にいたときもそうだったが、僕は大切なものを大切にしていきたい。
その為には同化してはならない。
間、境界、はざまこそが大切で、ある意味で矛盾に引き裂かれ続けることが、
誠実に生きることではないか。
エコロジーも宗教もヒッピーも、何か良い主義の人達も、
欠けているとしたら、この矛盾に向き合わないところだ。
人は正しいだけの場所にはいられない。
自分達だけは正しいところにいて、他の人や社会は間違っているという、
見方は誤りだ。
すべては繋がっていて、僕達はその中の一員だ。対話こそが必要だ。

矛盾を引き受け、はざまを生きよう。
何度も書いたが、クサい物にフタではいつもまで経っても解決しない。

僕が見ている20代の人達でも、もう一歩のところで自分と向き合わない。
悲しみや、怒りや孤独を恐れて、誤摩化そうとする。
悲しみを超えたければ、悲しみと向き合うしかない。
孤独を超えるには、真っ正面から孤独と向き合っていくしかない。

私達は、逃げたり避けたりして、向き合わなかったものに、
生涯つきまとわれ続ける。
何度も何度も、それは姿を変えてやってくる。
だから、思い切ってフタを開けて、なかみを見てしまおう。
よし、おまえと最後まで付き合ってやろうという態度を持とう。

育児が大変だという人は多い。
僕も大変だとは思うし、自分で出来ているともとても思えない。
ただ、みんな、何でも大変になってしまうのは、
これまでの自分やこれまでの生活を捨てられないからだ。
新しいものが来たら、それに合わせて、自分も新しくなればいい。
僕自身も最近は眠る時間が短くなったが、
そうすると長く寝るものだと言う思い込みは消えた。
そうやって変わって行くのが生きていくことだと思う。

2011年11月30日水曜日

無きにしかず

悠太は本当に元気。よく食べ(飲みか?)よく寝、よく泣く。
全身で生きている。
見ていると時間がすぐにたってしまう。
今日まで敬子さんに居ていただいた。入院時からずっと付き添って貰ったことになる。
本当に助かりました。
今日からはうちの母が手伝いに来る。

前回、制作に向かう彼らの、精神的自立度の高さについて書いた。
僕達スタッフはいわば自転車の練習の時の様に、
後ろから支えて走って行って、本人が気が付いた時には手を離している。
いつの間にか、本人が1人で走っている。
こころを一つにする、一体となることの大切さは何度も書いた。
それ以上に大事なのは、いかに離れるかなのかも知れない。
離れることが上手く出来なければ、次の世界が見えて来ない。
制作における自立のみならず、
親離れ、子離れ、古い環境から離れて、また新しい関係が生まれる。
そうすることで、お互いが伸びていく。

実際に制作の場において、離れる技術は大切だ。
すでに自立的な動きが始まっているのに、いつまでもべったりしていたら、
前の関係に戻ってしまうし、自由なこころの動きを阻害することになる。

すべてのことが、そうだが足し算より引き算だと思う。
何が必要か考えること以上に、何が必要でないかを考え、
必要の無いものは取り外すことだ。

例えば、僕達の仕事でも極論すれば、本当は無くなればいいのかも知れない。
つまり、みんなが彼らのこころと一つになれる様になれば、
こういった活動も必要は無くなる。
ダウンズタウンもそうだ。
社会全体が、彼らの文化を受け入れ、共存出来る平和なものになれば、
ダウンズタウンもいらない。
これらは極端な言い方だが、
この様に、絶えず無きにしかずという理想に向けてすすんでいれば、
本質から逸れないのではないだろうか。

今の社会も、人も、無くても良いもの、無くても成り立つものばかりを、
追い求めている。
無くても良いものがあると、人は命の力を失う。

いつでも、手を加えるのは最小限にと思っている。

アトリエの活動も、最も必要な本質にだけピントを合わせていきたい。

2011年11月29日火曜日

超えていくこと

悠太は毎日すくすく育っている。凄い食欲。
毎日変化する姿は、本当にかわいく楽しい。
寝る時間や休む時間が無くなったが、悠太の顔を見ていると、一瞬で疲れが抜ける。
今が一番、子供と一体の時期だ。
ただただカワイイだけの時期。それだけでいい時期。
今見ている悠太の顔は一生忘れないだろう。
成長と共にこの一体感は消えていく。消えなくてはならない。
環境も人も、関係も変化していく。
変化していく事で、新しいものが生まれ、新しい世界が見えて来る。

関係が変わって行く事は、成長し変化し新しくなっていくこと。
日々、超えていくこと。それは一生つづく。

プレのクラスを見ていても、ハルコやあきやてるくんとの関係は、
エコールの頃とは確実に違う。
みんなは精神的には、僕を必要としなくなっている。
そこから僕との関係も新しいものになっていく。
それが面白い。

以前、自立について書いてが、そういう部分を見ていると、
精神的な意味では彼らは、結構自立している。
20代の学生達より、精神的自立はすすんでいる様に見える。

前にすすむ。とどまってはならない。
成長を抑え合って、甘え合っていてはならない。
今、少しづつ自分の過去を振り返っているが、
すでに終わったものは超えて行かなければならない。
今の僕はもうそこにいないし、もうそこを見てはいない。

服だって小さくなったら、脱ぎ捨てるしか無い。
無理やり着ていてはいけない。

今の環境や関係が衣服の様に、自分の伸びていくサイズと合わなくなることはある。
とどまってはいられないのだ。

でも、超えていった先で、かつて一体であった頃のあたたかい記憶が、
自分を救ってくれる。その思い出を宝物の様に持って、超え続けていけばいい。

今年を最後に2名の生徒がアトリエを離れることになった。
数年間、制作を見守って来たので、本当に残念でさみしい。
2人とも先日のうおがし銘茶での展覧会に出品していた。
たくさんの人の目に触れて、好評を得ていた。
かなちゃんは強い筆圧で、立体感のあるシンプルできれいな作品を描いて来た。
作業所に通いだしてからは、作品に勢いが無くなって来ていて、
疲れて来ているなあと心配していた。
ゆうすけくんはもう1人いるが、こちらのゆうすけくんは、
展覧会で「ためいき」という大人っぽい作品を出品して、見る人を感心させた。
色彩感覚が鋭く、線の使い方がすばらしかった。
2人とも、きれいな作品を描き続けてくれた。
アトリエで活き活きと、みんなと楽しんでくれた。
アトリエを離れても、こういう時間を大切に、
作品に現れていたこころが守られていく事を願っている。

制作の場の質を保つため、少人数で一クラスを創っている。
そのために、2名抜けると運営は大変だが、また新しいメンバーに出会えるだろう。
また、生徒数が入り過ぎてお断りしなければいけないこともあり、
このバランスは難しい。

余談だが、先日アトリエで保護者の方の1人が、
「作品がいいからすべて成り立つんですよね」と言うようなことを仰った。
確かに彼らの作品は素晴らしいし、
作品を生み出す彼らのこころの純度が、すべてを成立させている。
その事は事実だ。
でも、この言葉は間違っていると思う。
作品はすばらしいが、それはほうっておいて勝手に出て来るものではない。
紙と絵の具があれば良い作品が描ける訳でもない。
環境を保つことの重要性を忘れては、
いかに素晴らしいものも簡単に崩れてしまう。
その意識は、みんなで共有していたい。
もう一つ、伝え方や場所をしっかり選ばなければ、
ただ流れに任せていると、いつの間にか価値のないものに見えてしまうだろう。

そう言えば、しばらく前のことだが、こんな事があった。
アトリエの裏に養護学校か何かのスクールバスがある。
そのバスの前で自閉症の女の子がずっと、何か叫び続けていて、
大人がいっぱい立ち尽くしている。小学校も近くにあって、
小学校の警備員みたいな人達まで、道が危ないとでも言う様に、
話し合い、見守っている。またしても誰も何もしない。
女の子はうろうろ歩き回って叫び続ける。
僕は犬の散歩をしながら近付く。
女の子の顔を見ると、ああやっぱりという感じ。
何かタイミングを逃したみたいだ。
その間にみんなが怖がるから、ますます出口を失ったのだ。
僕は話しかけ易い様に、自分を無防備にして無意識で近付く。
彼女は急にニッコリ笑って「おっおはよーございまーす」という。
「ああ、おはよう」と僕が答える。
彼女はそのままバスに乗って行く。それでおしまい。
ただ、挨拶がしたかっただけなのだ。
こんなことが分からない人があまりに多いから、
生きづらい環境を強いられている人達がいる。

2011年11月28日月曜日

共働学舎2

土、日曜日クラスではみなさんから、お祝いをいただきました。
本当に有り難うございます。

以下、前回の続きです。
読まれていない方は前の回からお読み下さい。

こころの無垢とは何か
共働学舎を再び訪れて

宮島真一郎先生(親方)との対話 つづきから

親方  ダウン症の子が描いた絵はどんなテーマが一番多いのかい。

佐久間 そうですねえ‥‥、人によって異なりますが、身近なもの、
行った事のある場所や好きなものですかねえ。

親方  人物が多いのかな?

佐久間 人物はそんなに多くはないと思います。
お母さんやお父さん、友達といった、テーマはよく出て来る気はしますが。

親方  ものを似せて描くこと。忠実に写し取って描く事が出来るかい。

佐久間 ものを忠実に写し取るというよりも、そのものにある雰囲気とか、
全体に流れる空気の様なものを、捉え、形に表現出来る人達ですね。

親方  ダウン症の子たちはどんなところに障害がありますか?
脳でですか?身体ですか?やはり大きな部分は脳でしょうか?
その様な研究はすすんでいるのだろうか。

佐久間 うーん。‥‥。
僕の知るかぎりでは、ダウン症の人たちに対しての研究は、
まだそんなに進んでいないのではないでしょうか。
染色体に異常があるということまでは分かっていますが、
その事が、どんな意味を持つのか、
身体やこころや知覚にどのような影響あるのか、
まだよく解明されていないのではないでしょうか。

親方  やはり、脳ではないかね。身体はどうだろう。

佐久間 身体も普通の人達に比べれると弱いです。
合併症として心臓に疾患を持つ人も多いですし。

親方  彼らの絵のどこが一番、魅力かな。

佐久間 色彩感覚だと思います。感覚が鋭い。

親方  君達が展覧会を開くと、子供達は喜ぶのかい?
色んな人達が彼らに質問したりしたら、答えられるのかい?

佐久間 そうですねえ。彼らは展覧会そのものよりも、絵を描く事自体を喜びます。
もちろん、見てもらう事も嬉しいし、喜ぶのですが、
絵を描く喜びはそれ以上です。
質問は日常的な事なら、彼らは答えられます。
もっと抽象的な質問は僕達が答えることになります。

親方  ダウン症の子たちは美しいものを感ずる感覚が強いのでは無いかい?

佐久間 まさしくそうです。

親方  感覚が敏感であることは非常に大変な、生きにくい事なんじゃ。
食べ物でも美味しいと感じる感覚が強いかい。
食べ過ぎてしまうのではないかい?

佐久間 食べ過ぎてしまう事は多いですね。

親方  そういう時、ダメとか、今はおやつの時間じゃないとか、
言わないで少しでもいいから、一緒に食べてあげて欲しいんじゃ。
そうすると、とても喜ぶんじゃ。

佐久間 はい。分かります。

親方  まあ、大変な事だけど。本当に敏感だと言う事は大変だけど、
それを一緒に分かってあげることなんじゃ。
本当はこの共働学舎にも、ダウン症の人が居るべきなんじゃ。
でも、ここは過酷だし敏感だと難しいじゃろうなあ。

佐久間 はい。

親方  今は、共働学舎も君達のところだけだからなあ。
ダウン症の子を見ておるのは。報告会でみんなに伝えてくれよ。
(記憶違いで、私達が共働学舎としてダウン症の人たちを見ていると思っているようだ)

佐久間 はい。分かりました。

親方  それから名前をよく呼んであげる事じゃ。名前を呼んであげるだけでも、
深ーいコミニケーションになるんじゃ。手を握ってあげる事も大事じゃ。
きれいな景色を一緒に、きれいだねえと、ゆっくりみてあげることじゃ。
決して急かしたりしてはダメだね。

佐久間 良く分かります。

親方  たくみも小さい頃は大変な子じゃった。
気に入らないと物を壊したり、走って来てわしにぶつかって来たりな。

佐久間 あのたくみさんが、ですか。

親方  そうじゃ。今じゃ考えられんだろう。
わしの所に来た時はたくみもまだ、10幾つじゃった。
どんな事があってもわしが、「たーくみー」と呼ぶと、
喜んで走って来たもんじゃ。

佐久間 はい。

親方  ダウン症の子は、言葉がしゃべれないかい?

佐久間 決してそんなことはありません。
個人差はありますが、特に、親しい人とはとてもよくしゃべりますよ。

親方  言葉は苦手ではないかい?

佐久間 特にそのような印象はありませんが、環境によっても違うと思います。
良い環境があれば、言葉の能力も相当出て来るのではないでしょうか?

親方  数字、数が苦手ではないかね?

佐久間 そうですね。確かに計算は少し苦手ですね。

親方  一番出来ない事は、一番苦手な事は何かね?
どんな点がいちばーん、普通の人より劣っているのかね?

佐久間 うーん。‥‥。

親方  つまり、嘘というのはどうかね。
嘘をつくと言う事が、出来ないのではないかね。

佐久間 なるほど。そうですね。彼らは外面的にばかりでなく、
内面的にも嘘が無いと思います。
(何とかついて行くが、親方のシンプルな言葉の鋭さに内心、ドキッとした)

親方  わしは嘘をつく事が人間の中で一番良くない、
罪ふかーいことだと思うんじゃ。
脳を専門に研究している科学者に聞いてみた事もあるんじゃ。
嘘をつく、悪い事をするのは人間の脳のどんな部分が機能してそうなるのか。
これはまだ、科学では分からないようだ。

佐久間 はい。そのようですね。

親方  わしはなあ、人間の脳のどこかにある、
そういう嘘を言う機能というのが、特定されれば、
そこをどうかして悪を無くすることが出来るのではないかと。
それを望む気持ちもあるんじゃ。

佐久間 はあ‥‥。
(やっぱり、この人は凄いと思う。確かに危険な発想だが、あまりに真っすぐに純粋に探求して行く迫力におされる)

親方  この共働学舎でも、嘘をつく、物を盗むと言う、
いちばーん悲しい事がおきるんじゃ。
わしはここに来たいと言った人間は誰でも受け入れて来た。
たくさんの問題がおこった。
本当に教育と言うものがあるのなら、
人間を悪を無くせなければ嘘なんじゃ。
そうしなければ、戦争も何も無くならないのじゃ。
ダウン症の子たちが嘘を言えないのは、
人間の脳のどんな所に由来するのか。それが大事なんじゃ。
しかし、こころというものは、脳ではない。イエスキリストという人は、
そのこころを変える力を持っていたはずなんじゃ。
こころを変える力が無ければ、教育の意味はないんじゃないか。

佐久間 こころを変える、と言うことは大変な、途轍もない事だと思います。
ただ、これまで人類は計算や悪を為す源になる、能力ばかりを伸ばして来た。
良い事をする能力、良いこころの力というものもあるはずです。
時間はかかるでしょうが、
そういう能力を伸ばして行く事の価値を認識する必要があると思います。
ダウン症の人たちは、素直で平和なこころの能力を持っています。
そこから学ぶ事は出来ると思います。

親方  うんうん。そこなんじゃ。

佐久間 それから親方、心臓の悪い人が、気持ち良く絵を描くことで、
身体が良くなって行く様な事があるんでしょうか?
僕は実感的にはある様な気がするのです。

親方  それは勿論じゃ。
人間の気持ち、こころというものが、
最もふかーく反映されるのが心臓なんじゃ。
嫌な事やストレスを経験した時、心拍数がすごーく変化するんじゃ。

佐久間 なるほど。

親方  ダウン症の子の素直さというものは、健常の人間にもあるものかね?
僕の先生の羽仁もとこという人は、こころのやさしい人じゃったが、
歌を歌うと本当に音痴じゃった。
音痴である事と、やさしいことに何か繋がりがあるかね?

