2013年6月7日金曜日

宿命

暑いですね。
本格的な夏になったら凄そうだなあ。

もっともっと、制作の場を深めて行こう。
明日も頑張ります。

先日、街を歩いていると。
「あれっ、佐久間君じゃないの?」
「えー、こんなところで。Nさんじゃないですか」
「久しぶりー」
「ちょっとNさん、お時間あります?お茶でも」
「30分位なら大丈夫だけど」
「じゃあ、行きましょう」

そんな、ことがあって結局1時間くらい話し込んでしまった。
Nさんはもう15年も前にほんのしばらくだけ一緒に働いたことのある方だ。
よく覚えていたなあ。

Nさんは天涯孤独の人だ。
孤児院のようなところで育って、その後も同じような場所で働いている。
一緒に子供達の合宿をしたことがあるけれど、
たくさんいる大人の中で、僕とNさんのところに子供が集中していた。
僕の方にはやんちゃな子達が、Nさんの方には引っ込み思案な繊細な子達が、
それぞれ集まって来ていた。
言葉を交わさないでも、お互い似た者同士の感じがあって、
すぐに仲良くなった。
そのころ、Nさんは文学的で僕はちょっと闘争的なところがあって、
似ていながら、反対の性質も仲良くなれた要因の一つ。

Nさんは、何度も何度も僕の顔を見て「変わってないなあ」とつぶやいていた。
他の人達はみんな変わったな、と言うのに。
多分、Nさんの方が正しいような気がする。

今の話もずいぶんしたけれど、
結局、連絡先も交換せずに、僕達は分かれた。
もしかしたら、もう一生会うことはないかも知れない。
でも、僕達は最初からそんな関係で繋がっている。
お互いの掟を守っている。

お互いに自分の仕事に帰って行く。

Nさんに変わらないと言われたことは、意味もなく嬉しかった。

どんな人の一生もどこかにパターンがあって、
基本のモチーフはずっと変わらないのではないだろうか。
人はそのモチーフを何度も何度も繰り返しなぞって行く。
繰り返し繰り返し、同じテーマが現れて来る。
それは良いことでも悪いことでもない。
ただ、自分のテーマを愛せるようになったとき、
運命とか宿命とかいうことの価値を見つけられる。
誰も、本当のの意味でこの力に抗うことは出来ない。

アトリエの作家たちの描く絵のように、
日々、刻々変化しているのに、基本となるパターンは変わらない。

現在も過去も、様々な出来事や人々や情景が、雨のように降って来た。
それぞれの場面は鮮明で、匂いも音もある感じで、
手で触れているようでもある。
でも、そこには自分だけがいない。
いや、感じているのが自分なのか。
場面はすべて断片で連続性がない。
無数の断片がちらちら散って、降り積もって行く。

凄いスピードであると同時にスローモーションのようでもある。
その流れを感じながら、僕はあてもなく街を歩き続けた。

歩くリズムで街の景色が変化して行く。
記憶も一定のリズムで現れては消えて行く。

これまで、本当にたくさんのことが起きたようであり、
まったく何も起きていないようでもある。

生まれたから、生き続ける。
生まれたから、歩き続ける。
僕達はみんなどこかからかやってきた。
ここにいるのは留まるためではない。
進むためにいる。
そして、やがては立ち去らなければならない存在なのだから。

やり残したことはないか。確かめる。

愛を持って挑み、与えられた使命を果たし、
笑顔で去って行くために、明日も良い働きをしていきたい。

それから、いつでも、自分を大切にしてくれた人達に感謝の気持ちを忘れずに、
ありがとうの気持ちで、毎日の役割を実行して行きたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。