2013年7月27日土曜日

困難の中で

今日も暑くなりそうですね。
ブログの更新がずっと出来ていなくて申し訳ないです。

実は下書きの状態のが5こ位あるのですが、
今となっては気持ちも変わってしまいました。

まあ、色んなことがありました。
困難や別れや、無理解にさらされることや、残念なこと。
その中で制作の場はいつも明るくあたたかいものであり続けました。

どんな小さな場であっても、そこが人の安らぎや救いになるものでありたいです。

時代も困難の中にあります。
放射能の問題も一向に解決しないと言うか、解決はないでしょう。
東京の数値も上がっています。

社会のこと、世界のことから、身近なことまで、
様々な困難を目の前にしています。

その中で、今、何をするべきなのか。
問いかけながら、実行して行きます。

困難は人をシンプルにしてくれると思います。
僕自身もここ1、2年の間にずいぶん変わったと思っています。
自分の中の無駄なものがどんどん落ちて行きます。
削ぎ落とされて、最後には芯だけが残れば良いと思います。

核心だけを実行して行くべき時期だと考えています。

ダウン症の人たちの価値と魅力を発信すること。
し続けること。
それ以外に僕にはやるべきことはないと思います。

彼らの持つ調和のセンスこそが人間の希望なのだと考えます。

僕の周りでは今、機械関連の故障が多くて、
なぜかメールの送信が出来なくなったりしています。

なんとか、このブログはアップしたいのですが。

まずは素晴らしい合宿にしたいと思います。
皆さんともまたお会いしましょう。

しばらくブログはお休みです。
今度の更新の際にはまた楽しいご報告が出来ると思います。
皆さんもお元気で。

2013年7月18日木曜日

動機

今日はイサと買い出しに行った。

久しぶりの吉祥寺。変わってしまったなあ。
ゆざわやも小さくなっていて、物も少なかった。
こんなに変わるとは。

場所を変えて新宿の世界堂へ行った。
1日で終わる予定だったけど、やっぱりもう一度行かなければならない。

今、よし子のブログを読んで、
三重でみんなが一生懸命準備してくれている姿に感謝した。
やっぱり、みんなの気持ちが集まって何かが出来る。

自分の出来ないところや欠点を、沢山の人が補ってくれているから、
何かが出来ているのだとつくづく思う。

片山さんのこともあり、僕自身のこころの整理のためにも、
一度、信州に行って来ようと思っていたけれど、今回は断念した。

最近、特に動機が大切だと考えている。
本来の意味とか、最初の動機を失ってしまったのに、
活動だけが続いていたり、形だけが残っている、という状況をよく見る。
そして、問いかける。
今、何のために、何をしているのか。
これは何のためにあるのか。何のための自分の仕事か。
もし、動機を失ったら、あるいは違う方向に行くくらいなら、
やめた方が良いのだと思う。

このアトリエにはダウン症の人たちが通っている。
彼らの感性の素晴らしさを守って行きたいから、アトリエがある。
彼らが充分に本来の性質を発揮出来るためにこの環境がある。
そして、そこから見えて来る彼らの豊かな世界に可能性を感じるからこそ、
外部へ発信し、伝えて行く。

ダウン症の人たちは人間の持つ本来の可能性を示している。
多くの人がまだそのことに気がついていない。
彼らから学ぶことがどれだけあるのか知られてはいない。

学ぶことにも、知ることにも時間が必要だ。
時間を無視して早急にことを運ぶと無理が生まれる。

理解し合うためには対話が必要で、対話とは、
お互いの声をよく聞くことだ。

特に現代のような騒がしさの中では、
刺激ばかりに目がいき、静かにひっそりと存在しているものに、
気づくことは難しい。

忍耐強く、語りかけ続けること。
何かのきっかけになる種を播き続けること。

知って欲しいからと言って、勧誘はいけない。
それでは宗教になってしまう。
絶対に良いから分かって、という主張はかえって人が遠ざかる原因となる。

選択する可能性を提示し続ける。
選ぶのは一人一人。良いと思うか思わないかは、その人次第だ。

誰にも何も強制することは出来ない。
だからこそ、一人一人が主体的に選び関わる。
それが人間の尊厳と言えるだろう。

彼らから見えて来るやさしい世界。
ゆっくりと感じてもらえば、きっと自分を豊かにしてくれる世界。
そんな世界が確かに存在しているということを、
少なくとも僕は自分の経験として伝えて行きたい。
どう解釈し、どう判断されるかは、触れた人それぞれに任せする。
きっかけが、ゆっくりと育って行って、
いつの日か、同じ可能性に向かえる人たちが、
一人でも多くいてくれることを願って。