佐久間 あるような気がします。
音程や文脈を合わせる能力、辻褄を合わせる力や、計算といったものは、
人間の中にある純粋な感覚の力とは別のもののような気がします。

親方  そうだね。

佐久間 親方は共働学舎を辞めたいと思った事はありますか?

親方  何回もあるよ。
まことがこうして手伝ってくれなければ出来なかったと思っとる。
ここに来る人たちは、みんな自然に集まって来たんじゃ。
わしが頼んだ訳じゃないが、たくさんの人が手伝ってくれた。
そして、自然にここの生活がある。

佐久間 最近はどんな事を考えますか?

親方  寝る前にガンジーの自伝を読んでもらうんじゃ。
インドという国は様々な問題を抱えている。
その中でガンジーがはたして来た役割は大きい。
一度、ガンジーに会いたいのじゃが、わしみたいなものに会ってくれるかな。
(あの世でということかな?)

佐久間 でも、親方はマザーテレサには会いましたね。

親方  そうじゃ。マザーテレサとは兄弟のようなもんじゃった。
会うとすぐにこころが通じ合った。よく手紙もくれた。

佐久間 本当に親方やまことさんの姿を見て来たから、今の自分があります。

親方  とんでもない。
わしの方こそ、君達に教えてもらいたい事がいっぱいあるんじゃ。
ダウン症と言う言葉は良くないねえ。何か良くないイメージがある。
良い名前は無いか?考えてくれよ。

佐久間 そうですね。名前を考えないといけないですね。
親方、久しぶりにたくさんお話し出来て楽しかったです。
ありがとうございました。

親方  ありがとう。良い仕事をしてくれよ。頼んだよ。ありがとう。
報告会にも来てくれよ。

佐久間 はい。ありがとうございました。

その日、私達は車が通れない山奥にある真木共働学舎へ向かった。
今回の目的は多摩美の学生を連れて行く事だった。
久しぶりに、まことさんと真木へ向かう、山道を歩く。昔はみんなの食料を運んでいたけど、今回は自分の荷物と若干のみんなの飲み物だけ。
まことさんは、歩きながらも道の確認をして、次に歩く人や明日歩く人の為の道を造っている。真木に着くと、まことさんは真っ先にみんなの仕事場へ向かい、進み具合を見てアドバイスしていく。織物を織っている人達には、なぜ最後の部分が上手くいかないのか説明する。一人一人を本当によく見ている。みんなの作っている織物はすばらしい。色彩感覚も織り方も凄い。これを作品として認識出来る人がいないのが残念だ。特にクニちゃん(発達障害の人)のはいい。みずほさん(この人も発達障害の人)えのきどさん(統合失調症の人)やまぎしさん(左官屋の親方をしていて、現場で転落事故後に記憶喪失となり、脳に障害を残す。今、このレポートを写している時点ではすでに亡くなられた)クニちゃん達が、ニコニコしながら、ゆっくり話しかけて来る。懐かしい気分だった。彼らと話していると10数年がすぐに吹っ飛んで昔に返る。彼らとの関係の中では何も変わっていない事に気付き、この様な深い関係を持てた事の幸運を実感する。

佐久間 みずほさん、元気?

みずほ げんきだよ。佐久間君やなんかもー、げーんーきかなーとおもえるからしてー。
最近はー、名探偵コナンもー、あんまり見れないからねー。
今日はー、バンクーバーでーフギアがあるよ。

クニちゃん んっんっ佐久間君、東京は楽しい?僕も今年、んっんっ。
モーニング娘のコンサート行くんだよ。

佐久間  クニちゃんと言えば、上野だよね。あとはフィリピンパブでしょ。

クニちゃん んっ、なーに言ってんだよ。もう行ってないよ。
クニちゃんの髪は自分で脱色して茶色。額とこめかみの辺りは剃っている。ピンクのマニキュア。指にはカラーのテープが巻いてある。猫に噛まれたと本人は言う。

佐久間   えのきどさん、矢沢永吉、聴いてる?

えのきど  やっ矢沢永吉、聴いてる聴いてる聴いてる。

佐久間   矢沢永吉のどこがいいんだっけ?

えのきど  いっ一番強い。

佐久間   2番目は?

えのきど  2っ2番目は舘ひろし。舘ひろし舘ひろし、クールズ。

佐久間   3番目はえのきどさんだよね。

えのきど  いやっ。俺はよっよわっちいよわっちいよわっちい。よちよちよち。

佐久間   今日は学生を連れて来たんだけど、彼はどう?

えのきど  カッコいい。2っ2枚目。

佐久間   えのきどさんも渋いよね。

えのきど  しっ渋くない渋くない渋くない。かっかっこわるいかっこわるい。
5っ5枚目5枚目5枚目。ごっ5枚目ガシラ。

えのきど  (ニッコリ笑いながら)佐久間君、昔の方が面白かったね。

佐久間   えっ。昔っていつ?

えのきど  わっ若い頃。

佐久間   昔の感覚を取り戻さなきゃ。

やまぎしさん  今度は夏来てね。

佐久間      夏?

やまぎしさん イワナ釣って食わしてあげる。

佐久間    わーありがとう。

やまぎしさん 菜箸、いる?

佐久間    えっ、やまぎしさんがつくったやつ?ほしいなあ。

やまぎしさん じゃああげるよ。

(彼とはこれが最後になってしまった。やまぎしさん、本当にありがとう。最後にもらった菜箸、大事に大事に持っています。いっぱい教えてくれてありがとう。天国で僕のことも見守っていて下さい) 

こうして話していると、嘗ての感覚が蘇って来る。だが、今はもう違うように見えている事も事実だ。あの頃より彼らが見える。彼らが分かる。なぜだろう。私は彼らに愛されていた。私自身が、彼らほど純粋な愛を持つことが出来るまでに、多くの時間が必要だった。
共働学舎には障害という概念は存在しない。ここには、様々な立場の人がやって来る。やって来ると言ったが、中には連れて来られた、置いていかれた人達もいる。誰がどのような問題や障害を抱えているのか、実は誰も知らない。ただ、来た人達と共に生きる。生きていく中でたくさんの問題が発生する。それによって初めて一人一人の問題や病と向き合う事になる。農業がやりたい、福祉の勉強をしたい、人間を知りたい、コミニティに興味がある、様々な意欲ある人達も多くやって来る。だが、この場に最後まで残って生活して行くの人の多くは、結果的に様々な問題を抱え、行き場を失った人達、ここにしか居られない人達なのだ。誤解を恐れず、あえて言えば最底辺の人達。そんな、人達が共に生きる中で、見出しているものにこそ、私は人間の失って来た多くの宝が潜んでいるように思う。
夜は、まことさんと少し飲みながら話す。お風呂はクニちゃんに、昔みたいに一緒に入ろうと言ったが、うんうんと言いつつ私達が出て来るのを待っていた。みずほさんと一緒に入って色々話した。学生のイサがいたので大学で何をやっているのか、みずほさんに話してみた。

佐久間 平和学の構築って言うのもあるんだよ。

みずほ 平和学のー、こーちくー?できるといいねー。
白土三平さんのー漫画やなんかはー、過激でー、問題になった事もーあるからし     てー。平和学ーだったらー、「ほのぼの」なんかはーほんとにー平和学のーこうち    くーみたいだね。

まことさんは、夜もみんなの織物の直しをしていた。それからアタッシュケースの鍵を開けて、えのきどさんのタバコとお金と薬の管理をする。えのきどさんはしっかり、まことさんの隣に座って見守る。えのきどさんの今週のむ薬を種類分けしているが、本当にたくさんの種類でややこしい。途中、まことさんがうとうとしだすと、クニちゃんが薬の仕分けを自然に手伝いだす。3人が並んで座って、真木の景色に溶け込んでいる。助け合って生きている3人を見た。また、まことさんに背中で教えられている気がした。
翌日、私達は真木の山を降りる。雪の積もった田んぼの中を、えのきどさんが走りながら見送ってくれる。ニッコリ、笑いながら。手でギターを弾く真似をしながら、矢沢永吉のルイジアナを歌ってくれる。歌いながら、走りながら、雪につまずき、転びそうになって、ころんで、また走って笑う。そしてまた歌う。何かを伝えてくれている。本当に嬉しい。えのきどさんの矢沢永吉は時間よ止まれ以外はめったに歌ってもらえない。

もう一カ所、立屋共働学舎にも私にとって大切な人達がいる。
はやしさん(脳に障害がある。北海道の牛小屋で生きて来た)オブオブ(産まれる時に産道で詰まり未熟児として誕生。脳機能に障害を抱える)のぶちゃん(彼女も未熟児として産まれたようだ。自閉症と麻痺がある)さくみさん(プラダーウイリー症候群)さとやん(自閉症)たいすけ(幼い頃、交通事故に遭い、半身不随となり脳にも障害を残す)

はやしさん おおー、あ、あ、あんたは、うっうしぎゅうしゃによくおったな。
そーーか。とっ東京の田舎におるんか。

のぶちゃん さーふまくんっ。だーれだとおもっったよー。

オブオブ わし、今日、微熱やねん。カレー食うか?

さとやん あっあっ、もしよかったらっ、何時のバスで来たかっていうか、
どこについたかっていうかっ、いーや、べっべつに詮索する訳じゃないけど。

みんなの言葉と話し方にホッとする。

今回はたいすけが絵を描きたいと言って来たので、工芸室でクレヨンと紙をかりて、アトリエを開く。たいすけがからかうように「どーやあってーかーくーのー、せーんせー」と笑う。「先生じゃねーよ。たいすけの好きなように描けよ。なに描く?」「じゃーてーきーとー」。「真っすぐ座るんだよ。よし、太いやつを使おう。なんでも描いていいよ」「わーかったー」クレヨンを持つとすぐに始まった。時々、こちらを見詰めて微笑む。「いいなあ。やっぱたいすけすごいな」。身体を自由に動かせない分、全身を使っての集中力が強くなる。色を塗りながら、どんどん深い世界に入っていく。目付きが変わる。手が自然に動き出す。たいすけのこころが目の前に見えて来る。絵が出来ると2人でしばらく深い時間を味わう。こころとこころが出会い、繋がる。たいすけは立ち上がって、ストーブの前へ移動して休む。しばらくして、たいすけの方を見ると、笑顔で「あーりーがーとー」とゆっくり私を見詰める。わざとドラマっぽく「たいすけー」と抱きしめる。それから小林さん(おそらく自閉症)が電車の絵を描く。最初は恥ずかしいと言ったり、間違えたとか、どうやったら描けるのとか、迷っていたけど、「大丈夫、大丈夫」と声を掛けていく。途中から、電車の中の色を重ねだす。「それ、すごいね。きれいだね」というと、自信にあふれた表情になった。のってきた。表現もグンと深くなり、楽しみだす。「明日帰るの?さみしい。まっ、また来てね。いっいつ来るの」とこちらに話しながらも描いていく。「えっ駅はどうやったら描けるの?」「さっきの電車みたいにイメージして、思い切ってやってみれば、絶対描けるよ」「こっ今度は駅、いっ一緒に描こう」「おお、いいねえ」。たくみさんも来る。「僕も描いていい?」「もちろんいいよ」。たくみさんは牛の絵を描く。いつも牛の世話をしているから、よく観察している。「わあー。たくみさんの牛だあ。いいなあ」というと、私の顔を見て、「そーかあ。佐久間君達はこういう仕事をしてるんだあ」、ドキッとする。かつて生活を共にしていた人達の魂に、今度は作品を通じて出会うことができた。
たった3日間の滞在だったが、十数年前の時間が蘇った不思議な感覚だった。彼らとの関係はあの頃と何も変わっていなかった。変わった所があるとすれば、自分の中に生まれた、自覚と確信だけだ。こころが繋がる瞬間への揺るぎなき確信。
私が共働学舎と出会ったのは16歳の時だった。初めてはやしさんに会った時の印象は忘れられない。強烈な個性と、何もしないでただそこに存在しているだけで、輝くような存在感があった。私はその人になにかしら崇高なものを感じた。何も持たない、誤摩化さない、生きている事だけがあるような存在。人間の持つ本来の尊厳と強さ、やさしさ。彼は、無駄なものをすべて削ぎ落としたような凄みをもってそこにいた。そこには何者によっても汚される事の無い純粋さがあった。彼らは私に何を与えてくれたのだろうか。宮島先生の言葉に「人間というものを理解しようと思ったら、一般の健常な人を見ても決して分からない。障害と呼ばれるような人を見ていく時、初めて人間とはどのような存在なのかが分かる」というのがある。私はこの言葉を何度か、先生の口から聞いている。なぜ健常者、普通の人間との付き合いから人間の本質が見えないのか。それは、私達が意識の表面でコントロール出来る、浅い部分でしか人と触れたり会話したりしないように訓練されているからだ。そこでは決して、なまの、裸の人間の本質は現れて来ない。逆に絶えず裸で剥き出しの、人間そのものとしてしか生きられない人達がいる。その人達と向き合う事は、自分自身と向き合うに等しい。私達が、眠り、目覚めて生きているこの世界。この日常。この世界は決して普段私達が思っているような、単純なものではない。それは、意識が情報として操作したり管理したり出来るようなものではない。それは簡単に分かったり、理解したり出来るようなものでもない。正しい見方や、一つの感じ方がすべてな訳でも決してない。世界はもっと広く、もっと豊かだ。至るところに、新しさがあり、発見がある。たくさんの見方、感じ方が存在している。人間は、もっともっと、生命の力を持っている。そういった事を、彼らから学んだと思う。
共働学舎の実践の最も大きな特徴は、障害者と健常者を分けないというところにある。学舎に絶えずあるのは、共に生きる「生活」だ。生活の中に人間に必要なすべての要素がある。
問題がおきた時に初めて、相手の存在を知り、共存の仕方を模索する。一歩乗り越えると、単一だった世界が、多様性に満ちた、豊かさと包容力を持った大きなものになっていく。
相手を知る事は、医療や専門の技術による事ではない。ただ生きていく、共にある事の実践の中で、お互いを理解する。問題が生まれて来るのは、健常者も障害者も同じだ。学舎では目の見えない親方の手を引いて半身麻痺の青年が道案内する。自閉症の人が、統合失調調の人の薬を分けるのを手伝ったりする。生活の中では思わぬ事がたくさんある。誰でも得意なこと、苦手なことがある。一つ一つの出来事の中に入って行く事で、奇跡のようなこころの癒しが起こる事もある。誰も障害や病気の話題を話す事は無い。また、避ける事も無い。障害者と健常者を分けないと何度も書いたが、実際にはここには、そもそも障害者と言う概念自体が存在しないのだ。ある意味で完全な共存の場が出来るまでは、我々全員が障害者なのだ。そして学舎はすべての人間が「障害」でなくなる、多様性と共存の社会を目指す。身体や精神の医学で不可能と言われている事が、日常の中で次々におきる。しゃべれないと言われた人も、当り前に話す。私は始めて学舎を見た時「日本のインド」だと思った。当時は衛生環境も良くなかったが、誰も病気になる事が無かった。(医療を拒否して亡くなっていった人達はいる)社会的には様々な問題のみならず、病を抱えた人達が多かったが、みんな「生」においては強かった。自分で食欲をコントロール出来ない病気を持つ人が居たが、彼は隠れて牛の餌や、腐った残飯を食べてまったく平気だった。みんな汚い場所でハエに集られて、生水を飲んで、活き活きしていた。ぜんぜん歯を磨かないでも、虫歯にならない人もいた。生きる力は強烈だった。たくさんの個性が集まる事で、日々の生活が自分の許容力をどこまでも鍛えていく訓練となった。作るものは、米、野菜、牛乳、建物、工芸や木工品、すべてを素人としてゼロから考え、協力しながら進めていく。やってみれば、下手でも何でも出来ていく。出来ないときは、出来る人を外にさがして相談しにいく。そんな生活。

