2012年5月19日土曜日

伝えること

昨日、よし子と悠太が帰って来た。
次の三重行きまでに話し合っておくべきことは多い。

それにしても、悠太が可愛くて朝も離れがたい。
アトリエに来る時間がギリギリになってしまう。
今度は3週間だったのに、またまた大変化に驚く。
今の時期は早いなあ。猛スピードで成長しているのか。
下の歯が2本ほどはえてきた。
「悠太、おかえり」と言うと、全身で笑って「ウウー」と返してくれる。

様々な状況で難しいところもあるけど、
一緒に過ごす時間をなによりも大切にしたい。
今の関わりは今にしか出来ない。

これは制作の場でも同じだ。
今、この瞬間に関わっていくことが重要だ。
あとで何を思おうと、ほとんど無意味だ。
後悔も反省も、良かったという満足感も、あまり意味がない。

何が出来るのか。何を残してあげられるのか。
結局、相手に残るものとは、愛情だけだと思う。
良い記憶を刻むこと。それが、良い人間に育つ元になる。

教育の専門家達の考えは分からない。
はっきり言って先生と呼ばれる人達、あるいは親でもそうだけど、
本当に子供の幸せを思っているのだろうか。

将来、役に立つと言う、訳の分からない理由で、
デジタルな知識と技術を詰め込む。
人のこころはどんどん壊れていく。
本当のことを言うと、役に立つ、お金が稼げるなんてことは、
人間としてレベルの低いことだ。
そんなことはほうっておいても、必要に応じてやらざるを得ない。
人間としてのもとを創らないで、ゲームを教えてどうなるのか。
コンピューターゲームだけがゲームではない。
今、ITと称して大人達が進めている仕事自体がゲームのようなものだし、
記憶テストのような受験だってゲームみたいだ。
ゲーム脳が生きやすい社会を作っておいて、ゲームを批判している。

学校の先生達も良い人間が増えて来ている。
志の高い方がたくさんいらっしゃる。
昨日は絵画クラスに通う男の子の学校に呼ばれて、お話しして来た。
校長先生がとても良い方で、学校で彼をどう見ていくべきか、
真剣に考え、彼のことを知ろうと努力されている。
こういう場面では僕も真剣に伝えたいと思う。
そうすることが、彼らを取り巻く環境を良くしていくことに繋がる。

前にも書いたが、お医者さん達も真剣に取り組もうとされている方が増えている。

専門家たちが変わり始めている。

保護者の方達も意識を変えていって良い時期だ。
他人事として言っている訳ではない。
僕自身が悠太の父親として思うことだ。

子供達にどんな風になって欲しいだろうか。
役に立つからやっておこうというのは、実はずるい考えだ。
少なくとも、自分の役に立つのではなく、人の役に立つを考えるべきだ。
役にたつという言葉で、損得勘定を植付けている。
役にたつかたたないかで教育を考えてはいけない。
正しいか、正しくないか、本当か嘘か。
本物かにせまのか。それが基準であるべきはずだ。
しかも、だいたい大人が役立つと考えたことが、
将来なんの役にもたたなかったりする。
そもそも、世間が良しとする教育の通りにすべてを進めて、
良い人間が育っていくなら、世の中とっくに良い人であふれかえっているはずだ。
事実はむしろ逆だろう。

子供の事を考える前に、自分の人生観を問い直してみる必要がある。

ではどうすべきか。
今というこの時に、愛情を傾け、一緒に吸収していくこと。
親と子でも、家族でも、先生でも友達でも、
最小単位での良い関係が築かれている人は、全ての基本に信頼が生まれる。
それが人間のもとだ。
もとさえ創ればそれでいい。でももとを創るのが一番難しい。

僕は悠太がどんなことをしても、何を選択してもいいと思っている。
彼の人生は彼が創る。
ただ、幸せを感じて欲しい。生まれて来て良かったと思える人生をおくって欲しい。
苦労して欲しくないとも思わない。
苦労した方がいいだろう。その苦労が自分のためにするものでなく、
他人の為や何か大きなものの為にする苦労であって欲しい。
どんな風にどんなリズムで育ってもかまわない。
大切なのは本当の経験をかさねること。それだけだろう。

まあただ、悠太が女性に対しては凄く愛嬌をふりまくので、
父親に似てしまうかと心配な時もある。
男女関係は失敗もするだろうけど、あんまり激しい生き方はしないでくれ、
とやっぱり思うかも。

昨日も校長先生や先生方とお話ししたが、
彼らのことを知ろうとして下さる方が増えて来ている。
伝えることが大切だ。
私達は1人では何も出来ない。
僕が一生かけても、関われる人の数は限られている。
だから、自分の無力さを自覚して、たくさんの人に伝えて、
みんなで協力することだ。

昨日もゆりあからのメールがなければ、うっかり忘れるところだった。
朝、ゆりあから「佐久間さん、今日学校だよ」と連絡が来た。
僕が忘れていることを察知したようだ。
こういう何気ないことに、人は力づけられる。
アトリエでの僕の動きをちゃんと見ていないと、分からないことだ。
前後にどんな仕事があったか、どんな調子か、良く見ているから、
あっ今日忘れてそうだなとなる訳だ。
そうすると、僕は守られてる、助けられている、と感じる。
制作の場で必要なのはそういう観察力と注意力だ。
何気ないふるまいで、作家たちがこの人、自分のことを見ている、
注意を払っていると感じ、安心して制作できる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。