2012年10月31日水曜日

難しくしないこと

このブログのページなのだけど、知らない間に機械の方が新しくなっていて、
デザインも変わっているし(読むページは変わっていない)、
新しい機能も加わっている。
こちらは紙に書くように書いているので、
性能が良くなっても逆に書きにくかったりする。
変わらないのがいいのになあと思う。
それで、新しい機能としてブログを何人の人が開いたのか分かるようになった。
知りたいような、知りたくないようななのだが、横に数字が出てしまうので、
ついつい見てしまう。
見るとやっぱり気になる。
有難い話なのだけど、本当に多くの人達が読んで下さっている。
そんなに良く書けていない回のページがたくさん開かれていたりすると、
申し訳ないし、恥ずかしいかぎりだ。
もっとも良く書けている回などあるのかと言われれば、返す言葉もない。
もう少ししっかりしたことを書いていきたい。

一つ一つのテーマにしても、実はもう少し深めてみたいのだが、
毎回、最後のところは時間切れで終わってしまう。
ただ、時間が来たから今日はこれくらいという方が、
長くなって複雑になっていくより良いのかも知れない。

以前、友人から「あんな時間がない中でよく毎回、濃い内容が書けるね。いつ練ってるの?」と聞かれた事がある。
答えは簡単で練っていないからだ。
ただもう書いているだけだ。
練った文章とは、やっぱり白州正子のような文章だろうと思う。
そして、本当の文章とはああいうのをいうのだろう。
言外に含むというのか、言わないで、言う。
書かないで、感じさせる。それがおそらく本当の文章だ。

そういうレベルのことが出来ないから練る必要もない。

時々、ああいうのを読むと、
ただ書きたいことを書くということが恥ずかしくなる。

さて、週に5日はダウン症の人たちと過ごしている。
そして、他の時間では様々な仕事の方とお会いしてお話しする。
違う世界を行き来するような感覚だ。
どっちが本当の世界かというのは、
やっぱり僕達の見解では作家たちの世界と言いきってしまうが、
でも大事なのは繋ぐことだと思う。
理解し合うこと。お互いの価値を認めて尊重出来なければならない。

ここへ来る人たちにしても、お仕事でお付き合いする人達にしても、
ダウン症の人達の世界にふれ、扱う時に、難しく考えてしまうことが多い。
問題を複雑にしてしまうことがある。
今の社会や人の生き方がそうさせてしまう。

でも、本来はもっと簡単なことだ。
ダウン症の人たちは、人間の生にある、単純で力強いリズムを教えてくれる。

作品が美しければ、素直にきれいだなあと感じることが大切だし、
楽しければ、楽しむ。笑いたい時は笑う。
自然に創造性があふれ、みんなが仲良く繋がることが出来る。
こんな穏やかでやさしく、そして力強い世界があることを認めれば良い。

彼らの世界は本当に分かり易い。
そこに入ればすぐに何かを感じることが出来る。
この感じる何かが大切だ。
これは一つの生き方だといえる。
こういう可能性を知って、活かしてみられたら、
僕達はもっと豊かになるし、もっと色んなものが見えてくる。

彼らは僕達の世界に語りかけている。
こんな風に生きてみようと。

私達が未だ使っていない人間の能力や感覚がある。
それを見てみたいと思えば良いし、
その可能性を素直に喜んで、試してみれば良いのではないだろうか。

物事を難しく考えたり、難しくしてしまうのは人間の癖だ。
そこにたくさんの力を使ってしまっている。
だから、感性が動かなくなる。

難しくすること、複雑にすることをやめて、
単純に簡単にしてしまえば、感性が動き出す。
そうすれば、人間としての本当の力が発揮出来る。
そんな、生き方をダウン症の人たちが示している。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。