2012年6月2日土曜日

所有とは何か

最近は少し減ってきたけど、こういう仕事をしていると、
いい人と勘違いされることも多い。
僕はいい人ではない。普通のというより、平均よりだらしない人間の部類だろう。
褒められないような生活をしてきた時期もあった。
人間性という意味では、例えばここへ来る学生達の方がはるかにいい。
だからこそ、せめて良い仕事ができればと思う。

制作の場において、最善をつくしてきた。
でも、偉そうなことを随分言って来たけど、
現場においても、理想とする状態には程遠い。
自分の現場がそれほど出来ているとは思わない。
そもそも、場の中で100点の仕事ができる人間がいたとしても、
(個人的にはいないと思っているが)
それだけでは上手くいくとは限らない。
こころという奥深く面白く、やっかいなものが相手だ。
たかだか、自分の実力くらいでなんとか出来るような相手ではない。
だからこそ、素晴らしいことがおきた時、感動がある。

仕事ばかりでなく、自分の力だけでなんとかしてやろうという感覚はだめだ。

それでも、まがりなりに真剣に向き合って来て、
こころというものの動きは少しだけは見えるようになった。

そんな、制作の場からの視点から言えることは、
私達の普段のこころの使い方が、かなり偏った、歪んだものだと言うことだ。
身体と同じように、こころも偏った使い方をしていると、
病気になったり、痛んだりして正常に機能しなくなる。
日常から正しいこころの使い方を心掛けねばならない。

そもそも、こころにも使い方があるということを、
学校でも教えないし、ほとんどの人は知らない。

身体もこころも粗雑に扱えば壊れる。

ダウン症の人たちの在り方や、作品を見ていると、
彼らが正しいこころの使い方が出来ていることが分かる。
ただ、彼らの場合はその理想的なバランスは極めてもろく、
壊れやすいことを知って、周りが大切にしていく必要がある。

さて、前回書き切れなかったことだが、
所有という概念がこころを歪めている原因として大きい。
もう無意識のうちに所有したいという、こころの動きが私達を縛っている。
まず、その事に気づくことが大切だ。
何故なら、所有の為に私達はこころのエネルギーのほとんどを費やしてしまって、
結果クタクタになっているからだ。
それでは気持ち良さ、心地良さを感じるこころの動きが生まれようがない。
従って不幸になる。
教育のことを何度か書いたが、大人は子供に何を教えているだろうか。
ほとんどは、損をしない方法や考え方、上手く勝つ道を教えている。
それは、無意識のうちに所有と繋がる。
誰だって勝ち負け、損得を考えて、負けるより勝ちたい、
損するより得したいと思っている。
実はその思考パターンが負けであり損なことに気がつかない。
勝ち負け損得を超えたところに、こころの機能を使わないと喜びは生まれない。

なぜ、勝ち負け、損得でものを見てしまうかと言うと、
所有しなければ、蓄えなければ、という切迫感があるからだ。
そして、所有の欲求とは恐怖から恐れから来ている。
恐れから生まれたものは人を破壊する。
失うことへの、無くなることへの恐怖から所有の欲求が生まれる。
出来るだけ、蓄えておこうとする。
世界が自分のものと、そうでないものの2種類に分かれて、
自分のものを出来るだけ外から集めようという事になる。

さあ、結論を言ってしまおう。
この考え方と、こころの使い方が分かれば私達はもっと豊かになれる。

人は蓄えたり、所有しようとすることでは救われない。
かえってこころが歪んでいくだけだ。
そもそも所有など本当は出来ない。
命が所有出来るだろうか。私達はいつ死ぬかも分からない。
食べ物だってお金だって、所有したつもりが、出来る訳がない。
だから、突然消えたりする。

たとえば、ダウン症の人たちの制作を見てみよう。
彼らは作品を自分の所有する才能から生み出していると思ってはいない。
どこからか来てくれるという風に感じている。
そうすると良い絵が描ける。

自分が持っている、所有している力や才能、あるいは権力を使っている、
という意識でいれば、やがては枯れていく。

どうやってこころを使うのか。構えを変えること。
すべては自分のものではない。自分は何も所有していない、
という感覚を持つと、こころは豊かに敏感に動く。
今、自分の前にあるものは全部借りているものだと思えばいい。
実際にそうだし。
だから正しく使う。
足りなくなったり、もっと必要になった時に、また借りればいい。

所有と違って、レンタルは管理する必要がないし、
自分の外に戻すことでより力を持って帰ってくる。

自分のものだと人は使い過ぎてしまう。
大切にしなくなる。ただ、失うまいとこころを使いすぎるだけになる。

例えば肉を腐らないように貯蔵する技術は尊敬に値するが、
ライオンにはそんなものは必要ない。
自然の中が貯蔵庫のようなものだ。
その中で自由に豊かになっていく獲物を、必要なときだけとってくればいい。

仕事も人間関係も、自分のものなどではない。
今、仮に自分に与えられていて、自分が正しく使って戻していかなければならない。

例えば、付き合いにしても本当の友達や大切な人とは、
そんなに頻繁には会わない。
大切にしているから、その人の時間を自分の所有にしたくはない。
そういう付き合いが、実はお互いを深め、理解を強くする。

僕も子育て中だが、愛情が強ければ強いほど、
子供が自分の所有ではないことを忘れてはいけない。
大人になって、1人で世界に向き合っていく時に、
みんなの為にたる人間を育てる。
世界から与えられた存在は世界に返す。

自分と言う存在だってどこかから与えられているのだから、
これを使って返していかなければならない。
それが与えられた役割というやつだろう。

所有に関しては、
もう少し具体的な細かいこころの動きと関係してくることなのだが、
今回は大枠だけのお話をした。
また機会があれば細かい部分を書いてみたい。
こういったことは、実は彼らの作品を読み取る上でとても大切な事だ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。