共働学舎について、不充分ながらも、重要な部分を書いてみた。
ここから、あえて問題点と課題を指摘したい。部外者の意見だが、私自身が学舎に育てられた部分が大きいからこそ書こうと思う。ただ、客観的にという事ではなく、自分自身いかに愛され、育てられて来たのかも確認したうえですすめていこう。学舎では何も教わる事無く、実際の生活に飛び込んでみて学んで来た。それが学舎の思想でもあった。だから、メンバーの一人一人と触れ合う中で学んだ事がほとんどだ。だが、今にして思うと、親方やまことさん、他にも指導的立場にいた数人の大人達には、それとなく教えられて来たこ場面がたくさんあった。親方には16才で出会ってからずっと、大切にしていただいた。まだ、何も分からず、学舎にも居着く事無く、色んな場所を彷徨っていた頃、手紙や電話を何度もいただいた。講演会で金沢に行くから合おうと連絡をいただいて、ホテルを尋ねた時はゆっくり話してもらって、また一緒に生活しようと誘ってもらった。それもきっかけの一つもとなり、本格的に学舎での生活が始まってからも、様々な場面で見守ってもらってきた。夏休みに残っていると「わしが帰るから付き添いをしてくれ」と言われ、名古屋まで色んな話をしながら移動した。親方と移動すると、障害者介助として電車の料金が半額になる。そのお金も全部出してもらった。駅員に「わしはここで下りるが、彼はこれから金沢で行くんだが、半額になるかい?」と無茶な事を言って「それは無理です」と答えられると、本当に不思議そうにしていた。金沢までの切符も買ってもらった。誕生日にはエーロッパのどこかの国に伝わる祝い方だと言って、歌をみんなに歌わせた。その歌にはセリフ部分が入り、最後の部分で不快なやつだと付け加える。親方は「佐久間君。いつも女の子とばかり遊んでいる。でも純真でやさしい男だ。お金の事など考えた事も無い素直な男、愉快なやつだ」と、確かそんな風に歌ってくれた。実際、親方は私のどこかを気に入ってくれていたのだと思う。指導的立場にいた男性からはよく、「親方は同じ事を○○には許さないのに、佐久間なら許されるんだよなあ」と冗談まじりに言われる事もあった。また、若気の至りで正義感のつもりで、あるメンバーと決定的に衝突して、もはや一緒に生活出来なくなった時、最終的にその人は学舎を離れたのだが、後で寮母的存在だった女性に「親方は2人共を選ぶことは出来なかったのよ。佐久間君を選ぶ事しか出来なかったのよ」と諭されたこともあった。親方は週に一度、メンバーの様子を私に聞いた。誰々はどんな調子か、体調はどうか、気持ちはどうか。少しづつ分かって来たのは、そうやって他のメンバーの事を聞いているというよりも、私の認識や人を見る目線がどれ位深まっているのか、見守っていたのだ。でも、あの頃はまだまだ見えていなかった。認識も浅かった。
まことさんとの思い出は、長くなるのでまた別の機会に。
この旅の終わりによし子が「私達はまだ、親方やまことさんの足下にも及ばないね」と言ったが、私も同感だった。

さて、あえて家族のように愛するが故に、学舎への批判も書かせていただく。まず、言わなければならない事は、これまで書いて来たような学舎の在り方、思想を自覚している人間がいなさすぎる。その結果、雰囲気が暗く、重くなりがちだ。障害者も健常者も分けないという思想が、かえって健常者の能力や成長を抑えてしまっている事にも原因があるのではないだろうか。私自身は自覚的に場を守り、雰囲気を保ち、一人一人の内側にある心の動きを読み取る能力のある人間が、必ず必要だと思っている。あえて言えば、そのような能力を鍛え、責任を持つ必要のある人間を育てる為に「場をつくるスタッフ」を分けるべきだ。そして、何人かに1人はスタッフがいるようにしなければならない。こうしたとしても、学舎の理念を傷つけないどころか、より理念に近付くと考える。メンバーの持つ力が、まだ充分に発揮されてはいない。それは、彼らの内側に、どのような世界が広がっているのかを見抜き、引き出す人間がいないからだ。例えば、私が話しかけると彼らは急に活き活きとして、溢れ出る存在のオリジナリティをぶつけて来る。表情が無くなっている人に、実は発揮されていない「生きている世界」が気付く人がなけば、彼らは自己の無い奥にある、豊かな世界を見せる事も、活かす事も無い。こちらが耳を傾けなければ、聞こえて来ない世界がそこにあるのだ。だから、彼らのこころの宇宙にもっともっと近づき、引き出していくべきだ。人の心の奥に入って行く為には、経験と勘が必要だ。目の前にいる人間の内奥にある動きを、感じ取る能力が必要なのだ。スタッフには相手の間をつかみ取る力と、全体の流れを読む勘が必要だ。ここでも、あえていえば経験に裏打ちされた技術が要求されると言えよう。そして、場全体をリラックスしたものにしていかなければならない。緊張がある所には、一人一人が本当の姿を見せる事は無い。あかるくなければならない。あかるいとは、エネルギーがあると言うことだ。エネルギーが不足すると流れが滞り、問題もおきやすい。良い流れ、自然な流れがある時は、場はあかるい。学舎の課題は、いる人達自身が、学舎の真の価値や可能性、その意味を理解し、自覚していないところにある。学舎がどうあるべきか、というビジョンが弱い。これだけの多様性を持って人間の生き方を提示出来る場は貴重だと思う。これからの時代、特に学舎のような生き方は必要になって来ると思う。以上が学舎への思いから出た課題部分だ。この事は、学舎にいた頃から感じて来た事だったが、東京で自分が取り組んで来た仕事によって、より深く見えて来た事だ。私達は絵画表現と言う媒体を通すことで、こころの奥に入りやすい。また、美を生み出すという、はっきりした方向性が見えている事で、本質から逸れる事が無い。なぜか。美から逸れないことが、彼らのこころの本質から逸れない事でもあるからだ。気持ちよく、身体も精神も活き活きしている時こそ、美が生まれる。創る人も、見る人も美の前で同じ心地よさを味わう。美とは生命のバランス感覚だ。生物はみな快に向かう。気持ちよいもの、心地よいもの、美しいもの、笑い、それらは生命が本来的に持っているバランスの中から出て来る。美味しい食べ物が身体を養うように、美によって我々は存在の充実感を味わう。美しく生きるとは、美しさを発見出来る、精神の純粋さを磨くと言うことだ。本能が気持ちよいと感じる場所に美がある。

さて、最後にこのレポートのテーマである、無垢なるこころとは何か。言い換えれば、私が学舎で出会った人達に見、今はダウン症の人たちに純度の高い形で見出しているものは何か。これがもっとも重要なテーマだ。無垢なる魂、それは私達自身の心の奥にある。
私は16の頃、共働学舎とそこに生きる人たちに出会った。若い頃に彼らと、非常に深い魂の繋がりを持てた事は重要だった。その後22歳になったころ、ダウン症の人たちに出会った。アトリエ・エレマン・プレザンを主催する佐藤肇、敬子のアドバイスを受けて、自分の教室を持つ事となった。私の追求して来たテーマはずっと変わらなかった。生活を通してであれ、制作を通じてであれ、人間のこころの奥に入り、つながり、そこにある根源的世界を共有していくこと。人間のこころの奥にある無垢なる魂は、障害を持っている人達に顕著に現れていた。無垢なる魂とは何か。無垢であるとは、こころに何一つ無駄なものをつけないこと。真の「素」であることだ。学舎ではやしさんに出会ったとき、崇高なものを感じたことは書いた。あのとき感じた崇高さは、森や海に感じるような自然さでもあった。例えば、野生の動物の動き方の美しさ。人間も本来はそのような美しさを持っている。無駄なものが削ぎ落とされ、「素」になった時に、そのような存在の尊厳が現れる。そして、私がこれまで、見てきた中で、もっとも人間の無垢なる「素」の姿、こころが現れているのがダウン症の人たちだった。私達の社会では、人間のこころにあまりに多くのものがくっついてしまっていて、素になった時に現れる、本来の豊かさはなかなか見えて来ない。
では、こころの無垢なる領域から、私達は何を学んでいけるのか。その心の在り方を知り、自分のものとしなければ意味が無い。理屈では決して見えて来ない。現実の生のこころを相手に実践し、どんな風に動くのか知ることが必要だ。実践から出て来た確信をここに書こう。こころがまっさらで、なんの滞りも無く、素であるとき、その動きはどのようなものだろうか。それは大宇宙や自然界の原理、原則と同じ動きをするのだ。それが、ダウン症の人たちが美を生み出せることの理由だ。自然にある秩序と調和こそ美の原点だ。人間のこころの奥には、宇宙があり自然がある。すべてがある。人間のこころに触れるとは宇宙や自然の奥底に触れることなのだ。私達に必要なのは感覚を研ぎ澄まして、ダウン症の人たちのような存在のこころを知り、自身の中にも同じものを見出していくこと。その事によって、この自然界の調和の声を聞き、真に豊かで平和な生き方を創ることだ。これをこのレポートの結論としたい。

2011年11月26日土曜日

共働学舎のころ

三重からよしこのお母さんの敬子さんに来ていただいている。
病院からずっと付き添っていただいた。
よしこはまだ傷口が少し痛むようだ。
でも、日に日に快復して来ている。一ヶ月検診までは安静にと言われている。
ゆうたの世話にも、よしこも僕も慣れて来た。
昨日はゆうたがなかなか寝つかなかった。

木曜日に自電車で区役所へ、ゆうたの出生届を出してきた。

さて、続きのお話を書いて行かなければと思っている。
なかなか、時間が取れないので、今後は少しゆっくりペースで書かせていただく。

共働学舎にいた時代について、共働学舎について書いてみたいと思って、
考えていたが、数年前にイサと学舎を訪れた際、僕が書いたレポートがある。
今読み返してみて、これ以上の説明も記述も僕には書けそうもない。
そこで、そのレポートをそのまま、ここへ写すことにする。
なので、とても長くなってしまうことと、
最近ブログで書いている内容と重複する部分が多いことをお断りしておきます。
それから、一つだけ補足。
僕が語る学舎はNPO化以前のもので、現在の共働学舎とは異なる。
現在の共働学舎は、全く違う姿に変わってしまったように、僕には思える。

こころの無垢とは何か
共働学舎を再び訪れて

20010年2月15日、久しぶりに共働学舎を訪れた。2泊して17日3時にはバスで東京へ向かった。この短い旅の感想をまとめてみたい。

12年前までは、私は共働学舎でメンバーとして生活していた。学舎を出た後は、しばらくあの場で学んだ体験を言葉にすることが出来なかった。安易に言葉にしてはいけないような気もしていた。今、改めて振り返ってみると、間違いなく学舎での生活が自分の核を作っているのだと実感する。
東京でおよそ10年間、ダウン症の人たちの絵画制作と、彼らの文化を発見し、伝えて行く仕事に携わって来た。絵を見詰め、引き出して行く行為は、制作者とこころを一つにして同じ景色を見、同じ感覚を働かせること。言い換えれば、共にこころの奥深くに潜って行く事だ。そんな時間を共にすると、一人一人がどのようなこころの世界を生きているのか、はっきりと分かる。絵を見るとはこころを見る事だ。外の世界の様々な制約や、ストレスや、プレッシャーを外し、リラックスしきった時の彼らのこころの在り方に、私は感動し続けた。
感動は途切れる事なく、日々新しくなって行った。こうして制作の時間を共にして来た経験が自分自身にも変化をもたらして来たと思う。その変化によって、今の私にはかつてと違った見え方が芽生えて来た。私が働くアトリエ・エレマン・プレザンでは、ダウ症の人たちが描いた作品をアール•イマキュレと呼び、位置づけしている。アール•イマキュレはアトリエ・エレマン・プレザンを開設した佐藤肇、敬子によって見出され、その後有識者達に認知されて来た。絵画の問題はおくとしても、では、イマキュレ、無垢とは何だろう。ダウ症の人たちの作品にはまさしく、無垢なるものが形になって現れている。そういった作品がなぜ生まれるのか、彼らがイマキュレのこころをもって生きているからだ。無垢なる魂、純粋で汚れのない精神、ピュアなもの。人間のこころの奥には純粋な空間が潜んでいる。それは決して、ダウン症の人たちだけが持つものではない。誰のこころの中にもあるものだ。
ただダウン症の人たちは、こころの奥にある純粋な空間が、隠されたり塞がったりしないで、すぐに目の前に表すことが出来る。ダウン症の人たちに代表される様な存在は、私達に自分自身の真の姿に向き合わせてくれる。私達の社会では、こころの純真さは絶えず隠されていて、意識と計算が支配している。時々、裸の存在、自分を偽らず、いつでも素でいるような存在に出会うと驚いてしまう。だからこそ、その様な存在、純粋で無垢で自由な存在に目を向けるべきだ。私達の覆い隠している姿、目をつぶって、無かった事にしているけれど、本当は自分自身である存在。隠されたこころの力、人間の持つ可能性がそこにある。
そういった存在は、様々な形での障害、精神、知的、あるいは身体に障害を持った人達の中に多く見出せる。文化的マイノリティもそうだ。私達の過去であるこどもや、将来である老人にも見出される事が多い。私達の社会や、思考が健常で、正常、常識、もっと単純に言えば「普通」と思っている範囲は、極めて狭く限定され、条件づけられたものにすぎない。それ以外の領域を、排除したうえで、私達は生きている。この社会では、例えば年寄りはそのまま存在する事は出来ず、介護し管理しなければならないか、施設に預ける事で、社会の外においておかなければならない。こどもは成人するまで、いったん教育と言うシステムの中で管理され、裸の状態では存在出来ないようになっている。遊びと言う限られた「裸」すら失われつつある。障害者は施設か作業所で管理されている。彼らはいずれにしても、社会の外におかれるか、社会に少しでも適合させようと「普通」という限定された領域に、会わせる努力を強いられている。このように、他を排除し、自らの領域を制限したうえで、成立している「普通」という概念を疑う必要がある。この様な「普通」の中から覆い隠されている領域、排除され見えなくなっている存在こそが、私達が実際のところ最も恐れ、かつ実は最も必要としている、素直さ、やさしさ、ここで言う無垢なる魂なのだ。

私がそういった存在に初めて出会ったのが共働学舎だった。そこで生活する人たちから見えてきたものは大きい。彼らのこころは裸で、姿形も偽る事無く個性丸出しだった。存在丸ごとで、コミニケーションを計り、誤摩化しの通用しない存在だった。やさしく微笑み、誰に対してもこころを許す人。時にパニックに陥り、暴れる人。ものを盗む人。1人で放浪する人。良い事だけではなく、様々な問題を抱えながら生きている人達。でも、そこには真実でないものは何も無かった。人間が生きる事で起きて来る、様々な困難を共有し、乗り越えて行く事で、多様性と共存と言う価値が発見出来る。彼らは本当の人間の顔をしている。
強烈な個性を持ち、喜びや悲しみの深さは計り知れない。生きるエネルギーの強さ。やさしさ。

バスが小谷村の山の上に着く。一時間も早く着いたけど、電話するとすぐにまことさんが迎えに来てくれた。車で少し下にある家へ向かう。家に着くと宮島真一郎先生(親方)が迎えて下さった。宮島先生は元々自由学園で教師をされていた。教師を辞めて、共働学舎を始めた事にたくさんの理由があり、思想的な意味も大きい。学舎では先生は居ないという理由で、宮島先生も自分が先生と呼ばれる事を嫌う。大工の親方のように、全体を責任をもって見守るという意味で、メンバー達には親方と呼ばれている。私も親方と呼ばせてもらっている。親方は実際に大工の技術を持っている。目が見えないのにもかかわらず、設計図も無しに的確に指示を出して、建物を造る姿を私自身たくさん見て来た。
親方が話す中、奥さまの澄子さんがストーブに薪を焼べる。室内に煙が立ちこめる。
親方は最近では記憶も曖昧になり、勘違いも多いと言う。

宮島真一郎先生(親方)との対話

親方  佐久間君か。よくきた、よく来た。元気か?
ところで、君は今どんな仕事をしとるのだったかな?
佐久間 ダウ症の人たちのためのアトリエを開いています。
親方  ああ、そうじゃったな。ダウン症の子は喜んで描くのかい?
非常に活き活きと、楽しいという気持ちで描くのかい?
佐久間 はい。すごく喜んで描いています。
親方  そうか。そこで、君は技術を教えるのかい?こういうものを描きなさいと指導す     るのかね?
佐久間 いえ、そういうふうには教えません。彼らがどんな風に描くのか見守ります。線と    色にこころの動きを感じ取って、良いものが動き出したらほめます。リラックスし    て描けるように雰囲気を作って、環境を整えるのが僕達の役割です。

