2011年10月31日月曜日

こころを開く

ブログは普段、早朝に書いている。
書いてからアップするのが少し後になる事があるけど。
今日は久しぶりに夜、これを書いている。
よしこの出産予定日が近付いているので、散歩の時間を増やしている。
毎日よく歩く。
昔はよく歩いていたなあと思う。
休みの日は一日散歩していた。
東京に居るとあまり散歩する気分にならなくて、歩かなくなっていた。
歩きながら自分のリズムを取り戻すということがある。

いつも書いているけど、ダウン症の人たちから学ぶことは多い。
彼らはいつも何かを発見している。
今日もハルコが「タイヤかわいい」と時々つぶやくので、
なんのことだろうと思っていると、アトリエの横の窓のカーテンをめくると、
隣の家で作業中のトラックにタイヤがいくつか積んである。
ああ、あれのことかと思う。でもカーテンがあってよく見えてたなと思う。
よーく見れば、ちらっとは見えるのだけれど。
そんな些細なことに気が付くのは、彼女の敏感さだけど、
もっと大事なのは、いつでもこころを開いているというところだと思う。
生きていて世界が狭まって来たり、行き詰まって来たりしたら、
それはこころが閉じているからだ。
このブログでも真面目とか真剣にとか努力と言うことを一番大切に書いて来たが、
それらはともすると、閉じたものにもなりやすい。
一生懸命になりすぎると視野が狭くなることもある。
頑張りすぎると、自分の周りのことしか見えなくなる。
彼らの制作を見ていても感じるが、
彼らは一点集中をしない。
一点集中すると、力も入るし、見えなくなるものが多い。
彼らはまず力を抜いて、何も拒まない状況の中で、
選択せずに周りの状況全体に意識を向けている。
いま、ここでは同時に色んなことが起きている。
でも、私達は普段ひとつかふたつ位のことにしか気が付いていない。
だから狭い世界に生きている。
だから行き詰まる。だから迷う。悩む。緊張し、やさしくなくなる。

こころを開いていれば、いつでも豊かな出来事に出会うことが出来る。
ささやかな物事でも、限りない豊かさをもって感じられる。
そうすると毎日が楽しくなるし、人にやさしくなれる。

決めつけたり、こんなものだと思って生きていないだろうか。
やっても出来ないと思っていないだろうか。
限界を作っているのは自分自身だ。
本当は不可能なことなど何もないはずだ。

僕達スタッフにとってもこころを開いていることは、とても大切な事だ。
こころが閉じていたら、場を良くすることが出来ない。
良いものや楽しいものや可能性が近くにあっても、開いていなければ気付けない。
一瞬の変化を見逃してはいけない。
一瞬、凄いものが現れるかも知れない。
それを拾えなかったら、人のこころにはふれられないし、
人と一つになることなど出来ない。
いつも開き続けること。これもスタッフの役割でもある。
相手のこころを開けなければ、良い作品は生まれてこない。
相手のこころを開きたければ、まず自分がこころを開く。
はだかになってもらいたければ、自分がはだかになる。
自分が武装していて「安全だからはだかになって、何も持たないで来て」
といっても、誰も来ない。怖いし恥ずかしい。
だからまず、自分は何も持たない、すべて見せる。はだかになる。
リラックスしてなんて言ったら、誰でも緊張する。
自分がリラックスした状態で人に向き合えば、相手は必ずリラックスする。

こころを開くのも、慣れていなければ、怖いし、プライドの高い人は、
自分のありのままを隠す。
でもそうしているとつまらない。閉じた場所にずっと居るしかない。
何も恐れるものはない。
何も恥じることはないし、何も拒むことはない。
開いているともっともっと楽しい世界が見える。

先日、たまたま良い本に出会った。
「志村ふくみの言葉 白のままでは生きられない」という本。
志村さんの言葉は深い経験と人間性の深淵から発せられていて、
僕にはまだまだ理解がおよばない言葉も多いが、はっとさせられる本だ。
こんなふうに丁寧に生きなければと思うし、
仕事って人生って、こうあるべきと思う。
改めて深く生きたいなあと思う。
確か別の本での志村さんの言葉で極道とは道を極めること、というのがあった。
先生が「極道どすなあ」と言ったと書いていた。
志村さんも道を極められた方だ。
僕も言うもおこがましいことかも知れないが、極みを目指して行きたいと
感じさせられた本だった。

今回のテーマに少しは関係ありそうな言葉を、一つだけ引用させていただく。
「こちらの心が澄んで、植物の命と、自分の命が合わさったとき、ほんの少し、扉があくのではないかと思います。」

2011年10月29日土曜日

仕事について

最近、仕事以外の生活が結構忙しい。
一日が本当にすぐに終わってしまう。
気が付けば、出産予定日まで一週間を切ってしまった。

犬のジルーは日のあたる場所で寝ている。

今年はあんまり無いけど、学生や10代20代の人から、
就職や仕事の相談を受ける事が多い。
こんなアトリエにまで何故?とも思うが、
話を聞いていると楽しく生きている大人を知らないので、
どんな風に生きていいのかイメージがわかないと言う。

今回は仕事について書く。
これだけ、社会が混乱している時だからこそ、仕事について考えたい。
自分の仕事を持ち、日々、良い仕事をする事が本当の社会貢献であり、
人のため環境のために出来る最大の事であると考える。
さらには良く生きるということにも繋がっている。
人は働くべきだ。仕事をすべきだと言う基本から認識しよう。

最初に書いた楽しく生きるということにしても、
楽しさは自分で見付けだし、自分で創りだすものだ。
そのためには経験を深めて行くことが必要だ。

何かやってみて面白くなくても、それは自分の経験が足りないからかも知れない。
もっと深く入ってみると、楽しい世界が見えてくることもある。
今は、仕事にしろ何にしろ、深めて行く、時間をかける、
努力を続けると言うことが、あまり重視されていない。
それでは本当の面白さも難しさも、分かる訳がない。
もっと入れば、もっと経験すれば、深く豊かなものに出会えるはずだ。

何度も書いて来たことだけど、選択肢や情報が多すぎるせいで、
選ぶこと、情報を収集することにだけ慣れてしまって、
知らないことをやってみる、
そこに賭けてみるという勇気がなくなってしまったのではないか。
何をしていいのか分からないと言ってみたり、
反対に自分のしたいことではないからやらないと言ったり。
それでは何も始まらない。
何をすべきか、何がしたいことで、何がしたくないことなのか、
そんな事は始めから決まっている訳ではない。
したくないと思っていることも、
本当にそうなのか経験してみなければ分からない。

とにかく出来ることはやってみる。
そこから始まるのではないかと思う。
僕自身も今の仕事をするまでは、「仕事」という認識はなかった。
ただ一生懸命働いては来たが、それを「仕事」と呼ばないようにして来た。
「仕事」と言ってしまうと、「生活」や「プライベート」と、
分かれてしまう様な気がして嫌だった。
でも、ある時期に「仕事」を意識するようになった。
ようやく気が付いたと言うべきか。
「仕事」とはっきり認識してプロとしてすべき事がある。
では素人とプロとでは何が違うのか。
間違いなく責任だろう。
責任を持って仕事する、この単純なことがとても重要だと思う。

本当にプロが減ったと思う。
一応、仕事としてお金をもらってやっていても、
プロとしての自覚が薄く、素人同然の仕事をしている人は多い。
画材屋の店員は、自分の店のどこに何がおいてあるのかも知らない。
タクシーの運転手さんでも道を知らない人が多い。
自分のしている仕事や、お店の背景や歴史を知らない。
自分がその仕事で何をすべきかなのかも分かっていない。
プロなら最低限、勉強すべきだ。

そして、自分が受容する側に立った時、客になった時、
しっかりした視点を持って、選ばなければならない。
良い仕事をしている人が、認められないのはおかしい。
そつなくこなしているだけの仕事に騙されてはいけない。

僕は客としてどこかに行ったり、受容するときは、
相手に仕事をしやすくする。
だから多分、いい客だと思う。
結構サービスしてもらったりする。
ルールを守って相手が一番したいという自信を持っている仕事をさせる。
そうすると、その人の最大の実力が分かる。
良い仕事を見たらお礼を言う。
たいしたことがなければ、それまでの付き合いだ。
お互いが響きあい、高めあう。
どんなに良い仕事も、受容する人あって成り立つ。
言い換えれば、理解者あっての仕事だ。

