2012年7月1日日曜日

夏の記憶

昨日の夜、悠太が急に高熱を出した。急いで病院へ行った。
明け方、触った感じでは熱は下がって来ていると思う。
少し心配だけど大丈夫だと思う。

合間を見て、よし子と今後のダウンズタウンについて語り合っている。
大きく動かなければならない時期だ。
どこまで出来るだろうか。

先日はしょうもない会に出席していた。
なんの会か、さすがに僕も名前を出すことは控える。
本当はこういうのは言っていった方がいいし、どんどんケンカした方がいい。
でも、やっぱりそれによって迷惑がかかる人が多いのでやめておきたい。

人のこころが動くことで、多くの人の動きにつながる。
そんな流れには注目していきたい。
でも、莫大なお金が動くことで、人の動きが生まれているということに、
なんの興味も持てない。
大人になったら、そんなこともあるよなあとか、
世の中そんなもんだよ、とか思うのかなと思っていたが、
この歳になってもぜんぜんそんな事はない。
くだらないものはくだらない。
だから、あえて青臭いことを言おう。
お金や地位や権力で、何かが動いたとしても、そんなものになんの意味も感じない。
しかもそんなものは結局、何も生み出しはしない。
何かが起きていると錯覚させるだけだ。いずれ時間が証明するだろう。

まあ、そんなことはどうでもいいことだ。
僕達には永遠に関わりのない世界だろう。

記憶について、思い出について書きたいと思う。
と言っても僕は過去には全く興味がない。
終わったことには何のこだわりもない。

記憶や思い出とは、今生きているものだ。
いや、それは永遠に生き続けるのかもしれない。

僕の一番大切な宝物は思い出だと思う。
他のものはみんな捨ててしまってもかまわない。
最後には思い出だけが残る。

思い出は人や出来事が自分に与えてくれたプレゼントだ。
だから、大切にしたい。
良い思い出が人への愛情を生み、やさしさをつくる。
良い思い出を持っている人は悪いことをしない。出来ない。

この前、悠太に、高い高いをしていたら、
僕自身が小さな頃に同じようにされた記憶が思い出された。
その時に高いところから見た景色や感触やあたたかさまで。

父とは人生の早い時期に分かれなければならなかった。
でも、確かに肩車をしてもらっていて、
父の「危ないから、絶対につかまっているんだよ」という言葉を聞ききながら、
髪の毛を引っ張っている記憶がある。
まるで、ついこの前のような感覚だ。

僕が一番大切にしている記憶。
自分の原点である記憶がある。
子供の頃のこと。
西原理恵子の漫画「ぼくんち」は客観的に読むことができない作品だ。
何故なら、あの話はそっくりそのまま、僕の少年時代と重なるからだ。
ほとんどあれと一緒だった。
ただ、一つだけ違うのは、子供の頃の大切な記憶だ。

僕はいつもそこにいた。
あの途方もない感覚の中に。
無限と永遠が目の前にあって、自分を取り囲んでいる風景。
前にも後ろにも、上にも下にも無限があった。
僕という存在はあるのかないのか、そのギリギリのところで、
ただ、無限だけが辺りを包んでいた。
その気配をいつでも感じ、いつでも味わっていた。
たった1人で街を歩き、川を歩き、いつまでもそこにいた。
それが、あまりに当り前すぎて、何も考えてはいなかった。

ある夏、僕はこの無限の感覚をはっきりと自覚した。
橋の上から川を見ている時だった。
ビニール袋に蝉の抜け殻をたくさん詰めていた。
僕は自分の感覚している世界、無限の気配をはっきりと自覚した。
みんな、みんなこの感じを知っている。
みんな、こんな風に見ている。
でも、いつかこの感触は消え、こんな風には見えなくなる。
いつか、何もかも忘れていく。
それが大人になること、人間になること。
だから、この感覚のことをみんな知っているのに、知らない。

