2012年10月6日土曜日

大切なものに触れる時の感覚

今日も教室以外にいくつか仕事が入っている。
なかなか書く時間がない。
でも読んで下さっている方が結構いるようなので、少しでも書いていきたい。

これからは、作品を見てみたい人は三重に行ってもらう、とうい流れにしたい。
東京ではきっかけをつくる。
もっと深く知りたい人、触れてみたい人は三重に行っていただく。
そんな風に出来る様に環境を整えたい。
伊勢志摩の自然環境の中でダウン症の人たちの調和の文化を体験していただきたい。

僕自身、自分の仕事はきっかけをつくることだと思っている。
幸い、たくさんの人達がこの場で良い出会いを得ている。

ダウン症の人たちとつながる事で、人間の本質的な生き方を考え直す。
その入口を創っている。

ここで出会う人はみんな何かしらを持ち帰って下さる。
いつか、それが広がって行く。

場に入る人は、みんな学んでいる。
作家たちも、僕達も。

本当の生き方が見えてくるはず。
ここではいつもいつも当り前なことが行われている。
だから難しく考え過ぎない事だ。

最近はアトリエに長期の撮影が入っている。
皆さんのご協力があってすすんでいる。
最終的にどんな作品になるのか、楽しみだ。
僕自身はその辺の事は何も考えない。
場を創ることがこちらの仕事なのだから。
場から必ず何かが伝わる。
監督は良い方だし、いつも謙虚に配慮して下さる。
見学の方であれ、取材の方であれ、場に配慮さえしてもらえれば、
後はお任せする。
僕達は精一杯良い場にするだけだ。他には何も出来ない。
そこから、何かを得て下さる方がいれば良い。
僕は映像の力というものをそれほど信用していない。
一番大切なものは映らないと思っているからだ。
それを覆していただけると有難い。

本当の生き方と書いた。
僕達は学んでいるとも。
ここではいつも当り前な事を大切にして来た。
今の世の中では何が当り前な事なのかすら見えなくなっている。
本当にこころから笑ったり、楽しんだり、真剣になったり、
人とつながったり、やさしい気持ちになったり。
そんな当り前な事を日々体験しているだろうか。

探しまわらなくても美しいものなんて、
目の前にいっぱいあるのに。
それを見つけるのには感性を磨く必要がある。

ダウン症の人たちの様に敏感に生きてみよう。
例えば、誰だって大切にしているもの、宝物があるはずだ。
服でも車でも何でも良いけど。
愛着のあるものを使っているときの自分の振舞を観察してみて欲しい。
職人が道具を扱う手つきと同じはずだ。
大切なものに触れるとき、消耗させない様に、壊さない様に、
かつそのものが一番輝く様に扱うはずだ。
つまり、大切なものを扱うとき、人はそのものに適した動作が自然と出来る。
技術ではない。
どのように振舞うべきか、どのように動くべきか。
テクニックにはしらないことだ。
ただ、大切に思う気持ちをやしなうことだ。

最も適切な無駄のない、理にかなった動作を行う為には、
細心の注意を払って大切なものに触れる気持ちになれば良い。
これをものだけでなく日常の中に流れている様々な状況に向ければ良い。

注意を払えば色んなことに気がつくはずだ。
僕達はこうやって制作の場を創り、こころとこころで響き合っている。
お互いを大切に思う。場を大切に思う。
そうすることで感性は磨かれていく。

見聞きすることは大切な事だけれど、
本当に大事なのは実際に見ること聞くことよりも、
見ようとするこころ、聞こうとするこころの方だ。
見るだけでは、見えないものは見えない。
聞くだけでは聞こえないものは聞こえない。
見ようとする感性、聞こうとする注意力が、
見えるものの奥を見せる。聞こえないはずのものが聞こえてくる。

今この瞬間を見逃してはならない。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。