本当の理解者を得るには妥協してはならない。
例えば、いいものを作って売るとして、当然、大量生産したものより高くなる。
必ず、高いと言う人が出る。
そこで安くして質が落ちるケースは多い。
これはものに限らず、あらゆる仕事の質に関わる話だ。
簡単に理解されやすい、みんなが分かり易いだけの仕事をしてしまっては、
本物の理解者は得られない。
やっぱりここは、本当に良いものをつくる。
質の高い仕事をする。多少高くとも、
多少、受容する側に努力や理解が必要であっても、
それ以上の価値あるものをつくる。それでも納得していただける仕事をする。

店も客も出しただけの、出した以上のものが帰ってくる。
それが仕事だと思う。
だからお互いが支えあって、良い仕事や生活がある。

何をやっても仕方ない様な社会ではある。
でも、だからこそ最大限いい仕事をしたいし、良く生きたいと思う。

誰だって、始めからは何も出来ない。
ただ、精一杯、出来ることをする。
求められたら、少しでも答えようとする。
良い仕事が出来るようになるまでには、時間が掛かる。

仕事は選ぶものではない。選べるものではない。

本当の仕事は、自分が仕事を選ぶのではない。
まわりがこの人にこの仕事をしていて欲しい、と思ってくれる。
ある意味でまわりが決める。
仕事自身が人を選ぶ。

だから出来ることは、選んでもらえるだけの資質を磨くことだ。
努力を惜しまず、進み続ける。
いつか、自分のすべきことは明晰になる。迷いはなくなる。

どんなことでも何か人の役に立つ、
何かのためになるために、僕達は生まれて来たのではないか。

2011年10月26日水曜日

あかちゃん

昨日は久しぶりに、クリちゃんと子供のフクちゃんがアトリエに来てくれた。
みんなが、あかちゃんと触れ合っているのが面白かった。
お互いにとって、いい環境だと思う。

もうすぐ、家にも子供が産まれる。
よしこのお腹も下がって来て、あかちゃんが下りて来ているのが分かる。
多分、もう少しだろう。
毎日のお灸の数も増えて、身体をやわらかくする準備をしている。

やっぱりアトリエにあかちゃんのいる光景はいい。
みんなも楽しくなるし、愛に包まれる。
空気もやわらかくなる。本当に不思議だ。

土、日曜日の絵のクラスは制作に向き合う大人の空間。
だから、場も真剣な雰囲気になっているし、
そこであかちゃんが入るのは難しい。
だから、プレのように少し日常に近い形で、触れ合える時間も大切だ。

あかちゃんをかわいいと感じるのも人間の本能だし、
大人にかわいいと感じさせるのも、あかちゃんの本能だ。

あかちゃんと一緒にいると、人は人間としての最初の記憶を取り戻す。
そんな時間をみんなで大切にしたい。

フクちゃんと少し遊んで、色んなことを思い出したし、
色んな事を感じた。
制作の現場においてもそうだけど、
改めて感覚を全開にして生きていきたいと思う。

僕が10代の頃は本当に良い環境にいたのだと思う。
たくさんの大人と子供、年を取った人、あかちゃんが一緒にいたし、
自然もいっぱいあって、動物もいた。牛、山羊、鶏。
僕は山に物資を運ぶのに、ロバを買いたいと思っていた。(実現はしなかった)
そんな環境でたくさんの子供とあかちゃんと、遊んできた。
友達のあかちゃんも、僕の膝の上に居る時間が長かったし、
ハイハイしながら一緒に戯れていると、すぐに半日が過ぎてしまった。
僕はあかちゃんと相性がいい。
4、5才を過ぎた子供達ともよく遊んだ。
彼らと付き合うときはあかちゃんと遊ぶときとは違う。
あかちゃんとは、本当に一体になる。何も考えない。感覚だけで戯れる。
子供達も僕と遊ぶのを楽しみにしてくれたが、
子供達と接するときは、逆で子供を子供扱いしない。
そうしていると、彼らは信頼してくれて、色んな事を教えてくれる。
アトリエでの制作の場では、この2つの要素を同時におこなう。

こどものこころが育つ環境、
大人のこころが育つ環境が必要だ。
なによりも、深く触れ合える場が重要だと思う。

大人になると色んな事が難しくなってくる。
僕達は本当に無駄なものをたくさん持ってしまった。
持つのはまだいいが手放せなくなると危険だ。

時には、何も持たなかった時代を思い出したい。
人生のある時期にもう一度、そこへ立ち返ることが出来る。
それが、あかちゃんと接している時かも知れない。
親だけでなく、周りに居る人達がみんなでそんな時間を大切に出来たらいい。

一番いいのは、大人の意識を持ちながら、
あかちゃんの様な自由で縛られない、やわらかい世界を生きること。
ダウン症の人たちは、ある意味でそんな理想に近いかも知れない。

2011年10月24日月曜日

著作権を考える2

さて、先日耳に入った誤解にお答えしたいがその前に、
アトリエで考えている、著作権の理想的な在り方の最終イメージを書きたい。
ダウン症の人たちの持つ文化への理解と、人類の共同財産としての彼らの価値を、
認識するところに答えがあると思っている。
彼らの作品とその世界は、深く理解出来る人達で、共同で管理、
保護するのが良いと思う。
1人の作家としてよりも、彼らの共有している文化により多くの価値をおく事で、
一人一人が消費され、消耗されないようにすべきだ。
彼らは仲間としてお互いを活かしあい、調和して一つの世界を見せてくれる。
それは作品のみならず、彼らの生き方そのものでもある。
将来的にはこの文化全体を価値として、
客観性のある文化保護、作品管理の組織を作って行くのが良いと思う。

作品を販売したり、グッツを販売したり、デザインに使われたりして、
お金に換わる機会があれば、管理組織が預かり、みんなで、みんなのための環境を
創ることに使って行けばいい。
勿論、その際は作家の保護者の方も管理組織に入っていただいて、
一緒に考えられればいいと思う。
そうすることで、売れる人と、売れない人に分かれたり、
単なるお金を稼ぐという自立支援にとどまらない、
彼らの未来のための環境づくりが可能となる。

今の段階ではまだ、この様な理想を信じられる人は少ないというのが現状だ。
今年はいくつかお仕事を頂いたが、
今回は僅かではあるが作家本人に、お金が渡るようなかたちをお願いした。
その事で保護者の方達の希望にも繋がることを目指した。
先ほどの様な考えはその一歩先にある。
未だ権利すら確立されておらず、お金を稼ぐ手段も少ない人達だ。
まず、彼らも作業所の作業や仕事だけではなく、
自分の得意とする事で、正当に金銭を得る可能性のあることを、
保護者の方達にも認識していただく。
次の段階に行くには、そこから始めなければならない。

それぞれの企画によって、考え方も色々あっていいとも思う。

さて、本題の方だが著作権の問題というより、
アトリエへの誤解と言った方が良いかも知れない。
数年前に行った企画について、
作品を提供した保護者の方から、
その企画を通して入った寄付金はの扱いに疑問があったようだ。
実は、この件は何度も説明をおこなっているし、
文書でもすでに3度以上、詳細を伝えている。
保護者の方達もほとんどの方達は、ご理解されている旨を聞いている。
もしかすると、1人か2人の方がずっと拘っておられるのかも知れない。
まるで問題を感じておられない方々にまで、
何度もこの件を伝えているのは、私達としても申し訳なく思っている。
今後はアトリエとしての考えは、僕自身はこのブログで、
その都度、すべて経過を書いていくことにする。
考えは明晰にする。
それでも疑問を持つ方は、憶測するのではなく直接聞いてもらいたい。
ここまで書いて来た考えも、全員が一致して賛成していただかなくとも良いと考えている。
アトリエ・エレマン・プレザンとして作品を社会に出す場合、
この考えに賛同する人の作品を提供するというだけだ。
一つの企画に対して、アトリエの考えに賛同する人が、作品を通じて参加すればいい。
反対する人の作品を無理やり出すということはしないし、
みんなにこの考え方を強請することもしない。
どう考えるかはそれぞれの自由だ。

