2012年5月27日日曜日

みずいろさん

昨日のアトリエで、よしてる君が描きながら、
「みず色さん、さすがだなあ」とつぶやいた。
そういうあなたがさすがです。
たしかに、僕も流れをずっと見ていて、何かあと一つピッタリ来る色が欲しいと、
感じていた。そこまでは綺麗に進んでいて、最後のところでしばらく立ち止まった。
少し画面を見直してから、再び筆をとった。
空いている場所、数カ所に水色をぬっていく。
絵は見違えるように、生命力をもった。
その時、さっきの言葉がつぶやかれた。

何気ない一言だが、彼がどんな風に制作しているのか、
内面がうかがい知れる。
彼らはみんなそうだが、自分のおもいどおりに作品を構成している訳ではない。
色が色をよび、次に必要とされる形はバランスの感覚でつかんでいく。
調和の法則に則っているといえるかも知れない。
自由にとらわれなく、描いていくが、そこには、
画面が要求しているものを感じとっていく謙虚さがある。

だから、よしいい色を選んで成功したぞ、と思わずに、
水色さん、さすがだなあという、色の持つ力に感動出来る。
こういう認識を生きているからこそ、あのような作品が描ける。
自分がいいものを描いてやろうという作家性とは無縁だ。

そんな彼らには、私達より遥かに色彩が美しく見えているはずだ。

実際に僕もその作品を通して、水色の奥深さを自覚したわけだ。

この前、ちょっとだけ書いたけど、
先日の講演では前半と後半に分けるとしたら、
前半部分で時間オーバーとなってしまった。
アトリエの活動から見えてくる可能性についてはお話し出来たが、
僕自身が経験して来たことを通じてという部分と、
作品の力には触れたけど、では何故、作品にその様な力があるのか、
という部分まではお話し出来なかった。

その後、ご連絡をいただいた方も居て、
かなりの方がこのブログを読んで下さっていることが分かった。

ということで、後半部分はこのブログで書いていきます。

今回はなぜ、この様に彼らの作品が人のこころを動かすのか、
考えてみたい。でも、すでに書いて来たことでもある。
もう一度、まとめ。
まずは、彼らの作品には確実に人のこころを捉える力があり、
それは彼らの可能性だということを確認したい。
講演では展示例やイベントでの人々の反応を例にした。
作品を見て涙を流したり、病院にかけてある絵に癒されたという方のことは、
このブログでもふれた。
美術の専門家達からも高い評価を受けて来たし、
一般の方達や、学生達も彼らの魅力に惹かれている。

作品を展示すれば、必ず良い反応がかえってくる。
彼らの可能性は証明されているといえる。

僕の手元には展覧会等でのお客さんの感想ノートがある。
アトリエの見学者の感想もある。
機会があれば、こういう感想もご紹介したい。
読んでいただくと、作品と彼らのこころに人は何かを感じずにはいられない、
ということがお分かりになると思う。

さて、なぜ彼らの感性は人のこころに響くのか。
何度も書いて来たが、私達の中にある、人間の元の部分、
生命の原初にある調和の原理が、そうさせていると思う。
私達は本来、こころの奥に調和の感覚を持っている。
それがなければ、これまで生存して来れなかったし、
もっといえば、生命体がこの地球に誕生することもなかったはずだ。

私達はそのような調和的感性を失いつつある。
自然から離れ、脳みそだけで生きようとした結果かも知れない。
でも、私達のこころの奥では調和の記憶が残っている。
それが、私達がダウン症の人たちや作品にひかれる訳だと思う。
そこに懐かしさや、心地良さや、自然さを感じる。
分からなくても、何かがあると感じる。
人間としての本能がそうさせる。

だから、彼らは私達に大切な事を思い出させてくれている。
教えてくれている。
そろそろ、素直になってその声を聞いてみよう。
生きている世界が変わってくる。
あえてあんまりこんな言い方はしないようにして来たが、
ある意味で、彼らは人間とは本来はどうあるべきなのかを、
教えてくれる為に産まれて来ているのでは無いだろうか。
僕の仕事は具体的で実際的なことが多いので、
あんまりロマンは語りたくはない。文学的な感傷も嫌だ。
でも、一度、この部分はお伝えしたかった。

もし、彼らがそのようなメッセージを伝える為に産まれているなら、
その示している意味も読み解かず、ひたすら現状の社会システムに
適合させていこうという在り方に問題がないはずはない。
人間は愚かだ。
自然や他の生物をみれば分かるが、
愚かな人間が、その意味も知らずに滅ぼしてしまった世界がたくさんある。

「みずいろさん、さすがだなあ」という言葉の深さを、
私達はどれだけ感じられるだろうか。
水色さんの素晴らしさを、どれだけ知っているだろうか。
彼らの方がよほど、知っている。よほど豊かな世界を生きている。

ところで、よしてる君は最近、新聞を作っている。
以前から写真を撮ったり、取材するとか言っていたが、
最近は記事を書きはじめた。
僕が「アトリエでよしてる新聞とろうかなあ」と言うと、
「じゃあ絵の時にもってくるよ」と了解してくれた。
第一号は待合室にあります。
保護者の方で待合室をお使いの方は是非、読んでみて下さい。

それにしても、新聞をつくる子は多い。
みんなの新聞をいっぱい読んできて、面白かった。
サトちゃんの大きな新聞も懐かしい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。