対話の続きから、次回につづきます。

2011年11月25日金曜日

退院

よし子とゆうたは、水曜日に無事退院しました。
自宅で静養して、ゆうたにおっぱいをあげています。

よし子とゆうたが帰って来て、生活は一変した。
ゆうた中心に毎日の時間が流れている。昼と夜の区別もない。

朝、犬の散歩で外を歩いていても、見える景色が新鮮だ。
生まれ変わった様な気分。

でも、本当に一日の時間が足りない。

今日はこれから、明日の絵の具をつくる。
しばらく、テレビも新聞も見ていないが、立川談志が亡くなったと聞いた。
残念だ。
思えば、談志の落語を聞きに通った日々もあった。懐かしい。
嫌いな人も多いだろうし、もちろん、すべて肯定出来る人でもなかったと思う。
でも、僕は結構好きで聴いて来た。

前に、自閉症の人達のことを書いた。大雑把な捉え方ではあったけど。
そこでピアニストのグールドのことも書いた。
既に全体として成立している世界を、あえていったんバラバラに分けて、
捉え直して、独自に再構成するという在り方。
そこに彼らの世界像があり、それは科学的であり、現代的であるとも言える。
だから、今この時代を生きていて、そんな世界観を無視することは出来ない。
談志の落語もそうだったと思う。
落語自体の背景を分析し、パーツを置き換え直したりしていた。
本質を追究した結果、現代を無視出来ず、落語を解体して、解釈し直した。
もし、落語自体を素朴に信じ信頼し、芸を磨くだけに集中して演じていれば、
多分、名人と呼ばれていただろう。
誰からも批判されなかったし、尊敬だけされていただろう。
でも、どんな時も、本質を追究すると言うことは過酷なことだ。
敵も作るかも知れない。
それを恐れず、本質を追究した姿は誠実だと思う。

昔の人のことを考えると、スケールの大きい人も多いし、
大らかで、人間の本来の姿だなあと思える。
でも、僕たちはそこへは帰れない。
この時代にあった生き方。この時代にあった表現が必要なのだろう。

でも、だからこそ、一方でダウン症の人たちが持っている様な世界を、
深く経験し、知る必要がある。
現代に決定的に欠けた何かが、そこにあるだろう。

彼らは繋がりを生き、愛情と喜びを教えてくれる。
失われた環境や世界との本当の関係を思い出させてくれる。
繋がりを感じ取れる能力を蘇らせれば、
僕達はもっと幸せで、やさしくなれる。

2011年11月22日火曜日

さあ、続きを書こう

なんだか不思議に、守られているという感覚がある。
あたたかいぬくもり、景色がやさしい。
守らなければならない存在を持つことで、逆に守られている感覚が生まれる。

生徒の中に、いつも調子が悪くなると、ひっきりなしに電話して来る人が居る。
あれが怖いとか、不安だとか話すのだが、
いつの間にかただ電話してくるだけで、
「今日は××曜日」くらいしか話さなくなっていた。
それで、こちらも忙しい時期だったので、しばらく電話をとれなかった。
何度もかかって来ているので、久しぶりに出ると、
「なんだよー。心配させんなよ」という。
いつのまにか、心配して電話して来ていたのだ。

飼っている犬だって、僕が出かけていると心配して待っている。
はじめは、寂しがっているのかと思ったが、
様子を見ていると心配しているようだ。
真剣に仕事していたりすると、表情を読みながら心配そうにする。

モロちゃんからお祝いのお手紙をもらった。
本当に嬉しい。
ゆうたと会ってやってね。
海外出張、がんばってね。いつでも応援してるよ。

さて、そろそろ自分を振り返る作業の続きも書かなければならない。
10代のころの話を書いた。あの続きを少し書こう。
初めて共働学舎に出会ったのは16才の時で、本当に数ヶ月しか居なかった。
その後も何度か出入りはしていて、
代表の宮島先生とは手紙のやりとりをしたり、
講演で金沢に来る時は誘って下さったりした。
僕は当時もう金沢には居なかったが、会いに行ったのをおぼえている。
宮島先生のことは好きだったし、尊敬もしていた。
でも、共働学舎に腰を据えて、仕事しようという決断が出来なかったのは、
まだ自分の中で追求すべきテーマがあったからだ。
中学校を出てからずっと、本物の先生を探して来た。
本当のことを知っている人が必ず居るはずだと。
何故、お寺の中にそのようなものがあると直感したのかは、今もって謎だ。
ただ、中学校の時から、図書館に通い詰め、様々な本を読んで、
自分でも詩や小説まがいのものを書いていたが、
何か一番大切なものの近くまで行けても、
それを握りしめることができない様な、感触が残っていた。
自分が求めるものを体現している存在に出会うしかないと思った。

17の時、探し求めていた存在と出会えた。
今思うと、恵まれ過ぎた出会いだった。
僕はその人にひたすら付き添った。
そして、その方が7日間続けて教えるという時に、
「おいノッポ、お前は7日終わるまで、わしの身の回りの世話をしろ」と言われた。
今でも忘れられない。その7日間で僕は自分の人生で最も大切な事を学んだ。
すべてが終わって、一度解散となった。
僕は名古屋の駅へ向かいながら、考えていた。
これで僕が求め続けたものはもう得られた。
いわばこころの鍵を手に入れた。
後は深めて深めて、ひたすら深めて行くだけ。
それから、人と共有すること、伝えることだと。
2つの選択肢があった。
このままこの人に付いて行ってお坊さんになる。
もう一つは人と分かち合う方だ。
共働学舎にいた人達、仲間達と分かち合って一緒に生きる。
どちらかだ。どちらかに決めたら、本気でその道に進もう。

夜行電車に乗る事になっていた。待ち時間がまだ相当あった。
僕は駅前の本屋さんで本を買うことにした。
たまたま出会ったのが中沢新一の「雪片曲線論」という本だった。
その本の半分のところまで、読んだ時点で僕は変わっていた。
そこには、これまで仏教の中で僕の先生たちが語り、実践して来たことが、
そのエッセンスがより広い普遍的な文脈で表現されていた。
仏教的な語り方はもう古いと思った。
もっと広い場所で、今の時代を生き、新しい伝え方、
実践の仕方を作って行くべきだと。強い啓示を受けた。
よし、共働学舎で田畑を耕しながら、様々な人達と、助け合う生活をしよう。
人と生きる中で、学んで来たものを実践し深めようと。
僕はその日寝ずに本を読んだ。
これから始まるという実感があった。
朝、駅に着くとすぐに宮島先生に電話した。

あの頃の感触は本当に鮮やかに思い出す。

ではなぜ、共働学舎だったのか。
僕はそこに何を見、そこでどんなことがしたかったのか。
確かに宮沢賢治のようになろうという思いもあった。
でももう一つの経験があった。
僕が学んで来たことは、どのように自分のこころを良い状態に保つか、
ということ。良い状態に保たれたこころから何が見えるのか。
おおまかに言えば、そんなことだった。
僕はお寺で学んでいたが、実は一人暮らしをしていた頃に、
ある脳機能に障害を持つおじさんと出会った。
その人と触れ合っていて、気が付いた事がある。
僕は人のこころに耳を澄ましたり、深く入って行って、
どうなっているのか読み解いたり、一体化したりといった、
作業を始めると、その瞬間に自分のこころが敏感になって、
違うモードに入る。そんな自分を発見した。
僕の場合、自分のこころを探求するより、
人のこころを前にした時、遥かに深く体感出来るのだ。
それが僕と言う人間なのかと、自分の変化に気が付いた。
僕は人のこころに深く入ることが出来る。その時、自分も良い状態になる。
もし、共働学舎のような場所に行けば、この自分をもっと磨くことが出来る。
そんな思いもあった。
でも、それ以上に好奇心も強かった。

こころの鍵を手にしてから、すでに17、8年も経つ。
もっと深いところまで行けているはずだった。
もっと自分のものに出来ているはずだった。
まだ、こんなところに居るのかと思ってビックリする。
それほど人のこころが変わるのは、難しく時間が掛かる。
でも、やりがいがある。いつでも面白い。
10年後にはどんな自分になっているだろうか。
ゆうたはどんな子に育つだろうか。

10代の頃の話はまだ続きます。

2011年11月21日月曜日

帰る場所

あんまり寝ていない。
昨日は教室が終わってすぐに病院へ。
三重から来ていただいている敬子さんには、
夜だけ交代して健康ランドの仮眠室で休んでもらうことになった。
ゆうたは2時間おきに、おっぱいやオムツ交換を要求して泣く。
よしこは出産後、胃腸を悪くしていたので、まだ栄養も取れていない。
少しづつ回復はして来ている。トイレも行けるようになった。
まだ、おっぱいの出方は安定していないのと、ゆうた自身が大きいので、
半分母乳、半分粉ミルクという感じで。
僕はオムツをかえたり、ミルクをあっためて与えたり、哺乳瓶を消毒したり。
今が一番かわいいのかも知れない。楽しい。
2時間おきに泣くので、眠れないがやっぱり合間は寝ている。

土、日曜日は絵を見ているので、結構神経を使う。
10年ほどやってきて、絵画クラスの前後は必ずこころと身体を休めて、
万全の状態で教室に入るようにして来た。
でも、こどもが居たらそうも言っていられない。
今週はしっかり冷静に、自分の現場が出来ているか観察してみたが、
大丈夫。これなら行ける。
教室の質を落とさず育児も出来ると思う。

それにしても雰囲気を見ていると、多分ゆうたはわんぱく小僧になりそうだ。
僕とぜんぜんタイプが違いそうで楽しみ。

来年は新しい企画が始まる予定だ。
今、それに向けて準備している。
何度か著作権についても書いたが、今お話ししている会社も、
作品を出すことになる保護者の方達も、深い理解者ばかりで安心した。
新しいことに挑戦する時は、
最初の人達は勇気を持って開拓して行かなければならない。
そのために信頼関係が必要。
初めから、色々整備されている訳ではないので、
どうしても、細かいところでは不備が出てしまう。
希望を持って、次に繋げる。今回足りなかったところがあったら、
次は改善して行く。みんなにその様な姿勢が必要だ。
作家は作品を提供する、企業はデザインと商品化への諸々の力を提供する。
アトリエは繋ぐための作業を提供する。
私達はここで何日も作業が必要である場合でも、
手数料や人件費を頂かずにおこなっている。
年間を通して労力を考えると、案外たいへん。
でも、それぞれが協力し合って何かが生まれる。
良い活動につながる。

それとは別に、そろそろ仕事の仕方も考えて行かなければならない。
やっぱりこういった活動も含め、
作品を社会に紹介たり、デザインとして仕事を受けたり(まだ仕事としての企画は難しく、チャリティ枠でのお話ばかりなのが現状)といった、
場面はアトリエの中で別部門をつくりたい。
これまでは全部、僕達で進めて来たけど、それでは限界がある。
それに、もっと適任者が居るようにも思っている。
制作の場に関しては1人スタッフを育てているが、
そことのセンスは全く違ってくるので、この部門のスタッフも必要だ。
勿論、経済的に人を雇うことはまだ難しい状況だ。

個人的には僕は、お金の交渉や(今回は少しでも作家本人に使用料が入るようにお願いしている)権利を整える作業に時間を費やしたくない。
やりたくないのではなく、それだけ違うセンスを動かしていたら、
制作の場が疎かになる。
作品を生み出す、作家のこころと一つになるという現場において、
お金や権利とは無縁の次元を生きなければならない。
最初からこの矛盾は分かっていたが、
今この時点であらためて考えて行こうと思う。
とはいえ、しばらくは全部の作業に関わって行かなければならないだろうが。

いつかは、一番大切な「場」に全エネルギーを注ぎ込んで、
ひたすら質を高めて行ける環境を創りたい。

彼らは本当に奥深い。
まだまだ汲めども尽きない領域が存在している。
僕の本当の役割はそこにふれて行くことだと思っている。

でもでも、みんなが喜び合えている時は、やっぱりやって良かったなと思う。
だから、まあもっと機能的に整うまでは、僕でよければ何でもやりますが。

昨日のアトリエでは、なっちゃん、さとし君、絶好調。
午後は、てる君とすぐる君という男子2名がお休み。
ゆうり君、作風が安定して、はっきり個性が出て来た。
他では居ないタイプでやっぱり魅力的ですばらしい。
けいこちゃんは相変らず、ラテン系、超健康的作風。
色がいいなあ。
えいこちゃんはみんなが帰った後も、最後に1人で描いて、
すごくきれいな作品になった。
しばらく絵の感じが元気がなかったけど、
最近また色鮮やかな明るい、
そしてやさしいえいこちゃんの作品が戻って来て嬉しい。
良い作品を描く時、「家」というテーマになってることが多いけど、
彼女にとって「家」が幸せの象徴なのだろう。

今日は平日のクラス、プレ。
あきさんはるこさん、だいすけ君ゆうすけ君。
ここも本当にもう一つの家族の様な雰囲気。
時々、外でお仕事があって、プレに帰って来ると。
アキさんハルコさんを中心に、みんなが、
「おかえりー」と言ってくれる。
うあー、帰って来たー、ほっとするーと思う。
そういえば、絵画のクラスでも、生徒たちで、
「ただいまー」と入って来る人が結構いる。

帰る場所、落ち着く場所って大事。

先週は出産に立ち会うために、イサにプレを任せていたので、
今日は久しぶりだ。
さあ、良い場を創ろう。

2011年11月20日日曜日

生きる姿勢

毎日、自分の中で起きている変化を実感している。
不思議だ。何をしていても穏やかに感じられる。
何かが変わっている。

昨日はアトリエの後も用事があってゆうたに会えなかった。
今日はアトリエが終わったら会いに行きたい。

こどもが産まれると、こどもの目を通してもう一度、最初の世界を見ることが出来る。
そんな気がする。

制作の場でも実は同じで、僕はやっていて自分の知覚なり、感性なりが、
変化して来なければ、何も出来ていないと感じる。
一人一人に寄添っていると、色んなものが見えて来ると同時に、
少しだけ、自分の視点が変化している。
そうやって様々な人や存在や出来事が、自分の見え方、言い換えれば、
自分の生きている世界を作っている。

目の前で起きている現実を丁寧に大切に、あつかって行かなければならない。
それが自分を大切にすることだ。

スタッフを育てる時にも思うことだが、特にこのような場の場合、正解はない。
一つ一つの場面で、ここではこう振舞うべきとか、こういう子には、
こう接するべきとか、そういう決まった方法はない。
僕の中での答えはあるが、それは僕とその人との関係においてのみ、
意味を持つ。この時は、こうという教え方は出来ない。
でも、一番大事なこと、それだけは言葉だけではなく、
身をもって教えて行く。
それは、その人に向かって行く、あるいは制作の場に対する、
姿勢、覚悟だ。以前、気合いといういい方もした。
でも、本当にこの向き合う姿勢によって、同じ現実が違って来る。

身の回りに中途半端な現実しかないようなら、
自分の姿勢が中途半端なのかも知れない。
冒頭の話ではないが、実は犬一匹飼ってみても、世界は変わるものであるはず。

何をしても同じ変化のない自分を生きている人がいる。
色んなことを経験してみても変わらない。
それは、自分の姿勢や態度が変わらないからだ。

1人でヒマラヤに登って、ハアハア、ゼーゼー言っている自分を、
映像に映して、インターネットで公開している人がいる。
それを見て、感動し、勇気づけられるという人もいるようだ。
見せることで自分を慰めている人も、それを見て勇気をもらっている人も、
それは決して本物の経験でも体験でもないと知るべきだ。
彼はいつまでたってもヒマラヤへは行けないだろう。
なぜなら、いつでも電子通信の中で人と繋がり、
自分の頭の中でだけ生きているからだ。
だからヒマラヤへ行っても、自分の頭の中から一歩も出ることができない。

どれだけたくさんの経験を積んでも、そこへ向かう姿勢が変わらなければ、
何一つ変化はない。
姿勢が変われば、そのへんのオジサンからでも得るものは多い。

その人が見ているものは、その人そのものだ。
何かを大切にするのか、粗雑に扱うのかでは、同じものでも、
そのものの実感が変わって来る。

向き合う姿勢。
そこが真剣であったなら、たとえ間違っていても気付き、修正出来て来る。
友情、恋愛、家族、師弟関係。
真剣にその人に向き合うことで、自分が創られる。

