2012年1月30日月曜日

勝負

昨日も取材を受けた。
今日は、ボランティアで何かお手伝いしたいと言ってくれている方と会う。
名刺を数えると、今年に入ってからもう40人近くの新しい人と会っている。
これから繋がりが出来て来る方が、この中にいるのだろう。

さて、前回の続き。
私達の持つ思い込みについて書いてみた。
何かを専門にしていると、普通の人では分からない様なことが分かったりする。
そのかわり、普通の感覚がいつの間にか分からなくなる。
プロゆえの思い込み、専門家ゆえのとらわれと言ったものがある。
人間にとっての基本的な条件は、どこで何をしていてもかわらないはずだ。
本当は素人には分からないという様なことはないと思う。
ましてや、教育や子育を勉強して何になるのだろう。
福祉を専門に勉強して来た人達が、例えば障害を持った人とこころをが一つになる、
という経験がいかに難しいか、
僕は近くでたくさんの例を見て来た。
勉強や訓練や知識がかえって邪魔になる。
相手のこころとの距離が生まれてしまう。
知的障害と言われる人達を、発達心理や治療の観点から、
あるいは福祉的にどれだけ勉強しても、彼ら本人のこころを知る事は出来ない。
僕にははっきりとそう言うことが出来る。
では、僕には彼らのこころが分かるのか。
あまりにもはっきり言う人がいないので、あえて言わせていただくと、
多分、専門家と呼ばれている人達よりははるかに分かるし、
彼ら自身も僕を分かり、お互いに繋がることが出来る。
僕自身、人生のほとんどの時間を彼らと共にして来たのだし、
そろそろ、こういう事ははっきり言っていこうと思う。

それはさておき、人は訓練して自分の限界を作っていく。
社会の仕組み、教育の仕組み自体がそのように出来ている。
いつの間にか、出来ない事だらけ、限界だらけになっている。
そして、分からないから専門家に聞いてみようと。
でも、限界をあえて作ってしまっているシステムと同じもので、
専門家も作られている。

気がつかないうちに、みんな自分の限界の中で生き、
そこからしか、ものを見ようとしなくなっている。
以前に書いた、あるのに無いことにされている世界というのは、
こうして出来て来る。

僕自身も30代前半の若僧にすぎないが、
10代、20代の人達と接していても、若さを感じない。
僕の方が若いと思ってしまう。
彼らは若くして歳をとってしまっている。
歳をとるとは、知ってしまうこと、あきらめてしまうこと。
一言で言えば世界を固定してしまうことだ。

世界を固定しなければ、精神はどこまでも若い。
若いとは固まっていないことだ。
柔軟さ、やわらかさがあるということ。
動きに順応していくことだ。

はっきり言って、私達の生きているこの世界は、
私達の思っている様なものではない。
私達の見ているものではない。
何故なら、世界は絶えず動いているからだ。

だから、何に関してもこうだと決めつけてはいけない。
狭い世界に閉じこもってはいけない。

限界は絶えず自分で作り出してしまう。
ある意味でそれはしかたがないことだ。
だから、絶えず自分で創り出してしまったものを超えていこうとする事だ。

逆境に強い人でも、ツキとか幸運に弱い人がいる。
つまりツイている時の方が、逆境にある時より精神力が試される。
こういう事は言う人がほとんどいない。
でも、僕はこんな場面によく直面する。

その反応は無意識におきている。
「こんなに上手くいくはずがない」と思ってしまう。
あるいは「これだけいいと、次は悪くなるだろう」とか。
そうやって自分の限界に戻ってしまう。
同じ世界しか見えなくなる。
ツイている時、流れが良い時、あり得ないほど上手くいく時がある。
自分が自分を超えて、全く未知の領域に直面する。
そこの手前で人は無意識の恐怖を感じてしまう。
その流れに乗るためには日頃から、世界を固定しないこと。
絶えず超える覚悟と勇気を持つこと。
たぶん、何かを極めた人が行き着く場所。
極みとか至芸と呼ばれる場所は、それに近い。
ギリギリまでは訓練でそこまでいくのだが、
そこから一歩超えなければならない場所、
もう一段深い、ある意味で次元が違うところがあると思う。
そこがただの名人とか一流という、上手さ技の頂点にいる人と、
そのさらに上の「極み」と言うものの違いで、
たぶん、私達から想像出来る一歩先があると思う。

決めつけて、人間はここまで、
人生とは世界とはこういうものだと思って生きていると、
一生自分の枠の中に留まり続ける事になる。

さっきの良すぎる流れだけど、
実は僕達のアトリエでは、そんなことは良くある。
もし、作家がその次元に行ったら、スタッフはその瞬間を逃してはいけない。
上手く行き過ぎても、まだ奥あるだろうというくらいの度胸はいる。
どこまででもいけるところまでいく、という勢いが欲しい。

逆境に強いプラス、ツイている時に強いという部分が必要だ。
どちらにしても、迷いや不安が限界を作ってしまう。
どこに行くのか分からないから、迷ってしまう。
何度も書いたが、分からないことを楽しめるようになろう。
操作出来ないもの、予想出来ないものに、適切に触れられるようになろう。

アトリエで制作を見ているダウン症の人たちは、
迷わない、悩まない。色を置いたら、次の色や線を即座に見つける。
消さない。描き直さない。失敗もない。
これが「流れ」だ。流れは途切れさせてはならない。
例えば偶然、絵の具がこぼれる。しまったと思うか、わーキレイと感じるか。
これは人生と一緒だ。
何かがおきる、次々事態はかわっていく。
その偶然をどう受け止め、配置していくか。調和して行くか。
一度、引いてしまった線は、消すことができない。
やり直すことは出来ない。
だから、その横に何を置くか、次にどうするかだ。

そう言う意味で、彼らの制作へ向かう姿勢から、私達が学ぶことは多い。
瞬間、瞬間が勝負だ。
超えていくこと。限界を超えて、あたらしい場所に行くこと。

逃げることも、失敗したからやり直すと言うことも出来ない。
だから勝負しよう。
気持ちよく、人が幸せになるための勝負だ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。