2011年12月11日日曜日

タイミング

忙しいと色々ある。たいしたことではないが。
先日、これはブログに書かなければという、仕事上重要な気がすることを、
思いついたのだが、書く時間が無いまま忘れてしまった。
まあ、忘れるくらいだから、たいしたことではないのかも知れない。

昨日は哺乳瓶を煮沸消毒していて、お湯から出す時に手が滑って、
熱湯を顔にかぶってしまった。熱い。やけどはしなかったのでよかった。

少しエネルギーが足りないと、タイミングがズレだす。

タイミングって大事だ。
例えば、年に1、2回あるかないかだけど、教室中に絵の具をこぼす事がある。
日常的にはちょっとぼーっとしていた、という事になるが、
制作の場においてスタッフがぼーっとするなどありえない。
だから、全体的に何かバランスが悪い。タイミングがズレているとみる。
そういう時、どうするか。
流れに逆らわずに、ゆっくり呼吸を整えるしかない。
コンディションが良い時と悪い時で、仕事の質が変わるようでは、
本気で挑んでいるとは言えない。
高いレベルの仕事をする事が難しいのではなく、
高いレベルの仕事を絶えず保つことが難しい。
それが出来なければ仕事とはよべない。

ところで、タイミングと言えば、その人らしい絵が描ける様になるのにも、
その人と場のタイミングがある。
最初から上手くいくことが必ずしも良いとは限らない。
時には時間をかけることも必要。
最近、アトリエに通いだした、よう君は昨日のクラスで、
凄い作品を描いた。将来的にはゆうすけ君やしんじ君のような、
どっしりした作風の大物になるかもしれない。
最初の数回は色は赤しか使わなかった。
何度も赤だけで塗り込んでいく。それ自体なかなかの作品に仕上がっている。
一色しか使わなくても、沢山の色を目の前においておく。
本人は塗りながらも、筆圧や画面の構成や、絵の具の染み込ませ方を、
確認して描いている。その際、周りの色も良く見ている。
それは、描かない人でも同じ。
だから、本人が描くタイミングまでこちらはただ見守る。
描かない人も自分のタイミングで描き出す。
よう君の場合も急に色が重なりだす。
そこは動き出したら早い。
でも、本人のタイミングを無視して「他の色使ってみたら」と、
やってしまっていたら昨日のような作品はでて来なかったと思う。
自分のタイミングまで待つこと。
そこへ行くまで時間がかかれば、その分が後で活かされる。
実際に一色で塗っていた時の筆圧や、画面構成が充分に活きてそこに、
色彩が入ることで厚みが出た作品に仕上がっている。
彼らの場合、練習をしないのだから、こうやって学んでいるとも言える。

先週のクラスでは制作がまだ安定していない人に対して、
ゆりあが少し苦心していた。
プレでのイサもそうだけど、相手が迷いだした時に、
こちらもどうしようとなってしまったら、2人で出口を失う。
その瞬間こそ、ある程度相手との間合いを詰めて、注意力を注ぐ。
迷っても大丈夫、一緒に出口を見つけて、出て来ようねという、
強い姿勢が必要だ。
リラックスは大事だが、ダレることとは違う。
相手の注意力が逸れて、遊びの方に行ってしまうなと感じたら、
まず、こちらが絵に注意を注ぐ。その感触は相手に伝わる。

これもタイミングだ。
描くモードからズレていっているから、もう一度モードを変える。
僕から見ていると、態勢を整え直すことが難しいという部分より、
制作から逸れていっている、違う間合いに入って来ていることを、
早い段階で気づくことが出来るかだ。
ゆりあもイサも苦戦するとき、僕から見ていると、
もう少し早い段階から逸れて来ているのが分かる。
早い段階で修正出来れば、こちらの動きは最小限ですむ。
こちらの動きは小さければ小さいほど良い。

タイミング。描くのも休むのも、お話しするのも。
タイミングが外れていては違うものになってしまう。

一回に描く絵の枚数にしても、描く時間にしても、大事なのはタイミング。
何枚描いたと言うことではなく、どういう密度で時間が過ごせたかだ。
一枚で充分な日に、もっと描こうよとやってしまっては、次に繋がらない。
流れと本人の状態を見極めて、良いタイミングで終わること。
良い記憶と感触を残すことが大切。
一枚の絵が仕上がって、紙を変える時も間を置く方がいいのか、
流れを止めずにすぐに置くべきなのか。そのタイミングが命だ。
たくさん描く人。少ししか描かない人。
時間をかける人。すぐに終わる人。
大事なのはその人にとっての充実感と、タイミングだ。
短い時間で純度の高い制作に入る人もいる。
時間や枚数は問題ではない。質が重要なのだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。