2012年2月11日土曜日

ノブちゃん

少しづつ暖かくなりだした。冬ももう少し。

さて、前回までやや専門的な話題にお付き合いいただいた。
そろそろ、一般的なお話に戻していこうと思っていたのだが、
今回は別の次元で、個人的なお話しになってしまいそうだ。

いつも書いていることだが、僕は制作の場を神聖視している。
土、日曜日の絵画クラスの前日は、万全を期すため早く寝る。
夜は出掛けないし、人にも余り会わない。お酒も飲まない。
気持ちも身体もベストで挑みたいからだ。
勿論、万全を期してもいい状態でばかりあれるわけではない。
正直、今の僕であればちょっと位、体調が悪かろうが、
気持ちが沈んでいようが(それはあんまりないけど)、場に入れば、
すぐにモードが変わる。日常には左右されない。
僕にとってとても重要だった祖母が亡くなった時も、
葬儀の後の教室では自分に全く変化はなかった。
そのうえで、さらに備えるために準備をする。
僕にとっての準備は前日は早く寝ることだ。

でも昨日は夜更かしをしてしまった。
何をする訳でもなく、ずっと音楽を聴いていた。
まあ、一言で言えば悲しかったからか。
共働学舎の仲間の1人からメールがきた。
すでに12時を過ぎていたので、何かあったに違いないと思い、
起きて電気をつける。
学舎のメンバーノブちゃん(のぶこさん。あえてフルネームは書かないことにする)
が亡くなった。50才だった。
身体は健常ではないとはいえ、早すぎる気がする。

ご冥福をお祈りします。

去年も1人、仲間を失った。
神様だか運命だかに言いたい。
ちょっとただでさえ少ない登場人物を、これ以上減らさないで欲しい。

亡くなったから言う訳ではない。
ノブちゃんほどのやさしさを持った人を、僕は他に知らない。
彼女は本当に平等だった。
みんなのことが好きだった。
彼女の愛情は記憶すること、憶えていることで表現されていた。
彼女はずっと同じ場所から(物理的意味でも、精神的意味でも)
人を見守り、愛し、見送り続けた。
彼女はどこへも行かず、去っていく人達を見送り続けた。
そして、どんな人のことも忘れることは無かった。
共働学舎にとっても、生きる歴史そのものだった。
あの時、誰と誰がいて、こんな事があった。
この人と、この人は仲が良かった、悪かった。
そんなすべてを記憶して話してくれた。
自分が忘れたことも彼女が憶えていてくれた。
彼女の記憶によって、自分の帰るべき場所が残っている、
という様なことがあったかも知れない。
憶えていることが、その人への愛情であった彼女に、
僕も記憶で返したい。
ノブちゃんのことを、これからずっと憶えていよう。
絶対に忘れないでいよう。

いつも見送る側で、さみしい想いばかりしてきたノブちゃん。
今は見送られる側にたっている。
僕が経験している悲しみ、さみしさや愛情も、
彼女のそれに比べれば、本当にちっちゃいものにすぎない。

ノブちゃん、たくさんの人や思い出を保存しなければならない器の中に、
僕なんかの場所を作ってくれて、本当にありがとう。
何もかもが変化していく中で、消えて行く中で、
変わらずに、ずっと同じようにいてくれて、
人を記憶し、愛し続けてくれてありがとう。
いっぱいさみしい想いをし続けても、愛すること、憶えていることを、
やめなかった、その姿勢はりっぱだった。
誰のことも憎まず、嫌わず、否定しなかった。
みんなに平等に愛情を持ち、どこへ行っても、その人達の幸せを願っていた。
みんなが仲間であると、本当に教えてくれたのは彼女だった。
若さ故、仲間との議論やケンカも多かった僕に対しても、
いつでも変わらず穏やかに接してくれたね。
僕も少しは見習いたいと思う。

ノブちゃん、長い間、ほんとうにありがとうございました。
きっとどこかで、今でも誰のことも忘れずに憶えていてくれて、
思っていてくれるのだろう。

これからも見守っていてね。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。