同じ意識を持って、協力しあえる人達と、作品を伝えて行きたい。
単純な話だ。

すでに聞いている方には繰り返しで申し訳ないが、
誤解に答えさせていただく。
アトリエでは、平日のクラスと外でのイベントや対外的なお仕事を、
ダウンズタウン実現のための土壌作りとして位置づけている。
「プレ•ダウンズタウン活動支援基金」として口座を持っているが、
様々な方達からご寄付を受けている。
チャリティー等の企画をおこなっていただく場合、
すべてこの位置づけでご寄付を頂くかたちをとっている。
今のところこの口座へのご寄付以外のかたちでは、
作品を通じても収益を得たことはない。
ここに書いている企画に関しても、
助成金という枠組みで、この寄付口座にお振り込み頂いた。
ご寄付に関しては年末に会員向けに、
会計報告をおこなっている。(必要な方にはお渡しする)
平日のクラスにしろ、外での様々な活動にしろ、
ダウン症の人たちの可能性を示し、応援して下さる方や、
企画等と出会うきっかけになったり、活動自体が彼らの希望にもなる。
そういった活動の必要性を感じて下さる方が、
ご寄付というかたちで応援して下さっている。
ご寄付に関してはそれ以外のことでは使われてはいない。
絵画クラスの会計は全く別であり、
ご寄付を使わせていただくことは一切ない。
まず、このことをご理解頂きたい。

平日のクラスと外での様々な活動には、
彼らの未来と可能性の為に、ご寄付を募って来た。
ダウンズタウンに是非繋げて欲しいと、希望を託して下さる方や、
ビジョンを共有して下さる会社や企業もある。
そういった企業からチャリティーの企画があった場合、
私達は上に書いた様な意図をご説明し、
どういったかたちでご寄付を使わせていただくかを説明した上で、
お仕事を進めている。

あまりそういう言い方はしたくはないが、
あまりにも誤解している人の見解が浅いので、
あえて言うが、こういったビジョンに協力したいという方達が、
企画を作って下さっているのであって、
個人の収入になるためにあるお話ではないと言うことを忘れないで欲しい。

ここに書いた企画も「プレ•ダウンズタウン活動支援基金」へ
助成金としてご寄付頂くというお話で、
その繋がりをみんなが認識して楽しく、夢を共有出来るように、
アトリエの作家の作品をデザインに使っていただいた。
そのことは事前に了解も得ているし、その後も同じ説明をして来たはずだ。
にもかかわらず、作品がデザインに使われ、
その謝礼がアトリエにそのまま入って、作家に渡っていないという、
誤解があったようだ。

個人で作品を売ることで収入に繋げたいと考える方は、
ご自分でそのようにすれば良いのだ。

何度かこの様なことはあった。
でも共感して下さる方もいるし、喜んでくれる保護者の方達や作家もいる。
というか、ほとんどはそういう方達だ。
そして何より、一つ一つが彼らの可能性に繋がっている。
だから、こういった活動は続けるし、レベルを下げることもしない。
参加される方は最初にここの部分を理解した上で、ご参加頂きたい。
もし、反対するお考えをお持ちなら、
アトリエはその考えを否定するものではないので、
アトリエの提案する企画以外でやっていただきたい。
共感出来なければご参加頂くことは出来ない。

これも本当は言いたいことではないし、
理想としてはいうべきでもないことだが、
平日のクラスの場合も外での様々な活動の場合でも、
貴重なご寄付を使わせていただいている事もあり、
スタッフも人件費を頂かずに働いている。
これまであまり個人的な感情は語らないようにして来たが、
これはこれから多くの人が関わって来たときのために言わせていただく。
誰かや何かのために一生懸命、ない時間を削って無償で働いた仕事を、
「自分達の利益のために」等と勘ぐられて、
良い気持ちがする人間がいるだろうか。
その様なことを思ってもみないで純粋にやって来た人間なら、
確実に不愉快に思い、もうやらないと思う人も多いだろう。
特に福祉的な場に良い人材が集まらない原因はそこにある。
良い志とセンスを持った人間が何かをしようとしても、
保護者の方や周りの人がこの程度の認識だったら、
諦めてしまう人がほとんどだろう。

幸い僕自身はそんなに弱くも繊細でもない。
だから多分、可愛げもない。
いつかみんなのためになるなら、信じたことはやり抜くまでだ。

ただ最後にこのことだけは書いておくが、
アトリエ・エレマン・プレザンに所属している作家の保護者のかたちは、
本当に理解の深い方達が多い。
ここで書いた方は多分、1人か2人、多くても、3、4人の方だろう。
これは人づてに聞いた話だ。
直接、その方からお話があった訳ではない。
多少の不満として、お喋りとして話しただけかも知れないので、
僕としては人を特定したくはないし、どなたか知る必要もない。
直接、お話を聞いた訳ではない。
もしかしたら、こちらに言いたくても言えない雰囲気もあるのかも知れない。
だから、考え自体は否定したが、
そういう思いを持つ、持ってしまうと言うことは受け止めようと思う。
自分が信頼されていないと言うことでもある。
それは力不足と言うことだろう。

それとは別にそういう考えに至るということも、分からなくはない。
最初にも書いたように、権利すら認められず、
お金を得る可能性すら示されてこなかった背景があるのだから。
まず、疑うこと、主張することが当然だったのかも知れない。
これからは時代も変わって行く。
まっさらなめで、彼らに出会い、認識する人達も増えてくるはずだ。
そういった人達との出会いを大切にしよう。
そういった人達が、「こういう事に関わると大変な事になる」と
思わないように周りも変わって行こう。

一応付け加えると、
以前、ある展覧会で展示されなかった人について、
その人がアトリエに反対意見を言ったからだという、
心ない噂をした人が居たが、そんな事は一切ないと断っておく。
作品を選ぶとは、その様な個人感情が入り込むほど甘いものではない。
あまり人の仕事をバカにしないほうがいい。

だから、ここで書いた意見の方が、どなたかは知らないが、
どなたであれ、アトリエに参加されている以上は、
いつもと変わりなく同じ仲間として認識させていただくし、
展示その他においてもまったく変わりはない。

当たり前のことばかりだが、あえて書かざるを得ないお話を、
書かせていただいた。
百も承知の方々には、そんなに気持ちの良いお話でもなかったので、
申し訳なく思っている。

でも、そういう一つ一つを前向きに乗り越えて行った先に、
本当の理解や共存があると思う。
聞きたくない意見から逃れてはならないと思う。
みんなでマイナスもプラスに変えて行けたら素晴らしい。

著作権を考える

しばらく打ち合わせ関係が立て込んでいて、ブログの更新が出来なかった。
良い出会いもあって、仕事を進めながら、私達自身も今後の展開が楽しみだ。

土、日曜日のアトリエは、少し前から気になっていた生徒から、
やっぱり疲れが見えだしてきた。
今、少し心配している人が数名いる。
無理出来ない人達であり、保護者の方達も変化には気が付かれてもいるのだが、
かといって環境を大きく変える事も出来ないし、
例えば、作業所や職場や、学校が本人にとっての負担が大きくても、
かわりになる場がない以上どうする事も出来ないのが現状だ。
最低限、今どんな状況にあるのか、周りの人達が把握しておく必要がある。
少しでも彼らのこころの支えになり、
手助け出来るところは周囲が協力していかなければならない。

さて、今回は著作権について考えたい。
この問題はこれまでアトリエでも繰り返し議論されて来たし、
全く誤解がなかった訳ではない。
今後、彼らの作品を扱う機会も増えてくると思うので、
改めてアトリエでどのように考えて行くのか書いてみよう。

まず、障害を持つ人達の権利と保護の視点が重要になってくる。
(アトリエでは、制作において障害という視点を持たないが、出来上がった作品を管理し、扱って行く時に作家の持つ背景として障害という要素を考慮しなければ、本人を守って行く事は難しいと考える)
では、健常者の場合と、障害者の場合でどういった違いが出てくるのか。
おおまかに言うなら、障害を持っている人達の場合、長い間
作品に関してのみならず、権利が認められてこなかった。
彼らから生み出されてくるものに対して、
誰も価値をおかず、どのように扱っても良いという時代があった。

