2012年12月26日水曜日

無敵

今日は今年最後の教室。

昨日は夜、イサとモロちゃんが我が家に来てくれた。
モロちゃんのご両親にもお会いした。

モロちゃんは今年はお仕事、大活躍のようだ。立派だ。
朝が早いのに、そして最後の忙しい時期に、こうして会いにきてくれて、
本当に嬉しかった。
イサも研究を頑張っている。一年で必要な単位はとれている可能性が高いそうだ。
来年は東京のアトリエと三重の開拓を手伝いながら勉強する予定。
ゆうたの機嫌があまり良くなかったので、
寝られていないなかでも、はりきって料理を作り、
ケーキも用意している、よし子の姿は子供が産まれる前と変わらない。

みんな変わってないなあ、という微笑ましい部分と、
成長したなあというところと、やっぱり両方感じる。

最近は寒いのでキーボードを打つ手がかじかんで、スピードがでない。

先日、TBSの和田さんも言っていたけど自殺率の高さ。
和田さんはこの場の活き活きした姿を見せることで、
人が命を実感して欲しい、勇気づけたいと話していた。
確かにここにいるみんなは、作家たちばかりでなく、
学生達にしても、楽しい気持ちや幸福感、繋がりを強く感じる。
それが生きている、命の実感となって、笑顔につながる。
なにも難しいことではない。
もしかしたら、普通に考えるよりも、もっともっと簡単なことなのではないか。

この場を経験してみた人は感じるだろうけれど、
私達は日常生活であんまり笑っていないと思う。
それくらい、人は本当はもっと笑う存在だ。
ここでみんなを見ているとそう思う。

そして、もっと感じる存在だ。
もっともっと、感じてみれば、生きている実感は深くなる。
問題なのは感じられなくなってしまっていること。
こころがかたくなって動かなくなっているからだ。
もし、自殺まではいかなくても、
死にたいと少しでも思ってしまっている人がいるなら、
それはこころの動きが固まってしまっている。
自殺率が高いことも問題だけど、
実は生きていてもこころが動かなくなってしまっている人も含めて、
考えていかなければならない。
なんであれ、人の気力を衰えさせ、生命や本能の力を削ぐシステムが、
正しいはずはない。

忘れてはならないのは、内側から何かがわき起こる本能を、
どんな時も手放さないということだ。

僕は思う。
この世に産まれて来た瞬間に誰もが、
参加する、関わるということがスタートしている。
誰も傍観者ではいられない。
これは死の瞬間まで続く。
そこまでどれだけ参加して楽しく出来るかだ。
人はほっておいてもいつかは必ず死ぬ。
でもほっておいても生きられる訳ではない。

子供の頃、玩具がないから自分達でルールをつくって、
遊びを開発していた。
おにごっこの延長のようなゲームだったと思うが、
面白かったのは、電話ボックスの中に入った人には誰も何も出来ない、
という設定だった。
その状況を僕達は「無敵」と呼んでいた。
電話ボックスは一つしかない。ガラス張りなので外が見える。
そこに入っていると全員の動きが見える。
走り回って疲れるとそこに入り、「無敵」になる。
みんなの走り回っている姿がよく見える。
自分が離れているので全体が見える。

僕達が学んだことは、無敵がいかにつまらないか、ということだ。
電話ボックスの中にいる時、外へ出たくてむずむずする。
早くみんなとバカなことをしたい、勝ったり負けたりしたい、
もう無敵なんかいらない、と。
電話ボックスに一日入っている子は1人もいなかった。

ここで結論として、自殺してしまうことが、
この電話ボックスの無敵と一緒で、参加することが生きることだ、
と言ってしまえば簡単なのだけど、そう言いきってしまうことはしない。

それでも、この電話ボックスから2つのことを学んだ。
参加しなければつまらないというより、
参加せずにはいられない本能があるということ、
もう一つは離れて見ることが出来なければ、全体を見ることが出来ないということだ。
少しだけややこしいのは、この無敵の存在がなければ、
見えないことがたくさんある、ということだ。

僕は結構、死のことを思う。
そこからどう生きるかも考える。
10代の頃は命になんの未練もなく、死も全く恐れてはいなかった。
今はやっぱりそんな訳にはいかない。
恐怖心もある。

冬の透明な日射しが薄い緑の葉っぱを貫いて光っている。
葉と葉の間から、水色の濁りのない空が見えている。
風は冷たく、強い。

クリスマスが終わって、少しづつ静かになって行く。

バーバーのアダージョやバッハのエールがやさしく響く。

今、自分のいる場所がどんなところであれ、
そこを少しても良い思いで、ちょっとでも良くする。
多分、それが生きること、参加することだ。
そして、それはとても楽しいことだ。

2012年12月25日火曜日

クリスマス。
みなさんが良い時を過ごされていることを願っています。

平日のプレクラスも今日と明日まで。
今年ももう終わってしまう。

よし子の移動前なのでお世話になった方達から、ご連絡をいただいている。
よし子宛のメールに返信出来ておりませんが、
近いうちに本人からご連絡させていただきます。

色んな方とお会い出来て本当に嬉しい。
引っ越し準備とゆうたのことがあるので、あまりお時間をとれないのが申し訳ない。

それにしても、僕自身、仕事の上で様々な人達にお世話になっていることは、
いつも実感し感謝の気持ちがあったのだけど、
最近は私的な部分でも自分達を支えてくれている人達がこんなにいるんだな、
とようやく気がついて来ている。
もちろん、僕のことであって、よし子はそんな事はずっと感じているのだけど。

あたたかく思ってくれる人達に、もっと感謝しなきゃ、と感じている。

今年最後の、そしてよし子が東京にいる最後の絵画クラスでは、
土曜日にNHKの吉川さん、日曜日にTBSの和田さんが来て下さった。
お2人とも、何か形にしたいと企画を考えて下さっているが、
お付き合いも長いので取材というより、
この時期に久しぶりに友人に会うような懐かしい気分だ。
仕事に繋がることは大切だけど、それ以上に大事なこともある。
特にこのような場においては、人はこころで繋がらなければ意味がない。

来年からが勝負と思っているので、今年を振り返ることはもういいかなと思う。
でも、3・11以降の一年くらいで、アトリエの使命を、
より明確で力強く果たして行く必要を感じて来た。
よし子の三重移動には実は充分に準備をしてきている。
この時期に出生前診断が波紋をよんだ。
生命の源泉に立ち返って、本当の価値と本当の道を見出さなければならない。

人間が人間らしく、この地球という有限の空間で、
どのように生きるべきなのか、その答えの手がかりを、
この活動の中から示して行けるかどうかだ。

僕個人で言えば、外でお話しするようなことは控えて来たが、
今年は2本ほど、講演をおこなった。
来年も夏にお話しする予定だ。
場からも伝えるが、イベントや企画を通して、そして、
外でお話することで、どんどん伝えて行かなければと思っている。
何故、伝えるのかと言うと、僕が見ている世界に生命の本質があると思うからだ。
僕の見ている世界とは言うまでもなく、ダウン症の人たちの世界だ。

クリスマスと言えば、信州あたりは雪で真っ白だろう。
僕が昔いたところはマイナス18度くらいにはなる。

僕が小さな頃は金沢も雪が積もった。
今よりずっと寒かったと思う。
あれはまだ父と母が一緒に暮らしていた頃だったろうか、
僕はよく母と買い物のあと、祖母の家へ行った。
母と祖母が話している間に僕が寝てしまうと。
祖母は母に「あんたあ、この子、ここにおいてくまっし。あとで連れていくさかいに」
と言って、母を先に帰らせる。
僕はそれを知っていたので寝たふりをして祖母と一緒に居る時間を作っていた。
祖母はその事に気がついていてわざとそうしていたのだろう。
雪を踏みしめて、寒い寒い冬の中、祖母と手をつないで歩いた。
金沢はベタ雪で、雪の水分が多い。
それにいたるところにスプリンクラーから水が流れ続ける。
長靴でもビチョビチョになる。
もらったお菓子の箱に雪が積もって白くなる。何度も何度も雪をはらう。

祖母が亡くなって、お葬式の日は大雪だった。
夜、雷がなった。外は真っ暗で、雪が降り積もり、何度も何度も雷が鳴った。

滋賀県で町外れの工場のある場所で一人暮らししていた頃、
そこでクリスマスをむかえた。
あの冬は寒かった。
僕は短い期間でたくさん働いて今までにないくらいお金を手にしていた。
春が来たらこれを手に勉強しにいこうと思っていた。
古い旅館を改装した寮があってしばらくそこにいたこともあった。
その頃、色川武大の「あやしい来客簿」という小説集に出会った。
工場での休憩時間によく読んでいた。
いい文章だった。夢とも現実ともつかない、
それでいて、生きていることの滑稽さや危うさや、だらしなさや、
そしてやさしさや素晴らしさすら感じさせた。
文体はのらりくらりのようでいて、結局急所はついている。
ヘンリーミラーの南回帰線の文庫本も持ち歩いていた。
そのころはたった1人だったけど、孤独感のかけらもなかった。

祖母はよくいったものだ。
「たっちゃんは(僕は小さい頃、何故かたっちゃんだった)きっかん子やけど、かたいさけ」。金沢の言葉できっかん子は大人の言う通りにしないような子のことだ。
かたいは標準語で言えば良い子とか強い子。
きかん子とかたい子はちょうど真逆で一緒に使われることはない。

滋賀県にいたころ、オウム真理教の事件がニュースで流れた。
おばちゃん達が色んな噂をしていた。
僕は当時、お寺にも通っていて、宗教による事件に様々なことを考えた。
でも、すべてはどこか遠いところでの出来事のようだった。

寒いところにいたころはあんなに嫌いだった雪も、
今は冬になると、雪でも降って真っ白な景色が見たいなあ、
とか呑気なことを考えてしまう。

冬の一人旅も好きだった。
旅行者が少なくて。
まあ、僕が行くような所にはもともとそんなに人はいなかったけれど。

今年の東京に雪は降るだろうか。

2012年12月22日土曜日

教えること、教えられること。

今日は小雨のようだ。
さて、土、日曜日の絵画クラスは今年最後のクラスとなる。
といっても、5日から始まるのでいつもと変わらない。
でも、年の区切りというのは何故か意識してしまう。

