2011年9月8日木曜日

「辛口」の意味

モロちゃんからも嬉しいメールをもらった。
会社帰りに電車の中でこのブログをチェックするのが日課になったと。
ありがとう。
やっと少しだけ、書くのになれてきた。
でもやっぱりまだキーボードを打つのは、普通の人よりそうとう遅いと思う。
エクセルからも「ちょっとづつサクマさんの文体になれて来て、楽しみ」とのこと。
ゆりあからは「もう少し、要点をまとめてすっきりさせたらいいよ」と言われている。
頑張ります。
保護者の方達や外の方からも、応援して下さる言葉がきている。
有難いかぎり。

数人の方から「辛口が気持ちいい」との声があった。
僕は辛口に書いているつもりはないけれど、理解されて嬉しい。
たしかに、これ言っていいのかなと考えない訳ではない。
反対意見は恐れないけど、アトリエにある「ほんわかした雰囲気」が好きとか、
「やわらかい感じがいい」と言って下さっている方達がいるので、
そこは変えたくないなと思っている。
アトリエ・エレマン・プレザンの人達、佐藤家の人達は、
肇さん、敬子さん、よし子たちは、このおだやかな雰囲気にぴったり。
小さな事には拘らないし、包み込んでいくやさしさがある。
その意味で身近にいながら尊敬出来る人たちだ。
僕は残念ながら、そんな人格者ではない。
背伸びしてそんな存在に見せる気もないし、自分を偽りたくはない。
だから、ここでの僕の役割はいいものはいい、悪いものは悪いと、
はっきり書く事でこの活動の意図を少しでも明確にする事だと思う。
それも一つの役割で、これまで見えにくかったことが見えてくるかもしれない。

勿論、僕だって教室ではほんわか雰囲気ですよ。
「サクマさん人に甘すぎるよ」っていつも注意されてるくらい。
まあ、まだ遊びがないことは事実かな。
「サクマさん、マジメすぎ」とも言われる。

例えば、よし子と学生達が見守る中、僕とある生徒のやりとり。
「ハーリーポッター!」
「ハーリーポッター?」
「ヘーリーポッター」
「ヘーリーポッタア?」
「ビエスー」
「ビエスっ?」
「ビエッス!」
「オーー」
「オオー、ビエッス!」
お互いの顔が10センチというところでのやりとり。
周りのみんなは大笑いしている。
でも実は僕は大マジメに話している。
なんとか相手の世界に入ろうと真剣な場面。
僕が真面目になればなるほど、周りでは笑いが増えていく。
この辺はいい真面目さと言える。

このブログでは人を傷つける様な事は書いていないつもりだ。
ただ周りに配慮するあまり何も言ってない事になるのはダメだと思う。
正直である事がルールだと思っている。
真面目に考えてた結果、現状に対する批判が出て来たならはっきり書く。
全ての人が賛成はしないだろうが、それはそれでいい。
真剣に考えた道筋だけでも伝わればと思う。

時々、議論になる時もあるが幸いな事に、
今のところ議論した人とはその後、理解が深まり合えている。

謙虚な態度は必要だが、その謙虚さは真実に対する恐れから来ていないか注意が必要。
いいものはいいと言って、悪いものは悪いと言って、
その言葉に責任を負う覚悟が必要だ。
何も言わなければ当然、責任は免れるが、それでは本当に守るべき価値すら
曖昧になってしまわないだろうか。

批判するには勇気がいる。
自らも批判にさらされる覚悟も必要。
でも、正しいと思う事があり、それを守る大切さが分かるなら、何も恐れる事はない。
むしろ守るべきものを守らず、間違った考えを認める事こそ恐れるべきだ。

僕にとって目上の人間は、あまり怖くはない。
それよりも学生や年齢が下の存在は、濁りのない目が怖い。
ごまかしがきかないと感じる。
彼らがそばにいる状況があるのはだから楽しい。
「あんな仕事をしてはいけない」「こうあるべきだ」と言う話や、
間違ったものに対しての批判を自分が口にするほど、
ではお前はどうなのかということが問われる。
いつもそんな話を聞いている学生達が仕事を見ている。
「サクマさん、そんなんじゃダメだよ」と言ってくれているうちは、
信頼関係が成立していると言える。
本当にダメな仕事や生き方を見せたら、彼らは黙って去っていく。
おそらく2度と帰ってこない。
少しでも手を抜いてしまえば、
「やっぱり批判はしていても口だけだな」となってしまう。
だからはっきり「こうあるべき」と言って、
周りからも見られる場所に自分を置いておくのは、精神的な堕落を防ぎもする。
責任を持つ事が大切だと思う。
そこが、言っていて気持ちがいいからいうのと異なるところだ。

今の自分のレベルがまだまだなのは、日々実感として感じてしまう。
でも、あらかじめ未熟さを言い訳にしたくはない。
最善を尽くしているなら、
「ある程度は良い仕事ができている」という姿勢は見せる。

ところで辛口というか、はっきり意見を述べるということで言うと、
展覧会やイベント中に必ず、議論をしたがって来る人がいる。
僕自身はいつでも受けて立つ準備はできているけど、
他のお客さんもいるし、場の状況は見極めて欲しい。
人がいない時にいくらでもお相手しますからと言いたい。

この前も学校を出たばかりの血気盛んな青年と議論した。
「かわいいもんなんだから、はい、はい、そういう意見もあるね」と
流しとけばとか大人げないとか言われつつ真剣に議論した。
僕は相手が真剣ならこちらも真剣に行く。
手加減しては逆に失礼だと思う。
偉い人であろうが、学生であろうが、そこに区別はない。
ただ真剣に考えていくだけだ。

こういったことは全部、「明晰にする」ためだと思っている。
何が大切で、何を守るべきか。
いま私たちに何が必要なのか。
アトリエにある様なおだやかな雰囲気とは、
そのような努力無しにこの時代の中で守ることは出来ない。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。