今の自分の見ている現実が素晴らしければ、
たくさんの人がそれを見せてくれたんだと思う。
自分以外の人やものによって自分が創られる。

ちょうど、夫婦でお世話になっている友人の方がいて、
いま、そのご夫婦も出産を控えているお友達でもあるのだが、
だんなさんのほうと男同士で話していた。
女性はもっと大変だけど、男としても仕事との両立が大変ですね、
という流れだった。
彼は「両方は絶対難しいから、どっちも半分半分の力で行くしかないですよ」
と仰る。僕は絶対、そんな考え方は出来ない。
仕事や生活のみならず、何事に対してもそんな考えは出来ない。
半分半分なんて、そんな態度で生きたくはない。
出来るかどうかはともかく、すべて全力ですよ。

余談だけど、この前アトリエでさとちゃんが他の子と遊んでいて、
ちょっと半分ふざけて言い合いになった時、
急に「言っとくけど私、あなたのことみとめてるんだからね!」と言っていた。
すごいなあ、と思った。
例えば恋愛していて、ケンカでもして、こんな言葉を言える女性に出会ったら、
本当にハッとして勉強になるだろう。
なんというか人間力というか。

2011年11月19日土曜日

幸福論

昨日はアトリエで、たまっていた事務仕事をして、よしことゆうたに会いに行った。
よしこは結構消耗したから、回復に少し時間がかかるかも知れない。
あかちゃんは可愛くて、いくらでも見ていられる。
すぐに時間が経ってしまう。
よしことゆうたが見せてくれているものによって、
僕自身、また新しい世界に入って行く。本当に不思議だ。
ゆうたが産まれて確実に何かが変わった。
僕の場合、自分の生の深まりが直接、教室の場に反映される。
逆もそうだ。教室で感じる世界が日常を深めて行く。
生きているのが面白い。
2、3年前とも制作を見る目は全く変わっている。
多分、一生変化して行くのだろう。

出産に向けて、たくさんの方から励ましのお言葉を頂いていた。
直接、ご連絡出来ていなくて、申し訳ないが、
多くの方がブログを読んで下さっているようで、嬉しいメールが届いている。
ありがとうございます。

家に帰ってニュースを見ると、
ブータン国王が来日されているとのこと。
ブータンは多くの文明とも、アジア諸国とも異なり、
物質の豊かさばかり追い求めるのではなく、国民の幸福度を基準として、
国づくりをして来ているという。
すばらしいことだ。日本も見習うべきだろう。
多くの国が西洋化する事によって、幸福を失った。
何故だろうか。
何故、物質の豊かさと幸福とが反比例するのか。
お金を例にとろう。
お金を持つと、物事が容易になる。お金で交換すれば努力しなくても出来る。
この容易になる、努力しなくなるというのが曲者で、
簡単なものに、便利なものに思いはこもらない。
簡単になれば、生命自体も簡単な存在になる。
実は困難こそが、深い世界を見せてくれる。
例えば、人が亡くなる。
その人との関係が浅いものであればある程、死は容易に受け止められるだろう。
簡単とはこのように関係が浅いことを意味する。
だから、関係が深ければ、悲しみも傷も深く、受け止め、乗り越えるのも困難だ。
でも、その困難が僕達に見せてくれる豊かさは他ではかえられない。
深い悲しみは自己を純化し、無駄なものを削ぎおとしてくれる。
本当にきれいなものを見せてくれる。
人は失うことによって、得られるものが多い。
困難を避けていては本当の世界は見えて来ない。

物質の豊かさを得るのに、たくさんの技術が必要だった。
この技術をのみ、この世界は価値とし、能力とした。
このままでは幸福になど絶対になれない。
幸福になる力そのものも価値であり能力であると認めることだ。
幸福を運だと勘違いしてはいけない。
黙っていてどこかから転がってくるのが幸福ではない。
幸福とは見出すもの。努力によって深めて行くものだ。
どんな場所にも状況にも幸福は存在する。
見付けだす感覚の力を磨くことだ。

何が言いたいのかと言うと、
やっぱりダウン症の人たちのことだ。
アトリエの場にある幸福度はブータン以上だと自負している。
彼らが幸福を生きる能力をそなえているからだ。
このような価値にも学ぶべきだ。

もう一つ。
先日、僕達も特別研究員として所属している多摩美の、
芸術人類学研究所から、会員向けの冊子をお送り頂いた。
それを読んでいて、編集後記にスタッフの方の書いておられる文章について。
福島から排出された放射性物質の量から計算すると、
それがこの地上から消えてなくなるのに数万年の歳月を要すると、
その方は続けてこう書いておられる。
数万年後の人類が振り返ったとき、私達の文明をどう思うだろうかと。
負の遺産だけを残した愚かな時代として振り返るだろうと。
いつもお世話になっている方に申し訳ないが、
仲間としてあえて言わせていただく。
黙って、放っておいて数万年先に人類がいるとお思いだろうか。
何もしないでぼーっとしていて、何とかなるだろうと、
いつか誰かが愚かだったと回想しているだろうと。
その様な危機感とリアリティの欠如が、このような問題を生んだのではないか。
その様に言葉のうえで記号化して世界を見ていると、
数万年後に振り返る誰もいなくなっているのではないか。
これは現実であり、我々は今、責任を持って人類の生き延びる道を模索している。
大きな目で物事を捉えると言うことと、危機感の欠落を混同してはならない。
多分、何気なく書いたのだろう。
この様な大きなテーマは何気なく書くことではない。
あえて、外からではなく仲間として言わせていただいた。
気を悪くされないことを願う。

楽天的とかプラス思考と、希望を持ち続けることは違う。
しっかり危機感も責任感も持って、クサいものにふたをせず、
真剣に深く生きていきたい。
挑む姿勢が出会うものの深さを決める。
同じ現実でも、そこから何をもらうのかは人によって違う。

幸福はどれだけ深く生きるかにかかっている。
人は幸福になり、人を幸福にする責任がある。

2011年11月17日木曜日

無事産まれました。

みなさんには大変お待たせしました。
また、ご心配お掛けしました。

よしこは昨日、午後2時すぎに無事出産しました。
難産で、本当に大変でしたが、みなさまにも支えられて、
なんとか乗り越えました。

なんと陣痛開始から64時間、その前日からよし子も僕も不眠の状況でした。
サイズも大きく、4200グラムありました。
名前はアトリエのハルコさんがつけてくれました。
「悠太」です。よろしくおねがいします。

よしこもゆうたも本当に頑張ってくれた。
改めて、女性は強い、凄い存在だと感じた。
そして、出産って神秘で神聖なものだなと思った。
本当は男には近付くことの出来ない領域なのだと思い知らされた。
こんな場面を見せてくれた2人に感謝。
その間、アトリエを守っていてくれたイサ、みひろ、ありがとう。
そして、色んな場所から応援して下さっていた方々に感謝。

よしこの命に挑む真剣さにあらためて、尊敬の思いを持った。
自然な出産がしたいと努力を重ねて来た。
食事管理、運動、勉強、毎日、真剣に取り組んで来た。
僕自身もささやかながら、お灸とマッサージを欠かさなかった。
でも、よしこの真剣さはその比ではなかった。
それだけに、助産院での出産が不可能と判断され、
病院に移った時の彼女の涙は忘れられない。
なんとか本人の望むように産ませてあげたかった。
でも、その後での彼女の諦めない姿勢は立派だった。
病院でも陣痛促進剤を拒み、最後まで自分の力で挑戦しようとした。
僕は止めることが出来なかった。
それでも、どんなに頑張っても、ゆうたは出て来なかった。
お医者さんから、体力の限界だから、陣痛促進剤で早めて行こうと言われて、
僕達はあと一日だけ待って下さい、それで無理だったら、
先生の言うとおりしますと言って、最後の挑戦をした。
その時点でもう3日も寝ていなかった。
その日の夜、僕はお腹のゆうたに向かって語りかけた。
「人の力で人工的に出て来たくないどろう。今日が最後のチャンスだよ。自分の力で出て来なさい。」と。
その日の陣痛は凄かった。朝には絶対産まれるという勢いだった。
だから次の朝を迎えたとき、僕はよしこもゆうたもこれだけ頑張って、
出て来れないのには何か理由があるはずだと思った。
もうお医者さんの言うとおりにしようと。
なおも午前中は陣痛促進剤で最後の努力。
やっぱりギリギリのところまでいっても、戻ってしまう。
帝王切開が決まって、手術の準備を見守りながら、
よしこの無念さを思って涙が止まらなかった。
でも、よしこは強かった。
半身麻酔でお腹を切っているお医者さんに、
「かっこいいですね。」「それは、なんの道具ですか」と話しかけて、
微笑んでいる。やっぱり凄い女性だと思った。
無事産まれたゆうたをみたら、すべてのこだわりから解放された。
これで良かったと心底思えた。
ゆうたは狭い産道を潜ろうとしたあととして、
頭の先が細くすぼまっていた。2人とも最大限によく頑張った。
生命を疎かにせずに、命がけで立ち向かった。

考えたことがある。
出産前によく、経験者から「男はなんの役にも立たない。無力だ。」
という言葉を聞かされた。
出産に付き添いながら、最初の日、その言葉ほんとうか?と感じた。
僕は付き添いながら、自分に出来る事があるし、
ささえることが出来ると実感していた。
陣痛のタイミングも本人が力を少しでも抜くことが出来る間合いも、
分かった。
役に立たないと言ってしまうのは、
出来ることをやり抜かない言い訳になってしまう様な気がした。
制作の現場でも同じことが言える。
どんなに僕達スタッフが努力しても、描くのは作家たちだ。
その絵の答えはその本人にしかない。
ある意味で僕達はどうすることも出来ない。
でも、役に立たないわけでも、無力でもない。
スタッフには役割があり、
スタッフの存在によって作家たちは安心して、
制作の深みへと入り込んで行く。

でも、さらにでも、
最後の日に自分で決断し、微笑みながらお腹を切られていた、
よしこを見ていて、やっぱり男は無力。
何も出来ない存在だと感じた。
最後の決断も命をかけ、命を守る真剣な姿勢も、
その尊厳はすべて本人にあるのだから。

出産を終えて、子供の形を見て、お医者さんも、
帝王切開で正解でしたね、と言ってくれた。
ゆうたは大きく、肩も固めで産道で回転することは出来なかったと。

2人は精一杯やり抜いた。
すばらしかった。

いっぱい、学んだ。
みんな、ほんとうにありがとう。
そして、これからも悠太をどうぞよろしくおねがいします。

2011年11月13日日曜日

もうすぐ

さて、今日も時間に追われながら書いています。
これから教室です。
朝、よしこの体調に変化があったので助産院へ。
早ければ今日の夜か、少なくとも3日以内に産まれそうです。
また、みなさんにご報告します。
たくさんの方から連絡を受けています。
一人一人にご報告出来ていませんが、ほんとうに感謝しています。
もうすぐ、ご報告出来ると思います。

今日は教室を見ながら、出産の方にも意識を向けて一日、過ごします。

いざとなれば、助産院は遠くないので大丈夫です。

前回までのブログの続きは少し落ち着いてから書きます。

土曜日のアトリエは、最近いいなあと思っている、やまと君の作品が素晴らしかった。
比較的新しく入ったメンバーからも、どんどんいい作品が生まれています。
昨日のクラスではないけど、あみちゃんも凄みを感じさせる作品を創っています。
スタッフのゆりあとの関係が深まるにつれ、作品も良くなって行っています。
そこが面白い所。誰かとのこころの共有が作品に反映されて、
深い所に入って行く。関わることで、本人の奥にある世界が見えて来る。
あみちゃんとゆりあは今、そんな関係にあります。

入ったばかりのしょう君も彼らしい作品になってきました。
最初は遠慮がちな絵だったのが、昨日は大胆に色を塗り込んでいます。
本人の気持ちがそのまま、絵の変化として出て来ます。

さて、今日はベテランのクラス。
どんな時間になって、どんな作品が生まれるのか。
どんな、会話が交わされるのか、楽しみです。

そして、我が子はどのタイミングで産まれて来るのか。
もしかして教室中に陣痛が始まるかもしれません。

でも、とにかく、楽しみな一日です。
ゆりあが来たので、準備します。
それでは、みなさんも良い一日になりますように。

2011年11月9日水曜日

ちょっと続き

共働学舎について書こうと思っていたら、
最近整理していた荷物の中から、僕が共働学舎を離れる時にみんながくれた、
メッセージがみつかった。
その中にちい(あだ名)の書いてくれたページを懐かしく読んだ。
あれから10年以上が経過したが、改めてありがとうという気持ちになった。
いつか一緒に働いて来た仲間達のことも書きたいが、
今回は彼女の書いてくれたメッセージを紹介する。

佐久間くんへ
初めて佐久間君にあったのは稲刈りのとき。
なんにもわからなかった私は、佐久間くんが年上にみえたっけ。27、8才にみえたよ。
会話をするようになったのは、たしか、牛舎の3階にあったじゃがいもを移動させたとき。話したかったけど、なかなか出来なかった私に、佐久間くんから話しかけてくれた。私さ、男の子と話すの苦手だったけど、佐久間くんは自然体で接してくれた。それが私の中から、かべをとりのぞいてくれたのだろうと思うよ。それからはさ、他のメンバーのみんなとも話せるようになったんだ。てっぺい君(その後、彼と結婚)ともね。おぼえてる?3人で、とおもろこしを刈ったあと、道路でねっころがって、空を見てた。あのとき、学舎のいい所に気づいたんだ。佐久間くんは、仕事は楽しくやるものだと教えてくれたよ。私ずっと時間内でのいそがしい仕事だったから。楽しむことは大切だよね。
今の私は、なんでだろう。昔より笑顔がへったよね。昔がすべて良いわけじゃないけど、いつも笑ってる「ちい」でいたいな。佐久間くんみたいにみんなをひっぱっていくのは、むずかしいけど、みんなと元気にやっていこうと思う。
私が元気ないとき、はげましてくれてありがとう。
相談にものってくれてありがとう。
これからも、佐久間くんらしさで、がんばってね。
私もがんばるよ。連絡ちょーだいね。一緒にあそべたらいいね。
ちいより

これを読み返していて嬉しかった。
もう一つだけお世話になった神林さんからのメッセージを書く。

佐久間くん
5年間 ありがとう。
時には激しく、時には柔和で、
時には赤子のようなあなたを、
小谷の地より、見守っています。
神林

みんなには本当に感謝している。

10代のころ

出産までもう少しという感じになってきた。
今週あたりかなと思っている。
たくさんの方からご連絡をいただいている。
もうすぐ、良い報告が出来ると思います。

さて、これから数回に渡って、僕自身の個人的経験をふりかえって行く。
そこからダウン症の人たちにみる、人間のこころの源にどのように出会ったか、
なにかしら有意義な実験例がみられるのではないか、とも感じている。
最初に書いてしまうと、これで一連の流れを書いたら、
もうふりかえることはしないだろう。
過去はもう過ぎ去った。次の時間に行かなければならない。
いつでも今が一番面白い。

学生達と話していると、10代の頃を思い出すことが多い。
話していて、「佐久間さんの青春は濃いね」とよく言われる。
僕から見ていると、彼らの生が薄い。
勿論、それは彼らの責任ではない。環境に原因があると思う。

確かに、自分でみても僕の10代は濃かった。
何もかもが強烈で、美しいものともたくさん出会ったけど、
きれいごとではない世界にもいた。
褒められるようなことはして来なかったと言うか、出来なかった。
でも、とにかく必死で、生きて、探し求めて、動き回っていた。
内面的にも、外面的にも放浪の日々だった。

あの時代に多分すべてがあると思う。

時間は終わりのないくらい長く感じられて、何でも出来る様な感覚があった。
今ある世界が信じられなかった。
もっと本当のもの、もっと本当の人がいる。
もっと深いものがあるはずだと感じていた。
僕は自分の先生を探し求めていた。