1人で過ごすときに聴こうと思って、少しCDを整理した。
ビリーホリデイは3枚あった。
一枚は中古で300円で買った、
1935年から37年までの2年間の録音を寄せ集めたオムニバスみたいなの。
もう一枚は晩年の枯れきったもの。
そして、定番の「奇妙な果実」。これは37年と44年の録音。
「奇妙な果実」が最高傑作と言われることが多い。
でも、僕はこの中では35年からの2年間の録音が一番好き。
これはだいたいそうだけど、良い表現者は初期のものが一番良い場合が多い。
天才は特に早い時期に完成してしまう。
完成してしまうと、あとはアレンジを加えて行く以外にない。
いじればいじるほどつまらなくなって行く、ということもあるが、
それより、何事も完成されたら、それ以上はどうすることも出来ない。

今、これを書きながら、「奇妙な果実」を聴いている。

木曜日に少しゆっくりゆうたとよし子と3人の時間を過ごした。
恥ずかしながら、こんなに幸せを感じたことはない。
ゆうたはどんどん可愛さを増して行く。

やっぱり佐久間さんってちょっと違う角度から考えますね、と言われる。
別にわざわざ、常識に反抗しようとしている訳ではない。
ただ、僕は決まり文句や常套句というのが嫌いだ。
思ってもないことを言うのは論外だが、
無意識のうちに何も考えずに使っている言葉にも気をつけたい。
実感の伴わない言葉は言ってはいけないと思う。
例えば、ある施設の人と話していた時、
その方が障害を持っている人とのことを、
「むしろ、こちらの方が教えられます。」と言うのだが、
こんな言葉を鵜呑みにしてしまう人は多い。
はっきり言うけど、この方はそんなこと思ってませんよ。
嘘をついているのではなく、もう無意識に言ってしまうのだ。
なんの実感もないし、その言葉の意味についても考えたことがない。
だから、どこかで聞いた事があるような言葉しか出てこない。

もちろん、こんなことを言ってはいけないと言っている訳ではない。
僕だって時と場合によっては言うこともある。
だけど、考えて実感したことを言って欲しい。
突っ込んでも仕方がないが、「こちらの方こそ」という表現に、
実はあらかじめこちらが上という視点があるから、
逆転させたようなことが言える訳だ。

言葉は時と場合によるから、あえて軽い表現が必要な時もある。
だから、こう言ってもいい時もある。
あんまり、こだわると普通の会話が出来なくなるし。
僕がお世話になっていた宮島先生は頑張るという言葉を嫌っていた。
頑を張るというのは良くないと。
それはいいのだけど、先生の前で誰もその言葉を使わない。
こうなると宗教だ。
僕は平気で頑張るという表現をしていた。
その人の哲学で○○という言葉が嫌いというのがあって、
そこまでは分かるけど、周りにいる人がここでは○○という言葉は使わない、
というような場所が結構あって気持ち悪い。
会社とかでもそういうのがあるらしい。

問題なのはどういう意味で使うかだ。

こういう言葉を使ってはいけませんという話ではない。
実感を持って話しましょう。
人の言葉を盗んでばかりではいけません、ということだ。

さっきの方に話を戻すと、その後の会話も常套句の連続で、
最後には「あの人達(障害を持つ人達のこと。この方は利用者さんと呼んでいた。この言葉も何だか気持ち悪い)と一緒にいると癒されますよね」と言う。
お前らが癒されてる場合か、と思うのだが、それはもういい。
この言葉だって、学生や外から来た人が言う分には素直な良い感情がこもっている。

「奇妙な果実」を聴いていると、1937年以降のビリーホリデイは、
何かを失ってしまったのだと思う。
でも、そこに深い魅力がただよっている。
失ったことによって何かを得るということが本当にある。
今の僕にはこっちの方が響いてくる。
音楽にずっと浸りたくなる。

それでも、すぐに失われてしまうからこそ、37年以前の2年間に、
計り知れない魅力を感じてしまう。
誰でも一番良い時期は長くは続かない。

こちらの方こそという話だが、
あれこれ書いたが、それでも、相手から教わると言うことは、
障害を持つ人を対象にした場合のみならず、子育でも教育でもすべてにおいて、
とても大切な事であることは事実だ。
お世話してばかりいては、受け身な人間にしかならない。
教えてばかりいては相手は小さくなって行く一方だ。
人はお世話されるより、お世話することで成長していく。
教わることより教えることで学べることの方が多い。

普段大人から教えられてばかりいた人に、教えてよとお願いすると、
その人がとたんに活き活きしてくることは良くある。
何でも出来すぎる大人が近くで見ていることは、
実は教育上あまり良くない。

僕は特に作家たちにとっては、あんまり出来ない人だ。
だから、彼らはいつもサクマさん大丈夫かあ、とかばってくれるし、
面白いこと教えてあげる、とか、綺麗なものみせてあげるよ、
という態度で僕の前に自分の世界を出して来てくれる。

ゆうたと一緒にいてもそうだ。
僕が帰ると自分はもう食べ終わっていても、「まんまんまん」と言って、
僕に食べるように伝える。スプーンを僕の口に突っ込む。
食べ終わると僕の頭をよしよしとしてくれる。

飼っている犬でも僕の面倒を見ているつもりでいる。

みんなが心配してくれたりやさしくしてくれる。

これは自然とそうなるので、わざとしている訳ではない。
僕の場合は特に、自分の追求して来たことと関係している。
相手のこころが動き出してくれなければ、僕の仕事は成り立たない。
相手のこころがどうやったら動いてくれるのか、ということを追求して来た。
そこで、特に動きが固くなっている場合、
僕自身が相手のこころの深いところまで入りこまなければならない。
ちょっと入れてと言っても、怖いから入れてはくれない。
気配を弱くして、自分を小さくして行く。
やわらかくして行く。
敏感になっている時はこちらから相手に触ってはいけない。
相手から触ってもらえるように、こちらは無防備になる。
何をされても抵抗出来ないほどになる。
そうすると相手は入りな、と言って入れてくれる。
少しづつすすんでいって奥深くにたどりついた時には、
こちらは赤ん坊のように小さく無防備な存在になっている。
その時、自分のこころの深くにいる赤ん坊に対して、
相手は親のようにふるまい、守ってくれる。
そして、内側から様々な自発的な動きがわき起こる。
そうなったら赤ん坊である僕はすぐに消えなければならない。
今度は自然を相手にするように、波を見極め、気流に乗って、
流れの中でどこを活かし、どこを落ち着けておくべきか判断する。

2012年12月19日水曜日

ビリーホリデイ

年末にも関わらず読んで下さる方が多いので、
今日も書かせていただきます。

昨日、AEPニュースの発送も終わったので、引っ越し準備開始。
久しぶりにイサにもモロちゃんにもミヒロにも会える。

先日の日曜日にアトリエを応援して下さるベリーダンスのスタジオの公演があった。
教室だったので顔を出すことは出来なかったけど、
赤嶺ちゃんが一生懸命、繋いで活躍してくれた。
絵も一点、入口に置いてもらった。
ダンス、歌うことや踊ることは、作家たちの描く行為と同じものだし、
人が楽しい気持ちで繋がることができて良かった。
作品も喜んでいただけたようです。

よし子の移動を前に連絡をくれる人達がたくさん。
みんなありがとう。
これからは少し形は変わるけれど、大切なことはいつまでも変わらない。
いつでも前にすすんでいこう。

友の存在は本当に大きなものだ。
と言いつつ、僕には友達は少ないのだけれど。
みんながアトリエやダウンズタウンの活動を自分のものとして、
大切に想ってくれていることが何より嬉しい。
この場や作家たち、よし子や僕が一つのきっかけになって、
一緒に過ごし一緒に学んだ仲間たちと繋がって行って欲しい。

自分自身を考えても語り合った仲間達の存在は大きかった。
まだ経験が浅く、何も知らなかった頃は、
自分を完全にコントロール出来なかったから、
一緒にああでもない、こうでもないと言い合ったり、
認め合ったり批判し合ったり出来たことが自分を成長させてくれた。
特に今のような取り組みを自分が見出しつつあった頃は、
孤独でもあったし、人のこころに感応していくということは、
かなり感覚を研ぎ澄ませて高めて行く必要がある。
慣れない頃は高まって意識のスピードが早くなって行く自分を、
どう扱って良いのか分からなかった。
そんな時に仲間と語り合ったものだ。
みんなそれぞれが自分なりに何かを追求していたのだろう。
僕はその中でも特殊な考えを持っていたと思う。

一番、気があっていた友達のことは語れない。
それぞれが別の道を歩き始め、何人かはこころを病んでしまった。
僕達の相手にしているものは巨大だったから。
あの頃は自分と対象とする相手とのことだけで精一杯で、
仲間を本当に助けることが出来なかった。
僕達はあまりに強烈な体験を若い時期に吸収しなければならなかった。
あまりにおおくの闇や死を見なければならなかった。

よく語り合った友がいる。
彼の方が年上だったが、どちらかと言うと僕の方が何かを教えることが多かった。
彼もそれを望んでいて、結構、僕を頼りにしてくれていた。
教えることが、自分をどれだけ成長させるものなのか、
教えてくれたのも彼の存在だ。
教えているとき、僕は研ぎ澄まされ、開き、意識が高められた。
一緒に見出そうとする作業を続けて来たから、
彼がいなくなり1人になってから、語り合えることの掛け替えのなさが身にしみた。

一人一人と語り合った情景は忘れられない。
その時に見ていた景色や、聴いていた音楽や、世間で起きていた出来事。

お正月は1人で過ごすことになるかも知れない。
そうなったら、あの頃からずっと聴いて来たビリーホリデイでも聴こうか。
あの歌声を聴いていると、色んなことが思い出されてくる。

