2012年2月20日月曜日

丁寧に

毎朝、寒いですね。
無事大阪での公演を終えました。
みなさま、ご協力ありがとうございました。
好評だった様なのでほっとしています。
僕としては60点くらい。もうちょっと丁寧にお話しすれば良かったと思っています。
ああいった場面で充分に内容を伝えるのに、必死になりすぎたのと、
アトリエから僕1人なのでみんなを代表していることで緊張してしまいました。
でも、重要な部分はお話しできたと思います。
一言で言うと「こちらの視点から彼らの視点へ」ということ、
テーマとしてはダウン症の人たちの世界に耳を傾けようと言うものです。

さて、お知らせがあります。
前に少しお話ししましたが、アトリエの作家たちの作品をTシャツやグッズとして
展開して行き、ダウンズタウンに一歩でも近付きたいと、
進めているプロジェクトの第一弾が動き出しました。
今回はフラボアさんとのコラボで、アトリエの作家の作品がデザイン化された服を
買っていただくと、タグの50円がダウンズタウンプロジェクトに寄付されます。
既にフラボアのHPで紹介されているようです。
アトリエは契約だけ整えれば、後はお任せしています。
商品についてはフラボアのHPをご覧ください。
企画に関しては進めて行く時に、様々な意見があると思います。
でも、可能性を切り開いて行くには、まず動き出さなければならないと思います。
手放しで良いと言って下さる方、違うと感じる方、もっとこうした方がいい等。
色んな思いがあると思いますが、まずは一つでも挑戦していく。
挑んで行くことが大切だと思います。
こういった可能性を一緒に信じて、挑んで下さっている、
オーガビッツやフラボアの方々に感謝です。

もう一つお知らせです。
天然生活4月号に、
アトリエ・エレマン・プレザンの作家たちの作品が紹介されています。
こちらも是非ご覧ください。

昨日の夜、テレビで情熱大陸を見た。
菓子職人が特集されていたが、久しぶりに面白かった。
やっぱり、単純なことだけど、どんな仕事でも真剣にやっている人は、
素晴らしいし、見ていて励みになる。
色んなことを話していたが、一番こころに残ったのは、丁寧にということだ。
普通の人から見たら、本当に細かい部分、ほとんどの人が気づかないような、
些細なところにこそ、その仕事の要がある。
僕自身もそれをいつも実感する。
多分、こんなところそんなに違いは無いだろうと感じてしまうのが素人だ。
技術も才能も大切だけど、もっと大切なのは丁寧さだと思う。
その菓子職人は若いスタッフに「雑なんや」「もっと丁寧に」を連呼する。
本当にその若い人の動きは雑だった。
丁寧に扱う、大切に、繊細に触れていく、という注意力が足りない人がいる。
アトリエの制作の場でも、「佐久間さんだから出来る」と言われることがある。
でも、前にも書いたが特殊な能力が必要なことについては、
僕は語らないことにしている。
もう少し注意力を持って、もう少し丁寧に見ていけば、
必ず出来ることしか僕は言わない。
はっきり言って、みんな能力の差が出て来る以前でひっかかる。
もうちょっと丁寧にと思うことは多い。
それにしてもいいなあと思ったのは、
その雑な若い人のために菓子職人は、誕生日ケーキを作る。
素材選びから、全部丁寧に一つづつ自分ですすめる。
こういう人こそ本当の教育者なのだと思う。
ただ丁寧にしろというだけでなく、自らがその人のために丁寧な仕事をする。

僕は愛情とは注意力だと思っている。
子供が愛情を求める。その時、つまり自分に注意力をはらってくれということだ。
だから注意力が足りないと、悪いことでもする、悪いことの方が、
普通は人の注意をひくことが多い。
悪いことというのは、その行動が出てきたら、あ、注意力が足りてなかったかなと、
思った方がいい。
僕は小学校くらいの子供と遊ぶのが好きで、昔から合宿とかでよく遊んで来た。
彼らは面白かったり、何かを見つけたり、
そこへ向かって行こうとする時、一緒に共有して欲しいと感じる。
そこで注意力が必要となる。もし足りなければ、悪いことをしてでも振り向かせる。
こういう場合、叱っても、注意力を相手に向けたと言うことなので、
悪いことをした目的が実現してしまうだけだ。
ケースバイケースだけど、僕は悪いことをしたら、この場合だと叱らない。
注意力を向けない。そうするとつまらないからやめる。
次に面白いことをした瞬間に注意力を向ける。
そうしていくと、悪い方向に行くとつまらないし、不快な経験しかしない、
良いこと面白いことをすると、みんなが気持ちよくなって、
自分に注意が集まると言うことが本能的に分かって来る。
これは制作の場でも同じ。誰かが他の人の邪魔をしたり、
場を壊す様なことをしたら(本当は行為の前に対処する)、
叱るより、そこに注意を向けずに、制作や良い部分にだけ注意力を使う。
そうすれば、どっちの行為によって自分が気持ちよくなれるのか、
無意識のうちに分かって来る。
絵を書いていても、見ている方が良い流れの時にちゃんと反応する。
悪い流れや濁った動きには、ああ出て来たねとちょっと離れた距離をとって、
見ているけども注意を強くしない。
愛情は力だ。愛情は人のこころを方向付ける。
愛情があると興味がわき、注意力が働く。そして、丁寧に扱うようになる。
愛情、注意力、丁寧は一つだ。

講演から帰って来て、良い事があった。
すぐに日曜午前のクラスを見に行ったが、ゆりあが素晴らしかった。
まさひろ君といる時、特に良かった。
こういう事は説明出来ない。何をしたから良い、何をしたから悪い、
というものではないからだ。
強いて言えば、自然さだ。場と完全に一つになった時、
スタッフはほとんどいない様な雰囲気になる。
でも、消えた訳ではない。消えるとまた、人は不安になる。
ほとんど居ないように、だけど居ると言うことだ。
少しでも不自然さがあってはダメだ。
多分、土曜日はここまで出来なかっただろうし、
また次回、同じようにも出来ないだろう。
でも、昨日の午前クラスでのゆりあはほぼ理想だ。
褒めたからと言って、それが維持出来る様なものではないが、
あえて褒めておきたい。
僕達の仕事は本当に上質な良い場を創ることにある。
それは一回きりの勝負だ。最高のものが出来ても、それでおしまい。
何も残りはしない。消えて行く。誰もその瞬間は憶えていない。
誰も褒めてはくれないし、誰も評価などしてくれない。
また、創る、創り続ける。それしかない。
だから、その覚悟が必要だ。
そんな世界に入って行かなければならないのだから、その前に、
今回はゆりあに良い仕事してたよ、自信もってねと褒めてあげたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。