2012年10月7日日曜日

雨続きの毎日

雨が降っている。
傘をさしながら道の途中に落ちている枯れ葉を見る。
枯れて、赤や黄色や茶色の混ざった葉っぱが雨に濡れて光る。
色と色の間にあるかすれた線や色と色が混ざり合った間を見ていると、
何度も何度も見て来た、アトリエの作家たちの作品を思い出した。
昨日も見ていたし、今日も見る。この感覚を。
雨は静かで人通りもなく、全ての音がとてもよく聴こえる。
鳥の声、虫の声。自然の音には「間」がある。そして空間の奥行きがある。
人がつくり出した音楽には何故かそれがない。
それでも私達は人が創るものを欲する。簡単に良い悪いはいえない。
風が吹き、木の枝が揺れ、葉が擦れる音がする。
ここにも音を発しているものより、静けさの方が強調される。
音の奥に空間があり、「間」があるからだ。
てる君の絵が浮かぶ。彼の描くものにも奥行きと「間」があって、
それは色や線以上に多くを伝えてくる。

静かなので音がよく響く。
歩いている自分の足音が聞こえる。
ハルコが「地球の音するね」と言ったことが思い出され、
まさしく地球の音を感じる。
僕達はこうやってつながっている。
みんなの見ているものを僕もこうして見ている。

突然だけど、私達が生きているこの世界や、日々見ている景色は、
一枚の絵と同じだと思う。
ここで言う絵というのは、ダウン症の人たちの作品をさしているのだけど。

ずっと絵を見ていると、世界中が絵の様に感じられたり、
外を歩いてみても見えるもの全てに、あの作品の息づかいや、
色や光や溢れ出る波が見える。
それはいっぱい作品に浸ったからではないような気がする。
つまりはもともと僕達の生きている世界はこんな風で、
それが感じられなくなることが多いのだけど、
ダウン症の人たちはいつでもそこに居て、しかもそれを絵に描くことが出来る。
だから、あの絵を成立させている秩序と、
自然界や宇宙にある原理とは同じものだ。

東北で紅葉を見た事がある。
それまで僕は枯れたものは好きではなかった。
紅葉より、新緑の生命力や単純さが好きだった。
でも、東北で本物の紅葉を見たとき、考えが変わった。
枯れることによって始めて見えてくる生命の本質があった。
あの色の多様性を見続けて、いかに生命は複雑なものが響き合うかに驚かされた。
そして、その中のどんな小さな些細な部分をも見逃してはならないのだ、
と強く感じた。多様なものが複雑に絡み合う。
音楽だしリズムだと思う。
絵もリズムだし、生きていることも生活もリズムだ。
アトリエで単純な動作をするとき、紙を貼る、絵具を溶くとき、
1人の時より、場でみんなといる時、そこにリズムがある。
良いリズムで行かなければ良い場にならない。
多様さが豊富であるほど、響き合う。
教育では一人一人の個性を尊重するというが、
本当の意味で個性とは何か分かっているのだろうか。
個性とはその人のリズムだ。
個性を尊重するには相手のリズムを感じとる必要がある。

響き合う場を創っていきたい。
ダウンズタウンはそんな場にならなければならない。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。