2012年12月18日火曜日

選挙

昨日はアトリエが終わってから、最後の封入れ作業。
無事終了しました。本日発送です。
出会ったたくさんの方を思い出しながら、作業しました。
それから、手伝ってくれた、あきこさん、稲垣君、赤嶺ちゃん、
本当にありがとう。

久しぶりにミヒロからメールがきた。
引っ越し手伝ってくれるって。

こうして、みんながつながりをもち続けてくれることが嬉しい。

作家たちも、学生達も、関わってくれた方達も、みんながつながっている。
一人一人のことを忘れたことはない。

これからは、よし子も三重へ行ってしまう。
距離が離れてしまうことは事実だ。
だから、ますます、みんなでつながりを強めて行こう。

あ、別に手伝わなきゃいけない訳じゃないよ。
みんなが、それぞれの場所で離れていても、お互いを想って、
自分の道を歩いてくれることがなにより。
どこにいても、アトリエでのように、
その場を良くするということを忘れないで欲しい。

政治のことについて、発言しない様にしているが、
先日の選挙はつまらなかった。
面白いとかつまらないという話ではないのだが。
自民党イコール悪のような考えは当然ない。
民主党もしょうもなかったことは確かだ。
それにしても、もう少しなんとかならないのだろうか。

投票は国民の義務みたいなことを言いたい人がいるが、
もっとよく考えてみると、選んだからには責任がある。
責任を持って選べる人や党がないということが問題だ。
いっそのこと、誰も投票しなかったらどうなるのだろう。
その方がちょっとは考えざるをえなくなるのではないか。

まあ、いい加減なことは言わない方がいいだろう。
ただ一つ。
政治によって世界が良くなることはない。
これは確かなことだ。
世界が良くなるためには、人のこころが良くなるしかない。
それは自分の問題から始めなければならない。

政治家の方とも何人かはお付き合いもあるが、
僕は一生、政治とは無縁だろう。

そんな中で、昨日もゆうすけ君なんかを見ていると、
本当にどうどうとどっしりしている。
世の中がどうなろうが、微動だにしない強さがある。
このたたずまいこそが人間の尊厳だ。
ここまでの精神の偉大さは持てないにしろ、
僕達もあまり右往左往せずに落着いて、良いことをし続ければいい。

ゆうすけ君には重みがあり、重厚感があるが、
てる君には軽さと自在さがある。
前回、志ん嘲のことを書いたが、てる君との共通点が多い。
それは軽さであり、流れるような穏やかなリズムと、
ブレスを感じさせない、深く静かな呼吸だ。
清潔で品があって水のように透明だ。

こういうリズムに触れて感じとれるようになることが、
人を豊かにし、環境を良くしていくことにつながる。

さて、まだ色々と進めなければならない事があるので、
今日はあんまり長く書かないことにしよう。
みなさんも、年末に向けてお忙しいことと思いますが、
お身体にお気をつけ下さい。
また、土曜日くらいに更新します。

2012年12月16日日曜日

境界線

今日は比較的暖かい。
来週、出来れば火曜日くらいには発送作業が終われば、
いよいよ引っ越し準備だ。
それにしても、何度引越したか分からない。
よし子とゆうたと離ればなれになるのは、やっぱり寂しいが、
次の一歩を踏み出すためには自分にも何かを課して行く必要もある。
何をするにしても、そこに人生をかける人、
命をかけて取り組む人とそうでない人がいる。
そうでない人を決して批判はしない。ただ、違う姿勢を見せて行きたい。
誰に対して見せるのかというと、次に何かをしようとする人達だし、
僕の場合はゆうたにも自分の生き方を見せなければと思っている。

この前、ゆうたが咳き込んでいて、2度ほどもどしたのだけど、
僕は自分がビチョビチョになって起きて、
またやってしまったかあと濡れた布団を見ている夢を見た。
この感触は何だろうと思っていて、昨日のゆうたか、と思い出した。
最近はゆうたと同化することが多い。

でも、僕は昔から誰かと同化したり、
誰かの感覚や思考を自分の内部で感じたり、そんな経験をしてきた。

境界線というものがある。
境界線はいったい誰がいつ付けたものなのか。
この答えは簡単だ。
日々、瞬間ごとに私達自身が自分で付けているだけだ。
だから、境界など本当はない。
ここで書いて来たような、夢と現実から始まり、
善と悪、男と女、日常と非日常、内側と外側、自分と他人、
といったようなすべての境界は本当は存在していない。
突き詰めれば生と死すらも。
存在しているとすれば、それは心の中でだけ存在している。
これは別に哲学ではない。経験で分かることだ。
特にこころに深く入る経験によって。
こころの表面ではそういった区分や境界だらけで、
それによって自分の世界を作っているが、深く入って行くと全く違う景色が見える。
そこでは何もかもが渾然一体とかしていて、一つという言葉も存在しない。

ここで上げた例の中で言うなら、
自分と他人というものがあるが、これなんか一番あやしい。
これは僕が特にここと関わる生き方をしているのでそう感じるのだろうが。
自分の中に他人が入って来たり、他の人のこころへ潜ってみたり、
そんなことをしているうちはいいが、
いずれ経験が深くなると、それらが同時に感じられる様になる。
そうすると、どこまでが他人でどこまでが自分なのか分からない。
他人と言っても、1人や2人でなく、多人数になってきたり、
さらにはもっと個を超えた何ものかが入って来たりする。

何もことさら話を大きくしている訳ではない。
単純に隣にいる人の気持ちを感じようということだけでも、
それを深くやってみたら、こんなことになって行くのだ。

数日前のプレのクラスで、
事務仕事を手伝いに来てくれていた赤嶺ちゃんが、
終わった後にたまごサンドを発見した。
古くはなっていない。誰が持って来たのだろう。
これ、誰のかなあ、と聞いても誰も知らない。
「食べてもいいかなあ」
「あまっているんだし、食べてもいいよ。」
そのとき、赤嶺ちゃんが面白いことを言った。
「このたまごサンド、謎だなあ。謎だから食べて、謎を消そうかな」

言葉の使い方は相変らずさすがだなあ。
そう、僕もそんなふうに謎をたくさん食べて来た。
謎があっても気にしないが、謎があっては困る人や、
謎で悩んでいる人がいた場合、僕はすぐにその謎を食べた。
だから、僕のこころの中は謎だらけになって、僕にとっても謎だ。

謎だけではない。悲しみも苦しみも、孤独も怒りも、
みんなまるまる食べてきた。
強い胃袋があって、ちゃんとトイレに流せたから良かったけど。
消化能力が弱い人はやってはいけない。

もう一つ。境界線が消えると言うか、無いところまで行ってもいいけど、
生きているのだからちゃんと境界線は引くこと。
境界線が無いと言うことを知る経験は素晴らしいけど、
そこから出られなくなってはいけない。
境界線を永久に消し去ってはいけないのだ。

僕自身も昔はかなりむちゃをしたので、
命綱をはずしてしまったり、出口を塞いでしまったり、
自分を置き忘れて来てしまったりして、危ないところだったこともある。

でも、こうして生きて帰って来ているのは、勝負を忘れたことがないからだ。
僕は安易な平和主義を良しとはしない。
きれいごとでは生きてはいけない。
生きることは、様々なしがらみを受け入れることだ。

勝負などというものは子供じみている。
それでも、こういう愚かさを引き受けることが必要だ。

確かに良いものを知ったら、すべてを良いものにしたくなるかも知れない。
でも、大切なのはバランスだ。
悪いものを滅ぼそうとしてはならない。
悪いもの醜いもの、そんなものもこの世の中には少しは必要だ。
どんなに良いものもそれだけになってしまうことは怖い事だ。

正しくないものと戦い続けよう。
でも、正しくないものを消滅させることは出来ないし、してはならない。

境界線は必要な分だけひくことだ。

2012年12月15日土曜日

回帰

普段のアトリエでの作家たちの集中は凄い。
多分、こんなに真剣になっている彼らを見る場面もないだろう。
そして、彼らは時に遠くを見るような眼差しでじっとしている。
ぼーっとしているだけの様にも見えるが、目つきが違う。
視線の力について、また暴力性についても何度か書いた。
目は、その人がどんなこころの状態にあるのか、示している。
さらに相手に自分のこころの状態を示す時にも有効だ。
何故、自分のこころの状態を示す必要があるのか、というと、
勿論、迷ったり、困ったりしている時に、安心感を持ってもらうためだ。
だから安心してもらうためには、自分が安心したこころの状態になければならない。

話はそれたが、目を見ているとその人のこころが分かる。
彼らのあの遠くを見る眼差しは、ただ放心しているのとは違う。
あきらかに物ではない何かを見つめているのだ。

今日はその話をしてみたいと思う。
でも、急ぐことはない。

いつもはアトリエまで自転車で通っているのだけど、今日は久しぶりに徒歩。
日の出は遅かった。
寒くなってゆうたの眠りが浅いのか、不安なのか、授乳が一時間おき。
よし子は寝不足で大変だ。
昨日は僕もあんまり寝ていない。
急に成長が早くなってきて、お腹がすいているのではないか、という気がしている。
いっぱい食べれば、寝られると思うのだけど、
アレルギーで食べるものが限られている。
同じものは飽きてしまってなかなか食べてくれない。
栄養が心配になるので、食事を考えていかなければ。

寝不足で朝日を見ると、かつてある障害を持つ人と、
寝ずに付き合って夜が空けたときの情景を思い出す。
身体がどこかへ行ってしまって、意識だけがその場にあるような、
不思議な感覚で夜明けの太陽を見ていた。

それにしても寒い。
ユニクロで暖パンというのを買った。
今年はこれでいこうかな。
いつも途中で邪魔になってやめてしまっていたが、腹巻きも最近はしている。
以前、ほぼ日の方にいただいたのが、やっぱり一番いい。

