2012年2月28日火曜日

創造性

昨日、プレのクラスで何気なく制作を見ていると、
アキが凄いエネルギーでぐんぐん描いている。
あれっ今日違うなあと思っていると、その波は一日続いた。
やっぱり面白いなあ、と思う。
特にアキの場合は、良い時と悪い時の差が激しい。
これは性格でもあるので、そんなに気にすることはないが、
本当によい時の凄さをスタッフはちゃんと知っておかないと、
いざいいモードに入った時に逃してしまう。
それに一枚上手だなと思うのは、相手を見てこの人にはこのくらいでいいやと、
無意識で察知してしまう。

それはともかくとして、昨日のようなテンションになった時のアキは、
本当に凄みがあるし、同じ一つの色でも違って見える。
ただ塗った時は、赤なら赤なんだけど、良い時はその赤が、
特別に光っていて透明感がある。これは不思議だ。

「見える」「見えない」のような話を書いたが、
これも関係性や時と関係していて、どんな人でも「見える」という瞬間はある。

アキが深い制作をしている時、創造性がもわっとその場に見えたりする。
まあビジュアルで見えるというよりは、感じるのだけど、
普通の人が感じるというよりももっと具体的な感じではある。

何人もの「創造性」にふれていると、何か人間にとっての普遍性を感じる。
普通、創造性はその人の個性とみられるが、違う気がする。
人間のこころの深いところに創造性があって、
それに触れると、動きだし沸き上がってくる、
その時、外に現れる瞬間にその人の個性に濾過される。
そんなイメージだ。

制作の時、じっと見ていると、ここまでは個性、
ここから先は普遍的な創造性そのものだなと感じる。
そこへ入ると、描いている方は本当に気持ち良さそうだ。
誰でもそんなふうに描けたり、生きたり出来ればいいのだが、
私達にはなかなか難しい。
ダウン症の人たちは自我によって固定されている部分が薄いから、
すぐにそんなに深いところまでいくことが出来る。

彼らの制作から見えて来ることとは、
人間にとっての創造性とは何なのかということでもある。

少なくとも人間にはこんな可能性もあるぞ、ということが分かるはずだ。
出来上がった作品からも、そんなことが伝わると思っている。

みなさんも機会があったら是非、触れてみて下さい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。