当然、その様な在り方は見直されなければならない。
そして、少しではあるが見直されつつある。
障害のある人達も、健常者と同じように権利を持つという、
平等性を実現しようとしている人達もいる。
以前、ある団体が整えた著作権のルールを読ませていただいた。
知的障害のある作家たちの著作権に関して纏めたものだ。
そこでは平等性と権利のみに論点が絞られていた。
結果、作家本人に100%の権利があり、
すべての条件を決定するのは作家自身であるというものになっていた。

一見すると正しい主張であると感じるが、
例えばダウン症の人たちと一緒にいて、
彼らのこころの在り方を見て来ている立場から見ると、実は違和感も感じる。

大事なのは契約ではなく信頼関係だ。
それでもトラブルを避けるために仕方なく契約がある。
だとするなら、疑いの要素を出来るだけ省かなければならない。
そこで単純に疑ってみると、この作家本人がすべての決定権を持つという考えは、
間に立つ人間次第でとんでもないものになりかねない。
極端な例であるとお断りしておくが、
例えば、僕だったら、本人に「この作品ちょうだい」とひとこと言えば、
みんな「あげる」と言ってくれるに決まっている。
それではどんな風に使う事も出来るはずだ。
「こういう風に使っていい?」「いいよー」
多分、それで終わりだろう。
本人が自分で決定して了解しているからいいという話であれば、
それでいい訳だ。

これでは、何も権利を認められていなかった時代とかわらない事になる。

はっきり認めなければならない事は、彼らの場合、
自分の作品を自分で守る事は出来ないという事実だ。
そこは認識しなければ、彼らを守って行くことができない。
作品の価値は、扱う人や環境次第で、良くも悪くもなる。
作品は絶えず、同じレベルで扱われなければならない。

そこに責任を持って、場や人や権利を選ぶ視点が必要となってくる。
理想は彼らの価値を真に理解し、妥協せずに統一的見解を維持出来る人なり、
団体なりが間に立って、生きている長い時間を通して作家を守って行く事だ。
勿論、保護者の方や周りの人達にも安心と信頼感を与えられる、
誠実さが必要な事は言うまでもない。

時々、障害を持っている人達の作品を売ってあげましょうと言う団体から声がかかる。
売れて、お金が入ればいいという考え方もあるのだろう。
でもどのように売られるのか、考えなければならない。
どのように伝えられ、どのように売られるのか、
それによって今後、彼らの作品がどう認識されて行くのかが決まる。
単純に言って下手な売られ方をしたり、下手な扱われ方をすれば、
作品の持つ価値は下がる。
展示にしてもイベントにしても同じだ。
扱われ方によって、すぐれた内容を持つものでも、
その程度のものかと認識されてしまう。
売れて、お金になればいいと考える方には言いたいが、
一般の人はそれほど愚かではないから、
低いレベルで扱われているものが、売れ続ける事はない。
最初は売れたとしても必ず飽きられるだろう。

どんな、機会であっても、出会いであっても私達は考える。
その企画が、彼らの可能性にとってプラスとなるのかマイナスとなるのか。
彼らの未来に何らかの良い影響を与えられるのか。
彼らの作品の世界にとって相応しいものなのか。
様々な可能性の中から、彼らを限定する事なく、
開いた価値を提示出来る仕事をしたい。

彼らの作品に対しての評価は確実に上がっているし、
彼らへの認識も、理解も変化して来ている。
私達はブレることなく、この調和の世界と文化を発信して行きたい。

実は最近、アトリエの作品の取り扱いに対しての誤解の声があったので、
次の回で具体例をあげて、この問題にお答えしたい。

2011年10月17日月曜日

最近の事

先日、金沢医科大学の保健師の方がアトリエへお越し下さった。
ダウン症の人達や保護者の方達に、少しでも役立とうと垣根を越えて、
ご活動されている方だ。
「ダウン症児の赤ちゃん体操」やダウン症の人たちと地域の様々な情報を提供する、
「ダウン症のこと聞くまっしシステム」等の活動に関わっておられる。
すでにキャリアもおありの方だが、謙虚に様々な活動を見て回り、
ダウン症の人たちと、その家族の環境を少しでも良くしようとされている。

私達もこういった方々に、作品から見えてくる、彼らの感性や可能性を伝え、
お互いに意見交換出来ることは、本当に嬉しいことだ。

最近は、彼らに対する無理解や、
悪い環境で傷つけられている現状を聞かされる事も多かった。
でも、一方で私達にはおよびもつかない様な努力を重ねている方達もいる。
様々な場で、本気で彼らに向き合い、良い環境と社会への理解へ、
一生懸命取り組んでおられる方々もいる。
そういった方々には頭が下がる。

微力ながら、制作の場から新しい価値や可能性を発信して行きたい。

彼らを取り巻く環境は、少しづつではあるが確実に良くなって来ている。

アトリエからは次の可能性として、
ちょっと彼らを「カッコいい」と思える様な事を提案してみたい。
今度のグッツ展開が実現すれば、その様な可能性に繋がるかも知れない。

日曜日は、けいこちゃんとてる君が、凄い勢いで描き続けたが、
出来上がった全部の作品が、かなりレベルの高いものだ。
いったいどうやったら、あんなに途切れる事なく、
創造性があふれ続けられるのだろう。
いつ見ても驚かされるし、魔法みたいだ。

土曜日は蒸暑かったが、ハルコが太陽の絵を描いていて、
「ここに太陽あるから暑くなっちゃったよー」と言った。
あまりに自然に自分の描いた太陽の絵で、みんなが暑くなったと言う。
そうだよなあと思う。なんて正しい世界に生きている人達なんだと。
常識で考えたら、絵に描いた太陽で暑くなる事はないだろう。
だけど、客観的現実だけが真実だろうか。
大事なのは一つ一つの出来事に、どれだけこころが動くか、
感性が働くかだ。
自分の描いた太陽が暑かったというのも、
現実の一つのかたちとして可笑しくはない。
その時、内面にも外面にも感受性が強く動く。
それが私達の現実だといえる。
太陽は外にだけある、暑くなると思っていても、
それだけでこころが全く動かなければ、その現実を生きた事にはならない。
私達は、
「間違ってはいないけど感受性が止まっている世界」に生きていないだろうか。

このブログでも時々、彼らの面白い発言や行動を紹介する事がある。
それらをただ面白いから、書いている訳ではない。
そこに何か真実がある様な気がするのだ。

例えば、以前取材の方が来た時、てる君が急にトイレに入って出てこなくなった。
取材の方はその日は、教室には入らない予定だったが、
急に見たいと言い出したのだった。
その方達が帰ると、トイレから出て来たてる君が、
「フトン屋さん帰ったの?」と穏やかに言った。
当然、その方はマスコミの方でフトン屋さんではない。
でも、フトン屋さんを、良くない言い方かも知れないが、
何かを押し売りする人と解釈すると、てる君の言葉は正しくもある。
むしろ「あの人、強引だね」というより、もっと真実に迫っていると言える。

そろそろ関東でも放射能で高い数値が出だしているが、
本当に危機感が薄い気がする。
本気で子供達や若い人達の未来を考えて行かなければならない。

誰しもが思うことだろうが、
なんの罪もない人達が病に冒されて行く危険性がある。
絶対に許されないのは当然だが、命を守ると言うことを考えなければならない。
勿論、答えはみんな違うだろうし、ある意味で答えなどないのだろう。
ただ、起きている事から目を背けてはならない。
なかった事には出来ないいじょう、危機的状況に向き合わなければならない。
その上で、どう判断するか。
私達は真剣に考えて、決断しなければならない。
生命を弄んではならない。
大切な存在を私達は守って行けるのだろうか。

2011年10月13日木曜日

信じる力

教室だけではなく、今年は今の時期に色んな人から相談を受ける。
急に気候も変わったし、みんな疲れも出ているようだ。
こういう時期はエネルギーを使うので、僕も夜は熟睡する。
不思議に寝ればほとんど回復する。
自分を単純なつくりにしておいて本当によかったと思う。
シンプルに生きて、自分のこころの中もシンプルにしておく。
そうすると、必要な時に力が出るし、すぐに休んで回復もする。