ようやく、年末の印刷物も纏まりつつある。
来週中には発送出来るだろう。
それにしても年末は特に時間がすぐに過ぎてしまう。

この季節になると、古今停志ん嘲を思い出す。
志ん朝は、僕が生きているうちに見ることが出来て、
一番幸運を感じる落語家だ。
志ん朝と談志だけは、何度も聞きに行った。
テープで聞いた志ん生、文楽、圓生、とか、落語は大好きだけど、
その話はやめておこう。
冬に思い出す落語は、「富久」で志ん嘲の亡くなった後に出た音源だ。
今から9年ほど前だろうか、阿佐ヶ谷で一人暮らしをしていた時に、
よく聞いていた。
今は手元にない。
冒頭の「ウー寒い。ウー寒い。」から始まって冬の寒風の雰囲気が出ている。
あのシリーズの録音が志ん嘲のベストかと言うと疑問だけど。
でも、くり返しあの透明感のある声が聞けるのは嬉しかった。
下手な音楽を聴くより、志ん嘲の落語の方がはるかに音楽的だ。
あのリズム、あの間こそ、自分に刻み付けたい。
談志も志ん嘲もジャズが好きだったけど、
やっぱり志ん嘲の方がジャズを感じさせる。
どこにも滞るところがなく、どこまでも自在だ。
上手さすら感じさせない。爽やかな息づかい。

CDや本は、僕の場合、定期的に手放してしまうので、
記憶の中にだけあるものが多い。
ここに書いているものも幾つかはすでに手元にないので、
確認出来ない。記憶に間違いがあるかも知れない。
なにせ、今は映画も見ないし、本もあんまり読まない。
音楽だってそんなに聴かない。
ゆうたが産まれてからは、電車に乗ることもほとんどない。
アトリエと家のまわりだけが僕の毎日だ。
それで、実は今の方が新しいことがいっぱいある。
ゆうたを見ていると発見することが多い。

最初に書いた遠いところを見つめる目というのも、
昨日、ゆうたがずっとそんな感じだった。
僕はゆうたと同じものが見たいと思ってずっと彼の目の先を見ていた。
無論、物質ではない。どこか遠く。でも確実に存在する何か。
こころの奥深く。
一緒に見ていると、本当に遠いところまで見えてくる。
僕達はどこから来たのか、じっと見ている。
それはアトリエでのこころの動かし方とかなり近いものになっている。

これを仮に発生学者三木成夫の言葉で、
「過去へと向かう遠い眼差し」と呼んでみる。
三木成夫はさらにこの過去へ向かう眼差しに対して、
「今のここに、かつての彼方を見る」視点と書いている。

ここで書いて来た「夢の中にいるような感覚」や、
「今が過去のように感じられる」や、あれやこれやも、
みんなこの過去へ向かう遠い眼差し、ということなのだろう。

これも三木成夫が書いていたと思うが、
鮭が命がけでやって来た場所へ帰ろうとするように、
人間も回帰する本能が植付けられているはずだ。
もっと言えば、この宇宙そのものが回帰する存在なのかも知れない。
世界がやっていたところへ、世界は回帰する。

ここで作家たちが制作する行為も、回帰していく行為だし、
この場は私達が本来あるべき姿に戻る場所だと言える。

そういう意味で、ここで何か新しいものを創ろうとか、
新しい知識や技術を身につけようとか、
持ってないものを手に入れようとか、出来ないことが出来る様になるとか、
そんなことではないと思うのだ。
むしろ、そんな事は毎日毎日、無理やりしているのだから、
一旦、みんな捨ててしまって、元に戻ろうよ、ということをしているのだと思う。
そして、回帰したとき、僕達は再び活力を得る。
しばらくすると、また色んなものが溜まってくるので、
また捨てて、回帰する。生きるとはそのくり返しだ。

素直に捨てられる人、裸になれる人は疲れない。
生命力が新しく湧き出てくる。

2012年12月11日火曜日

ほめること

今日も朝の2、30分でブログ書きます。
昨日も夜明けの太陽を見た。
燃えるようでやっぱり感動する。

今日もプレと事務仕事。今週でかなりのところまで終わらせておきたい。
昨日、机に積まれた封筒とプリントの束を見て、
稲垣君が「明日も手伝います」と言ってくれた。

砂糖は麻薬だと言う人がいるくらいだけど、僕はついつい欲しくなる。
(糖は身体が分解して造り出せるもので、砂糖という形でとる必要はないらしい。)
なるべく避けようとはするのだけど、甘いものの誘惑は凄い。
更には苦いコーヒーとの相性は抜群。ゴールデンコンビだ。
疲れると食べたくなる。
甘いものはずっと好きだった。
よし子とお店に入るといつも注文したものが逆に運ばれた。
僕が注文するものは女性的なもので、よし子は逆だったみたいだ。

赤嶺ちゃんにもよく
「佐久間さんって女だよね。おしゃべりとか好きだし」と言われる。
ここで言うおしゃべりは決して哲学的なものではない。
ひたすら意味のない話だ。あの人がどうしたとか、あの店が良いとか。
実際僕は女性的なものが好きだ。
香りや花や色々。

ずっと以前に尊敬するお坊さんがいて、その方から学びたいと思っていたので、
しばらくだけ、中部地方で暮らした事があった。
その時期、僕の部屋はバラの香りにしていたし、
近くのお花屋さんで定期的に花を買って飾っていた。

友達も以前はほとんどが女性だった。

こういう部分は今では「場」の中で女性的な力を使う場面が多いので、
日常的にはそんなに出さなくてもよくなった。

だから、真面目すぎるとか言われたり、
怖い人間に思われると、誤解されてるなあと思う。
最近はぜんぜん行っていないけれど、以前しばらく通った鍼灸院で、
先生がいつも「佐久間さんは強いですよ。」とか言っていて、
時々、「佐久間さんって武道をされていたんでしたっけ?」と聞かれていた。
毎回、違うと否定するんだけど、お酒も強いと思われていた。
身体を触ると、精神的にも身体的にもかなり強いらしい。
「欠点があるとすれば、強すぎて弱い人のことを理解出来ないかも」と言われた。

そうなのかなあ。
身体も実は昔はとても弱かったと思う。

確かに僕は立ち向かわなければならない時は、完全に男になる。
でも、多分、強くはないと思う。
身体的苦痛に弱いし、高い所と水の中が怖い。
結構、苦手なもの、怖いものがある。

こんな話題もただのおしゃべり。

ところで、「場」のことにも少し触れよう。
長くアトリエに通い続けていたイサが、大阪に行っているが、
向こうでも勉強と同時に現場も見ていきたいと、様々な場所で学んでいる。
主に障害を持った人の施設の中でもアトリエがあるところや、
表現活動をしている場を見学させてもらうのだと言う。
「いいところあった?」
「ないですねえ」
(申し訳ないです。学生の生意気をお許し下さい)
「最初にアトリエみちゃってるからね」

そんな中でこんな話題があった。
ある施設のアトリエで制作を見せてもらっているとき、
作家が作品を仕上げてもスタッフはほめない。
作家は作品に何か言って欲しいみたいで、周りの顔を見る。
イサはうちのアトリエをずっと見ていたから、その光景に違和感をおぼえた。
それで、作家が何か言って欲しそうなのを見て、
「良い絵だねえ」みたいなことを言ったらしい。
そうすると、その場の雰囲気が変な感じになった。
あれっ言っちゃいけなかったかな、と思って、
終わった後に代表の方に聞いたところ、こう答えられたという。
以前、作家を褒めたところ、作品が変わってしまった。
自分達は作家に影響を与えない様にほめないことにしている、と。

さて、結論だけ最初に書こう。
この考え方はあまりに素人的だ。
だが、理由を書く前に、この方達の活動については、
世の中に沢山ある施設の中で際立った良い役割を果たしているものだし、
新たな可能性を開拓してもいるということは述べておきたい。
有名な団体でもあるので名前は出さない。
これはあくまでスタッフの役割という、
現場での実践的な事柄についてのみ、見解の甘さを指摘しているまでだ。
その活動自体はなかなかすぐれたものだとは思っている。

まず、このナイーヴな認識は、始まりは良いと思う。
自分達が影響を与えてしまって、
作品を歪めてしまっていることにさえ気がついていない人が多すぎる。
その中で、作家の良さをこちらの世界の影響で歪めたくない、
という志も高いと言える。
だが、関わるスタッフとして、その程度の認識に留まっていてはいけない。
それは出発地点であって、結論ではないはずだ。
まず、言うなら、本当に作家に影響を与えないなどということはありえない。
「影響を与えたくないから、ほめない」というこのスタンスが、
作家たちに影響を与えていることは確実だ。
場所から道具から、そこにいる人の雰囲気から(方針からではない)、
作家たちは絶えず影響を受けている。
このように影響を与えざるを得ない存在であるというのが、
スタッフとしての出発点なのだ。
その事を真に考え抜いて、どう接するべきか確信を持った人間のみ、
関わる資格がある。
例えば「影響を与えていない」と考えれば、責任もないということになる。
スタッフは自分が関わった作家の作品に責任を持つべきだ。
描く人間はこころを持っている。
こころが動かないで良いものが生まれるだろうか。
こころは共感によって動くのだ。
周りの表情を見たその作家は孤独だったに違いない。

別に創作に限らず、教育の問題にしても、
「ほめる」ということに気をつけなければならない事は確かだ。
ほめるということが、相手を方向づけ、支配することにもなりかねない。
ほめられたい人をほめてはいけないということもある。
ほめられるということは、評価を気にするという卑しい心理を誘導してしまう。
でも、こんなことは基本中の基本。
関わることを仕事としているほどの人間なら、
影響を与えないほめ方や、卑しさを引き出さないほめ方くらいは、
出来なければ始まらない。

スタッフはこころというものを熟知していなければならない。
自分や周りの環境が相手にどのように入って行くのか、
見極め、どのように振舞えば、相手の本質であり、
一番良い部分が発現出来るのか知り、適切な影響を与えなければならない。

だから、そこから先が私達の仕事ですよ、ということだ。

2012年12月10日月曜日

名付けようがない世界

今日はAEPニュースの準備。
パソコン関連の作業や名簿の整理は、
よし子、稲垣君、あきこさんに頼りっぱなしだったので、
三つ折り、封入れ等のアナログ作業で力を発揮しなければ3人に示しがつかない。
しっかり存在感を出せないと、みんなに申し訳ない。

