2012年5月28日月曜日

彼らとスタッフ

昨日は2、4週日曜日クラス。ベテランの多いクラスだ。
午前中あらためて、ゆうきちゃんの制作に圧倒された。
ゆうきちゃんの作品はいつも凄い。
それから、りょうちゃんがいつものようにユーモアで場を盛り上げながら、
描いている途中、作品がグンと深くなる瞬間があった。
僕はかなり離れた場所にいたのだが、意識だけはこの瞬間は逃してはならない、と
強い注意力を注ぐ。その瞬間、作品を見ていたりょうちゃんが、
僕の方に視線をうつしてニッコリ笑う。言葉はない。僕は頷く。
そこで世界は共有される。あとは数分で良い作品が仕上がる。
面白いなあと思うと同時に怖くもある。
あの瞬間を僕が逃していたらどうなっていたか。
多分、分かる人いないな、と察知してそのまま画面をうめて出来上がりだっただろう。
そういう部分で、制作の場ではスタッフもいつも試されている。

午後のクラスはやっぱりこの人達の友情は素敵だなと思う。
このメンバーにしてはじめて出来る場がある。
お互いを知り尽くしているからこその、言葉にしない部分での交流。
制作に関しては、残念ながら一番良い、のびのび描けていた頃は過ぎてしまった。
それぞれが色んなことを経験し乗り越えて来た。
お互いがその事を分かり合っている。
確かに一番輝いていた制作の時期は過ぎたとはいえ、
時に今でしか出来ないような深みが出ることもある。
色々あったからこそ描ける絵というのもある。
何よりもこの関係性が財産だ。
このクラスほど、場は彼ら自身が創ると実感させてくれるクラスはない。
僕自身も本当にリラックスして、自然に進められる。
彼らがお互いを活かし合っている姿が、本当に有難い。

1、3週の日曜日午後クラスは逆に、制作の密度が素晴らしい。
こちらにも俊敏な感覚が要求される。
流れについていく集中力が必要だ。
このクラスもかけがえがない。
特にてる君の制作に向かう透明感はずばぬけている。
こちらも良い意味での緊張感がある。
と言っても柔らかくやさしい空気感が共存しているのだが。
感覚、感性の部分では僕はてる君と居ることで、
かなり鍛えられて来たような気がする。

ある意味で作家とスタッフは一心同体だ。
魂や感覚の領域では、本当に一つになる瞬間がある。

作家とスタッフの共有している世界とは、
仲のいい友達や、家族との一体感とは少し違っている。
日常的な次元から一歩深いところに入った部分だ。
だから、作家たちも友達や家族に望むことと、僕らに求めることは違ってくる。

例えば、これは別の話だから深くは書かないが、
ダウン症の人も統合失調症になってしまうケースがある。
この問題はいつか別の機会に考えたいが、
そうなると、今居る世界や自分の環境から逃れる為に、
彼らはこころの中に別の世界を作る。
本当は私は神様だとか、動物だとか、何かに狙われているとか。
そういう場合は、あきらかに健康を害してしまっているので見ればすぐに分かる。
それとは別に精神的に健康で問題がないのに、
「実は私は地球人じゃないんだ」とか
「今日来たお母さんとお父さんは、本当の親じゃないんだよ。実はね‥‥」
というような話を始める人の場合、また違う意味がある。

それは内面的な真実を語っているといえる。
つまり、ここから入る制作の空間、こころの深い場所は、
友達や家族と過ごす時に出している世界とは違う、
もっと素のこころを描くことで表すよ、というような意味だ。
その様にストーリーを作って、内面を整理する人は多い。

ここで、こんなに自由にしたら、外でわがままになるのでは、と
心配される保護者の方もいらっしゃるが、そういう意味では大丈夫。
違いが分かっているからこそ、どこででも出来ないという自覚がある。

もし、どんな場所でも内面のすべてを出してくれるなら、
制作の場でもスタッフに仕事はない。でも、そうはなっていない。

彼らは言葉より気配で察知している。

こんな事もあった。
ある女の子でずっとアトリエに来ている人だが、
外でフリースクールみたいな場所に通っている。
そこの先生のことが好きで、もう恋愛のような感情にもなっている。
いつもその○○さんの話を楽しそうにしている。
彼女がある日、真剣に制作している姿がかっこ良かったので写真にとっていたら、
「佐久間さん、今の私をとってね。○○さんに見せたいから。○○さんは私のこういう
ところ、しらないからね」と言った。

彼らはその人が自分のどの部分を見ているのか知っている。

どの関係が正しいという話では勿論ない。
様々な関係が必要だ。家族との関係、友達との関係。
先生との関係。
そういう様々な関係の中に、制作に向かう彼らのこころを見るという、
スタッフとの関係の大切さもあげられると思う。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。