2011年9月26日月曜日

展覧会

数日前だけど、台風すごかったですねえ。
アトリエは途中からおむかえに来てもらって中止に。
あんな大きなのは珍しい。
夜、しばらく外で台風を見ていた。
自然の大きな力が動いている時は、やっぱり自分のこころのどこかが、
強く反応していることに気が付く。
鳥肌が立つ様な感覚や、たった1人になって静かになっていく様な、
懐かしい感覚もある。人間の中の古い記憶が戻ってくるのかも知れない。

さて、現在開催中の韮崎大村美術館での展覧会に行って来た。
今回は昔からのメンバーの展示になっているので、
アトリエ・エレマン・プレザンのスタンダードとも言える作品が展示されている。
是非、ご覧頂きたいと思う。

東京のアトリエは土、日曜日が中心となっているので、
僕達はなかなか他の場所に行くことは出来ない。
今回は土、日曜日クラスの方々に予定を変更させていただいた。
みなさん、ご迷惑おかけしました。ご協力、ありがとうございました。

土、日曜日に韮崎に行ったのは、その日に三重のメンバーが、
はるばるツアーを組んでやってくる事になっていたからだ。
皆さんにお会い出来て、すてきな時間を過ごすことができた。
土曜日は蓼科のホテルにみんなで宿泊。
今回の一連の企画はツアーも含め、女子美術大学同窓会の方々がお世話して下さった。
三重の作家たちとご家族も揃って、みんなでバスに乗って、
ホテルに泊まって、次の日に展示を見て、楽しく帰路についた。

僕達はホテルと展覧会場だけご一緒したが、
行き帰りのバスの中もとても楽しそうな雰囲気だった。
こういう時間も大事だなとあらためて思った。
日程や都合により実現出来なかったが、最初は東京のメンバーとご家族も、
展覧会で集まるようにしようと話し合っていた。
今度こそ是非。

佐藤家は、肇さん、敬子さん、文香ちゃん、よしこ、僕で5人部屋。
実はこういう時間はあんまりとれない毎日なので、良い機会でもあった。
夜、久しぶりにお風呂で肇さんとゆっくり話せた。
ダウンズタウンの事とか。
東京からの三重合宿を、今回のようにバスツアーにするのも良いかもという話にも。

日曜日、東京のゆうすけ君ご家族が来て下さった。
大きなレンタカーでご家族総出でおみえになった。
よしこのお腹が大きいので、美術館からの帰りをどうしようかと思っていたが、
ゆうすけ君ご家族が送って下さる事になって、本当に助かった。
ありがとうございました。
お父さんのお話も興味深く聞かせていただいた。
専門のジャンルをお持ちの方で、とても面白い話題がでたので
ご紹介したいのだが、差し障りがあるかも知れないので、残念だが書けない。

今回は家族と絆について、思うところがいっぱいあった。
三重のメンバーのご家族、佐藤家、ゆうすけ君家族。
そして、このプロジェクトを通じて、それぞれが繋がっていく、
全体を大きな家族と見た時の可能性。
思い合っている、繋がっているということが、とても大切なのだと思う。

今回は東京アトリエは展示に関わらなかったが、
たとえ自分達が作品選定して展示したとしても、会場で作品を見る時はいつも新鮮だ。
初めて見るように見ているし、そうする様、心掛けてもいる。
彼らの作品にいつも心動かされることは確かだ。

韮崎なので、東京からでも少し時間はかかることは事実だ。
でも、作品を見るのには少し、時間をかけた方が良いと僕は思っている。
ちょっとした事でも、そのためにわざわざ何かをするという経験は、
絶対に自分に帰ってくる。
遠くから足を運ぶとか、歩かなければ行かれない場所に行くとか、
時間と手間によってこころが入る。
そこまで行かなければ見れないと言うことは大事だ。
特に今のように情報はパソコンで知れたり、
何でも自分が動かないで見たり、聞いたり出来る環境の中では、
何かの為に、何かをするという喜びを忘れてしまう。
例えば、上野の美術館に奈良の山奥にある仏像が展示された事があった。
ああいう場所で仏像の美が見える訳が無い。
なぜ仏像が美しく、神々しくさえ見えるのか。
それは、はるばる遠くまで出向いて、石の階段を何段も踏みしめて、
やっと辿り着いた場所で、照明も無く薄暗い中で、
見えるか見えないかのものを見るとき、人の感覚が開くからだ。
神社もお寺も、辿り着いてしまえば、そこには何も無い。
そこへ行くまでのほうが大事だったりする。

本物は知る為に努力が必要だ。
その場に行かなければ何も見えない。

デジタルについて書いた時にもふれたかも知れないが、
僕自身は、簡単とか、便利、安い、すぐに出来る、
というものにそれ自体では価値をおかない。
むしろ、物事にはいい面も悪い面もあるのに、
良い面しか語られないものには注意が必要だ。
すぐに出来るものは、すぐに出来る程度のものだ。

何かの為に時間をかける、思いをこめる、
そうすると、その分だけ何かが見える、何かが分かる。

それは、「敬意をもつこと」「大事にすること」と全く同じだ。
制作の場でもスタッフは、楽なほう、簡単なほうにいってはならない。
相手が気持ちよくなってくれるなら、手間をかけこころをこめることを続ける。
物理的に言うなら時間をかけるということだ。
スタッフのみならず、アトリエに入ってもらう場合は、
必ず「場」や「人」に敬意をもってもらう。
大事に思う気持ちが持てる人だけに来てもらっている。
なぜなら、結果がその人自身に帰ってくるからだ。
わざわざ来てくれた人に、何かは持ち帰ってもらいたいと思う。
何かを得るには、その人に真剣さが必要だ。
敬意をはらうことも、大事にすることも、結局は自分のためだ。

ただ見ただけで、見えると思ったり
ただ行っただけで、経験したと思うのは間違いだ。
簡単に分かったとは、その理解の質も簡単なものでしかないということだ。

四ッ谷で展覧会を開いていた時、会場の都合で入場料をいただいていた。
受付をしている学生が「お金を払いたくないという方が来ています」
と言うので行ってみると、おじさんが
「なんだよ。いつも来てんだけど、ここはタダで見れるんだよ。」
と言い続けている。
「今回の企画は、入場料をいただくかたちになっていますが、それだけの価値はあると思いますよ。タダより良い経験が出来ます」
「しょうがねえな。見てみるか」
入って行ってから学生と笑っていると、
会場の奥からさっきのおじさんの大きな声が聞こえてくる。
「なんだよー。すげーじゃねえか。こんなのみたことねよ。えー。きれいじゃねえか」
ずーっと喋り続けている。
微笑ましい場面だった。

情報化社会というが、情報は経験となってはじめて意味をもつ。
情報が経験に変わるのには、実際に歩くこと、
自分の目で、耳で、五感を使って味わうこと。
その経験が自分をつくる。
情報を使い、判断するのは自分自身だ。

是非、会場で作品をご覧いただきたいと思う。
見て良かったと思っていただけます。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。