三重での合宿の時も、学生達に協力し合う意味を語りながら、
結局、こちらはみんなの姿に感動するのみで終わった。
アトリエに集まってくる人達は相手を思い、
みんなの為に何かをすることが出来る人達だ。
僕としては愛想を尽かされない様に努力するだけだ。

色んな人達と一緒にいるから、勉強になる。
本も随分読んだ時期があったが、
人がさり気なく教えてくれることから学んできたことの方が多い。
夏になるとよし子の友達の中田君のスイカが届く。
中田君は無農薬でかなりこだわった野菜を作っているが、
なかなか徹底していて信頼出来る。
本当の野菜はこんな味かあ、と改めて感じる野性的な味。
中でも特に凄いと思うのはスイカだ。
本当のスイカは接ぎ木をしないで直接育てる。
普通に売られてるのはカボチャや何かに接ぎ木しているそうだ。
本当のスイカを作ると、同じ畑では8年間もスイカを植えられないという。
それくらい、スイカはエネルキーをもっている。
勿論、味もぜんぜん違う。
食べるだけで、本当に勉強になるくらいだ。
そのスイカを食べていて、僕は「凄い」としか言えずに、
ずっと感心していたのだけど、その時、一緒に食べていたクリちゃんが、
「これ、肉みたい」とつぶやいた。
そうだ、本当にそうだ、と思いつつ、ああこれもいい言葉だなあ、と勉強になった。

最近はテレビを見なくなった。
悠太の寝る部屋の隣にテレビを置いたので、起きない様にあんまりつけない。
でも、ほんの少しの時間、見たらフィギアで浅田真央が滑っていた。
絶えずレベルを上げているのだなあ、と感動。

テレビと言えば、悪い習慣と、だらしなさの現れなのだけど、
少し時間があると、だらだらと見てしまう。
別に面白くもないというより、むしろつまらないことを確認している。

この前、あきこさんとの会話で
「テレビ、結構見ますか」
「あ、つい見ちゃうかな」
「子供の頃、家でテレビ見られなかったとか」
「そうそう。テレビなかったなあ」
「そういう人が反動でみるんだよ。だから子供に、あんまり禁止するのもよくない。」

これもクリちゃんから教わったことだけど、
人がテレビを見てしまうのは、あれは火を見る習慣からだと言う。
かつて、人類は焚き火の火を見つめ続けていた。
そのなごりで光っているものを見てしまうらしい。
こういう話は大好きだ。

信州にいたころは、冬には槙で火をおこしていたし、
陶芸で寝ずの火の番もしていた。
一晩中、槙を入れて1000度以上を保つ。
火をずっと見ていると時間はすぐに過ぎていく。
確かに火に魅かれる。ずっと見ていたくなる。
あれは遠い昔が蘇ってくるのか。

この前から思い出すタルコフスキーの映画も、火と水のシーンがいっぱい出てくる。
火と水が世界にあふれ、世界を包む。静かに。
あるいは火と水にまで遡り、分解されていく。最後には透明なイメージだけが残る。

季節の変わり目は、作家たちも少しペースを崩すのだけど、
冬なら冬になってしまえば、また良い流れに戻る。
という訳で今はまたとても良い。
冬の方が深さが出る。明晰さや迷いのなさは冬の方が発揮される。
冬は内側に集中するようになる。夏は外に開かれていく。
全体的にそんな感じが強い。
絵を見ているとつきることがない。
そとから見学に来る方で、よっぽどの時は注意しているが、
絵に説明を求める人が多い。
特にやめて頂きたいのは作家本人に質問攻めをすることだ。
下を向いて苦笑いしている表情を見たら、すぐやめることだ。
言葉にしないと理解出来ないのは自分達の責任であり弱さなのだから。

ちょっと急だけどちょっとだけ深い話までしよう。
本当に本質的な深い表現には、意味も目的もない。
言葉や解釈である程度読み取れる作品もあり、
そこから理解しようとする人は多いが、
そういった筋やストーリーがあるものはまだ浅いものだ。

これはこころというものに関係していて、
こころの浅い次元では筋があり整合性があり、理解出来る世界がある。
何故なら、自分の意識が世界を解釈して位置づけているからだ。
ここしばらく書いている話で言うなら、
人は無意識のうちに見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いている。
それ以外のものはないことになっている。
いいかえれば、この世界を絶えず解釈し、自分の範囲に納めている。
時々、違う要素が入って来て混乱するが、そのうちにまた何とか整合性に戻る。
このこころの仕組みが、霊をつくり、気やオーラや宇宙人をつくっている。

人のこころとずっと向き合っていくと気がつく事がある。
それは普段こころというのは完全にパターン化されているということだ。
自分が現実だと思っていることは、自分が無意識のうちに切り捨て、
解釈した世界だと言うことに気がつかない。
見えないものや、経験したことのないものを前にしても、
それを一つの概念によって実体化してしまう。
それが霊とかオーラとかいう解釈になる。
でも、そんなのはみんな、「解釈不能なこころの動き」だ。
これを言うと怖がる人が多いが、意味も目的もない。
ただ、なにものでもない動きそものもがあるだけだ。
こころというものの一番奥には、そういう領域がある。
機嫌がいい人がその領域に触れれば、楽園とか妖精とかに見えるのだろう。
もっと言えば神だってそうやって生まれるのだろう。
反対に不安や恐れがある人が見れば、それが得体の知れない霊とかになる。
でも、どちらも解釈が入ってしまっている。
その後はこころがパターン化した世界に持ち込むだけだ。

生きている以上は何らかの解釈が必要であり、
パターン化も必要ではあろう。
でも、それに縛られてしまって、身動きがとれなくなっている人は多い。
僕達は一度、元をたどって、解釈しない本質にこころを解放しようとする。
そうすると、こころは元気を取り戻す。
意味も目的もない、解釈も出来ない、何ものでもない、ただの動きというと、
怖がる人が多いが、それを本当に経験すると自由になれる。
解放されてもっともっとやさしい存在になれる。
時に本質を思い出すことも私達には必要なのだ。
そんなとき、ダウン症の人たちの作品の力は様々なことを教えてくれる。

絵に関しては美しければそれで良い。
感じることを大切にしよう。

2012年12月9日日曜日

タイトル無し

毎日寒いけれど、今日はいちだんと冷え込む。

今日はどうしようかな、と思っていたが書くことにした。
来週は事務作業が忙しくて書けないと思うし。

ところで、何でも見たがる人というのは、
あれはいったい何がしたいのだろう。
見ればなんんでも分かると思っているのだろう。
そういう人にかぎって、「確かにこの目で見たんだ」とか言って、
見たものを妄信する。
この目で見たからと言って真実とは限らないこと位は知った方がいい。

社会全体がこの「見ること」「見えること」に偏りすぎている。
恐らく、こんなことを書くとなんのことを言っているのか分からないだろうが、
分からないのはそれこそ、見ることが当然で、
見えない状況で感じとろうとした事のない証拠だ。

視覚は便利だが弱点が多い。
離れたものに触れずに、認識することが出来るという便利さはある。
それは全体を把握する場合や、危険を避けるのには有効だ。
だが、触れずに認識するということが、そのまま欠点でもある。
見ることは支配することに近い。

この調子で書いていくとまたテーマが大きくなりすぎるのでやめよう。

絵画全体でも言えることだけれど、
特にアトリエ・エレマン・プレザンから生まれている作品は、
視覚だけに頼って見るより、他の感覚も開いて感じとっていく方が良い。

ものを見る眼差しはその人のこころをよく表している。
謙虚な人、やさしい人は、目を閉じる場面も知っている。

小さい頃に大人によく言われた経験があるだろう。
相手の目をみなさい。相手をよく見なさい。
それが誠意を表すことの様に。
それは場面によっては確かにそうなのだけど、必ずしも正しいだけではない。

特に僕みたいに人のこころとずっと向き合っていると、
「見ること」に対してはかなり自覚的になる。
視線は暴力にもなりうる。
じっと見ることが誠意を伝えたり、なにか真剣なものを伝える力になりうるが、
始終そうしていたら、必要な場面での目の力を失う。
特に人がこころの奥にあるものを動かそうとしだしたら、
最大限のやさしさを示しつつ、目で見ないことだ。

見てはいけないものを見てしまったという言葉がある。
見てはいけないものというものがある。

外を歩いていると、その辺を撮影しているテレビの人や、
カメラをカシャカシャ撮っている人がいる。
素人でも多い。
その辺を歩いている人達に一人一人、「撮影していいですか」とか、
確認をとる訳にはいかないいだろうけど、
何でも見ていいという権利をいつ誰が与えたのだろう。

育ちが悪かったせいもあるが、
僕らの子供の頃だと、相手をじっと見たら殴られても仕方ない。
それは、そういう地域の子供の世界だろうが、
例えば、熊に会ったら目を合わせてはいけないと言うではないか。
動物がそうであると言うことは、人間も本能的には見られることに、
何らかの恐怖を抱いているはずだ。

これは何も視覚の話だけをしている訳ではない。
こういう当り前と思い込んでいることに、もう少し意識的になることだ。
謙虚になり、配慮すると、実は自分が豊かになれる。

アトリエでは見学者に、
「制作している人の背後に立たないで」という注意をする。
こんなこと言わなくても、感覚が正常なら分かるはずだ。
座って繊細になって制作に入っている時に正面からみつめられたり、
言葉もなく背後に立たれたら、どうだろうか。

と言いつつも僕は背後に立つこともあるし、正面から見ることもある。
これは変な言い方かも知れないが、僕だから出来ることだ。
自分の気配や相手への影響をコントロール出来るから、許される行為だ。
他の人は絶対にやってはいけない。
何事もそうだけど、自分の行為の結果に責任を負えることだけすべきだ。