あれからどれ位の時間が流れたのだろう。
僕はたくさんの人に出会い、たくさんの経験を積んできた。
35になった。
そして、結局あの感覚は無くなることはなかった。
忘れることもなかった。

時々、無限が僕を守ってくれたような気がする。
本当に変な話なのだが。

人でも出来事でも、影響はその場限りのものではない。
むしろ、それから後、1人でその記憶を育てていく。
膨らませていく、それが記憶の素晴らしさでも怖さでもある。

もうとっくに、終わってしまったことなので、
少しだけ女性の話をしても良いだろう。

中学生のころ、大人の女性と恋愛のまねごとをしていた。
彼女にとっては、疲れや諸々のことを忘れる為の気晴らしだったのだろう。
夏の夜、僕達は公園のブランコに座っていた。
もう多分、この人とは会わないな、と僕は感じていた。
彼女は「ゲームしようか」とたしかそんな言葉ではじめた。
「これからもう何年も何十年もたった時、どちらかが今日のことを思い出せるか。今日の、今ここの公園の夜のことだよ」
「公園の夜のブランコね」
「そう。このブランコ。これを思い出すとき、それぞれは何をしてるんだろうね。もしかしたら、歳をとって人生の最後の最後にこれを思い出すかも」

相手の記憶に刻む、これは凄い言葉だと思う。
でも、その言葉は聞く側だけでなく、必ず言った側にも影響を与えてしまう。

これは信州にいたころのことだけど、
仕事に夢中だった僕はそのころ少しだけ付き合っていた人のことを、
ほとんどほったらかしにしていた。
どんどん険悪なムードになって来て、自然消滅のように、
どちらともなく相手から遠ざかっていった。
そんな彼女が急に手紙をくれた。
一度だけ会って話したいと言う。
僕はすぐに会いに行った。
話は誰かと結婚するということだった。お腹に子供もいると言う。
僕は「おめでとう。良かったね。いままで色々ごめんね」、みたいなことだけ伝えた。
更にしばらく、僕は日々に追われていた。
また、手紙がきた。最後の手紙だなと思った。
結婚式が終わった翌日にこの手紙を書いていますと、始まり、
生活のこと様々なことが書いてあった。
最後に「PS 昨日、佐久間君の夢を見たよ。どんな夢だったかはヒミツ。またいつか。」
と書かれていた。
最後にこんなことが言えるのか、と彼女を見直してしまった。
もちろん、ヒミツは永遠にヒミツであって、
もしかしたら、その意味は僕だけでなく彼女自身にも分からないのかもしれない。
ただ言えることは、最後が一番彼女と僕が近くにつながったということ。

こんな話はこれくらいにしておこう。
最後はこれは恋愛とは関係ないとおことわりするが、
海の近くの村で住み込みのアルバイトをした事があった。
みんなが夏の3日ほど休みになって家に帰っているとき、僕はそこへ残っていた。
女の子が「私の実家、近いんだけど行かない?今日はお祭りなんだ」と
話しかけてきた。
彼女の車で海辺をどんどん走っていく。
途中で何度か花火をみる。田園風景。
僕はあの景色をいつまでも忘れない。
彼女の車はたくさんのぬいぐるみであふれていた。
その子の家へつくとしばらく話していたのだが、そのうち彼女はいなくなった。
家族や親戚の人達、たくさんに囲まれて、僕は楽しく過ごしていた。
家は大きく、すべての窓が開けられていた。
どこの誰とも知らない人が大勢いて、外からも人が上がり込んだりしている。

子供のころ、裏山に入ると、そこはいつでも霧に囲まれていて、
何も見えない幻想的な風景だった。
霧の中で友達と語り合った光景も忘れられない。

すでにこの世からいなくなってしまった、大切な人達のこと。
彼らが僕に残していってくれたことは忘れない。
思い出す人さえいれば、記憶はいつだって生きている。
そして、今、この瞬間も何かを伝え、教えてくれる。

今日も良い教室をすすめたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。