小さい頃の話はまた今度。
中学校3年生くらいから、話そう。
僕の家は母子家庭でもあり、生活保護を受けていた時代もあった。
兄は中学校を卒業と同時に就職したし、
僕自身も自然に進学と言う発想はなかった。
親に学費や生活費を長く負担させたくはなかった。
それと早くこの環境から抜け出さなければという切迫感もあった。
中学校の最後の年は僕はほとんど、学校には行かなかった。
図書館に行って一日本を読むか、
山の方にあるお寺に通って、住職と話したり、座禅をくんだりしていた。
卒業と同時に制服を着たままバスに乗り、そのお寺に向かった。
その日から、若いお坊さん達との修行の日々が始まった。
お寺での生活は厳しいものではあったが、僕は自由を感じた。
それまでの家と街との関係から解放されて、
いつでも何でも出来ると言う感覚があった。
初めて自由を知った。自由とは文字通り何をやってもいいし、
何でも出来るが、かわりにその行動は自分で全責任を負わなければならない。
言い換えれば自由とは命がけの行為だ。
何者にも縛られないが、誰も何も助けてはくれない。

お寺には元暴力団(今話題の?)の方や元右翼の方も何人かいた。
そういった方々からも色んなことを聞いた。
住職はどんな人も受け入れる大らかな方だった。
でも、当時の僕には人格者であるというだけでは物足りなかった。
もっと本物がいるはずだと、恩を受けながらも生意気に思っていた。
でも、住職は僕が外でたくさんのお寺を巡って、
先生を探してくることに反対はしなかった。
はじめこそはそのお寺に半年位いたが、
その後は、様々な場所を回って時々帰って来る程度になっていた。
滋賀県や兵庫県や、地元石川の能登の方でも暮らした事がある。
半分、お坊さん、半分フリーターの様な生活だった。

巡り巡って僕は結果、自分の先生を見付ける事が出来た。
今考えても幸運なことだった。
さらには、あらためて書くと思うが、信州にある共働学舎に出会ったのもこの時期だ。

お寺にいた最初の頃、思い出すのは雪の中を草履で、托鉢してまわったこと。
長いこと歩いて、街の方に出た時、学生達が歩いている。
僕の同級生達だ。向こうは学生服を着て話しながら歩いて行く。
その反対側で僕達はお経を唱えながら草蛙で雪の上を歩いて通り過ぎる。
彼らとは全く違う方向に自分は進んでいるのだと実感する。

思い起こせば、16、7才の時に最も大切な2つの出会いがあった。
一つは共働学舎との出会い。もう一つは名前はふせておくが(知られている方でもあるので差し障りがあってはいけないので)あるお坊さんとの出会い。
両方とも強烈なものだった。
禅寺では師匠を老師と呼ぶ。その老師の声は今でも思い出す。
「おい、ノッポ。大事なのは生活態度じゃ」

今だから、正直に書くが愛を知らなかったあの頃は、
たくさんの女性達と恋愛のまねごとをしていた。
お互い必死で、何が恋愛なのかも分かっていなかった。
傷つけることでしか乗り越えることが出来なかった時代、
たまたま響き合ってしまって、悪かったと思う人も多い。
でも、今ではみんな結婚してこどもを産んでいる。

思えば、本当に長い時が流れた。
あの時あったもののほとんどは、今はもうない。
何もかもが変わって行く。僕自身もあの頃の自分ではない。
もう戻ることは出来ない。
でも、宝物の様な思い出でもある。
今では時間は永遠ではないと分かるし、自分には限界があると認識出来る。

この話はここからが始まり。
共働学舎のこと、そこで出会った人達のこと、これから少し書いていきたい。

2011年11月7日月曜日

これからのブログ

少し前に著作権について書いたが、そこで誤解もあるという部分にふれた。
日曜日のクラスで、てる君のお母さんやえいこちゃんのお母さんに、
保護者の方達みんながそういった考えでいる訳ではないと、
励ましの言葉を頂いた。
お2人のように深いご理解と、共感の思いを寄せて下さる方がいるからこそ、
私達もやって来て良かったと思える。
一番身近にいる保護者の方達に、本当は同じ思いを持っていただきたいと思う。
一方で、勿論、誤解される方のお気持ちも分からなくはない。

教室はすぐる君がお休みだったけど、他のみんなは元気。
面白かったのは、しゅへい君が日にちを間違えて来て、
せっかくここまで来たんだからみんなと描いて行けば、という場面があって、
向かい側に座っていた、てる君と仲良くお話ししていた。
てる君がしゅうちゃんの絵を見て、「白がいいね」と言う。
鋭いと思う。修ちゃんの絵はいつも余白の活かし方がシャープで美しい。
余白の方にこそ本質があったりする。
てる君が「僕も今日は白を描くよ」という。
最初の3枚くらいはいつもより色を使わない。
それがまたきれい。順応性の高さに驚く。
「休憩して、いつもの絵を描くよ」と言ってからは、
またいつものてる君の絵になっている。
このやわらかさと適合力の高さ、さすがてる君。

しゅうちゃんはいつもと違うクラスでも楽しそうに制作。
終わった後は小説を書く。
「また来週も来ていいですか?」「もちろん、いいよ」

しゅうちゃんと同じクラスのしんじ君から、たまたま電話がかかって来たので、
しゅうちゃんに渡すと、2人で楽しそうに話している。

しゅうちゃんは、本の査定の仕事をしているという。
「どうやって分けるの」「いい本と、悪い本と、普通の本に分けるんだよ」

教室が終わった後、片付けにも興味を示すしゅうちゃんだった。

さて、前回、自分の経験して来たことをふりかえることを通じて、
何かを伝えたいなどと大袈裟なことを書いてしまった。
少しそんな要素も入れて行こうと思うが、
同じ人間が書いているのであんまり、かわりばえもしないかも知れない。
これまでも結構本気で書いて来たので、これからも同じかも。

時々、聞かれることに、どんなきっかけでダウン症の人たちの世界にひかれるようになったのか、というテーマがある。
勿論、肇さんや敬子さん、それからよし子という、最初にその世界を見て来て、
教えてくれる存在に出会ったことが、興味を持つきっかけだったことは確かだ。
ただ、そこへ行くまでの人生の中で、自分なりの色んな必然性があった。
これまで出会った人達、先生や仲間達、様々な環境と出来事が、
教えてくれたことがあって、僕はダウン症の人たちの世界に出会った。
そして、この十数年で彼らの在り方からたくさんのことを教えてもらった。
彼らから直接学んだことは多い。
最も大切な事はほとんど彼らから教わったと言える。
僕は彼らに描きやすい環境と、安心感と、一体感を与える。
彼らのすぐれた本質を見せて欲しいから、
こころから楽しんでリラックス出来る状態をつくる。
そうやって彼らと僕は与え合って、一緒になって一つの世界に入る。
僕達はお互いを高め合っている。一方的な関係ではない。
彼らとつくって来た時間の中で、得たものは本当に大きい。

ようやく少しだけ見えて来た。
ようやく少しだけ分かって来た。
でも、まだまだ先は長い。終わりはない。
いつも新しく、いつも楽しい。

こんなに素敵な世界を知らずに生きていくのは勿体ない。
なんとなく、生きている人。
悩んでいる人、がんじがらめになっている人。
地位や権力やお金ばかり追いかけている人。
色んな人が居るけれど、こんなに奥深く豊かな世界もあると知ってもらいたい。

もし明日、世界が終わるとしたら、どんな気持ちになるだろうか。
この世界から何を見せてもらったか。なにを教わったか。
たくさんのものを見せてもらって、教えてもらって、
本当に素晴らしかったと言えるだろうか。
僕はいつでもそんな気持ちで生きていたい。

もっと奥深く豊かなものがある。
それがこの世界だ。
せっかく生まれて来たのだから、それを見てみたいと思えばいい。
僕はダウン症の人たちが生きている世界は、その事を教えてくれると思っている。

その出会いのきっかけとなった、これまでの話を時々書いていくことにする。
これまで通りの様々なテーマを書くことも続ける。
そんな予定でいる。

2011年11月6日日曜日

自分を超えたもの

しばらくブログを書く時間がとれなかった。
よしこは出産予定日が来て、検診ではあと一週間くらいだと言われた。
子供が大きいのでゆっくり下りてくるという予想だ。
お灸も毎日して、身体もやわらかくなって来ている。経過も順調。
土、日曜以外の日に産まれてくれればと思う。
少し落ち着いてから、ご報告したいが、実は家を一軒借りた。
アトリエの二階の一部屋でずっと暮らして来たが、
こどもが産まれたら、さすがに場所がないということで、
アトリエと住居は分けることになった。
とはいえ、週五日は僕がアトリエに居るので、
昼間はずっとアトリエにいる生活は変わらない。
荷物を運んだり結構忙しい一週間だった。

さて、今日もアトリエ前なのであまり時間はない。
しかも、まだテーマも決まっていないのに書き出してしまった。

そう言えば、昨日たまたまキオスクで今月のソトコトを見たら、
移住特集だった。それだけではないどろうけど、放射能のことが大きいのだろう。
とんでもない時代になってしまった。
核分裂まで起こしてしまっているらしいし、
極端な話をしてしまえば、もう助からないかも知れない。
ここまで言うと、嫌な人も居るだろうが、
少なくともそれくらいの危機感と覚悟を持って、
後悔のないように全力で生きなければならない。
ぼーっとしている時間などない。
力の出し惜しみをしている暇などないと思う。

こどもも産まれて来る。
これからの時間をどうすごし、こども達に何を伝えるべきなのか。
今は真剣勝負だ。

だから次回から少しづつこのブログの内容も変えて行くつもりだ。
これまで、なるべく個人的なことは書かないようにして来たが、
これからは僕自身が学んで来たことをふりかえって書いていきたい。
自分が経験して来たことが一番分かることだから。
それでなにが伝えられるのかも分からないが、
とにかく自分自身を見直すうえでも書いてみようと思う。

書くテーマがなくなりませんか、と聞かれることがあるが、
実は今までの流れで書いていく分には、いくらでも書く事がある。
時間さえあれば書きたいことだらけだ。
だけど、少し雰囲気を変えて行きたい。
たとえば、始めのころはテーマだけ決めてあって、
そのテーマについて思いつくことを書いていた。
書き終わるまで自分が何を書くのか分からない。
書きながら考えて、思ってもみないところに話がいった。
でも、その書き方に慣れて来たのか、
最近ではそのテーマについて多分、こう書くなと予想がついてしまう。
自分が分かってしまう。
教室の場でも同じだが、自分のコントロールはしっかり出来ていなければならないが、
自分がどう動くのか分かってしまっていては新しいことは起きない。
僕の場合だと、自分を見極めつつも、ここから先、自分はどう反応するだろうか?
という部分は意識的に残しておく。
意識的に無意識を使う。意識だけになってしまっても、
無意識だけになってしまっても上手くいかない。
自覚的に無意識である場面を残しておくことで、
偶然が入り込んだり、自分の枠を超えることが出来る。
例えば制作の場では作家もスタッフも「自然であれ」と要求されている。
でも自然にというのは意識しないから自然な訳で、
今から自然になろうと言うことには無理がある。
あえてそこをおこなうのが制作の場だといえる。
作家もスタッフも自覚を持って自然になる。
それは日常ともちょっと違うし、いわゆる非日常でもない。

自分の自然体や無意識を自覚的に使えると、面白いことはたくさんある。
こういう言い方をすると、おごっていると勘違いされるかも知れないが、
そういう意味ではなく、実は僕は、自分を見ていて勉強になることが多い。
それは自分を、予想出来る範囲にとどめないようにする時があるからだ。

制作を見ていてもいつも思うが、
作家本人が自分でも予想しなかった作品を仕上げることは多い。
いや、むしろ制作において本人の思いを超えることの方が日常だ。
自分の気付かなかったものや、
自分を超えた世界に入れることが彼らの凄さだと思う。

自分の中に自分を超えたものがある。
自分を遥かにこえた大きな世界がある。
そこに出会うためには、謙虚で敏感であらねばならない。
空気と流れを感じ取って順応する。
感覚の声に耳を傾ければ、どんな時でも何かが見えて来る。
困難な時こそ、自分を超えて行く感性が必要だ。
この困難を前にして、それでもまだ可能性はあると感じたい。
すべての鍵は「感じること」にある。

2011年10月31日月曜日

こころを開く

ブログは普段、早朝に書いている。
書いてからアップするのが少し後になる事があるけど。
今日は久しぶりに夜、これを書いている。
よしこの出産予定日が近付いているので、散歩の時間を増やしている。
毎日よく歩く。
昔はよく歩いていたなあと思う。
休みの日は一日散歩していた。
東京に居るとあまり散歩する気分にならなくて、歩かなくなっていた。
歩きながら自分のリズムを取り戻すということがある。

いつも書いているけど、ダウン症の人たちから学ぶことは多い。
彼らはいつも何かを発見している。
今日もハルコが「タイヤかわいい」と時々つぶやくので、
なんのことだろうと思っていると、アトリエの横の窓のカーテンをめくると、
隣の家で作業中のトラックにタイヤがいくつか積んである。
ああ、あれのことかと思う。でもカーテンがあってよく見えてたなと思う。
よーく見れば、ちらっとは見えるのだけれど。
そんな些細なことに気が付くのは、彼女の敏感さだけど、
もっと大事なのは、いつでもこころを開いているというところだと思う。
生きていて世界が狭まって来たり、行き詰まって来たりしたら、
それはこころが閉じているからだ。
このブログでも真面目とか真剣にとか努力と言うことを一番大切に書いて来たが、
それらはともすると、閉じたものにもなりやすい。
一生懸命になりすぎると視野が狭くなることもある。
頑張りすぎると、自分の周りのことしか見えなくなる。
彼らの制作を見ていても感じるが、
彼らは一点集中をしない。
一点集中すると、力も入るし、見えなくなるものが多い。
彼らはまず力を抜いて、何も拒まない状況の中で、
選択せずに周りの状況全体に意識を向けている。
いま、ここでは同時に色んなことが起きている。
でも、私達は普段ひとつかふたつ位のことにしか気が付いていない。
だから狭い世界に生きている。
だから行き詰まる。だから迷う。悩む。緊張し、やさしくなくなる。

こころを開いていれば、いつでも豊かな出来事に出会うことが出来る。
ささやかな物事でも、限りない豊かさをもって感じられる。
そうすると毎日が楽しくなるし、人にやさしくなれる。

決めつけたり、こんなものだと思って生きていないだろうか。
やっても出来ないと思っていないだろうか。
限界を作っているのは自分自身だ。
本当は不可能なことなど何もないはずだ。

僕達スタッフにとってもこころを開いていることは、とても大切な事だ。
こころが閉じていたら、場を良くすることが出来ない。
良いものや楽しいものや可能性が近くにあっても、開いていなければ気付けない。
一瞬の変化を見逃してはいけない。
一瞬、凄いものが現れるかも知れない。
それを拾えなかったら、人のこころにはふれられないし、
人と一つになることなど出来ない。
いつも開き続けること。これもスタッフの役割でもある。
相手のこころを開けなければ、良い作品は生まれてこない。
相手のこころを開きたければ、まず自分がこころを開く。
はだかになってもらいたければ、自分がはだかになる。
自分が武装していて「安全だからはだかになって、何も持たないで来て」
といっても、誰も来ない。怖いし恥ずかしい。
だからまず、自分は何も持たない、すべて見せる。はだかになる。
リラックスしてなんて言ったら、誰でも緊張する。
自分がリラックスした状態で人に向き合えば、相手は必ずリラックスする。

こころを開くのも、慣れていなければ、怖いし、プライドの高い人は、
自分のありのままを隠す。
でもそうしているとつまらない。閉じた場所にずっと居るしかない。
何も恐れるものはない。
何も恥じることはないし、何も拒むことはない。
開いているともっともっと楽しい世界が見える。

先日、たまたま良い本に出会った。
「志村ふくみの言葉 白のままでは生きられない」という本。
志村さんの言葉は深い経験と人間性の深淵から発せられていて、
僕にはまだまだ理解がおよばない言葉も多いが、はっとさせられる本だ。
こんなふうに丁寧に生きなければと思うし、
仕事って人生って、こうあるべきと思う。
改めて深く生きたいなあと思う。
確か別の本での志村さんの言葉で極道とは道を極めること、というのがあった。
先生が「極道どすなあ」と言ったと書いていた。
志村さんも道を極められた方だ。
僕も言うもおこがましいことかも知れないが、極みを目指して行きたいと
感じさせられた本だった。