そういえば、ここで書いて申し訳ないけれど、
モロちゃんから手紙をもらっていた。
アトリエでの日々、作家たちのことを思って仕事している姿が伝わってくる。
夢でもアトリエと作家たちが出てくるって。
いつも、みんなとつながっていてくれてありがとう。
ケータイをなくしたそうで、もしアドレスがなかったら、
いつでもアトリエに直接連絡していいからね。
アトリエメールか、電話でも大丈夫です。

いつも、アトリエを応援してくれている、しとみ君からも手紙。
彼は今、福祉の勉強をしていて、大学にも編入。
学校の卒業研究でアトリエを取り上げたいと。
がんばってね。

そして、前にも一度、ご寄付をいただいているが、
ベリーダンスのスタジオが今年もアトリエを応援してくれます。
これは元学生チームで今はボランティアチームとして、
フェイスブックのページを担当してくれている赤嶺ちゃんが繋いでくれている。
前回もそうだったけど、彼女も踊ってくれます。
フェイスブックに情報がのると思うので見て下さい。

イサも大学で頑張っているようだ。
来年に向けて彼にも手伝ってもらうことがいっぱいある。

よし子はクリちゃんと連絡を取り合っている。
ふくちゃんも大きくなった。

ミヒロはどうしているかな。元気かな。

今は平日にあきこさんという心強い人がお手伝いに来てくれている。
熱心に見学しつつ、パソコン関係でも手伝ってくれる稲垣君。

こういうみんなの存在があって、今日もアトリエを動かすことが出来る。
みんなの想いを乗せて、進んでいこう。

みんないつもありがとう。
年末に向けて、頑張ろうね。

2012年12月8日土曜日

現実の向こう側

昨日の地震、みなさん大丈夫だったでしょうか。
途中から悠太を寝かせていたので、その後の情報を知らない。
東北の方々は無事だろうか。

一年ちょっとでこれは、やっぱり何か周期に入ってしまったのではないだろうか。

ところで、別に書くほどのことではないけど、
先日、ある方と話していた時、その方が
「佐久間さんは放射能を気にしているから、水道の水は飲まないでしょう?」
と言われた。
別にどうというわけではないのだが、
そうかあ、普通はそんなふうに考えるんだなと、ちょっと思った訳だ。
放射能の問題は気にするとかしないという話ではないが、それはおいておく。
ねんのため、言うけどああやって書いているのは責任としてであって、
自分が助かりたいからではない。
僕自身は残念ながら水道の水くらいは飲む。

避難出来る人はしたほうが良いとも書いているが、
自分が逃げようと思っている訳ではない。

恐怖や不安から書いている訳ではない。
そもそも僕には自分だけ助かれば良いという考えが理解出来ない。
きれいごとではなく、理解の範疇を超えている。
自分だけ生き残ったところで楽しいだろうか。
更には別に長生きもしたくはない。

まあ、自分に利益がないことは言わないと言う人が多いのだろう。
だから、何かを言えば、自分の欲求を口にしていると思われる。

ということで、別にその様な考え方を非難しているわけではない。
僕には、もっともっと大切な事がある。
それは幸せなことだ。

よく考えることだけど、
こんな大変な問題が山積みの世の中で、
絵とか、絵を描くと言うことにどんな意味があるのだろう。
勿論、意味がなければいけない訳ではないが。

1人の人間にとって、美的体験というものは計り知れない意味を持つと思う。
それはその人の生き方さえも変えてしまう。
美しいものにふれただけで、絶望が癒され、生きようとする力が湧く事がある。

確かに芸術は(あんまり芸術とか言いたくないが)、現実には存在していないものだ。
その作品がどれだけ美しくても、それはこの現実とは異なる。

でも、ここ何回か書いて来たことだけど、
私達が現実と思い込んでいるものは、はたして現実なのか。
それは、見ない様に聞かないように、他の要素を排除して作り上げられた、
人間の意識だけにある世界なのかも知れない。
つまりは現実こそが幻想かも知れない。
この現実の向こう側にもっと本当のものがあるのではないか、
という直感を与えてくれるのが、美的な体験だ。

現実の向こう側にあるものこそが現実だ。

絵を見ているとき、映画を見ているとき、
音楽を聴いているとき、きわめて稀に、途轍もない体験をすることがある。
自分を遠いところまで連れて行ってくれる。
そこにある懐かしさ。

夢の中にいるような感覚について何度も書いてきた。
僕にとっては深く仕事に集中しているとき、
つまり、場に深く入っているとき、この感覚が強くなっている。
そして、それは日に日に強くなっていく。
今では確固とした現実があったことが、遠い過去になりつつある。
夢の中にいる感覚の方が現実だと言える。

10代、20代の時はよく旅をした。
旅、と言うより放浪に近い。
いつも場所を変えて、どこまでも行った。
遠いところまで行くと、自分がどこにいるのか分からなくなってくる。
自分はどこにいるのだろう、何をしているのだろう。
自分とはなんだろう、という感覚になってくる。
ここはどこだ、と考えている。
本当はこの感覚の方が、世界の近くにいると思う。
人は普段、慣れによって自分の周りの世界を分かったものとしている。
でも、本当は何も分かってはいない。
だから見知らぬ土地にいるときの方が現実を捉えている。

僕は学校では勉強しなかったが、
10代の頃からたくさんの人や環境に出会って、教えられてきた。
先生たちにはひたすら感謝だ。
その人達の体系で世界を見た。
その人達の目を通して、様々な経験を深めてきた。
自分では見えなかった世界が見える様になった。
知らない世界を知ることが出来た。
本当に楽しくて夢中になっていた。
そして、先生たちから離れて生きて来た時間は、教わったことによって生かされていた。

でも、今ではそれらの影響はきれいサッパリ自分から消えている。
たった1人でこの場にいて、夢の中にいるような感覚がしている。

人は過去を思い出すとき、夢の中での出来事の様に感じる。
時々、現在が過去のように感じられるときもある。

映画「サクリファイス」の映像が頭をよぎる。
どこまでも続く道。そらの水色。

     「ゆうちゃん。今日のお外は何色?」
ゆうすけ君「白っぽい青。水色系。」

映像がくり返し見える。
広い芝生。小さな人。
時間が止まったような静けさ。

僕達は毎日、深く深く場に入る。
そこには人のこころがある。
こころが見える。こころの音が聞こえる。気配が感じられる。
見え、聞こえ、感じられる動きと一つになる。

どこまでも、どこまでも深く。
夢よりも深く。現実の向こう側まで。
ここでこそ、僕達は生きている。

2012年12月4日火曜日

夢と現実

今日は雨。
そんなに寒くはない。
気候条件としてはいがいと良い日だ。

年末にどうしても忙しくなるので、来年こそは余裕を持って、
と毎年、思うが気がつくとこの時期に来てしまっている。

ハルコが「サクマさん、きのうザズきいたよ」
と言ってマネをする。
いつもは「ぷっぷっくぷー。ぷぷぷっぷー」
という感じでこれはデーブスだと言う。マイルスのこと。
今度は「ぷっぷぷ、ぷっぷぷ、ぷぷぷぷぷー」と早い。
「今日のは早いね」
「パーカース」
「あ、チャーリーパーカー?」
「そうそうそう」

そんな訳で僕の頭の中ではチャーリーパーカーがなっている。

ハルコが話していると、そこに行ってみたくなったり、
食べてみたくなったり、その音楽を聴きたくなったりする。
「昨日、美空ひばりさん誕生日だったよ」
と言われて、急に聴きたくなったり。
最近は「石川さゆり」の話が多い。
演歌は大嫌いなのに(都はるみは別格)、石川さゆりはいいなあ、と思う。
歌の上手さは当り前だけど、良い意味でドラマ的な構成力が凄い。
演歌だけじゃなく、上手い人は絶えず凄みを出し続けているが、
石川さゆりは違う、ここぞというところまでは封印しておいて、
完璧なタイミングで絶頂を見せる。それがまた、ピッタリ決まる。
このドラマ性は一般的な演歌にはないものだ。
良くも悪くも、現代的な感性が強いと思う。

ハルコのお陰で、僕の頭ではチャーリーパーカーや石川さゆりが、
なり続けている。

こういうことはよくあって、てる君と話しているとパズルがしたくなる。
「僕もパズルやろうかなあ」
「だめー。しごとしなちゃい」

夢の中にいるような感覚が大事だと以前に書いた。
なぜかというと、これも最近書いたことだけど、
私達は普段、本当に多くのことを見えないように、
聞こえない様にして生きているので、現実がひどく平面的になっている。
夢の中にいるような感覚とは、こころをほぐして、やわらかくした時の状態だ。
そうすると、これまで気がつかなかったことが見えたり感じたりする。
世界自体が違うものに思えてくる。
そして、これが創造性の秘密でもある。

ハルコは制作中に時々「ああ夢かあ」とつぶやく。
アキも「寝てたよ」と言う。
2人ともしっかり起きて作品を創っていたのだけど。

タルコフスキーの映画、「サクリファイス」は何度かくり返し見た。
最後の作品だけに枯れている。
映像美は変わらないが、色彩的の鮮やかさはやや薄れ、ぼやっと靄がかかっている。
あれだけ、鮮やかで色に敏感だった映画監督が、この時は墨絵に近くなっている。
人類の終末と自己犠牲いうテーマもあって、
こんな時代にもう一度ゆっくり見てみたい作品でもある。
でも、それより、あれはすべて夢の中のことを描いているのだと受け止めてみる。
だからといって、あの夢が覚めた後に現実なるものがある訳ではない。
ひたすらすべてが夢だというようなことではないか。
そういえば、あの映画の中でもすでに夢が描かれていたはずだ。
夢から覚める場面があったはずだ。あれはどう受け止めようか。
夢の中で夢から覚めたけれど、それもまた夢なのだ。