ゆりあもイサ(関川君)も順調にアトリエに慣れて、育ちつつある。
今は特に「難しい」とか「出来ない」という感覚が強くなる時期だが、
諦めないで欲しい。
手取り足取り教えてあげたいが、そうする事は出来ない。
こちらも我慢するしかない。
こういった場に必要なセンスは、自分で見付け出すしかない。
誰も代わる事は出来ない。
諦めず、必要な努力を惜しまなかった人のみが、
より深い世界を知り、楽しい世界に出会って行ける。

今回は信じると言うことを考えたい。
ここで言う信じること、それは宗教のいう信仰ではない。
毎日、人のこころと向き合っていれば、宗教の言っている事に近い事を感じる事もある。
例えば、人間のこころの奥には、おそらく個人を超えた、
何かしら大いなるものがあって、そこにふれると、畏怖する感覚を味わう。
そういう部分を抜きには、制作や人間の創造性を考える事は出来ない。
これが宗教の言っている事なのではないか、と感じる事もある。
ただ、僕の場合はそういう次元のものに出会っても、
ただ信じて行くという訳には行かない。
具体的に日常の中で、ふれ続けて、適切に扱う事が出来なければ、
制作の手助けにはならない。
そのあたりが、宗教と似て非なるところなのだろう。
でも、例えば神聖な感覚であったり、超越的なことであったり、
祈りや瞑想の様なものは、極めて個人的で大切なものだと思う。
人に押し付ける事は絶対に出来ない。
僕自身は無宗教だが、
宗教を信じる人も、信じない人も、お互いを否定してはならない。

ここで言う信じるという事は、もっと日常の中の事だ。
ここでも繰り返し書いているテーマと関わるが、
便利はよい事なのかと言う事を思わずにいられない。
情報があふれ、選択肢が増える事で、
私達はただ、選ぶだけの存在になっていないだろうか。
選ぶ事だけに慣れて、自分でつくったり、
自分で判断する能力を失っては何の意味もない。

本当の事を言うと、私達は何かを信じなければ、一歩も前に進めないのではないか。

既にあるものの中で、選択するだけという事に慣れてしまうと、
私達はただ、よりリスクを少なくする方にだけ目がいって、疑い深くなってしまう。
今の時代は、疑う事に慣れきって、信じる力を忘れている。

先日、テレビ局の方とお話ししていた中で(よし子ブログで書かれている方とは違います)、信じて来たものの崩壊と言う話題になった。
例えば、震災によってこれまで信じられて来た価値が崩壊したと言える。
ある年配の編集者の方も同じ事を仰っていた。
自分達がつくりあげて来た、物質的な価値が、ある意味で、
原発の事故のような悲劇を生んだと。
これからどうすれば良いのかという話になった。

考えさせられる事だが、信じて来た価値観が崩壊するよりも、
もっと悲劇的な事がある。
信じるべき何者も持たないと言う、現代の風潮だ。
日本の歴史を考えると、敗戦によって大きく信じるものが壊れただろう。
その後、復興と言うことで、物質的価値を信じ、つくりあげて来た文明が、
今回の様な悲劇を前にして、大きく覆されたと言える。
勿論、物質的価値のみが人間の価値と考えて来た事は間違いに決まっている。

ただ、信じること、信じた事がはたして無意味だったのだろうか。
その時、その時に何かを信じる。
信じることはリスクも多い。
それを覚悟の上で信じて、行動する。
信じて来たものが間違っていたり、
その価値の有効期限が切れたと知ったら、またやり直せばいい。
前よりももっと深いものを信じてみればいい。

僕は過去を否定する気にはなれない。
間違っていた事は反省すべきだろう。
ただ、過去になんの意味もなかったと言うことはありえない。
間違いというのも、間違ってみなければ気付くことは出来ない。
間違いに気が付いて、次に進めるのは、
間違ってみる経験を経る事が出来たからだ。

今まで様々な価値を信じて来た事で、
ようやくここまで来れたのだと考えたい。

何も信じなければ、間違う事も傷つく事もないだろう。
ただし、それでは前進もない。

だから信じてみたい。
これまでとは違った価値や、文化を創ることが出来ると。
私達がこれから信じて行くべきなのは、
人と人のこころが繋がり、自然や環境と調和した文化だ。
人間のこころの可能性を信じよう。
いついかなる時も、乗り越えて、より良い関係と環境を創る、
人間の内面の力を信じよう。
私達には、まだまだ見た事も、試した事もない、
未知の力が潜んでいるはずだ。
信じて、そこを開拓して行こう。

2011年10月11日火曜日

自分の言葉を持つ

土曜日のクラスを見ていて、
季節の変わりめこそ、スタッフは全力で臨まなければと思った。
みんな、調子が悪いまでは行かないけど、作品に勢いが感じられない。
それでも、制作の時間の中で瞬間をしっかり拾っていけば、
一人一人が、自分のリズムを取り戻すことも実感出来る。
良い時も、悪い時もあるのは自然で、大きな流れに逆らってはいけない。
ただ、スタッフに出来ることはたくさんある。
受け止め、受け入れ続けることで、どんな時でも安心感を持ってもらうこと。
良い時は最大限に良さが出るように。
悪い時はその流れが最小限で経過していけるように。
少し、調子が悪いなという程度のことは、
次良くなった時にはプラスになる。
だから、不調というものも悪いものではない。
無理によって生まれたものではなく、自然の流れから生まれた不調には浄化の力がある。

最近は本当に本を読まなくなった。
休みの日は、よく音楽を聴く。
時間のある時は、やっぱりクラシックを聴く。
小さい頃、祖父の手作りのアンプの前で正座して長い時間、
2人で聴き続けていた。
その習慣から、僕の場合、少し時間を置いて見詰め直したり、
味わったりする時には、音楽をゆっくり聴くという時間を持つようになった。
この前は久しぶりに、原智恵子のショパンのピアノコンチェルトを聴いた。
やっぱりいつも感動する。
ピアノは特に好きな楽器ではあるが、この人は別格だ。
原智恵子のピアノは人生そのものだ。
前回、経験が自分を生かすという話を書いたが、
この人の演奏はまさしくそれだと思う。
伝記も出ているが、僕は読まないことにしている。
深く生きたに決まっているし、その人の人生は外面の出来事より、
内面の経験に現れる。ふつう内面は見えないが、音楽の場合は見える。
こんなに一つ一つの音を大切にする人が、
人生の場面や経験を深く生きなかったはずがない。
ショパン自体は好きな作曲家ではないが、原智恵子の演奏で聴くと本当に素晴らしい。
過去を振り返って、味わいなおしているような演奏。
あらゆる瞬間、情景が美しく思い出されている。
かといって、感傷にひたる様な甘さはみじんもない。
厳しさ、揺るがない強さ。どこまでも気品を保っていて、感情に溺れることはない。
特に2楽章は、儚さ、悲しさ、やさしさにあふれていて、
一つ一つの音を慈しむように弾いている。
人を愛し、人生を愛し、繊細でありながら、
強く深く生きた人にしか出来ない演奏だろう。
これ位、濃く深く生きたいと思う。

さて、今回は言葉について考えてみたい。
先月くらいから、また来客者シーズンに入って来たようだ。
様々な方がいらっしゃる。
初めて来て下さる方や、普段全くご縁のないお仕事の方々とお話ししていると、
言葉の大切さ、重要性が実感される。
自分の言葉次第で、その方のきっかけになるか、ならないかが決まってしまう。
内容に興味を持てるかどうか、
間に立ち、案内する人間によって全く違った結果になる。
あたりまえかも知れないが、言葉によってしっかり伝えることは大切だ。

アトリエに来ている学生達や、
最近仕事を通じて出会う同世代の方達を見ていて、言葉の力が弱いなあと感じる。
良いものをいっぱいもっているけれど、
それを言葉で人に伝えることが出来ない。
一方では情報化で世間には言葉が溢れている。
メールやブログ等を見ていると、本当に人にものを伝えたくて、
書いているのか疑問を持つ文章が多い。
自分に向けて自分で書いているだけと言うことだろう。
自分の分身の様な人達ばかりで集まって、
そこでしか通じない言葉を使っている人達も多い。
言葉をもっと大切にした方がいい。
言葉は自分のためにあるものではない。
言葉は人に伝えるためにある。

