2012年6月3日日曜日

もちつもたれつ

前回の続きというか、前回の内容の細かな部分にふれたいけど、
今日はあまり時間がない。
制作の場において実はとても大切な事の一つなのだが。
簡単に言うと、作家にしろスタッフにしろ、この場から何かを貰う、
そしてこの場に良いものを返すという循環の意識が大切だ。
良いものが自分のところに来たら、それを使ってみんなの場を良くしようとする。
これは人生においてもそうだと思う。
自分のところに集まって来たり、ひょいとやって来るものは、
自分を通して良く使われる為に来るのであって、
蓄えられるために来るのでは決してない。
自分自身のもって生まれた才能や能力だって、その後に身につけた技術や腕だって、
色んな条件が自分に与えてくれて、貸してくれていることは忘れてはいけない。
良くするために、使うためにある。

自分が持っているものを全部人のために使ったとしても、
それでも、自分に与えられているものの方が遥かに大きいことに気がつくはずだ。

場に返す、場のために使う、という言い方をした。
例えば、僕の場合、自分の人生で起きたこと、そこで経験したことは、
すべて制作の場に役立てようと思っている。
それを実践していると、今度はまた場が教え、与えてくれる。

腕で勝負している人たち(そんな人も少なくなった)はなおさらだ。
腕を磨くには経験が必要だが、経験は与えられたものだ。
仕事を重ねれば技が磨かれる。
その仕事は誰かが与えてくれたもの。
だから、腕や技は自分だけのものでなく、与えられて来たもの。

もし、思わぬ幸運がまいこんだとして、
どんなことを考えるだろうか。
ラッキーと思うか。
僕だったら、なぜ、なんのためにこの幸運は僕のところへ来たんだろう、
と考え、その経験の使い道と、返す場所を考える。

生きるサイクルはそういうふうになっている。

所有の意識が、損得勘定や勝ち負けをつくる。
そして狭い狭いからに閉じ込められてしまう。

損得勘定では本当の人生もおくれないし、本当の仕事も出来ない。

商売を生業とする人達でも、話していると、根っこのところでは、
お客様に喜んでもらいたいという損得勘定を離れた意識がある。
あっやっぱりそこなんだ、と嬉しくなる。
結局、ちょっと違いだけど、本当の仕事をしている人は、
対価な交換で満足している訳ではなく、
プラスアルファの部分を大切にしている。
そこまでは他も同じ。でも、そこにプラスがあるかどうかだ。

僕だって、前にも書いたかも知れないが、
こういうことをしている以上、当然、損得勘定ではとてもつとまらない。
場に使うこころのエネルギーは身体と直結している。
一つの場で疲れきってしまうのは、エネルギーの使い方が間違っているからだ。
自分の力でやってしまっていると疲れる。
それは何も知らない人のやり方。
僕らの場合は循環させる。自分自身は空っぽの器のようなもので、
エネルギーは場や、もっと大きなものの中にある。
僕らはそれを上手く循環させるだけだ。
だから疲れない。
でも、あくまでこれは基本というにすぎない。
基本だけですべてができるわけではない。
時には自分と言う個体のこころと身体的エネルギーを必要としている場面もある。
それがないともう、こころが動かないという人だっている。
そういう時、これは自分の身を削るしかない。
でも、その時、身を削るなんて意識は発生しない。
自然に当り前に身体が動く。
つまり、制作の場には損得勘定なんて動きようがない。
自分を守る意識や、少しでも自分を優位な場所におこうとする気持ちがあったら、
場自体が止まってしまう。
この時、自分という存在をまるごと使って、
相手にあげる場合、こちらにはかなり覚悟がいる。
こういうのは言ってしまうと美意識に反するが、ある意味で寿命を縮める行為だ。

それでも、そうしていると、良いものがたくさん、自分に与えられもする。

土曜日のアトリエで久しぶりに、新しいメンバーの1人と、
作品に向き合った時、かなりの力を使ったが、
本当に素晴らしいものが出来た。
こんな凄い世界を見せてくれるのだから、僕達は出来ることは何でもしなければ。

人と人。1人とみんな。人間と自然。世界や場。
人生はすべて持ちつ持たれつ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。