ただ、夢のような感覚が重要なのであって、
現実感のない、あるいは現実逃避はだめだ。
薄い現実を生きてはならない。
今の時代はすべてがバーチャルなものになって、とついいいたくなる。
でも、その言葉自体が紋切り型になっていて、
言う方も聞く方もなんの実感もなくなってしまった。
もともとバーチャルの世界で生まれている人達に、
バーチャルがとかリアリティと言ってもピンとくるはずがない。
しかも言葉だけでは色んなことを知っていて、
分かった気になっている人もいる。
僕らの世代やそれより下の人達は、
本当は今の世界なんてニセモノだという自覚が必要だ。
本当の現実はもっと深い。もっと大きい。
何かもっと途轍もないものだ。

僕自身もこんなに世界というものが、生命というものが、
強烈で計り知れないものなのだ、という実感を持つことができたのは、
10代で信州の山で暮らす経験があったからだ。
強烈に生きている人達と出会えたからだ。

でも、そんな日々も今では夢の中の出来事のように感じられる。
何が現実で何が夢なのだろうか。

2012年12月3日月曜日

毎日

今日も冷え込みが厳しい。
今、アトリエを暖めながらこれを書いている。
グールドのバッハ、ゴールドベルク変奏曲が流れている。
一度目の録音の方。
グールドは初期の方が好きだ。
スピード感がいい。
機械的と言う人が多いが、機械的というよりは数学的、建築的だ。
音楽の構造そものに語らせる。
それぞれの音が思いつきではなく、有機的につながっている。
法則を正確に描けば描くほど、現れたものは自然に消えて行く、
と言うことを感じさせてくれる。
何もかもが美しく、何もかもが過ぎ去っていく。
この快適なスピードに乗って。正確に刻まれていくリズムにのって。

昨日のアトリエは来客も、見学もなく、僕と作家たちだけ。
やっぱりこういう時は流れがいい。
本当はこれが一番なんだけど、あんまり言わない。
どんな要素も良くなるために活かさなければならない。
それぞれ違う良さがあるから。

いよいよ選挙だ。
いろいろ書いていくことにしたが、政治だけは語る気がしない。
政治には黙っておこう。

ただ、今の世の中の動きを見ていて、楽天的にはなれない。
マイナス思考は百害あって一利無しなのだけど、
あまりにも深刻さに欠けている様に思える。
それこそ、大袈裟かも知れないが、人類にとって滅ぶかどうか、
というところまで来ているのではないのだろうか。
それは確かに物理的にはどうしたっていつかは滅ぶのだろうけれど、
愚かすぎる滅び方はしたくないものだ。

最近はあんまり書かない様にしていたけれど、
日本中に放射能が散ってしまって以降は、
この世界は別のものになったことを忘れてはいけない。
出来るだけ、距離をとったほうが良いが、
それ以上に口に入れるものに気をつけたい。
食べ物は距離以上に重要になってくる。
チェルノブイリでも食物からの被爆が7割だったと読んだ。
つまりは、一定の距離に避難して食物を選ばなければ、
東北にいて食べ物を徹底しているよりリスクは高くなる。

しかも、これはかなり難しい。
産地は基準としては今のところ、一番有効だろうけれど、
これからはしっかり検査もされていかなければならない。

このことを書いていくと、結局答えはない。
だから、どれだけ自覚して、どう生きるか、という各個人の判断になってくる。
しっかり、丁寧に生きていきたいものだ。
自分の無知の結果、自分の身になにがおきてもしかたない。
でも、子供や次の世代のことには大人達が責任を持たなければならない。

もう書かないが、一つだけ気になることを指摘したい。
基準値ってなんだ、と言うことだ。
人々は放射能測定済みとなっていると安心する。
でも、計ったからそれで良いという風潮にも警戒した方が良い。

低線量被爆というものがある。
本当に怖いのは低い線量の放射能を長い間、浴び続け、
蓄積されていくことだそうだ。
そうなってくると、基準値以下の放射性物質もかなり怖い。
基準値以下だから食べ続ける、ということになってしまう。

そもそもが基準値なんて、作ることが出来るのだろうか。
ここまでなら、大丈夫と言える数値があるとは思えない。
こう言ってしまうと、すべてが救いようが無いことになるのだが、
はっきり言うと、「放射性物質を含むか否か」が基準だ。
ゼロかどうか、と言うことだ。
そうすると、さっきも言ったが救いようがなくなる。
だから、そう見えない様に基準値というものがあるとしか思えない。

基準値とか偏差値とか、それはいったいどんな根拠があるのだろうか。
というより、根拠なんかないことはすぐに分かる。

もう、とっくに過去の様になってしまったが、
一時期「ただちに人体に害がない」という言葉があった。
この「ただちに」という言葉は凄い。
「基準値」も「ただちに」と同じトリックだ。

ところで、こころというものをずっと見て来たし、
ここでもお話して来た。
僕はあえて言えば、人間のこころというものをテーマにしている。
そして、ダウン症の人たちは人間のこころの本質がどうなっているのか、
教えてくれる存在と言える訳だ。
こころ、というものから考えた場合、
「ただちに害がない」ものとは最も害のあるものであると言える。
どんなに害になるものでも、ただちにその場で、その反応がでるものは、
ある程度、対処も出来るし、難しさというレベルでも、
「ただちに害がない」ものほどではない。
「ただちに害が」なく、少しづつ蓄積されていくものは、
本当に恐ろしい。

これは良いものでもそうなのだ。
僕達はこころにとって、良いことをしたいと思っている。
人のこころに良いものを残していきたいと。
本当に良いものとは「ただちに良い」ものではない。
気がつかないうちに蓄積されていくものだ。

放射能の逆を行きたい。
見えないけれど、少しづつ広がって行って、
気がつかないうちに強い影響力をもっていく、
やさしさや豊かさのエネルギーが世界中に行き渡ればいい。

ささやかながら、みんなであたたかい、良い場を創っていく。
毎日、毎日、創っていく。

2012年12月2日日曜日

偏見

土、日曜日の絵画クラスでは普段は音楽をかけない様にしている。
視覚にしろ聴覚にしろ、イメージを方向づける部分があるからだ。
出来るだけ、白紙の状態でありたいと思う。
まあ、でも時と場合でどんな条件も良い方にも悪い方にも向かいえる。
だから、状況を見て、用意していく。
必ずこうするという決まりはない。

昨日の午後のクラスでは本当に小さい音だったけど、
ジャズをかけていた。マイルスデイビス。
一番最初に登場したえいた君は、この雰囲気にピッタリ。
彼は聴覚障害もあるので、この音はほとんど聞こえていないはずなのだけど、
音楽とかさなる様に描いていく。
描くリズムに普遍性があるので、どんなものとも合っている様に見えるのか。
もしかしたら、音は振動でもあるので、皮膚で感じられるのかも知れない。

春頃だっただろうか。
ダウン症のお子様を連れて、アトリエに見学にいらした方がいる。
その方から久しぶりにメールをいただいた。
僕がちょっと前に書いた「出生前診断」を読んでいただいたようだ。
感謝の言葉がそえてあった。
ああ書いておいて良かったな、と思う。

実はあそこでは、あえて知らない人や一般の人に向けて書いたので、
現在、ダウン症の子供を持つ保護者の方達を応援する内容にまでは出来なかった。
実際に産み、育てておられる方々には物足りない内容であろうと思いつつ。
なぜ、そうしたかと言うと、おいおい書いていくが、
やっぱりこの問題には冷静な客観的な視点が必要だと思ったからだ。

こうして、喜んで下さる保護者の方がいたことは嬉しい。

本当はもっと保護者の方達の力になりたいと思っている。
一番彼らを守っているのは保護者の方達なのだから。
彼らを産み、育てるということを命をかけて、おこなって下さったからこそ、
この世に貴重な宝物のような存在がいるのだ。
僕達はその存在の本質を多くの人に知ってもらおうとしている。

それでも、保護者の方達と意見が分かれる時がある。
本意ではないがいたしかたない。
すべてはダウン症の人たちの存在を正しく、知ってもらうためだ。
ここで知ってもらうではなく、正しく知ってもらうと書いた。
ただ、知られれば良いということではない。

例えば、出生前診断の衝撃が強かったのだろうが、
様々な場所で色々とイベントが行われている。
多くの団体は保護者の方達や、身近な関係者が中心となってすすめられている。
だから、真剣に必死になってダウン症の人たちを守ろうとか、
知って下さいとアピールしている。

あらかじめ書くがこの流れを否定するつもりは毛頭ない。
ただ、一言だけ言いたい事がある。
なるべく、外部の、客観的な視点を持つ人を立てて企画した方が良い。

今、社会でもダウン症の人たちに関心が集まっている。
この時期が大切なことだけは確かだ。
知ってもらうにも良い機会なはずだ。
だからこそ、冷静な判断が必要だと思う。
知ってもらいたいがばかりに、身内で団結して、
中の人にしか通じない活動をしてしまうと、
外で見ている人達は、ああやってるなあという感じで、本当の関心はよせてこない。
勿論、障害の問題や権利の問題があるので、
あからさまに悪く言う人もいないだろうし、
良く思わなくても言葉では良いと言う人もいるだろう。

知ってもらいたい、と必死になればなるほど、
関係者だけの世界になって、外の人はその必死さ故に近づけなくなっていく。

外の人達が見て、楽しそう、面白そう、というくらいが良い。
初めから、みんな平等だから一緒になりましょう、
と強引に手をつないだら、嫌じゃなくても反射的に手を引っ込める人は多い。

僕達だってアトリエで彼らと一体になって過ごしている時と、
外部へ発信している時ではスタイルを全く変えている。
特に作品や、見せるという部分に関しては厳しい視点が必要だ。
ここはどうしても距離の近さは弱点となってしまう。

大切なのは彼らの存在を、知ってみたいと多くの人に感じてもらうことだ。
そのための方法はしっかりとしたものでなければならない。
あえて言えば、戦略的でなければならないかも知れない。
少なくとも、そう言う観点も考察する必要がある。

