2013年2月9日土曜日

時は過ぎていく

本日から三重での展覧会が始まっています。
今日はトークライブだったようだ。
東京のアトリエは絵画クラスの日。
展覧会は3月10日までですのでお時間のある方は是非ご覧下さい。
三重チームが一生懸命働いているので、東京のアトリエも良い働きをしたい。

さて、僕も明日の教室が終わったら、月曜日から三重へ行ってきます。
すでにプリントをお配りしておりますが、平日のクラスは月、火、水とお休みです。
お間違えのないようにお願い致します。

それにしても時間が経つのは早いものだ。

一人暮らしももう一ヶ月、過ぎてしまった。

今日は来客を予定していたが、その方がお休みになったので、
赤嶺ちゃんが来てくれた。

最近、平日はあきこさん、稲垣君、それから赤嶺ちゃん、と、
みんなが支えてくれている。
僕のことを心配してくれているふしもあって、
みんなのやさしさに感謝したい。
いつも多くの人を可愛がってきたけど、
気がつくと僕が一番、やさしくされたり可愛がられたりしている。
僕はいがいと人に可愛がられる性質のようだ。
こんなに生意気なのに。

夜、少し時間がある時でもテレビを見なくなった。
音楽にはずいぶん救われている部分がある。
たまたま、部屋の整理をしながら、大好きでずっと聴いてきた音楽を聴き直した。
そして感じたのは本当に良いものは、
どんなジャンルにしろほんの僅かしかないということだ。
ある意味で人生を賭けて、そんな美しいものに出会いたいと思ってきた。

結局、時を重ねて行く中で、友として残っていった音楽は数える程しかない。
久しぶりにクラシックを聴いていた。
原千智恵子のショパンピアノコンチェルト、
チョンキョンファのバイオリンで弾かれたバッハのエール。
バーバーのアダージョ。ベートーベンピアノコンチェルト皇帝第二楽章。
モーツアルトピアノコンチェルト20番と21番の第二楽章。
ヤノヴッツの歌う、シュトラウス4つの最後の歌。
バックハウスのラストライブのシューマン。
まだいくつかはあるけれど、そんなに多くはない。

ジャマイカの音楽をただひたすら聴いていた時期もある。

でも、どれだけ美しい音楽も、どこかしら背伸びした、
それ故に魅力あるものであることは確かだ。
それは自分が日本人だからだろう。
自分の呼吸や間とは違うからこそひかれるのだろう。
本当に無理しないで呼吸のように浸っていられる音楽があるだろうか。
例えば、日本だからと言って民謡とか雅楽とかもなんか、
聴こうと構えなければならない。
能の謡なんかはかなり自然に聴けるけど。
僕にとっては一番何も考えずにゆっくり聴いていられるのは、
やっぱり小唄かも知れない。
今も小唄を聴きながら書いている。
これこそが自然な自分の呼吸のように感じられる。

そう言えば、九鬼周造という凄い哲学者がいるが、
彼の哲学書ではなくて短い随筆を集めた本が岩波文庫から出ている。
その中に「小唄のレコード」という文章が載っていて、これが素晴らしい。
本当に短い文章だけど人生の深淵に触れている。
書いてあるのはただこれだけ。
小唄を聴いていると、この世のことなど何もかもどうでも良い、
という気分になる、そしてこの情緒の世界こそが真実なのではないか、
とそんなことを書いている。
本当にそうだなあ、と感じてしまう。

永遠とか無限とか、そんな果てしなく大きな何ものかを、
深く感じて、そこへ向かって行くことこそが、生きることだと思う。
そして、そんな途方もない無限の前で佇むとき、
この世界のすべてが小さくはかない存在として感じられる。
人もものも出来事も、みんなこの無限からやってきて、やがて帰って行く。
無限から来て無限に帰る束の間のはかなさ、それが僕達の情緒を作っているのだろう。
そんなことをこんなにさり気なく表現出来ていることが、
小唄の凄さなのではないだろうか。

何もかもが消えて行くからこそ、今この瞬間が美しい。

先日、これも本当に久しぶりに映画館で映画を見た。
「二郎は鮨の夢を見る」という映画。
鮨職人小野二郎のドキュメンタリー。
多くを語る気はしない。
ただ、いい仕事がしたいと強く思う映画だ。
映画と言うか小野二郎が素晴らしいのだけど。
何度か書いた、一流とか、本物とか、良い仕事とか、
そんなすべてはこの人の生き方の中にある。
本気で仕事しているというただそれだけのシンプルなことが、
どれだけ美しいことであるのかを教えてくれる。
また、それをずっと続けて行くということの凄さ。
ああありたいとは思うけれど足下にも及ばない。
足下にも及ばないが、少なくともああいう次元を目指して仕事をするべきだ。

絶えず今日より上の仕事、
もっと良いあり方を追求し続けるという姿勢は共感出来る。
でも、次元が違うなと思ったのは、
休みが嫌いで仕事しているより疲れるという部分。
仕事している時の方が気が楽だと言う。
そんなところまでいきたいなあと思う。
思うけれども、まだまだだ。
僕には休みは魅力的だ。放っておいたらずっと怠けてしまう。
仕事は何より愛しているけど、怖いと思うこともあるし、
出来ることなら逃げたいと思うこともある。
(仕事を辞めたいとか続けたいとかいうこととはちょっとニュアンスが違う。そういう思考法は僕にはない。)
場に入ってしまえば、さっと変わって行く自分がいるのだけど、
だからこそ自分が怖い。自分が自分をなかなか許してはくれない。
場に入れば、後先考えずに全部の力を使い切ってしまう、
そういう風に即座に変わる自分が怖い時もある。

でも、場がなければ僕はどこまでも楽な方に行ってしまうから、
こうして場が与えられ、全力でやれ、と命じられているのかも知れない。

仕事している姿、動き、本当に奇麗だなあと思う。
ああいう動きが出来たら良いなあ。
この先、出来ればああやって長い時間、続けて行ければ、と願う。

ゆうたにそろそろ、良い絵本を読んであげたいと思って、
あきこさんと話していたら、彼女がたくさん教えてくれた。
あきこさんから借りた絵本を見ていたら、僕が夢中になってしまった。
良い絵本は自分を子供に戻してくれる。
子供がどんな風に世界を見ているのか、本当に知っている絵本作家が描いている。
絵本を読んでいる間、
自分が子供だった頃の時間を再現しているような経験だった。
これでゆうたにどんな絵本を与えるべきかも分かってきた。

小唄を聴きながら、こうしている時間もまた過ぎて行くのだと実感する。
何もかもが過ぎ去る。なにもかもがやがて消えていく。
いつでも、精一杯生きて、今一緒にいてくれる人や物事を大切にしていきたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。