2011年11月26日土曜日

共働学舎のころ

三重からよしこのお母さんの敬子さんに来ていただいている。
病院からずっと付き添っていただいた。
よしこはまだ傷口が少し痛むようだ。
でも、日に日に快復して来ている。一ヶ月検診までは安静にと言われている。
ゆうたの世話にも、よしこも僕も慣れて来た。
昨日はゆうたがなかなか寝つかなかった。

木曜日に自電車で区役所へ、ゆうたの出生届を出してきた。

さて、続きのお話を書いて行かなければと思っている。
なかなか、時間が取れないので、今後は少しゆっくりペースで書かせていただく。

共働学舎にいた時代について、共働学舎について書いてみたいと思って、
考えていたが、数年前にイサと学舎を訪れた際、僕が書いたレポートがある。
今読み返してみて、これ以上の説明も記述も僕には書けそうもない。
そこで、そのレポートをそのまま、ここへ写すことにする。
なので、とても長くなってしまうことと、
最近ブログで書いている内容と重複する部分が多いことをお断りしておきます。
それから、一つだけ補足。
僕が語る学舎はNPO化以前のもので、現在の共働学舎とは異なる。
現在の共働学舎は、全く違う姿に変わってしまったように、僕には思える。

こころの無垢とは何か
共働学舎を再び訪れて

20010年2月15日、久しぶりに共働学舎を訪れた。2泊して17日3時にはバスで東京へ向かった。この短い旅の感想をまとめてみたい。

12年前までは、私は共働学舎でメンバーとして生活していた。学舎を出た後は、しばらくあの場で学んだ体験を言葉にすることが出来なかった。安易に言葉にしてはいけないような気もしていた。今、改めて振り返ってみると、間違いなく学舎での生活が自分の核を作っているのだと実感する。
東京でおよそ10年間、ダウン症の人たちの絵画制作と、彼らの文化を発見し、伝えて行く仕事に携わって来た。絵を見詰め、引き出して行く行為は、制作者とこころを一つにして同じ景色を見、同じ感覚を働かせること。言い換えれば、共にこころの奥深くに潜って行く事だ。そんな時間を共にすると、一人一人がどのようなこころの世界を生きているのか、はっきりと分かる。絵を見るとはこころを見る事だ。外の世界の様々な制約や、ストレスや、プレッシャーを外し、リラックスしきった時の彼らのこころの在り方に、私は感動し続けた。
感動は途切れる事なく、日々新しくなって行った。こうして制作の時間を共にして来た経験が自分自身にも変化をもたらして来たと思う。その変化によって、今の私にはかつてと違った見え方が芽生えて来た。私が働くアトリエ・エレマン・プレザンでは、ダウ症の人たちが描いた作品をアール•イマキュレと呼び、位置づけしている。アール•イマキュレはアトリエ・エレマン・プレザンを開設した佐藤肇、敬子によって見出され、その後有識者達に認知されて来た。絵画の問題はおくとしても、では、イマキュレ、無垢とは何だろう。ダウ症の人たちの作品にはまさしく、無垢なるものが形になって現れている。そういった作品がなぜ生まれるのか、彼らがイマキュレのこころをもって生きているからだ。無垢なる魂、純粋で汚れのない精神、ピュアなもの。人間のこころの奥には純粋な空間が潜んでいる。それは決して、ダウン症の人たちだけが持つものではない。誰のこころの中にもあるものだ。
ただダウン症の人たちは、こころの奥にある純粋な空間が、隠されたり塞がったりしないで、すぐに目の前に表すことが出来る。ダウン症の人たちに代表される様な存在は、私達に自分自身の真の姿に向き合わせてくれる。私達の社会では、こころの純真さは絶えず隠されていて、意識と計算が支配している。時々、裸の存在、自分を偽らず、いつでも素でいるような存在に出会うと驚いてしまう。だからこそ、その様な存在、純粋で無垢で自由な存在に目を向けるべきだ。私達の覆い隠している姿、目をつぶって、無かった事にしているけれど、本当は自分自身である存在。隠されたこころの力、人間の持つ可能性がそこにある。
そういった存在は、様々な形での障害、精神、知的、あるいは身体に障害を持った人達の中に多く見出せる。文化的マイノリティもそうだ。私達の過去であるこどもや、将来である老人にも見出される事が多い。私達の社会や、思考が健常で、正常、常識、もっと単純に言えば「普通」と思っている範囲は、極めて狭く限定され、条件づけられたものにすぎない。それ以外の領域を、排除したうえで、私達は生きている。この社会では、例えば年寄りはそのまま存在する事は出来ず、介護し管理しなければならないか、施設に預ける事で、社会の外においておかなければならない。こどもは成人するまで、いったん教育と言うシステムの中で管理され、裸の状態では存在出来ないようになっている。遊びと言う限られた「裸」すら失われつつある。障害者は施設か作業所で管理されている。彼らはいずれにしても、社会の外におかれるか、社会に少しでも適合させようと「普通」という限定された領域に、会わせる努力を強いられている。このように、他を排除し、自らの領域を制限したうえで、成立している「普通」という概念を疑う必要がある。この様な「普通」の中から覆い隠されている領域、排除され見えなくなっている存在こそが、私達が実際のところ最も恐れ、かつ実は最も必要としている、素直さ、やさしさ、ここで言う無垢なる魂なのだ。

