2011年11月22日火曜日

さあ、続きを書こう

なんだか不思議に、守られているという感覚がある。
あたたかいぬくもり、景色がやさしい。
守らなければならない存在を持つことで、逆に守られている感覚が生まれる。

生徒の中に、いつも調子が悪くなると、ひっきりなしに電話して来る人が居る。
あれが怖いとか、不安だとか話すのだが、
いつの間にかただ電話してくるだけで、
「今日は××曜日」くらいしか話さなくなっていた。
それで、こちらも忙しい時期だったので、しばらく電話をとれなかった。
何度もかかって来ているので、久しぶりに出ると、
「なんだよー。心配させんなよ」という。
いつのまにか、心配して電話して来ていたのだ。

飼っている犬だって、僕が出かけていると心配して待っている。
はじめは、寂しがっているのかと思ったが、
様子を見ていると心配しているようだ。
真剣に仕事していたりすると、表情を読みながら心配そうにする。

モロちゃんからお祝いのお手紙をもらった。
本当に嬉しい。
ゆうたと会ってやってね。
海外出張、がんばってね。いつでも応援してるよ。

さて、そろそろ自分を振り返る作業の続きも書かなければならない。
10代のころの話を書いた。あの続きを少し書こう。
初めて共働学舎に出会ったのは16才の時で、本当に数ヶ月しか居なかった。
その後も何度か出入りはしていて、
代表の宮島先生とは手紙のやりとりをしたり、
講演で金沢に来る時は誘って下さったりした。
僕は当時もう金沢には居なかったが、会いに行ったのをおぼえている。
宮島先生のことは好きだったし、尊敬もしていた。
でも、共働学舎に腰を据えて、仕事しようという決断が出来なかったのは、
まだ自分の中で追求すべきテーマがあったからだ。
中学校を出てからずっと、本物の先生を探して来た。
本当のことを知っている人が必ず居るはずだと。
何故、お寺の中にそのようなものがあると直感したのかは、今もって謎だ。
ただ、中学校の時から、図書館に通い詰め、様々な本を読んで、
自分でも詩や小説まがいのものを書いていたが、
何か一番大切なものの近くまで行けても、
それを握りしめることができない様な、感触が残っていた。
自分が求めるものを体現している存在に出会うしかないと思った。

17の時、探し求めていた存在と出会えた。
今思うと、恵まれ過ぎた出会いだった。
僕はその人にひたすら付き添った。
そして、その方が7日間続けて教えるという時に、
「おいノッポ、お前は7日終わるまで、わしの身の回りの世話をしろ」と言われた。
今でも忘れられない。その7日間で僕は自分の人生で最も大切な事を学んだ。
すべてが終わって、一度解散となった。
僕は名古屋の駅へ向かいながら、考えていた。
これで僕が求め続けたものはもう得られた。
いわばこころの鍵を手に入れた。
後は深めて深めて、ひたすら深めて行くだけ。
それから、人と共有すること、伝えることだと。
2つの選択肢があった。
このままこの人に付いて行ってお坊さんになる。
もう一つは人と分かち合う方だ。
共働学舎にいた人達、仲間達と分かち合って一緒に生きる。
どちらかだ。どちらかに決めたら、本気でその道に進もう。

夜行電車に乗る事になっていた。待ち時間がまだ相当あった。
僕は駅前の本屋さんで本を買うことにした。
たまたま出会ったのが中沢新一の「雪片曲線論」という本だった。
その本の半分のところまで、読んだ時点で僕は変わっていた。
そこには、これまで仏教の中で僕の先生たちが語り、実践して来たことが、
そのエッセンスがより広い普遍的な文脈で表現されていた。
仏教的な語り方はもう古いと思った。
もっと広い場所で、今の時代を生き、新しい伝え方、
実践の仕方を作って行くべきだと。強い啓示を受けた。
よし、共働学舎で田畑を耕しながら、様々な人達と、助け合う生活をしよう。
人と生きる中で、学んで来たものを実践し深めようと。
僕はその日寝ずに本を読んだ。
これから始まるという実感があった。
朝、駅に着くとすぐに宮島先生に電話した。

あの頃の感触は本当に鮮やかに思い出す。

ではなぜ、共働学舎だったのか。
僕はそこに何を見、そこでどんなことがしたかったのか。
確かに宮沢賢治のようになろうという思いもあった。
でももう一つの経験があった。
僕が学んで来たことは、どのように自分のこころを良い状態に保つか、
ということ。良い状態に保たれたこころから何が見えるのか。
おおまかに言えば、そんなことだった。
僕はお寺で学んでいたが、実は一人暮らしをしていた頃に、
ある脳機能に障害を持つおじさんと出会った。
その人と触れ合っていて、気が付いた事がある。
僕は人のこころに耳を澄ましたり、深く入って行って、
どうなっているのか読み解いたり、一体化したりといった、
作業を始めると、その瞬間に自分のこころが敏感になって、
違うモードに入る。そんな自分を発見した。
僕の場合、自分のこころを探求するより、
人のこころを前にした時、遥かに深く体感出来るのだ。
それが僕と言う人間なのかと、自分の変化に気が付いた。
僕は人のこころに深く入ることが出来る。その時、自分も良い状態になる。
もし、共働学舎のような場所に行けば、この自分をもっと磨くことが出来る。
そんな思いもあった。
でも、それ以上に好奇心も強かった。

こころの鍵を手にしてから、すでに17、8年も経つ。
もっと深いところまで行けているはずだった。
もっと自分のものに出来ているはずだった。
まだ、こんなところに居るのかと思ってビックリする。
それほど人のこころが変わるのは、難しく時間が掛かる。
でも、やりがいがある。いつでも面白い。
10年後にはどんな自分になっているだろうか。
ゆうたはどんな子に育つだろうか。

10代の頃の話はまだ続きます。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。