2012年6月26日火曜日

見ることと見えること

さて、書くことは色々あるのだが、今日も少し別の話題。

昨日の夜、以前お世話になっていた共働学舎(現NPO法人)の、
まことさんから電話があった。
メンバーの1人のことで相談だった。
人間関係があんまり上手くいかないという人だが、
話していても人の話題はなかなか出て来ないと言う。
その中で、まことさんは何とか糸口を探すように対話を重ねている。
彼の口から「佐久間さん」という名前だけは登場するという。

彼と出会ったのはもう12、3年も前のことなのに。
今でも思い出すが、あんまり人と話さない彼が初めて会って、
僕としばらく遊んで話してくれたこと。
その夜、彼の部屋へ行くと、彼はもう寝ていたが机の上にノートが広げてあった。
小さな文字で、「今日出会った人。佐久間さん」と書いてあった。

僕はたくさんの人に出会って来たし、責任も強く感じている。

今、進めていることが、いつか誰にとっても良いものになって欲しい。

東京での活動としてかせられている仕事は苛酷なものでもある。
昔のように誰でも受け入れることは出来なくなった。
身体にも時間にも限界がある。
する必要があるのに、出来ないことは葛藤でもある。

でも、今僕達が優先させている活動は間違っていない。

まことさんと久しぶりに話せたことは、楽しい時間だった。
佐久間、変わったなと思ったかも知れない。
僕は僕で、だからまことさん、あまいんだよと思うところもある。

「土地もある。お前がやるなら、出来る環境があるぞ」
「本当に。じゃあ協力して何か創ろうよ。」
「よーし。言ったなあ。一緒にやるぞ。はじめるぞ」
「だからー。僕にももう責任があるんだよ。今、ある場も守らなきゃならない」

こんなことを言ってくれる人は貴重だ。

さんざんお世話になりがら、古い、とか、美意識に欠けるなあ、
とかあまいんだよなあ、とかいつも思ってしまって、
それでも付き合ってくれる人生の先輩がいることは、素直に嬉しい。

僕のような理解のされにくい、どこの馬の骨とも知れない小僧を、
お前、面白いぞ。お前のする事なら応援するぞ、と言ってくれたのは、
十代の頃に出会った禅寺の老師と学舎のまことさんと、
アトリエの肇さん敬子さんだったことは、今でも有難いと思っている。

来客の方、ご見学の方が増えているというお話は書いた。
今月に入ってから何名も対応していたから、
その間、スタッフのゆりあには頑張ってもらっている。
時にはそんなにしなくてもいいんじゃないの、と思うかも知れない。
先日、教室の後に僕はゆりあに話しかけていた。

「いっぱい人が来るでしょ。ゆりあ、人間には2つの眼と耳があって鼻と口がある。みんな一緒だよ。みんな同じ条件で、この同じ場所に入る。分かる?でもあの人達には僕に見えているような世界は見えないんだよ。見えるか、見えないか、それは僕には分かる。なぜ見えないと思う?見ようとしないからだよ。みんな同じ眼と耳をもって、同じ場にいて見えるものが違うのは経験の違いではない。見ようとする意志。感じようとする意志。すすんで自分の限界を超えて行こうとする勇気と、自分の知らない世界を見てみよう、学んでみようと思う謙虚さ。つまりはこころが見える世界を決めている。だから、伝えることは決して無意味ではない。伝えることで、僕の見ているものやダウン症の人達の世界が見えることはない。それは自分で見るしか方法はない。でも、伝えることで、その人が見る意識を変えるかも知れない。そうすれば、何かが見えてくる。だから、僕は見せるし伝えることをやめない。1人の人に伝わらないなら、他の人にも伝わらないだろう。そうだったら、僕達の活動に意味はない」

気がつくとこんな話になっていた。
彼女には分かっていることではあっただろうけど。

教室の場は作家が優先されるべきだ。
だから、どんな場合も場が保てるように来客には制限をつくる。
その上で条件が許される場合を見極めて、お客様を迎えている。
その事を少しだけこころにとめておいていただきたい。

そして、時間と人数の都合で未だアトリエにお越しいただけていない方に、
いつか機会をつくりますので、しばしお待ち下さい。

同時に、興味本位の方については、
それも悪いとは言えないけれど、
何でも見さえすれば分かるとは限らない、ということを知っていただきたい。
眼で見ても分からないことはいっぱいある。
こころで感じること。それはどんな場所にいても出来ること。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。