2012年2月25日土曜日

本気で追求する時期

今日は雨。浄化されるようで雨はいい。
静かになるし。

今日も良い教室になるように。
雨の日、天気の日、それぞれ場の雰囲気が変わってくる。
その中で自然な良い流れに向かっていく。

少し前にテレビである女優さんが、行き詰まった時に海外に行って、
出直ししたという話をしていた。
1年住んだと言う、その場所を再び訪ねるという企画だった。
過去をふりかえる目線がよかった。
素敵な人だと思った。
自分の過去を大切に扱える人は、過去や記憶に助けられる。

僕も何度も記憶に助けられ、救われてきた。
それと海外に行った時の話も、もう一度訪れる場面も、
休み方の上手い人だなと思った。

しっかり休まなければ良い仕事は出来ない。

もう一つご紹介したいお話があるのだが、
これは本に書いてあったことなので、まず本の紹介をしなければならない。
だからここではやめておく。
僕はなるべく、本と音楽と映画の話は書かないことにしている。
あと、趣味の話。
それをしてしまうと、いくらでも話題はあるけど、
人に言葉を話すことをもっと大切にしたいと思う。
誰でも見られるところに、言葉を書くということは、
ある程度、公共の場での行為とみなされなければならない。
本来は、趣味や日常生活の話は控えるべきだと思っている。
今、世の中で飛び交っている言葉はほとんど意味を失っている。

まあ、横道に逸れてしまうのでここまでにしておくが、
自分がどこの誰だとも名乗らずに、言葉を使っている人も悪いが、
その様な読む価値のないものを読む人も、真に受ける人にも責任がある。
これは、大切な事だが、良くないものは受容する人にも責任がある。
悪いものは見てはいけないし、買ってはいけない。

ここでは本や趣味の話はなるべくしない。
もしくは最小限にとどめる。
ここで書いているのは、僕自身の実体験に関わるものばかりだ。
もし、何らかの使える部分があったら、大切に使ってやって下さい。
前にも書いたけれども、経験にはもとでがかかる。
趣味は受け身でもいいが、実践には血と汗が滲んでいる。
身銭をきるとかいい言葉はいっぱいあるが、実感としてはそんなところだ。
自分に投資するということをいつかも書いた。
だから、その場でのその人の仕事や言葉は、
いったいそこへ行くまでその人がどれだけのものを、
そこに費やし、かけてきたのかというところから、見ていくべきだ。
僕自身も、このブログで書いて来ている様なことを、
知るためには本当に多くのものを使って来た。
勿論、お金だけではなく、たくさんの時間と、命と、思いと。
現場においてマニュアルはないと言って来たし、
方法や理屈を考えてもダメだとも言ってきた。
それは確かなことなのだが、僕自身はそこを徹底的に考え抜いたり、
追求した時期があった。
昼も夜も無い状況で、こうすれば少しはこころが動くとか、
重い病気の人の発作が治まったとか。
必死になって振り回されたり、それでももっと良い方法があるはずだと、
試してみたり。
やっと時間が出来ても夜通し仲間と、
ああでもないこうでもないと議論して寝る時間もない。
それでも知りたかったし、自覚したかった時期も確かにあった。
追求することから逃げ出したい時期もあった。
付き合っていた女性ともほとんど会えない。
なんのためになぜ、こんなことをしているのだろうと思ったり。
やめようかなとか。
一度、ふかふかの布団でぐっすり眠りたいとか、
会いたい人にゆっくり会いたいとか。
ある時、ふと気が付いた。すでに何人も死んでいったように、
僕らっていつか死ぬんだなと。
だったら、ぐっすり眠るなんてその時でいいやと。
死ぬ時に、はい、これから休みでいいかなと思った。
それまでは探求しようと。

でも、そんなに真剣になって何かを追求する時期は必要だ。
若いから、色んなものを犠牲にはしてしまう。
でも、そこで何を大切にするかだ。
普通、人が思うほど、人間という存在はあまくはない。
追求しているテーマや目指していること、
一般的には仕事となるかも知れないが、
例えば、仕事と家族とどっちが大切かとか問われて、
即座に家族と言ってしまえるようではダメなのだ。
最終的には家族とかそういう事にならなければ、それも嘘だけど、
少なくとも、今これがなによりも大事という時期は経験しなければならない。
何を犠牲にしても、そこを追求してみたいと思うくらいの時期は必要だ。
でも、これも勿論、いつまでもそれでは困るが。

その様に沢山のものをかけてこそ、本当の仕事が出来るようになる。
前に、制作の場では一つの言葉でも、どんなふうにでも返すことが出来る、
選択肢は無限だという話をした。
でも、一方で誰が聞いたところで「うん、そうだね」としか言えない様なこともある。
だからこの場合、「うん、そうだね」と言うしかない。
そこで同じ「うん、そうだね」がその人のすべてになってしまう。
つまり「うん、そうだね」という言葉にどれだけの存在感を創れるか、
そこにそれまでその人がどう生きて来たのかが、
大袈裟に言えばすべて表現されてしまう。

最後のところで出て来るものがその人の本質だ。
人間力と言って良いかも知れないけれど、
これだけはすぐに身に付くものではない。
日々の積み重ねで長い時間が刻まれていかなければならない。

今日は最初は「休み方」というテーマの予定だったが、話がそれてしまった。
長くなるのでここまで。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。