深い経験は言葉にできない。
それはかけがえのないものであり、その場にしか、その瞬間にしかないものだ。
だからこそ、価値がある。
言葉にできる様な世界だけで生きていてはいけない。
でも、言葉にできない経験にだけ執着してもいけない。
かけがえのない、固有の経験を大切にしすぎてはいけない。
それはある意味で、自分だけが大切ということだ。
言葉に出来ないとは、客観視出来ないということだ。
物事を離れた視点で俯瞰できないということだ。
それが出来なければ、物事の本当の意味は分からない。

人も経験も、その場を離れて、後になって本当に分かる事があると、
前回も書いた。それと同じ。
言葉にするとは、言葉を持つとは、
自分の経験や、自分の見ているものを一旦離れて、見詰め直すことだ。
客観視すること、俯瞰して見ることはとても大切な事だ。

本当に深く入るには、深く離れなければならない。
深く離れるには深く入る経験が必要だ。

人も仕事も同じ。
本当に愛していて、深く一つになりたければ、
離れること、離れる経験を持つことができなければいけない。

言葉にするとは客観視すること、離れることだ。
一旦、大切なものから離れたことで、より多くの人に伝えることが出来る。
伝えることで、人と繋がるが、
伝えるためには一度離れなければならない。
だから、言葉にするとは、孤独になることだ。
孤独にならなければ人は真実にたどりつく事が出来ない。
孤独を恐れてはならない。
孤独にならなければ、より深く繋がることも出来ない。

多分、昔は固有の経験しか存在しなかっただろう。
人はもっと素朴に生きていた。
客観や普遍などなかった。人はそれで幸せだった。

今は違う。
人は普遍に至らなければ、この世界を良い方にもっていく事が出来ない。
昔が良い訳でも、今が良い訳でもない。
事実は否定出来ない。
過去に帰ることも出来ない。
前を向いて、やるべきことをやっていこう。
言葉の力を信頼して、人に伝え、繋がろう。

僕のブログについて、独特の雰囲気があると言って下さる方がいる。
嬉しいことだ。
読みづらいということかも知れないが、
もし、ここに何か良さがあるとすれば、
僕が自分の言葉で語っているからだ。
僕は誰の言葉にも影響を受けていない。
自分の言葉は自分で見付けるしかない。
言葉に力がないという事がある。
なぜ、そうなるかと言えば、さっきの言葉の氾濫と一緒で、
人が言葉に責任を持たなくなったからだ。
力のある言葉とは、言葉に対して、絶えず責任を持ってこそ生まれる。
だから、人の言葉を真似てはいけない。
自分の言葉を探し、自分の言葉を持つことが大切だ。
経験は言葉を深め、言葉は経験をもう一度深める。

2011年10月7日金曜日

経験に生かされる

ここで言う経験とは、場数を踏む事で失敗しないようになるとか、
仕事が出来るようになると言う様な「経験」ではない。
もっと日常的なものも含めて、あの時、幸せだったなあとか、
そういうささやかな記憶が、人生を豊かにしていると言うことだ。
思い出と言ってしまってもいいのだが、
そうするとあまりにも過去によって今を生きている感じになる。
経験は決して過去のものではない。
今、ここにあってふれることも、対話する事も出来るものだ。

ダウン症の人たちと一緒にいると、
彼らが楽しかった経験を語る場面の多さに驚く。
「あの時は、××ちゃんと××くんがいたよね。みんなで××したよね」
「たのしかったね」
そんな場面をずっとふりかえっている日もある。
何気ない一場面が幸福な記憶となって、その場を満たす。
僕自身一緒に過ごしていて、忘れてしまっている様なことを、
彼らは懐かしそうに、目に見えるように言葉で描いて行く。
そうだった、あの時あんなだったと思うと同時に、
そうか、彼にはそんな風に見えていたのかと新鮮に感じる。
きれいなものに出会ったこと、美味しいものを食べたこと、
仲間と楽しく遊んだこと、そんな記憶が、
過去ではなく今も目の前にあるように、思い出せる彼らを、
本当に豊かな人達だと思う。

人は経験によってつくられる。
そして経験によって生かされる。

彼らを見ていて、時々、あっと思う事がある。
例えば、少し重い話かも知れないが、
彼らの死生観とでも言う様なものにも特色がある。
身近な人の死に直面して、彼らが意外とあっさりしている場面に出会うこともある。
「死んじゃったよ」
「天国行ったよ」
「お空にいって、みんなを見てるよ」
と結構、冷静に話してくれる事がある。
(勿論、個人差はある。人の死によって落ち込んだり、悲しみから調子を崩す人もいる。ここでは、こういう場合が多いという話のみを書いている)

彼らには深い愛情があることは確かだ。
亡くなった人達と、深い関係を持っていたことも確かだ。
それでも彼らは、あっさりと事実を受け入れている。
これには、2つの理由が考えられる。
1つは、以前に震災後の彼らの制作においてのブレなさを書いたが、
そのことと繋がる。
確かに地震が怖くて、その後も思い出す度に不安になっていた。
それでも絵を描き出したとたんに、調和的センスに戻って行く。
こころの深い部分にすぐに入って行ける。
つまり、彼らのすぐれているところは、
自分のこころの中にある、自分を超えた自然界のリズムとでも呼ぶべきものに、
すぐに、たちかえることが出来るところだ。
以前も書いたが、人間のこころの中にも自然界の法則の様なものがある。
自然の中では人類すらちっぽけなものにすぎない。
そういう大いなる感覚を持つことは、とても大切だ。

もう1つの理由。
彼らは、人の死によって、その人との関係が切れることはない。
彼らは深い関係性や繋がりをこそ生きている。
亡くなった人との関係は、生きていた頃のものと変わらないほどのものだ。
愛された記憶、一緒にいた記憶は、彼らにとって過去のものではない。
彼らは亡くなった人達を思う時間を大切にしている。
本当に鮮やかにその人と過ごした日々を描いてみせる。
そして、時に死者と対話するような場面をみかける。

彼らを見ていて、
愛情や、想いや、経験は残していけるものだと気が付く。

他にも「バイバイ」とか「さようなら」が言えなかったり、
言いたくないという人も多い。
これは、さみしいからイヤとか恥ずかしいというのもあるが、
場所を離れることで、気持ちも離れるという感覚がないと言うことでもある。
作品においてもそうだが、
彼らは繋がりの中にいて、区切るということは苦手だ。

これも何度も書いて来たが、本物と偽物やまがいものの違いを知らなければならない。
ここで書いて来た流れで言うと、本物とは後に残るものだ。
本物の経験は残る。

愛された経験がなければ、人を愛することは出来ない。
きれいなものを知らなければ、きれいなものは生み出せない。
良いものにふれること、良い経験を重ねること。
そうすれば、自然に調和の中に入って行く。

生きている意味が感じられないなら、本当の経験を知らないからだ。

人間は後になって、その経験の意味を知ることが多い。
その時、その場では分からなかったことが、後になって自分を支えてくれたり、
生かしてくれたりする。

何がおきるか分からない世の中だ。
僕達だって、いつ死ぬのか分からない。
精一杯、生きれば、いつ何がおきても、幸せだったと感じられる。
そういう本当の経験を持たないのは勿体ない。
贈り物として与えられた命は、味わい尽くさなければならない。
良いものを知って、愛情を一杯うけて、
そうすると自然に、人のために与える人間になる。
誰かや何かのために自分を使う喜びをおぼえる。

あらゆる瞬間を大切にしたい。
せつなくなる位に、人や世界を愛していこう。

2011年10月6日木曜日

悩まない生き方

この話も前回の続きだ。
関係とはお互いのどこに焦点を定めるかで、まったく違うものになると書いた。
怖いとか、気難しいといわれている人が、会ってみるとぜんぜん違ったりする。

