2012年5月23日水曜日

意識改革

今日は良く晴れた。
昨日は寒かったのか、ゆうたは一日ぐずっていた。
今日は元気。

終わったことだけど、みなさん、金環日食見られましたか。
僕はよし子とゆうたと3人で見ました。
神秘的。3人で見たこと、多分一生忘れないだろうなあ。

ハルコが「はー。金環日食きにいったあ。あとでもう一回見ようっと」
と言っていたのが面白かった。さすがだ。

さて、意識改革とまで言うと大袈裟だが、
やっぱりどんな場所でも意識を変えていくことは必要だ。

のんびり、ぼーっとしているのも悪いことではないし、
あまりせかせか、ピリピリしない方がいいことは確かだ。
でも、必要なことはやっていかなければならない。

最近も色んな場所に顔を出すことが多いので考える機会がある。

例えばだけど、今のアトリエの活動から言うなら、
ダウン症の人達の現状は見極めつつ考えている。
アトリエだけが良い活動をしていればそれでいいとは思わない。
この小さな場だけが良くても何も変わらない。
だからこそ、外部へ発信する。
彼らを取り巻く環境や社会が変わらなければ、
現状の問題は解決されない。
そのためには、これまで主に福祉の世界でおこなわれていたような、
活動や意識のレベルではとても不可能だ。
そのことをまず、自覚すべきだ。

社会の彼らを見る目線が変わって行く為には、
まず関わっている人達から変わらなければならない。
いつまでも、福祉レベルの見方をしていたのでは、
誰も関心をもって関わってはくれない。

ダウン症の人たちばかりでなく、障害を持つ人達を対象とした活動の多くは、
凝り固まった意識で運営されている、と言いきっていいだろう。
はっきり言うが社会性がない。
そういう関係者だけで成り立ってしまっているからだ。
保護者の方達が中心になっている組織は、特に気をつけなければ難しい。
客観性をすぐに失うからだ。
ちょっと厳しいかもしれないが、
一般の障害となんの関わりもない人達が、積極的に関心を示さないのは、
そのレベルの活動が多すぎるからだ。

障害を持つ人と接する立場の人達や、保護者や家族からまず、
意識改革が必要だと思う。

アトリエでもいくつかブランドと商品を作った。
あくまでチャリティの枠の中とはいえ、これは可能性を広げたと思う。
自分達で手作りで作って売れば、という案もあるが、
初めからそれでは、バザーの域を出ない。
知り合いに買ってもらって、それで良しとしていたのでは、
そこから先には行けない。
色々と不備もあっただろうが、ブランドが扱い、それぞれの店舗に並んだ、
ということが大切だ。
こういう活動を可能にしているのは、
まずは扱う側がどのような認識で彼らの作品を捉えるか、という意識の問題だ。

扱う人間、関わる人達が、今の現状では異なるジャンルで相手にされない。
この部分を、関わる立場の人達や、保護者の方達も自覚して欲しい。

僕のブログは難しいという人も居るようだが、
このような意図を知った上で、難しい、ややこしいと言う前に、
分かろうと少しでも努力していただきたい。
もちろん、僕自身も分かりやすくするように努力はしていく。

認識を変えていくには、時には少し難しいことも、厳しいことも書かざるを得ない。

少し難しかったり、厳しかったりする部分は、
何故、その様に感じるのか考えてみて欲しい。
だいたいは僕が、これまでこのような活動をしている人達と、
違った問題意識を抱えているからだ。
そういった意識を持たずに、進めていたのでは、
いつまでたっても、普通の人には関係のないお話どまりですよ、と言いたい。

もう一度、身近な方々も認識を持っていただきたい。
その事が結果、周りを変えることになる。

保護者の方々は特に、日常に追われてなかなか、考えても居られないだろうが、
少なくとも、何故、私達がこのような意識で妥協せずに取り組むのか、
ご理解いただきたいと思う。
展覧会にしても、外の人はあんなに見に来て下さっている。
前回の講演も、もう少しアトリエに参加している保護者の方の、
参加があっても良かったような気がしなくもない。
もちろん、それぞれにお忙しいのだろうが。
告知もブログにしか出来ていなかったし。
でも、年間のスケジュールにも書いてあったと思う。

私達がまず、これまでのような認識を変えていく。
本当のことを知ってもらいたければ、こちらが本気で挑む。
作品と制作に関わることには妥協しない。
物を作って売るなら、しっかり仕事の意識を持つ。
なんの関わりも持たない一般の方々が、初めて見たとき、
どう思うのか、感じるのか、しっかり客観視して、
同じような世界の人達だけで甘え合うのはやめよう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。