2013年3月25日月曜日

絵の光

今日は冷えますね。
桜がきれいで、時間が止まっているようだ。
昼の光で見る桜も奇麗だけど、夜はひときわ怪しくて良い。
土曜日だったか、夜、雨が降って、僕は傘をさして家の裏の桜を見に行った。
きれいできれいで、そこだけ違う世界だった。

体力的には厳しい時期だ。
そして、僕達は制作が一番のってくる、この期間は本当に神経を使う。

睡眠時間もなるべく多くとる。

一瞬の判断が重要だから、瞬発力が必要だ。

それにしてもこの3週間ほどのところで、作家たちは途轍もない世界を見せてくれた。
美の純度が高まっていくなかで、一体どこまでいくのか、と思う程だ。

作家たちと一緒に深め、のぼりつめて行く。
どんどん純粋になって行く。

そんな中で、低レベルな話題に付き合っていくのは正直、きつい。
こんな言い方をして申し訳なく思うが、
最近、やらなくても良い、何の効果も期待出来ないイベント事で、
ダウン症の人たちのため、とか障害者のため、という活動が多い。
関係ないからほっておけば良いのだけど、そういう人達は絡んでくる。
良いと思っているのだったら、勝手にやっていればいい。
残念ながら、僕はそんな活動を良いとは思えないので仲間にはなれない。
お互い一生懸命、信じた道を進んだ方がいい。
もっともあの人たちに信じるべき何かがあるのか分からないが。

なんだってそうなんだけど、何でもやれば良いというものではない。
前にも書いたが何のために、何をするのか、一度でいいから考えてみることだ。

僕が一番、腹が立つのは、ダウン症の人たちがなめられていると感じることだ。
目線がなめているのだ。
そんなレベルの話ではない、と言っても理解はされない。
だから、淡々と良い仕事をして、良いものを残して、
形で見せて行くしかないのだろうけれど。
僕は未熟で至らないから、レベルの低いものには怒る。
本気でやっているから腹が立つ訳で、適当にやっていれば、
僕だってもっと穏やかかも知れない。

昨日もついつい撮影中の映画監督に怒ってしまった。
撮らないでと言っているところを、撮り続けたというまあ、よくある話なのだけど、
僕には撮られているということよりも、
そんな次元の問題じゃないんだという苛立ちがあった。
「なに撮ってんだ」とつい言ってしまったので、
後でちゃんとお話ししてお互い確認し合ったから、もう何のわだかまりもないが。

見解が違う、立場が違う、それは良いとおもう。
でも、僕がいつも孤立してしまうところは、本気度の違いだ。
お互い本気だったら、みんな本気だったら、いろんな違いが出てきても、
一緒にどこかまでいけるはずだ。
本気になればなるほど、周りとのギャップが生まれてしまう。

それはまだ、僕が未熟だからだ。至らないからだ。
まだ比較しているからだ。
まだ、みんなについてきて欲しいと思っているからだ。
理解されたい、仲間になって欲しいと、どこかで思っているからだ。

本当の世界はそのような甘えを許さない。
真の孤独がそこにある。
僕はまだそこにはいけていない。
だから、人と対立することもある。

ただ、作家たちがいる限り、僕は孤独にはならない。
彼らこそが本当の意味での仲間だ。

昨日のしんじの凄さ。
魂が絵になっている。
この一週間前にまた家で暴れていたとは思えない、平和な美だ。
なぜ、あんなところまで行けるのか、それは誰にも分からない。

予備クラスのすぐる君も良かった。
どんどん透明感が増して行って、やわらかい幻想的な作品が仕上がった。
その時にはこの場所全体がすぐる君の作品の風景になっていた。
あのような世界が描けるのは、あのような世界が見えるからだ。

土曜日のアキ、よしてるも良かった。
よしくんは桜を描いたのだけど、アングルが凄い。
彼の空間把握は特殊なもので面白い。
ゆれながら歩いている、彼の姿とも重なる。
アキの繊細な筆遣い。やさしい色。大胆さと繊細さ。
いつも紙はテープで貼付けて固定してあるのだけど、
試しに時々、テープを貼らないで紙を置く。
アキの場合、それでも紙が全く動かないので、
本人は固定されていないことに気がつかない。
これは手の動かし方に無駄な力が入っていないからで、
素材への適合力を表している。強引さがまるでないのだ。
素材にそって自然に描いて行くから、物を傷つけない。
仕上がった作品も丁寧でやさしい雰囲気だ。

みんなの絵は今ひときわ崇高になっている。
純度も高いし、透明感もある。
そして神秘だ。絵の美しさは、この世界のつくしさ。
世界を見る、目とこころの美しさだ。
色の光り方が違う。

桜も絵も奇麗だ。
怪しいぐらいに色づき、咲き誇り、そして散って行く。
今が一番大切。今しかない。
意識のスピードが上がって行く。

夜は寝る前にまた宇多田ヒカルを聴いた。
孤独な疾走感はこの季節にもあっていて、散って行く桜の淡いピンクがちらつく。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。