僕も社会的に成功している人、地位やお金や権力を持っている人と、
意外にも出会う機会が多い。
横であの××の偉い方だよと教えられて、ご挨拶するのだが、
僕は偉くても学生でも子供でも、自分の態度が変わる事はない。
権威が嫌いな訳ではなく、誰に対しても敬意は持つからだ。
その人に敬意を持つ事と、その人の背景に媚びる事は全く別だ。
本当に普通にお話しさせてもらっていると、
そういう方達は楽しんでくれる事が多い。
普段、過剰に媚びる人に囲まれていて、
普通の会話も出来なくて、孤独さえ感じておられるのだろう。
だから当り前な人間としてお付き合いさせていただくと、喜ばれる。

偉そうとか言われている人にしても、
関係によって、偉そうにしているように見えてしまうだけの人もいる。

僕がまだ10代の頃だったけど、
精神疾患を抱えている人で、パニックになると何をするか分からない、
という人が居た。
普段はクスリを飲んでいていて大丈夫なのだが、
時々、リズムがおかしくなるときがあった。
その人が急に鎌を持って振り回しだした。
10人以上、人が居たのだが、みんな騒然となって、逃げ回りだす。
鎌を振り回しながら、色んな所を走り回るのだ。
その度に、みんながあっちへ行ったり、こっちへ行ったりする。
誰かが病院に電話する。
またいつものパターンで、注射を持った看護士が4、5人来るのだろう。
その前になんとかしたいなあと思う。
彼は坂道まで来て、下りをまっすぐ走り出す。
ちょうど、少し下に僕が居た。
僕は気が付くと彼と同じリズムとスピードで、
まっすぐ彼をめがけて走り出した。後の事は何も考えていない。
一緒にまっすぐ走っているので、
彼と僕がギリギリの所でぶつかりそうになる。
その瞬間、彼は鎌を地面に落として、僕に抱きついてくる。
ハグをして、「おし、いくか」というと、彼は頷く。
「少し落ち着いた?もう少し走る?」
「もう大丈夫だよ。歩いて行く」

それで終わりだ。彼は正気にかえった。

これも関係性によって、あるいは共感によって何かが変わるという例。

人との関係も、その人のどこを見るのか、
その人の中に何を見るのかと言うことだ。
そこに自分のこころの癖がはっきりと関係してくる。

前回、少し途中だったのはこの部分だが、
出来事や世界と向き合うときも、同じことがおきている。
自分の見ている世界が唯一のもの、
客観的事実だと人は思うが、それは違う。
他の人には違ったように認識されている。

例えば、僕が出会っている様な人達にはよくある事だが、
何かトラブルがあってこころが病んでしまう、という事があってとして、
実はその出来事は引き金に過ぎなくて、
そのきっかけによって、過去の家族関係や昔あった出来事が、
再現されているということは結構多い。

同じような辛い事があっても、人によってその反応は様々だ。

出来事のクローズアップする側面が異なるからだ。
自分がつい強く反応してしまう物事を知っておくと、その影響は弱まる。

物事にはプラスの側面もマイナスの側面もある。
どんな状況下でも、マイナスに考えて良くなる事はあり得ない。
プラスにとらえれば、何かしらは出来る事はある。

ただ、絶えずプラスの部分をピックアップ出来るようになるには、
プラス思考でいけば良いという訳ではない。
大切なのは自分の癖や歪みから自由になる事。
ある意味で自分を外して、物事を見ることができるようになる事だ。
プラスとマイナスがあって、プラスを選択出来るには、
本来はその事自体はプラスでもマイナスでもないという、
フラットな状態になる必要がある。

自分のこころをそのような状態に保って、
見詰め直す事が出来れば、悩む事もない。

だから、自分がからっぽになれる時間をつくることが必要だ。
人によって、その時間の作り方は違うだろう。

僕の場合は、ダウン症の人たちと接している時は、
瞬間に自分を捨てられるし、歪みもとらわれもないモードに転換されている。
僕たちの仕事は、自分が出るべきではない。
何かの変わりになったり、何かを代弁したり、
梯子になって「どうぞ、踏んで行って下さい」といったり、
何かと何かを繋ぐための存在になる事だ。
そこでは「自分」などじゃまになるだけだ。

勿論、制作の場を離れた僕はどうしようもない存在だ。
ほんとに、こいつしょうもないなと思う様な人間だ。
だから佐久間になどなんの価値もおかない。
ただ、場に入った時、その瞬間に僕は佐久間ではなくなることが出来る。
(制作の場での僕自身のこころの使い方、見方、感じ方は、お話しすると面白いと言って下さる方もいるので、またあらためて書くと思う)

そうする事で、日常のしょうもない人間としての佐久間も、
すこしはましになり、少しは使い物になるのだ。
だから、僕には自分を使うという感覚がある。

大事なのは何者でもなくなる時間を持つ事で、
迷う事なく、悩む事なく、周りに振り回されずに、
状況を良くして行くことが出来ると言う事だ。

2011年10月5日水曜日

関係性

様々な話題にふれてきたが、せっかく貴重な時間を使って読んでいただいているのだから、
役立つこと、日常の中で実践可能なことを書いていきたい。

アトリエの様な環境は特殊かも知れないけど、
そこで見えて来たことには、なにかしら普遍的なものがあると思う。
それを遠いところのお話としてではなく、私達が今生きている世界の中で、
少しづつでも活かしていけたら素晴らしい。
実際に生き方が変わって来たり、見える世界が広がっていったり。
ちょっとした経験が積み重なって、豊かさが生まれる。
一人一人の毎日の在り方が、平和をつくる。
ダウン症の人たちの文化が浸透していくとは、そういうことだと思う。
普段、ダウン症の人たちとふれる機会のない方や、
まったく異なる世界に生きておられる方にも、
少しでも気持ちが繋がれば嬉しい。

例えば、制作の場においてのスタッフのこころの使い方にふれた時、
自分のこころをフラットな状態にしておくと言うことを書いた。
これは、私達が普段の生活や、社会全体の中で、
いきづまった時に実際に有効な手段だ。
自分のこころの癖や限界を知っておく、自覚しておくことで、
必要に応じてそこから自由になれるというのも同じだ。

私達は普段、かなり偏った視点で世界を見ている。
その偏りを一旦はずすことができれば、フレッシュに新しい選択が出来るし、
周りの出来事も新鮮に感じられるはずだ。

人は環境と関係性によって生きている。
良い環境や人との関係を選択することが大切だ。
さらに大切なのは、良い環境を創ること。良い関係性を築くことだ。

今回は何度かふれては来たが関係性の重要さを考えたい。
人と関係を持ったり、社会や世界と関係を持つことは、
どこかをクローズアップすること、どこかにスポットをあてることだ。
当然、どこかに偏りが生まれる。
それが悪いという訳ではなく、その事を自覚しておかなければいけないと言うことだ。
偏りなく全体を見渡しているだけでは、関係性は生まれないのでしかたがない。

関係性が生まれる時、私達がクローズアップしている部分が、
自分のこころの癖でもある。
いい人、悪い人、好きな人、嫌いな人等は、
良い部分や、悪い部分、好きな部分や
嫌いな部分にクローズアップしているということだ。
出来事や物事と関わるときでも、私達は一つ一つの事象を自分の枠に納めて見ている。
切り取って、ピックアップしている。
それはいいことでも悪いことでもない。
ただ、それが限界を作っていることを自覚しておかなければ、
それ以上外へ出られなくなってしまう。
ピックアップすることで私達は生きやすく、安全になっている。
次の瞬間にはその自分を超えていければ、なんの問題もない。
私達は日々、自分の限界を超えていかなければならない。
とらわれなく生きるとはそういう事だ。

どこかをピックアップしていると言うことは、
いいかえれば、関係性を良いものにしていきたければ、
良い部分にスポットをあてる、良い部分をピックアップしてみれば良いという事だ。