今回のテーマに少しは関係ありそうな言葉を、一つだけ引用させていただく。
「こちらの心が澄んで、植物の命と、自分の命が合わさったとき、ほんの少し、扉があくのではないかと思います。」

2011年10月29日土曜日

仕事について

最近、仕事以外の生活が結構忙しい。
一日が本当にすぐに終わってしまう。
気が付けば、出産予定日まで一週間を切ってしまった。

犬のジルーは日のあたる場所で寝ている。

今年はあんまり無いけど、学生や10代20代の人から、
就職や仕事の相談を受ける事が多い。
こんなアトリエにまで何故?とも思うが、
話を聞いていると楽しく生きている大人を知らないので、
どんな風に生きていいのかイメージがわかないと言う。

今回は仕事について書く。
これだけ、社会が混乱している時だからこそ、仕事について考えたい。
自分の仕事を持ち、日々、良い仕事をする事が本当の社会貢献であり、
人のため環境のために出来る最大の事であると考える。
さらには良く生きるということにも繋がっている。
人は働くべきだ。仕事をすべきだと言う基本から認識しよう。

最初に書いた楽しく生きるということにしても、
楽しさは自分で見付けだし、自分で創りだすものだ。
そのためには経験を深めて行くことが必要だ。

何かやってみて面白くなくても、それは自分の経験が足りないからかも知れない。
もっと深く入ってみると、楽しい世界が見えてくることもある。
今は、仕事にしろ何にしろ、深めて行く、時間をかける、
努力を続けると言うことが、あまり重視されていない。
それでは本当の面白さも難しさも、分かる訳がない。
もっと入れば、もっと経験すれば、深く豊かなものに出会えるはずだ。

何度も書いて来たことだけど、選択肢や情報が多すぎるせいで、
選ぶこと、情報を収集することにだけ慣れてしまって、
知らないことをやってみる、
そこに賭けてみるという勇気がなくなってしまったのではないか。
何をしていいのか分からないと言ってみたり、
反対に自分のしたいことではないからやらないと言ったり。
それでは何も始まらない。
何をすべきか、何がしたいことで、何がしたくないことなのか、
そんな事は始めから決まっている訳ではない。
したくないと思っていることも、
本当にそうなのか経験してみなければ分からない。

とにかく出来ることはやってみる。
そこから始まるのではないかと思う。
僕自身も今の仕事をするまでは、「仕事」という認識はなかった。
ただ一生懸命働いては来たが、それを「仕事」と呼ばないようにして来た。
「仕事」と言ってしまうと、「生活」や「プライベート」と、
分かれてしまう様な気がして嫌だった。
でも、ある時期に「仕事」を意識するようになった。
ようやく気が付いたと言うべきか。
「仕事」とはっきり認識してプロとしてすべき事がある。
では素人とプロとでは何が違うのか。
間違いなく責任だろう。
責任を持って仕事する、この単純なことがとても重要だと思う。

本当にプロが減ったと思う。
一応、仕事としてお金をもらってやっていても、
プロとしての自覚が薄く、素人同然の仕事をしている人は多い。
画材屋の店員は、自分の店のどこに何がおいてあるのかも知らない。
タクシーの運転手さんでも道を知らない人が多い。
自分のしている仕事や、お店の背景や歴史を知らない。
自分がその仕事で何をすべきかなのかも分かっていない。
プロなら最低限、勉強すべきだ。

そして、自分が受容する側に立った時、客になった時、
しっかりした視点を持って、選ばなければならない。
良い仕事をしている人が、認められないのはおかしい。
そつなくこなしているだけの仕事に騙されてはいけない。

僕は客としてどこかに行ったり、受容するときは、
相手に仕事をしやすくする。
だから多分、いい客だと思う。
結構サービスしてもらったりする。
ルールを守って相手が一番したいという自信を持っている仕事をさせる。
そうすると、その人の最大の実力が分かる。
良い仕事を見たらお礼を言う。
たいしたことがなければ、それまでの付き合いだ。
お互いが響きあい、高めあう。
どんなに良い仕事も、受容する人あって成り立つ。
言い換えれば、理解者あっての仕事だ。

本当の理解者を得るには妥協してはならない。
例えば、いいものを作って売るとして、当然、大量生産したものより高くなる。
必ず、高いと言う人が出る。
そこで安くして質が落ちるケースは多い。
これはものに限らず、あらゆる仕事の質に関わる話だ。
簡単に理解されやすい、みんなが分かり易いだけの仕事をしてしまっては、
本物の理解者は得られない。
やっぱりここは、本当に良いものをつくる。
質の高い仕事をする。多少高くとも、
多少、受容する側に努力や理解が必要であっても、
それ以上の価値あるものをつくる。それでも納得していただける仕事をする。

店も客も出しただけの、出した以上のものが帰ってくる。
それが仕事だと思う。
だからお互いが支えあって、良い仕事や生活がある。

何をやっても仕方ない様な社会ではある。
でも、だからこそ最大限いい仕事をしたいし、良く生きたいと思う。

誰だって、始めからは何も出来ない。
ただ、精一杯、出来ることをする。
求められたら、少しでも答えようとする。
良い仕事が出来るようになるまでには、時間が掛かる。

仕事は選ぶものではない。選べるものではない。

本当の仕事は、自分が仕事を選ぶのではない。
まわりがこの人にこの仕事をしていて欲しい、と思ってくれる。
ある意味でまわりが決める。
仕事自身が人を選ぶ。

だから出来ることは、選んでもらえるだけの資質を磨くことだ。
努力を惜しまず、進み続ける。
いつか、自分のすべきことは明晰になる。迷いはなくなる。

どんなことでも何か人の役に立つ、
何かのためになるために、僕達は生まれて来たのではないか。

2011年10月26日水曜日

あかちゃん

昨日は久しぶりに、クリちゃんと子供のフクちゃんがアトリエに来てくれた。
みんなが、あかちゃんと触れ合っているのが面白かった。
お互いにとって、いい環境だと思う。

もうすぐ、家にも子供が産まれる。
よしこのお腹も下がって来て、あかちゃんが下りて来ているのが分かる。
多分、もう少しだろう。
毎日のお灸の数も増えて、身体をやわらかくする準備をしている。

やっぱりアトリエにあかちゃんのいる光景はいい。
みんなも楽しくなるし、愛に包まれる。
空気もやわらかくなる。本当に不思議だ。

土、日曜日の絵のクラスは制作に向き合う大人の空間。
だから、場も真剣な雰囲気になっているし、
そこであかちゃんが入るのは難しい。
だから、プレのように少し日常に近い形で、触れ合える時間も大切だ。

あかちゃんをかわいいと感じるのも人間の本能だし、
大人にかわいいと感じさせるのも、あかちゃんの本能だ。

あかちゃんと一緒にいると、人は人間としての最初の記憶を取り戻す。
そんな時間をみんなで大切にしたい。

フクちゃんと少し遊んで、色んなことを思い出したし、
色んな事を感じた。
制作の現場においてもそうだけど、
改めて感覚を全開にして生きていきたいと思う。

僕が10代の頃は本当に良い環境にいたのだと思う。
たくさんの大人と子供、年を取った人、あかちゃんが一緒にいたし、
自然もいっぱいあって、動物もいた。牛、山羊、鶏。
僕は山に物資を運ぶのに、ロバを買いたいと思っていた。(実現はしなかった)
そんな環境でたくさんの子供とあかちゃんと、遊んできた。
友達のあかちゃんも、僕の膝の上に居る時間が長かったし、
ハイハイしながら一緒に戯れていると、すぐに半日が過ぎてしまった。
僕はあかちゃんと相性がいい。
4、5才を過ぎた子供達ともよく遊んだ。
彼らと付き合うときはあかちゃんと遊ぶときとは違う。
あかちゃんとは、本当に一体になる。何も考えない。感覚だけで戯れる。
子供達も僕と遊ぶのを楽しみにしてくれたが、
子供達と接するときは、逆で子供を子供扱いしない。
そうしていると、彼らは信頼してくれて、色んな事を教えてくれる。
アトリエでの制作の場では、この2つの要素を同時におこなう。

こどものこころが育つ環境、
大人のこころが育つ環境が必要だ。
なによりも、深く触れ合える場が重要だと思う。

大人になると色んな事が難しくなってくる。
僕達は本当に無駄なものをたくさん持ってしまった。
持つのはまだいいが手放せなくなると危険だ。

時には、何も持たなかった時代を思い出したい。
人生のある時期にもう一度、そこへ立ち返ることが出来る。
それが、あかちゃんと接している時かも知れない。
親だけでなく、周りに居る人達がみんなでそんな時間を大切に出来たらいい。

一番いいのは、大人の意識を持ちながら、
あかちゃんの様な自由で縛られない、やわらかい世界を生きること。
ダウン症の人たちは、ある意味でそんな理想に近いかも知れない。

2011年10月24日月曜日

著作権を考える2

さて、先日耳に入った誤解にお答えしたいがその前に、
アトリエで考えている、著作権の理想的な在り方の最終イメージを書きたい。
ダウン症の人たちの持つ文化への理解と、人類の共同財産としての彼らの価値を、
認識するところに答えがあると思っている。
彼らの作品とその世界は、深く理解出来る人達で、共同で管理、
保護するのが良いと思う。
1人の作家としてよりも、彼らの共有している文化により多くの価値をおく事で、
一人一人が消費され、消耗されないようにすべきだ。
彼らは仲間としてお互いを活かしあい、調和して一つの世界を見せてくれる。
それは作品のみならず、彼らの生き方そのものでもある。
将来的にはこの文化全体を価値として、
客観性のある文化保護、作品管理の組織を作って行くのが良いと思う。

作品を販売したり、グッツを販売したり、デザインに使われたりして、
お金に換わる機会があれば、管理組織が預かり、みんなで、みんなのための環境を
創ることに使って行けばいい。
勿論、その際は作家の保護者の方も管理組織に入っていただいて、
一緒に考えられればいいと思う。
そうすることで、売れる人と、売れない人に分かれたり、
単なるお金を稼ぐという自立支援にとどまらない、
彼らの未来のための環境づくりが可能となる。

今の段階ではまだ、この様な理想を信じられる人は少ないというのが現状だ。
今年はいくつかお仕事を頂いたが、
今回は僅かではあるが作家本人に、お金が渡るようなかたちをお願いした。
その事で保護者の方達の希望にも繋がることを目指した。
先ほどの様な考えはその一歩先にある。
未だ権利すら確立されておらず、お金を稼ぐ手段も少ない人達だ。
まず、彼らも作業所の作業や仕事だけではなく、
自分の得意とする事で、正当に金銭を得る可能性のあることを、
保護者の方達にも認識していただく。
次の段階に行くには、そこから始めなければならない。

それぞれの企画によって、考え方も色々あっていいとも思う。

さて、本題の方だが著作権の問題というより、
アトリエへの誤解と言った方が良いかも知れない。
数年前に行った企画について、
作品を提供した保護者の方から、
その企画を通して入った寄付金はの扱いに疑問があったようだ。
実は、この件は何度も説明をおこなっているし、
文書でもすでに3度以上、詳細を伝えている。
保護者の方達もほとんどの方達は、ご理解されている旨を聞いている。
もしかすると、1人か2人の方がずっと拘っておられるのかも知れない。
まるで問題を感じておられない方々にまで、
何度もこの件を伝えているのは、私達としても申し訳なく思っている。
今後はアトリエとしての考えは、僕自身はこのブログで、
その都度、すべて経過を書いていくことにする。
考えは明晰にする。
それでも疑問を持つ方は、憶測するのではなく直接聞いてもらいたい。
ここまで書いて来た考えも、全員が一致して賛成していただかなくとも良いと考えている。
アトリエ・エレマン・プレザンとして作品を社会に出す場合、
この考えに賛同する人の作品を提供するというだけだ。
一つの企画に対して、アトリエの考えに賛同する人が、作品を通じて参加すればいい。
反対する人の作品を無理やり出すということはしないし、
みんなにこの考え方を強請することもしない。
どう考えるかはそれぞれの自由だ。

同じ意識を持って、協力しあえる人達と、作品を伝えて行きたい。
単純な話だ。

すでに聞いている方には繰り返しで申し訳ないが、
誤解に答えさせていただく。
アトリエでは、平日のクラスと外でのイベントや対外的なお仕事を、
ダウンズタウン実現のための土壌作りとして位置づけている。
「プレ•ダウンズタウン活動支援基金」として口座を持っているが、
様々な方達からご寄付を受けている。
チャリティー等の企画をおこなっていただく場合、
すべてこの位置づけでご寄付を頂くかたちをとっている。
今のところこの口座へのご寄付以外のかたちでは、
作品を通じても収益を得たことはない。
ここに書いている企画に関しても、
助成金という枠組みで、この寄付口座にお振り込み頂いた。
ご寄付に関しては年末に会員向けに、
会計報告をおこなっている。(必要な方にはお渡しする)
平日のクラスにしろ、外での様々な活動にしろ、
ダウン症の人たちの可能性を示し、応援して下さる方や、
企画等と出会うきっかけになったり、活動自体が彼らの希望にもなる。
そういった活動の必要性を感じて下さる方が、
ご寄付というかたちで応援して下さっている。
ご寄付に関してはそれ以外のことでは使われてはいない。
絵画クラスの会計は全く別であり、
ご寄付を使わせていただくことは一切ない。
まず、このことをご理解頂きたい。

平日のクラスと外での様々な活動には、
彼らの未来と可能性の為に、ご寄付を募って来た。
ダウンズタウンに是非繋げて欲しいと、希望を託して下さる方や、
ビジョンを共有して下さる会社や企業もある。
そういった企業からチャリティーの企画があった場合、
私達は上に書いた様な意図をご説明し、
どういったかたちでご寄付を使わせていただくかを説明した上で、
お仕事を進めている。

あまりそういう言い方はしたくはないが、
あまりにも誤解している人の見解が浅いので、
あえて言うが、こういったビジョンに協力したいという方達が、
企画を作って下さっているのであって、
個人の収入になるためにあるお話ではないと言うことを忘れないで欲しい。

ここに書いた企画も「プレ•ダウンズタウン活動支援基金」へ
助成金としてご寄付頂くというお話で、
その繋がりをみんなが認識して楽しく、夢を共有出来るように、
アトリエの作家の作品をデザインに使っていただいた。
そのことは事前に了解も得ているし、その後も同じ説明をして来たはずだ。
にもかかわらず、作品がデザインに使われ、
その謝礼がアトリエにそのまま入って、作家に渡っていないという、
誤解があったようだ。

個人で作品を売ることで収入に繋げたいと考える方は、
ご自分でそのようにすれば良いのだ。

何度かこの様なことはあった。
でも共感して下さる方もいるし、喜んでくれる保護者の方達や作家もいる。
というか、ほとんどはそういう方達だ。
そして何より、一つ一つが彼らの可能性に繋がっている。
だから、こういった活動は続けるし、レベルを下げることもしない。
参加される方は最初にここの部分を理解した上で、ご参加頂きたい。
もし、反対するお考えをお持ちなら、
アトリエはその考えを否定するものではないので、
アトリエの提案する企画以外でやっていただきたい。
共感出来なければご参加頂くことは出来ない。

これも本当は言いたいことではないし、
理想としてはいうべきでもないことだが、
平日のクラスの場合も外での様々な活動の場合でも、
貴重なご寄付を使わせていただいている事もあり、
スタッフも人件費を頂かずに働いている。
これまであまり個人的な感情は語らないようにして来たが、
これはこれから多くの人が関わって来たときのために言わせていただく。
誰かや何かのために一生懸命、ない時間を削って無償で働いた仕事を、
「自分達の利益のために」等と勘ぐられて、
良い気持ちがする人間がいるだろうか。
その様なことを思ってもみないで純粋にやって来た人間なら、
確実に不愉快に思い、もうやらないと思う人も多いだろう。
特に福祉的な場に良い人材が集まらない原因はそこにある。
良い志とセンスを持った人間が何かをしようとしても、
保護者の方や周りの人がこの程度の認識だったら、
諦めてしまう人がほとんどだろう。