もう一つだけ、近さ故に生まれている発想を取り上げる。
「ダウン症」という呼び名を問題視している方々もいるようだ。
マイナスイメージがあるので変えるべきだ、ということだが、
これもよく考えてみて欲しい。
マイナスイメージは呼び方から来るものだろうか。
まずは「ダウン症」という名前がマイナスイメージにならないような、
むしろダウン症という人達は素敵というようなプラスのイメージを創る。
そちらが先ではないだろうか。
ダウン症という呼び方はプラスでもマイナスでもない。
ただ単にダウンと言う発見した人の名前だ。
これがマイナスイメージになっているのは、それに伴う偏見であり、
まず偏見を正して、しっかり知ってもらう方が大切だ。
名前を変えたところで、その名前がまたマイナスイメージになっては意味がない。

かつて、統合失調症のことは精神分裂病と呼ばれていた。
確かに余りにひどい呼び方だし、ここまでいくと変えた方が良いかも知れない。
ただ、呼び方が変わったことによって、
はたして統合失調症の人達に対しての偏見や差別はなくなっただろうか。

まさか、呼び名自体が必要ないから無くそうとまでは思わないだろう。
もし、みんな平等だから障害の名前を呼ばないみたいな事になったら、
それこそ、偏見や差別は内在化されて、
呼ばないけど敬遠される、みたいな事になっていくだろう。

そもそも呼び方にこだわる人達は、
例えば自分の中に偏見があるのではないだろうか。
僕自身は、ダウン症とか自閉症のと誰かが言ったとしても、
そこに何のマイナスイメージもない。
ダウン症や自閉症の名前が変わっても、そういった人達がいなくなる訳ではない。
この人はダウン症、自閉症ではありません、とまで言いたいだろうか。
それよりはダウン症で良いし、自閉症で良いという社会になった方が良い。
何度も書いたが違いのないことが平等なのではない。
違いが許されることが平等だ。

何事もあまりヒステリックにならない方が良い。
魅力のある人達なのだから、必死になったり媚びたりしないで、
一緒に出来る様々な可能性を、楽しさを伝えていけば良い。

僕は自分に偏見がないとアピールする人と、よくこんな会話をする。
「ダウン症の人たちって別にぜんぜん普通ですよね。
私達となんの違いもありませんね。」
「いや、違いはあります。私達はあんな絵は描けないし、
彼らは私達の知らないことを知っています。」

2012年12月1日土曜日

すっかり寒くなった。
12月になってしまった。なってしまったということもないか。
この一ヶ月でやっておかなければならない事がたくさんある。

また、とりとめもなく書かせていただきます。

しばらく前から書き方を変えている。
これまでもそうだったのだけど、これまで以上に構成しないで、
思いつくままに書いてみている。
制作の場から普段見えている光景に少し近づけてみたいと思って。

ブログを始めた時にいくつか自分の中でルールを決めていた。
私的な話しは書かない。趣味のことは書かない。
音楽、絵画、映画、本、食物のことは書かない。
という様に。
このルールもこの辺で終わりにしたい。

結局、僕が言う「場」というものは人生のすべてがつまっているのだから、
どんなことも無関係にはなりえない。
流れの中で関係してくるものについてはふれる方が自然だ。

早速、個人的な話で申し訳ないが、結婚記念日だった。
一時間ちょっとだけ、悠太をあずけてよし子と2人で久しぶりに食事。
結婚して7年。出会ってからは15年くらいだろうか。
本当に色んなことがあった。

悠太が日に日に可愛さを増していく。
一緒にいるだけで幸せになれる。
悠太さえ元気にしてくれたら、もう何もいらない。

数日前に夜、腹痛。5回もトイレに行った。
下痢。すべてが出てしまうと、身体が軽くなってすっかり調子が良い。
たまにはこういうのも必要なのか。

今日は霊と言うか、見えないものの事を書いてみたい。
こんなテーマで上手くいくはずはないのだけど。
数日前に、お風呂に入っていて、ちょっとウトウトしてしまった。
耳元で女の人の声がする。小さな声でささやいている。
よし子かなと思って、「どうした」と見てみても誰もいない。
よし子と悠太は寝ている。
これは確かに霊というヤツかと思う。

まあ錯覚とか気のせいということもありうるが、
どうもそうではなさそうだ。
こういうことは、時々は誰しも経験している。
だから、その手の話しは多いのだろう。
でも、それが何なのかと言ったら、誰も説明出来ない。
すぐに、信じるか、信じないか、という話になる。
宗教のことでもそうだけど、なぜみんな、信じるか信じないかという基準になるのか。
信じるか信じないかというのは実は部分的な問題でしかないかも知れない。
僕が言いたいのは、そういうものをどう捉えるかだ。

ところで、僕はその霊的なことだけど、
ああいうのはぜんぜん怖くはない。
怖いものがないなんて、強がってみせる訳ではない。
怖いものはたくさんある。
でも、見えないものとか、分からないものをことさらに怖いと感じることはない。
霊を怖いと感じるのは、ほとんどは見えないからだ。

例えば、それらしい話しで、この世に思いを残してとか、
見捨てられた恨みを持ったままとか、
色々とそういう怨念のようなことが話題になる。
そんな未熟なこころを持った存在を僕は怖いとは思わない。
むしろ、終わったことにいつまでも未練を残すなと説教してやりたい。
時々、人を怖がらせたり、
ちょっかいをかけているだけの甘ったれた存在を恐れる必要はない。

こうやって書くと、
まるで霊みたいなものをあると言っているようだが、そうではない。
見えないものやエネルギーみたいなものは、みんなそうだけど、
一言で言ったら、あると言えばある、ないと言えばない。
問題はどんな姿勢で生きるか、だ。

ここではいつも、こころを問題にしてきたが、
考えてみれば、というか考えなくても、こころは見えるものではない。
そうすると、霊とあんまりかわらない。
それに、確かにこころは恐ろしいものでもある。
人は見えないものを恐れるが、それはこころを恐れているのだ。

霊の話ではこんなのもよく聞く。
どこかを歩いていると、猫が死んでいる。
それを見て、「ああ、可哀想に」そう思った瞬間に取り付かれる。
あるいは無念のうちに殺された人の話を聞いていて、
「可哀想に」と思う。それで取り付かれてしまうという。
これは、かなり上手く表現された話だと思う。
これをこころという領域の話として見てみると、
まったく本当だ。僕自身、そうやって取り付かれるというか、
溺れていってしまった人達をたくさんみている。

こころに触れる時、共感が一番大切なのだけど、
相手と一体化しすぎたり、距離がなくなっていくのは危険だ。
この「可哀想」という思いは、生きている存在にとっても危ういものだ。
勿論、可哀想と思っても良いのだけど、その感情に溺れてはいけない。

いつでも強い意志の力を持っていなければならない。

こころの話も、実は霊とか気とか、見えないものの話に近くなってくる。

創造性というものがあるが、いったいどこから来るのか。
こころから来ることは間違いない。
が、いったいこころのどんな場所から来るのか。
とにかく、こころの中にその様な場所があって、
芸術家はそこへ入るために様々な技術を駆使したり、
自分なりの方法を暗中模索する。
ダウン症の人たちは何故かその場所にスッと入って行ける。

あえて、そのコツを考えてみると、こころをやわらかくしておくことだ。

私達は普段、「現実」とはこうだと考えて、
それ以外の要素は見ない様に、聴こえないように、感じない様に、
強固なバリアーをして生きている。
時々、不意に何かが見えてしまう、聞こえてしまう。
それを何とかなかったことにしようと日常へ帰る。
見えること、聞こえること、感じることを恐れている。
逆に見えないものが見える人が居たり、
聞こえないものが聞こえる人がいると、
恐れて否定するか、凄い能力と言って崇めるか、どちらかになってしまう。
霊媒師や占い師がいっぱいいるのもそこに原因がある。
見えたり、聞こえたり、普段分からないことが分かる人が居ても、
そんなのは実はぜんぜん、凄くもなければ、偉くもない。
ただ単に私達が普段、「現実」にないと決めつけていることを、
見ないように、聞かないように努力しているだけのことだ。

以前に少し書いたかもしれないが、
ハルコは「画面」と呼ぶこころの空間を持っている。
「画面から見えたよ」と言ってさまざまな情景を話す。
画面のようなものはハルコにはずっと昔からあったのだけど、
それに「画面」と名付けたのは3、4年前くらいだろうか。
「昨日、○○君がタバコ吸ってたの画面から見えたよ。」と言ったり。
その子は普段タバコは吸わない。
でも、話を聞くとしばらく前に友達と久しぶりにタバコを吸ったと言う。
「○○さんのお家にキラキラ光るもの吊るしてあるね」と言う。
本当にその様なものがあるらしい。
こんなことはいくらでもある。

ハルコの画面は想像も夢も現実も、ずべてがかさなっている。
そして、その中には予知とか、透視と呼ばれるものに近いようなものもある。
一つ言えるのは画面の中では発想が自由に動くと言うことだ。
彼女が得意とする連想もそこから来る。

ハルコを知っている僕にとって、それはまったく不思議なことではない。
画面はつまりさっき書いた創造性が生まれるこころの空間だ。

ここで大事なのはこころの内部の空間が現実に対応しているということだ。
人のこころの中まで見えたり、見ていない現実を見たり、
知らないはずのことを知っていたり、それらが実際の現実とかさなっている。

実はこころの深い部分で経験することは、
内側とか外側と言う境界がなくなっている。

制作においてこころに入って行って、
自然の法則を発見出来るのはそう言うことなのだ。

こころの中で見たものが現実に見え、
現実で起きていることが、こころの中で自分の一部として感じられる。
そういう経験が増えていくと、
夢と現実とか、こころと世界とかが一つのものとして見えてくる。
そうすると、見えないものが見える。聞こえないことが聞こえる。
感じられないものが感じられる。

こんな所まで来てしまったが、時間になってしまった。
また、続きを書くか書かないか分からないが、そんなこともあるという話だ。
ただ、最後に一つだけ強調したいのは、
先の方で書いた意志の力というものの大切さだ。
感覚が敏感になった人達は溺れやすい。
しっかりと感情をコントロールして、客観的に見る目を持ち続けなければ、
こころという大海で溺れ死んでしまう。
見えないものは、見えないからと言って恐れる必要はないが、
いつでもそこにいる自己を見失った時、危険が迫っている。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。