2011年8月11日木曜日

思い出すこと

昨日は生徒4人。
ゆうすけ君とだいすけ君は向かい合って大人の制作。
ゆうきちゃん、けい君は若い勢いと繊細な感性で描く。
あっという間に終わった。
前回、スタッフの役割と仕事について考えてみようと思ったが、制作の場での様々な見え方がメインになってしまった。またいずれ書くと思う。
制作の時間は密度が高く、永遠に続くようにも感じられるし、あっという間に終わっていたりもする。
たぶんスタッフも日常とは違う時間の中に入っているのだろう。
使っている感覚も日常のものとは違う。この仕事をどれだけ続けても不思議な感覚は残る。
面白いし深い。

そう言えば、学生達がけっこうこのブログを読んでくれているらしい。
今年は卒業生の送る会が出来てないまま震災をむかえてしまった。
近いうちに学生チームに向けて書くよ。

今日は少し前に書いたメモが見つかったので僕の思い出を紹介する。
このメモにはタイトルもついている。以下はメモ。

「空と地底のつながる場所」
ダウン症の人たちの世界について思うとき、いつも思い出す情景がある。
彼らの制作に携わるようになってまだ数年の頃の夏におこなった三重県での合宿。
澄み切った青い空。あたたかい風。波の音。草や木々の濃い色彩。蝉の声。
静かな時間の流れ。無限を感じさせる日の光。
夏の気配に包まれていた。
「とおいいね」とハルコがいう。その言葉がスーっと身体に入ってくる。
ここは遠い、遠い、場所なのかもしれないと感じる。
坂を下りると海に出る。湾になっているので、波も無く、小さくて静かな海だ。
ハルコは坂の途中で葉っぱや花に話しかけ、「かわいいねー」と微笑む。
他の子供や大人達の話し声が聞こえる。
犬がゆっくりついてくる。頭を撫でて可愛がる。
屈んで「膝、ペロペロして」と言いながら犬を見詰めている。
「なめてくれないの?ケチ」
僕の方を見て、
「ナスちゃん(犬の名前)、なんでハアハアいってるの?疲れてるのかなあ」
しばらく犬の顔を観察している。
「いこっか」といって坂を下りる。
青い海。ハルコは石と貝殻を集める。指でそれぞれの形をなぞり、
「かたち、かわいいねえ」と笑う。
無限を目の前に、佇んでいるような気配。
時間が止まっている。世界はひたすら広く深い。
いつかどこかで体験した事があるような美しい時。
彼女の存在は、静かで深く、青い空と海と草木に溶け込んでいる。
自然自身が語りかけてくるようだ。
こんな穏やかな一体感に包まれたのは初めてかもしれない。
「石なげしよっか」「うん。やろう」。
僕は石を集める係。ハルコは海に向かって投げていく。
チャポーン、ドボン。
石の大きさと投げる高さで変わる波紋と音を確認しながら。
ハルコは自然の一部として、自分の存在や目の前の景色を、
ゆっくりみつめ、味わっている。
存在する全てのもの、すべての瞬間を慈しみ、触れ、感じ、耳を澄ませて聞き取っていく。
僕が石を投げると、ハルコはびっくりして
「すごい。高い、高いね。もっと高く投げて」
僕はどんどん遠くまで投げる。
「もっと。お空まで、お空まで届くまで」
思い切り高く投げると、しばらく石が落ちてこない。
静寂の後、ドボーンと石が落ちる音。
今度もハルコは驚きの目で海を見つめている。
「すごい、すごいね。おそらまでぶつかったね」。そして笑う。
「おおきいね。お空と海」
僕たちを囲んでいる事物は計り知れないほど、大きく深い。
「ここ、穴掘ろうよ」とハルコがいう。
夕暮れちかく、2人で穴を掘り続ける。
「もっと、もっと深く掘ろう」
黄金色の光が辺りを包む。
「もっと掘ろうね」
「もっとふかく。お空までとどくまで」「お空にぶつかるまでね」

その日見た、景色を僕は鮮明に覚えている。
僕たちは地球と遊び、空や海に触り、宇宙に行った。
こころの奥の、奥の深い場所で。
投げた石は空にぶつかり、どこまでも掘り続けた地面は、地の底まで触れ、
ついには空にまで届いた。
そこでは天と地がつながり、すべてが身分の状態で輝いている。
その時の気配こそはダウン症の人たちが持つ、人間の原初的感覚の世界なのだと思う。

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書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。