幸い僕自身はそんなに弱くも繊細でもない。
だから多分、可愛げもない。
いつかみんなのためになるなら、信じたことはやり抜くまでだ。

ただ最後にこのことだけは書いておくが、
アトリエ・エレマン・プレザンに所属している作家の保護者のかたちは、
本当に理解の深い方達が多い。
ここで書いた方は多分、1人か2人、多くても、3、4人の方だろう。
これは人づてに聞いた話だ。
直接、その方からお話があった訳ではない。
多少の不満として、お喋りとして話しただけかも知れないので、
僕としては人を特定したくはないし、どなたか知る必要もない。
直接、お話を聞いた訳ではない。
もしかしたら、こちらに言いたくても言えない雰囲気もあるのかも知れない。
だから、考え自体は否定したが、
そういう思いを持つ、持ってしまうと言うことは受け止めようと思う。
自分が信頼されていないと言うことでもある。
それは力不足と言うことだろう。

それとは別にそういう考えに至るということも、分からなくはない。
最初にも書いたように、権利すら認められず、
お金を得る可能性すら示されてこなかった背景があるのだから。
まず、疑うこと、主張することが当然だったのかも知れない。
これからは時代も変わって行く。
まっさらなめで、彼らに出会い、認識する人達も増えてくるはずだ。
そういった人達との出会いを大切にしよう。
そういった人達が、「こういう事に関わると大変な事になる」と
思わないように周りも変わって行こう。

一応付け加えると、
以前、ある展覧会で展示されなかった人について、
その人がアトリエに反対意見を言ったからだという、
心ない噂をした人が居たが、そんな事は一切ないと断っておく。
作品を選ぶとは、その様な個人感情が入り込むほど甘いものではない。
あまり人の仕事をバカにしないほうがいい。

だから、ここで書いた意見の方が、どなたかは知らないが、
どなたであれ、アトリエに参加されている以上は、
いつもと変わりなく同じ仲間として認識させていただくし、
展示その他においてもまったく変わりはない。

当たり前のことばかりだが、あえて書かざるを得ないお話を、
書かせていただいた。
百も承知の方々には、そんなに気持ちの良いお話でもなかったので、
申し訳なく思っている。

でも、そういう一つ一つを前向きに乗り越えて行った先に、
本当の理解や共存があると思う。
聞きたくない意見から逃れてはならないと思う。
みんなでマイナスもプラスに変えて行けたら素晴らしい。

著作権を考える

しばらく打ち合わせ関係が立て込んでいて、ブログの更新が出来なかった。
良い出会いもあって、仕事を進めながら、私達自身も今後の展開が楽しみだ。

土、日曜日のアトリエは、少し前から気になっていた生徒から、
やっぱり疲れが見えだしてきた。
今、少し心配している人が数名いる。
無理出来ない人達であり、保護者の方達も変化には気が付かれてもいるのだが、
かといって環境を大きく変える事も出来ないし、
例えば、作業所や職場や、学校が本人にとっての負担が大きくても、
かわりになる場がない以上どうする事も出来ないのが現状だ。
最低限、今どんな状況にあるのか、周りの人達が把握しておく必要がある。
少しでも彼らのこころの支えになり、
手助け出来るところは周囲が協力していかなければならない。

さて、今回は著作権について考えたい。
この問題はこれまでアトリエでも繰り返し議論されて来たし、
全く誤解がなかった訳ではない。
今後、彼らの作品を扱う機会も増えてくると思うので、
改めてアトリエでどのように考えて行くのか書いてみよう。

まず、障害を持つ人達の権利と保護の視点が重要になってくる。
(アトリエでは、制作において障害という視点を持たないが、出来上がった作品を管理し、扱って行く時に作家の持つ背景として障害という要素を考慮しなければ、本人を守って行く事は難しいと考える)
では、健常者の場合と、障害者の場合でどういった違いが出てくるのか。
おおまかに言うなら、障害を持っている人達の場合、長い間
作品に関してのみならず、権利が認められてこなかった。
彼らから生み出されてくるものに対して、
誰も価値をおかず、どのように扱っても良いという時代があった。

当然、その様な在り方は見直されなければならない。
そして、少しではあるが見直されつつある。
障害のある人達も、健常者と同じように権利を持つという、
平等性を実現しようとしている人達もいる。
以前、ある団体が整えた著作権のルールを読ませていただいた。
知的障害のある作家たちの著作権に関して纏めたものだ。
そこでは平等性と権利のみに論点が絞られていた。
結果、作家本人に100%の権利があり、
すべての条件を決定するのは作家自身であるというものになっていた。

一見すると正しい主張であると感じるが、
例えばダウン症の人たちと一緒にいて、
彼らのこころの在り方を見て来ている立場から見ると、実は違和感も感じる。

大事なのは契約ではなく信頼関係だ。
それでもトラブルを避けるために仕方なく契約がある。
だとするなら、疑いの要素を出来るだけ省かなければならない。
そこで単純に疑ってみると、この作家本人がすべての決定権を持つという考えは、
間に立つ人間次第でとんでもないものになりかねない。
極端な例であるとお断りしておくが、
例えば、僕だったら、本人に「この作品ちょうだい」とひとこと言えば、
みんな「あげる」と言ってくれるに決まっている。
それではどんな風に使う事も出来るはずだ。
「こういう風に使っていい?」「いいよー」
多分、それで終わりだろう。
本人が自分で決定して了解しているからいいという話であれば、
それでいい訳だ。

これでは、何も権利を認められていなかった時代とかわらない事になる。

はっきり認めなければならない事は、彼らの場合、
自分の作品を自分で守る事は出来ないという事実だ。
そこは認識しなければ、彼らを守って行くことができない。
作品の価値は、扱う人や環境次第で、良くも悪くもなる。
作品は絶えず、同じレベルで扱われなければならない。

そこに責任を持って、場や人や権利を選ぶ視点が必要となってくる。
理想は彼らの価値を真に理解し、妥協せずに統一的見解を維持出来る人なり、
団体なりが間に立って、生きている長い時間を通して作家を守って行く事だ。
勿論、保護者の方や周りの人達にも安心と信頼感を与えられる、
誠実さが必要な事は言うまでもない。

時々、障害を持っている人達の作品を売ってあげましょうと言う団体から声がかかる。
売れて、お金が入ればいいという考え方もあるのだろう。
でもどのように売られるのか、考えなければならない。
どのように伝えられ、どのように売られるのか、
それによって今後、彼らの作品がどう認識されて行くのかが決まる。
単純に言って下手な売られ方をしたり、下手な扱われ方をすれば、
作品の持つ価値は下がる。
展示にしてもイベントにしても同じだ。
扱われ方によって、すぐれた内容を持つものでも、
その程度のものかと認識されてしまう。
売れて、お金になればいいと考える方には言いたいが、
一般の人はそれほど愚かではないから、
低いレベルで扱われているものが、売れ続ける事はない。
最初は売れたとしても必ず飽きられるだろう。

どんな、機会であっても、出会いであっても私達は考える。
その企画が、彼らの可能性にとってプラスとなるのかマイナスとなるのか。
彼らの未来に何らかの良い影響を与えられるのか。
彼らの作品の世界にとって相応しいものなのか。
様々な可能性の中から、彼らを限定する事なく、
開いた価値を提示出来る仕事をしたい。

彼らの作品に対しての評価は確実に上がっているし、
彼らへの認識も、理解も変化して来ている。
私達はブレることなく、この調和の世界と文化を発信して行きたい。

実は最近、アトリエの作品の取り扱いに対しての誤解の声があったので、
次の回で具体例をあげて、この問題にお答えしたい。

2011年10月17日月曜日

最近の事

先日、金沢医科大学の保健師の方がアトリエへお越し下さった。
ダウン症の人達や保護者の方達に、少しでも役立とうと垣根を越えて、
ご活動されている方だ。
「ダウン症児の赤ちゃん体操」やダウン症の人たちと地域の様々な情報を提供する、
「ダウン症のこと聞くまっしシステム」等の活動に関わっておられる。
すでにキャリアもおありの方だが、謙虚に様々な活動を見て回り、
ダウン症の人たちと、その家族の環境を少しでも良くしようとされている。

私達もこういった方々に、作品から見えてくる、彼らの感性や可能性を伝え、
お互いに意見交換出来ることは、本当に嬉しいことだ。

最近は、彼らに対する無理解や、
悪い環境で傷つけられている現状を聞かされる事も多かった。
でも、一方で私達にはおよびもつかない様な努力を重ねている方達もいる。
様々な場で、本気で彼らに向き合い、良い環境と社会への理解へ、
一生懸命取り組んでおられる方々もいる。
そういった方々には頭が下がる。

微力ながら、制作の場から新しい価値や可能性を発信して行きたい。

彼らを取り巻く環境は、少しづつではあるが確実に良くなって来ている。

アトリエからは次の可能性として、
ちょっと彼らを「カッコいい」と思える様な事を提案してみたい。
今度のグッツ展開が実現すれば、その様な可能性に繋がるかも知れない。

日曜日は、けいこちゃんとてる君が、凄い勢いで描き続けたが、
出来上がった全部の作品が、かなりレベルの高いものだ。
いったいどうやったら、あんなに途切れる事なく、
創造性があふれ続けられるのだろう。
いつ見ても驚かされるし、魔法みたいだ。

土曜日は蒸暑かったが、ハルコが太陽の絵を描いていて、
「ここに太陽あるから暑くなっちゃったよー」と言った。
あまりに自然に自分の描いた太陽の絵で、みんなが暑くなったと言う。
そうだよなあと思う。なんて正しい世界に生きている人達なんだと。
常識で考えたら、絵に描いた太陽で暑くなる事はないだろう。
だけど、客観的現実だけが真実だろうか。
大事なのは一つ一つの出来事に、どれだけこころが動くか、
感性が働くかだ。
自分の描いた太陽が暑かったというのも、
現実の一つのかたちとして可笑しくはない。
その時、内面にも外面にも感受性が強く動く。
それが私達の現実だといえる。
太陽は外にだけある、暑くなると思っていても、
それだけでこころが全く動かなければ、その現実を生きた事にはならない。
私達は、
「間違ってはいないけど感受性が止まっている世界」に生きていないだろうか。

このブログでも時々、彼らの面白い発言や行動を紹介する事がある。
それらをただ面白いから、書いている訳ではない。
そこに何か真実がある様な気がするのだ。

例えば、以前取材の方が来た時、てる君が急にトイレに入って出てこなくなった。
取材の方はその日は、教室には入らない予定だったが、
急に見たいと言い出したのだった。
その方達が帰ると、トイレから出て来たてる君が、
「フトン屋さん帰ったの?」と穏やかに言った。
当然、その方はマスコミの方でフトン屋さんではない。
でも、フトン屋さんを、良くない言い方かも知れないが、
何かを押し売りする人と解釈すると、てる君の言葉は正しくもある。
むしろ「あの人、強引だね」というより、もっと真実に迫っていると言える。

そろそろ関東でも放射能で高い数値が出だしているが、
本当に危機感が薄い気がする。
本気で子供達や若い人達の未来を考えて行かなければならない。

誰しもが思うことだろうが、
なんの罪もない人達が病に冒されて行く危険性がある。
絶対に許されないのは当然だが、命を守ると言うことを考えなければならない。
勿論、答えはみんな違うだろうし、ある意味で答えなどないのだろう。
ただ、起きている事から目を背けてはならない。
なかった事には出来ないいじょう、危機的状況に向き合わなければならない。
その上で、どう判断するか。
私達は真剣に考えて、決断しなければならない。
生命を弄んではならない。
大切な存在を私達は守って行けるのだろうか。

2011年10月13日木曜日

信じる力

教室だけではなく、今年は今の時期に色んな人から相談を受ける。
急に気候も変わったし、みんな疲れも出ているようだ。
こういう時期はエネルギーを使うので、僕も夜は熟睡する。
不思議に寝ればほとんど回復する。
自分を単純なつくりにしておいて本当によかったと思う。
シンプルに生きて、自分のこころの中もシンプルにしておく。
そうすると、必要な時に力が出るし、すぐに休んで回復もする。

ゆりあもイサ(関川君)も順調にアトリエに慣れて、育ちつつある。
今は特に「難しい」とか「出来ない」という感覚が強くなる時期だが、
諦めないで欲しい。
手取り足取り教えてあげたいが、そうする事は出来ない。
こちらも我慢するしかない。
こういった場に必要なセンスは、自分で見付け出すしかない。
誰も代わる事は出来ない。
諦めず、必要な努力を惜しまなかった人のみが、
より深い世界を知り、楽しい世界に出会って行ける。

今回は信じると言うことを考えたい。
ここで言う信じること、それは宗教のいう信仰ではない。
毎日、人のこころと向き合っていれば、宗教の言っている事に近い事を感じる事もある。
例えば、人間のこころの奥には、おそらく個人を超えた、
何かしら大いなるものがあって、そこにふれると、畏怖する感覚を味わう。
そういう部分を抜きには、制作や人間の創造性を考える事は出来ない。
これが宗教の言っている事なのではないか、と感じる事もある。
ただ、僕の場合はそういう次元のものに出会っても、
ただ信じて行くという訳には行かない。
具体的に日常の中で、ふれ続けて、適切に扱う事が出来なければ、
制作の手助けにはならない。
そのあたりが、宗教と似て非なるところなのだろう。
でも、例えば神聖な感覚であったり、超越的なことであったり、
祈りや瞑想の様なものは、極めて個人的で大切なものだと思う。
人に押し付ける事は絶対に出来ない。
僕自身は無宗教だが、
宗教を信じる人も、信じない人も、お互いを否定してはならない。

ここで言う信じるという事は、もっと日常の中の事だ。
ここでも繰り返し書いているテーマと関わるが、
便利はよい事なのかと言う事を思わずにいられない。
情報があふれ、選択肢が増える事で、
私達はただ、選ぶだけの存在になっていないだろうか。
選ぶ事だけに慣れて、自分でつくったり、
自分で判断する能力を失っては何の意味もない。

本当の事を言うと、私達は何かを信じなければ、一歩も前に進めないのではないか。

既にあるものの中で、選択するだけという事に慣れてしまうと、
私達はただ、よりリスクを少なくする方にだけ目がいって、疑い深くなってしまう。
今の時代は、疑う事に慣れきって、信じる力を忘れている。

先日、テレビ局の方とお話ししていた中で(よし子ブログで書かれている方とは違います)、信じて来たものの崩壊と言う話題になった。
例えば、震災によってこれまで信じられて来た価値が崩壊したと言える。
ある年配の編集者の方も同じ事を仰っていた。
自分達がつくりあげて来た、物質的な価値が、ある意味で、
原発の事故のような悲劇を生んだと。
これからどうすれば良いのかという話になった。

考えさせられる事だが、信じて来た価値観が崩壊するよりも、
もっと悲劇的な事がある。
信じるべき何者も持たないと言う、現代の風潮だ。
日本の歴史を考えると、敗戦によって大きく信じるものが壊れただろう。
その後、復興と言うことで、物質的価値を信じ、つくりあげて来た文明が、
今回の様な悲劇を前にして、大きく覆されたと言える。
勿論、物質的価値のみが人間の価値と考えて来た事は間違いに決まっている。

ただ、信じること、信じた事がはたして無意味だったのだろうか。
その時、その時に何かを信じる。
信じることはリスクも多い。
それを覚悟の上で信じて、行動する。
信じて来たものが間違っていたり、
その価値の有効期限が切れたと知ったら、またやり直せばいい。
前よりももっと深いものを信じてみればいい。

僕は過去を否定する気にはなれない。
間違っていた事は反省すべきだろう。
ただ、過去になんの意味もなかったと言うことはありえない。
間違いというのも、間違ってみなければ気付くことは出来ない。
間違いに気が付いて、次に進めるのは、
間違ってみる経験を経る事が出来たからだ。

今まで様々な価値を信じて来た事で、
ようやくここまで来れたのだと考えたい。

何も信じなければ、間違う事も傷つく事もないだろう。
ただし、それでは前進もない。

だから信じてみたい。
これまでとは違った価値や、文化を創ることが出来ると。
私達がこれから信じて行くべきなのは、
人と人のこころが繋がり、自然や環境と調和した文化だ。
人間のこころの可能性を信じよう。
いついかなる時も、乗り越えて、より良い関係と環境を創る、
人間の内面の力を信じよう。
私達には、まだまだ見た事も、試した事もない、
未知の力が潜んでいるはずだ。
信じて、そこを開拓して行こう。

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書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。