2012年4月3日火曜日

無駄の無いふるまい

台風が来ているから、みんな気をつけよう。
アトリエに通っている人達も行き来がちょっと心配。
1人で来ている人は、危ない可能性のある日は各自の判断でお休みして下さい。

この前、ベビーカーにゆうたを乗せて歩いていたら、
ヨーロッパ人(多分ドイツ人)が店の外の席に座って2でコーヒーを飲みながら、
ノートパソコンを開いて話し合っていた。
いつも思っていたことだけど、日本の風土にその景色は合わない。
そのての店は海外の昼が長く乾燥した風土にこそ適している。
日本でやると何故か優雅ではなくなる。
とずっと思っていたのだが、その2人の外国人の姿はなんの違和感も無かった。
そこだけが外国の雰囲気になっていた。
だから気が付いた。
そのような場面は日本の風土に合わないという以上に、
日本人に合わない。あるいはヨーロッパの人たちに合う。
それが身体に刻まれた自然さというものだ。

前に自然さについて書いたが、こういう事だと思う。
自然な動作には無駄がない。どこにも力が入っていない。

なにかのプロとは本当はそういうことだと思う。
自分の仕事とする事が、自然になりきって、どこにも違和感がなくなった人。
昔、ガラスを作る職人さんを見た事があるが、
ガラスという素材が自由にどんなものにでもなるような、
柔らかいもの、固まらないものに見えた。
陶芸家がろくろを回しているときも、いともたやすく形になる。
自然で違和感がない。当り前な情景に見える。
なにかのプロとは、そのことの自然を身体に刻んでいる人のことだ。

肇さんから教わった話しだが、
良い絵は見た人が自分でも描けそうな気がするという。
簡単そうに見えるし、自然に描きたいと思う。
これも同じで、そこに自然さがあるし、無駄な力が抜けている。

イチローの身体能力の高さは多くの人が語っているだろう。
このブログでも彼の「型」に注目した事がある。
でも、もう一つ、彼の凄いところは、
構えているだけで、いかにもボールがバットにあたりそうに見える。
あたる方が自然な感じがする。
その自然さだ。

そのような達人でなくとも、あるいはプロでなくても、
違和感のない自然な動作やこころの使い方をするように心掛けることは大切。

どんな小さなことでも自然な動作には美しさがある。

良く美人アスリートとか紹介されているのに、
そんなに綺麗に見えない人がいる。(本当に失礼。主観の問題も勿論)
でも、みんなは競技中のその人を見ている。
そして競技中のその人はやっぱり綺麗だ。
その人が一番、活き活きと自然に出来ること。
その行為の中にある時、その人の美しさが全面に出る。

みんなそうだ。
だから、一人一人がどこよりも自然にふるまえる場所を創りたい。

大抵のジャンルでは長くその仕事をしている人には自然さがある。
それなのに子供や老人、それから障害を持つ人に関わり、
介護や介助や教育をおこなうような仕事をしている人達には、
このような自然さを持つ人が少ない。
見ていて違和感のある人の方が多い。(勿論、まれにではあるが、自然でほれぼれするような美しい動作と表情がある人もいる。しかもひっそりと。)
このことはもうちょっと改善されるべきだろう。

まだ、別の場所でアトリエを開いていた時、
電話でご連絡をいただいた方がいた。
養護学校で絵の指導をしているが、なかなかみんな描いてくれない、
それで描いている現場を見学させて欲しいと言う。
こういうお話はおことわりすることも多いが、
かなり真剣な様子だったので、どうぞとお返事した。
でも、みたらもっと分からなくなるだろうと思っていた。
見学の日。
彼はやって来るなり、不自然な大きすぎる声でみんなに挨拶した。
その最初の入りから、もう勝負は決まっていた。
とたんに作家たちのこころの動きが止まった。
僕は、後ほどお話しましょうとだけ言って、彼には少し離れた場所に座ってもらった。
僕は特別なことは何もしない。
みんなが自然に描き始め、笑い合い、いつの間にか時間が来て、
楽しかったねと終了した。
彼には何がおきているのかまるで分からなかっただろう。

なぜ、ある場所ではどんどん描いて、違う場所では描かないのか。
描く人と描かない人がいる訳ではない。
描くことが自然な環境か、そこに違和感がある環境かだ。
いつも言うが環境の中で大きな比重をしめるのは人だ。
関わる人間。
ここでは僕だが、僕は彼らが当然描くものとしてみている。
自然に。ここで少しでも、もし描かなかったらとか、
もっと他のことでもマイナスの思いや、心配や不安をもってしまったら、
彼らは描かない、というより描けない。
この方の場合は、始めた頃になかなか描かないなあと思ってしまったのだろう。
あるいは描いて欲しいと思ってしまっているのだろう。
こちらの思いが強いと相手は身動きが取れない。
困った事があると、みんなそこに意識を向けてしまう。
誰かが立ち上がって走り回ったりすると、焦って止めたり。
こちらが動揺すると流れは強くなってしまう。

無駄のないふるまいが大切だ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。