2011年8月8日月曜日

震災の後に考えること

昨日はゆうすけ君とだいすけ君が初対面。席を向かい合っての制作。
ひと言も言葉を交わすこと無く、何か通じ合ってる感じが面白い。
およそ2時間、2人の集中は途切れること無くむしろ時間の流れと共に深まっていく。
とても静かな時間。神聖な雰囲気さえ漂う。やっぱり作品に向かっている時の彼らは違う。こんな時間が今の社会の何処にあるだろうか。こんな時間があった方がいい。みんなにとって。深く自己と向き合い、世界と向き合い、感じ、味わう時間が、心を静め、謙虚にする時間が。
さて、先日の展覧会は震災後の最初のイベントだった。
実はやるべきかどうか、迷った部分もあった。だから思い入れもある。
純粋に絵を見てもらうために、先入観がないようにキャプションや案内は作家名と作品タイトルのみとした。本当はたくさんの思いをこめた展示だった。
予想どおりというか予想以上に、作品のみに接してもらって来場者に楽しさや、くつろぎや希望を感じていただいた。
震災後というか、復興や原発の問題を含め、未だ何も終わってはいないし、始まったばかりなのだけど、アトリエに何が出来るか深く深く考えさせられた。もちろん今も。
今まで以上に一人一人の心の調和や平和を取り戻す仕事を進めていかなければならない。
あの後真っ先に考えたのは、もちろん一人一人の身体的安全確保で、何かあればいつでも動く、まず命だという覚悟だった。
それと同時にこれは長期戦であり、出来るだけ早く心の安定出来る普段のアトリエを再開しなければと思った。
作家たちには心の帰る場所が必要で、なるべく早くしなければ安定した状態に帰りにくくなってしまう。
昨日の2人の作家のように制作とは、心の本当に深い部分に入っていくことで、人間にとって最も大切な調和とバランスを見出す行為でもある。
今後、ますますこのような実践が必要になって来る。
社会の平和はもちろんみんなで創っていかなければならないけど、それと同じくらい個人の心の平和も大切なものだ。
身体的、物質的、安全、安心も必要だけど、同じくらいこころや精神の安定、調和が必要なのだと思う。どちらも片方だけではダメで、その意味で僕らも今まで以上にこれまでの仕事を続け、深めていかなければならないと思わされた日々だった。
震災後、原発の問題も含め未だに本質的な議論がなされていないと思う。
自然の災害と人が作り出した災害は別のものだ。人間は自然には勝てない。
だから勝とうとしたり、戦ってはならないと思う。人は自然と調和すべきだ。
考えても見れば、人類はかつては自然をコントロール出来るものとして扱ってはいない。
問題の根源は「わかる」「コントロール出来る」というおごった感覚だ。
「わからない」「コントロール出来ない」という感覚、謙虚さが重要だと思う。
本当はこれは道徳や倫理の問題以上に感覚、感性の問題だと思う。
感覚の退化がたくさんの問題を生んでいる。
例えば、ダウン症の人たちの特徴に「やりすぎない」というのがある。
画面にたくさんの色や線を描き重ねて行く、あるいはしぶきを飛ばす。
もう一歩で混ざってしまってぐちゃぐちゃになるところを、彼らは綺麗なところでやめる。これ以上やると汚くなるということを感覚で知っている。
かといって物足りない何かが足りないというものにもならず、充実したものが仕上がる。もっとやりたいところを我慢しているのではない。
ここがキレイだ、きもちいいという感覚がはっきりあって終わるのだ。
原発を含めた人間の技術が暴走しているのは、道徳、倫理以上にこの感性、美意識、バランス感覚だと思う。それ以上やってはいけない、とってはいけないという感覚。
ここが一番キモチ良く平和な状態だからここにいようという落ち着きどころを見逃してしまっている。もう一度、彼らの持つ「やりすぎない」を見習いたいものだ。
展覧会の話の続き。
長谷川祐子さんのキュレーションで四ッ谷に展示した時は、真っ白な教会のような空間で、作品と自己が一対一で向かい合う、神聖な感じだった。
来場者の中では涙を流す人も多く見かけた。
今回のうおがし銘茶 茶の実倶楽部での展示は、作品をもっと身近なものとして寄添い、お互いが繋がるようなイメージを持って挑んだ。
作品が環境に溶け込み、人の心に溶け込み、調和し安らぎを感じていただきたかった。
みんなで希望を持って繋がりを大切にしたいと。
5階ギャラリースペースは彼らの持つ多様性を見ていただけるようにした。
3階の喫茶スペースは大人の空間でやや薄暗い中で重厚感のある作品を中心にした。
2階の喫茶スペースは3階との対比で明るくポップで軽やかな作品を中心とした。
どちらもお茶を飲みながらゆっくり作品を楽しんでいただく、あるいはゆっくりお茶を楽しんでいただく為に作品で空間を心地よくするように展示した。
様々な可能性を感じていただけたかと思う。
人間のこころには調和に向かう感覚と、繋がり平和を生み出し、全体を気持ち良くしていく本能があるし、人間と世界には美があるということをささやかながら示せたのではないだろうか。
でも絵をみて何を感じるか、感じないかは人それぞれ、全く自由。
だから良いのだと思う。
そんな訳でお茶だけ飲んで何となく空間も綺麗だったねという感じも嬉しい。

ブログ アーカイブ

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。