昔、こんな事があった。
信州にいたころ、僕は様々な障害を抱えた人達と生活していた。
その中で統合失調症の人で、変わった人が居た。
色んなきっかけがあったのだろうが、
その人の場合夫婦やカップルを見ると、
ついイライラしていつの間にか興奮状態に入って、
人を殴ったり、ものを投げたり暴れてしまうと言うのだった。
僕はその人に会った事がなくて、
彼が病院から退院して帰ってくる時にはじめて、
その話を聞かされたのだった。
僕はリーダーのまことさんから、
絶対に女性と一緒に彼と会ってはいけないと言われた。
陶芸室に彼が1人でいると聞いて、
僕は当時そこにいたよし子に、こういう人らしいんだけどちょっと一緒に来てくれる?
と聞いて、2人で会いに行った。
もし何かあったら、すぐに逃げられる間合いだけは確保して、
陶芸室に入って行く。
「××さんってカップルを見ると暴れちゃうんだっけ?今、2人なんだけど入っていいですか?」「あ、いいですよ」
「なんでカップルが嫌なんですか?」
「いやあ、見てると何となくムラムラしてきて」
笑っているから多分大丈夫と判断して入って行く。
彼は陶芸を昔からやっていて、本当に上手い。
陶芸の話を聞きながら、3人で土を練った。
何事もなく仲良く過ごして帰って来た。
その後、その人とは本当に仲良くなった。

彼はなぜ暴れなかったのか。
それは、彼がこれまで暴れなければならなくなっていた関係を変えたからだ。
別の関係の中では、彼はもっと穏やかだ。

今でもよくある事だが、
他の場所では絵を描かないけど、アトリエでは描くという事がある。
描く関係をお互いに選択するからだ。

暴れるとか、困った状況にいる人の場合、
周りの恐怖心が、逆にその人の不安を煽っている場合がある。
だから、恐れを抱かないということは相手の別の部分にふれるために大切だ。

アトリエに入る時保護者の方に、今日は凄く調子が悪いですと言われても、
僕はその状況は受け入れつつ、影響は受けない。
すると、教室中はいつもどおりに過ごして、
絵を描きながら自分のリズムを取り戻していく人は多い。

関係はお互いに作って行くものだから、
ここに書いたように上手くいく事ばかりではないことは当然だ。

いつか、職場のストレスで喋る事が出来なくなったと女の子を、
連れて来た人がいた。
お母さんのお話を聞きながら、
お母さんとその子の関係を見ていて、「これは喋りようがないな」と感じた。
色々あったのだろうが、少なくとも今の状況は、
彼女が喋れない事によって、お母さんとの関係が成立してしまっている。
お互いが依存しあっている。
心配する事でお母さんも満たされてしまっている。
歪んだ満たされ方ではあるが。
喋れなくなっている女の子にしてみれば、無意識では、
「私が喋れるようになったら、お母さんが可哀想」という思いすらある。

何とかなりませんかというお話だった。
こんなケースまで引き受けてしまったら、違う事になってしまうし、
お断りしようと思ったが、彼女は既にチラチラとこちらを見ながら、
「ここから出して」という思いをつたえて来ている。
「何も出来ませんが、今から教室があるので彼女もここで一緒に過ごしてからお帰りになったらどうでしょう?」とつたえた。

とりあえず、お母さんには別室でお待ちいただいた。
色んな場所に連れて行かれて、みんなから「喋って」という思いばかりうけて、
その緊張感で、喋りたくても喋る事は出来なかったのだろう。
しばらくはぼーっとしていた。
僕は最初から決めていたように、何も要求しない。
むしろ、ここでは喋らなくても全く問題ないという雰囲気にしておく。
ただみんなと居てみればと言う感じ。
その内、みんなが楽しそうにお話ししているのを羨ましそうに、
自分に気を引こうと大袈裟に振舞う。
でも僕は何も言わない。
そうしているうちに、我慢出来なくなって彼女がみんなと話しだした。
いつもこういう事があると、その後が大事なのだが、
こちらはいつもどおり、あたりまえにしていることだ。
やった!喋った、なんて思ってしまったら、相手も敏感になっているので、
すぐに気が付いて、嫌になってしまうだろう。

こんな事は、本当によくある話だ。

人は関係によって、現す姿が変わる。
あの人、本当はいい人だったんだと思う事がある。
それは、その人の良い部分にふれられる関係にやっとなれたと言うことだ。

制作の場でもスタッフは、相手のこころのどの部分をピックアップするかが大切だ。

僕自身も、てる君やハルコは自分を高めてくれる存在だったりする。

2011年10月3日月曜日

別の生き方

土、日曜日の教室が終わると、
いつも「もっと出来るはずだ」と思う。
その時その時はベストを尽くしている。
それでも、まだまだ自分のはたすべき役割として、質をあげていきたいと思う。
幸いなことに、この10年で自分の身体的、精神的コンディションによって、
役割をまっとう出来なかったことはない。
勿論、まわりの支えあってのこと。
絶えず、ベストをつくして、さらに上の働きが出来るようにしていきたい。

もう少し、もっと出来るし、やらなければならない、という気持ちが、
次の現場に活かされてくる。

僕の場合、週のうち5日はダウン症の人たちと過ごしている。
それも、制作に関わっていく彼らのこころの深い部分にふれる時間としてだ。
こういった日々をおくっていると、気付かされることは多いが、
それ以上に、自分の見方、感じ方自体が変化していく。
社会の側から彼らを見る眼差しに対して、
僕の場合は、彼らの側から社会を見る眼差しが出来てくる。

彼らには彼ら独自の文化があると言うことは、自明のことのように思える。
いつも、本当に言いたいのはこのことなのだが、
この世界は私達があたりまえに唯一と信じているものが、すべてでは決してない。
もっと違ったものの見方や感じ方も存在する。
一つの世界しか知らず、それがすべてと思うのは、
間違っているし、差別を生む原因にもなる。
でもそれ以上に、生き方として勿体ないことでもある。
もっと豊かな可能性があることに気が付かなければ、損だと思う。

障害や福祉の問題とは全く別のこととして、
偏見抜きにダウン症の人たちの文化を知ってもらいたいと思う。

数値どおり生まれた人が生きていれば、
この地球上の千人に1人がダウン症だということになる。
そこに何らかの意味がないはずはない。
私達はすでにあるものを見つめていない。
読み解こうとしてこなかった。

彼らと過ごして来て、彼らの文化を教えてもらって、
僕の立場から言えるのは、人間のこころの持つ力は素晴らしいと言うことだ。

言葉で書くのは難しいが、
人間は本来もっている能力の、ごく一部しか使っていない。
もっと全身で感じることができる。楽しむことができる。
生きていることはもっと凄いことだ。
そんな事を、彼らは教えてくれる。

瞬間、瞬間におきている出来事が、
流れている時が、この世界の動き全体が、
直接、繋がりの中で自分の皮膚で感じられたら、どうだろうか?
その時、私達の生はもっと劇的で、強烈で、そして楽しいものとなるはずだ。

そんな可能性を想像してみるのも、何かきっかけになると思う。

大事なのは、自分の知らないもの、分からないものを、
存在しないことにしないこと。
まだ、知らないけれど、そこに入って行けば、
何かがあるかも、何かがみつかるかも知れないという感覚が必要だ。

私達はこれまで、こうやって生きて来た。
でもそれだけじゃないかも知れない。
行き詰まったら、別の生き方や可能性にも目を向けたい。

このことは社会全体にも言える。
これまで信じて来た価値だけがすべてだろうか?
豊かになって失ったものも多いと人は言う。
ならば、別の可能性の存在にも目を向けてみたらどうだろう。

このやり方をこれ以上続ければ破滅するというところまで来ても、
これまでの進め方に固着するのは異常だ。

時間はかかるかも知れないけれど、
人間にとって本来の在り方とは何か、考え直してみることも必要だろう。

彼らの文化を知ろう。
感じてみよう。
そこには人と世界との繋がりがあり、
生きる喜びと、他の存在への思いやりがある。

感じる力が強まれば、
本当に何が必要なのか、何をすべきなのかが分かるはずだ。
この世界はもっと奇跡のように豊かで、謎と神秘に満ちている。
もっともっと、大きく、深い。
大いなる感覚を忘れてはならない。
畏怖する謙虚な感覚を忘れてはならない。
私達のこころの中に刻まれた記憶として、
人間は必要なことはすべて知っているのかもしれない。
ただ、そこへ至るためには、
裸になって、感覚を研ぎ澄ませていかなければならない。

制作することや、
こころに向かっていくことは、
自分と世界との本来の繋がりを取り戻すことでもある。

ダウン症の人たちの文化を知ることで、
私達は、今とは別の生き方の可能性を感じてみることができる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。