私がそういった存在に初めて出会ったのが共働学舎だった。そこで生活する人たちから見えてきたものは大きい。彼らのこころは裸で、姿形も偽る事無く個性丸出しだった。存在丸ごとで、コミニケーションを計り、誤摩化しの通用しない存在だった。やさしく微笑み、誰に対してもこころを許す人。時にパニックに陥り、暴れる人。ものを盗む人。1人で放浪する人。良い事だけではなく、様々な問題を抱えながら生きている人達。でも、そこには真実でないものは何も無かった。人間が生きる事で起きて来る、様々な困難を共有し、乗り越えて行く事で、多様性と共存と言う価値が発見出来る。彼らは本当の人間の顔をしている。
強烈な個性を持ち、喜びや悲しみの深さは計り知れない。生きるエネルギーの強さ。やさしさ。

バスが小谷村の山の上に着く。一時間も早く着いたけど、電話するとすぐにまことさんが迎えに来てくれた。車で少し下にある家へ向かう。家に着くと宮島真一郎先生(親方)が迎えて下さった。宮島先生は元々自由学園で教師をされていた。教師を辞めて、共働学舎を始めた事にたくさんの理由があり、思想的な意味も大きい。学舎では先生は居ないという理由で、宮島先生も自分が先生と呼ばれる事を嫌う。大工の親方のように、全体を責任をもって見守るという意味で、メンバー達には親方と呼ばれている。私も親方と呼ばせてもらっている。親方は実際に大工の技術を持っている。目が見えないのにもかかわらず、設計図も無しに的確に指示を出して、建物を造る姿を私自身たくさん見て来た。
親方が話す中、奥さまの澄子さんがストーブに薪を焼べる。室内に煙が立ちこめる。
親方は最近では記憶も曖昧になり、勘違いも多いと言う。

宮島真一郎先生(親方)との対話

親方  佐久間君か。よくきた、よく来た。元気か?
ところで、君は今どんな仕事をしとるのだったかな?
佐久間 ダウ症の人たちのためのアトリエを開いています。
親方  ああ、そうじゃったな。ダウン症の子は喜んで描くのかい?
非常に活き活きと、楽しいという気持ちで描くのかい?
佐久間 はい。すごく喜んで描いています。
親方  そうか。そこで、君は技術を教えるのかい?こういうものを描きなさいと指導す     るのかね?
佐久間 いえ、そういうふうには教えません。彼らがどんな風に描くのか見守ります。線と    色にこころの動きを感じ取って、良いものが動き出したらほめます。リラックスし    て描けるように雰囲気を作って、環境を整えるのが僕達の役割です。

対話の続きから、次回につづきます。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。