2011年12月25日日曜日

立体感

今日はクリスマス。
そして、今年最後の教室だ。
来週は打ち合わせと取材が2件。それが終わったら、少し冬休み。
毎年そうだけど、短くて長い、長くて短い一年だった。
クリスマスでもお正月でも、考えてみれば来月は普段道理だし、
そんなに違いはない。
でも、季節を区切ることや節目を自覚することは、自分を豊かにする。
それで生に立体感が出てくる。というより、立体感を自覚する。

プレクラスの最終日に悠太を連れて来れて良かった。
みんなとのあたたかい触れ合いがぬくもりとして、皮膚に吸収されていくだろう。
クリちゃんとフクちゃんが来た時もそうだったけど、
子供にとっても彼らにとっても、良い時間になる。
人が全身の感触と感覚だけで生きている時代、
それがすべての基本となっていく。
アトリエで大切にしているのも、感覚の声を大切にする、
全身を使って感じてみる、創造してみるということだ。
だから、ダウン症の人たちと赤ちゃん、そしてアトリエの場は相性がいい。

さて、絵画クラスの制作はいつ見せるか。
それは、悠太がもっともっと大きくなってからだ。
勿論、制作が終わった後にメンバーとあったり、
制作中、待合室で保護者の方達とあったりするのは楽しいと思し、
そういう時間は作っていきたい。
でも、制作を見せるのはまだまだ早い。
そこをわきまえることが親にとっとも、悠太にとっても大事なことだ。
何度も書いたが僕自身は制作の場を神聖視している。
その場に入ると、全身の力が抜けると同時に、
崇高なものに向かう時の緊張感も高まる。
これは大人が自覚を持って、挑ませていただく「場」だ。
子供にとっては大人の姿勢が示すものを感じ取って、違いが自覚されていく。
その様な場面、容易に近づけないものがあると知ることは必要だ。
最初に書いた立体感がここで生まれる。
そういうものがないと、現実はのっぺりとした平面的なものになってしまう。
極端な話、生きている実感がないという世界になってしまう。

大人にならなければ経験出来ないという世界はあるべきだ。
それがないから、いつまでも自立出来ない人がいる。
制作の場は真摯な気持ちで、見せて欲しいと願い、
場を汚さないよう気をつける人だけが、
入ることを許される。そのルールは誰に対しても変わらない。

メリハリ、強弱、緩急、そう言ったものは必要で、片一方だけではだめだ。

よく、お風呂とか温泉施設で、子供が大声を出して泳いでいる事がある。
当然、泳ぐ場所は海かプールだろう。
でも、親は全く叱らないし教えない。
躾けの問題だけではない。
こういう事が実は私達の現実を味気ない平板なものにする。
つまり、場の違い、現実に対応して変化すべきことを教えないと、
現実感はどんどん薄くなっていく。

以前、リアリティや質感について書いた。
同じことを立体感という言葉で言ってみている訳だ。

便利さの弊害も書いて来たが、それもここと関わる。
いつでも手に入るなら、そもそも手に入れたくもなくなるし、
いつでも食べられるなら、食べる必要もなくなる。
今しかみれない、今しか体験出来ない。
今しか食べられないと言うことが、立体感に繋がり、現実の豊かさに気づかせてくれる。

だから、季節のものを食べるとか、雪だるまを作るとか、
海で泳ぐとか、そういうことがなにより大切だと思う。

立体感は遠近法で表現出来るものではなく、
そういう現実の様々な層を知り、経験していくことで滲み出てくる。

エアコンで温度管理して、インターネットでいつでも情報を集めて、
便利に見えても、実はどんどん立体感が損なわれている。
立体感が無くなると現実感が薄くなる。

例えば、安全などないとも書いたが、
安心や安全を絶対視していると生物として鈍くなっていく。
生きている実感と言うが、死を自覚せずに生はない。
この現実はもう二度と経験出来ないから、尊いのだ。
だから生きている実感にあふれている。
いつ死ぬか分からないから、今日の生が輝く。
生と死も、2つあってはじめて立体感が出てくる。

制作の現場においても平板なのっぺりした場であってはならない。
作品は現実を受け止めて生まれるのだから、
のっぺりとした薄い現場からは、のっぺりとした作品しか生まれない。
相手を受け入れるといっても、
ただ受動的にやっていたら相手からは手応えが感じられないだろう。
手応えが立体感でもある。
受け入れるという行為もあくまで主体的であるべきだ。
制作の場自体が、スタッフを含め立体的な質を持つよう、気をつけよう。

僕達の生き方にしても、立体感を大事にしたい。
仕事をしたり遊んだり、夏は下駄が履けるとか、
冬はこのセーターが着れるとか。
そうやってその時にしか出来ないことをする。
この店に入ると自分のテンションが上がるとか、
その場所に行くと自分の原点に立ち返るとか、
そういう、ものや場所を持っている人は強い。
そこから、立体感が生まれる。季節感が生まれる。
今を自覚する。豊かになろう。

しっかりとした強い現実感、リアリティが持てれば、
生命や環境を大切にする人間になれる。
人の気持ちを大切に出来る。
それが本当のやさしさだ。

こんなに豊かな世界の中で、争い合ったり、
わざわざ環境を破壊していくのはバカバカしい。
豊かさが実感出来ないから、間違ったことをしてしまう。

もう一度、命を見直し、より良く生きたいものだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。