2013年7月16日火曜日

シンプルな言葉

ちょっと時間があいてしまいました。ごめんなさい。
昨日は少し暑さが和らいだみたいです。
今日も今のところ昨日のような気候ですね。

ここのところ、プレはイサがしっかりやってくれているので、
僕は外の仕事に出ることが多い。
いっぱい人に会っている。
今日もちょっと外仕事だ。

1つでも2つでもいいから、何らかの形を創って行きたい。
前を向いて歩いて行く。

いなくなった片山さんのことを何度も何度も思った。
不思議なことに、場での振る舞いが良くなって行く。
大切に思う気持ちや丁寧さが増して行くからだろう。

日常の中では上手く行かないことが多い。
特に変わって行くプロセスは強い痛みを伴う。

脱皮が必要な時だ。

ジルーが本当に大事に大事に扱われている、という話を聞いて、
高山さん家族に感謝だ。

生きていると本当に色んなことがある。
でも、すべての人が居て良かったなと思うし、
すべてのことがあって良かったと思える。

ただただ、良いことを目指す。それだけだろう。

ピンと来る方は少ないかも知れないが、
良い動きをすること、ただコップを持つのでも、
良い触れ方というのがある。
それを意識しただけで何かが変わる。
そんなことの積み重ねだと思う。

大きなことは出来ないけど、環境の中で調和して行けば、見えて来る。

色んなことでうるさく騒がれているけれど、
ダウン症の人たちのあり方には、生きるヒントが隠されている。
そのことが大事な訳で、みんな平等だから権利を手にしなければとか、
この人達も頑張って生きてます、みたいなことは方向が違っている。
そんなことをいつまでもやっていても、本当の意味では誰も関心を示してはくれない。

ここで僕が伝えて行くことも、これからよりシンプルにしていきたい。
これまで書かせてもらったことはとても大切なことなのだけど、
これからはそれらのことの要点をシンプルに語ってみたい。

そして、彼らの生き方、あり方から学ぶ、というテーマを深めて、
みんなが自分のこととして考えられるように書いてみたい。

これからも読んで下さいね。

2013年7月9日火曜日

ほんのちょっと、これからのこと。

あつい、あつい。
本当に暑いですね。

今後のアトリエの様々な活動や、新しい体制のための話し合いが始まっている。
具体的にはいずれご報告しますが、
作品展示以外の外部との仕事、デザインやグッツや様々な発信を、
纏めるチームを作ることになるだろう。
外へ向けてのお仕事は今後、アトリエの中で独立した部門として、
総合的に関わって下さる方達にお任せして行くことになると思う。

僕自身はそれをずっと願ってきたのだし、ようやくその時が近づいている。
僕は内容、中身と制作の現場と彼らの文化を伝える活動に専念する。

今はまだ具体的なところまでは行っていないのでご報告出来ない。
信頼関係とお互いの理解を深める段階にある。

それにしても、暑いですねー。

身体に気をつけつつ、頑張りましょう。



2013年7月8日月曜日

片山さん

急に暑くなって、制作するのもみんな一苦労。
でも、場はとても良く穏やかであたたかい。

作品だけ見てみると、やっぱり集中度や密度はやや落ちる。

どんな時でも、天国のような場所の空気感を創ってしまう彼らは凄い。

てる君と話していた。
「くじらは何を食べるんだっけ?」
「おさかなを食べるよ。人も食べる。シャチも食べる。」
「えっ、シャチも食べちゃうんだ」
「そう。カバも食べるよ」

すぐる君は富士山を見てきた言っている。
「富士山は何県?」
「長野県」
「日本一高いんでしょ」
「高いよ」
「標高何メートルくらい?」
「8メートル」

まさひろ君
「買い物はおけがわマインでします。最強のスーパーです。多分。」

今日は僕は打ち合わせに出て来る。

昨日、「別れ」について書いた。
そして、教室中に電話があった。学舎時代の恩師、まことさんからだった。
はるこのお母さんと、あきのお母さんが、あきこさんのお別れ会を開いて下さった。
楽しい会だった。あきこさんの子供達とも遊べて良かった。
家へ帰ってようやく、まことさんに電話をかけ直した。
尊敬する片山達夫さんが亡くなったそうだ。

別れは突然やって来る。
片山さんとの沢山の思い出をぼーっと考えていた。
片山さんが僕達にしてくれたことの大きさ、深さを思って、
感謝してもしきれない。
ほとんど、子供のような時代に出会ったから、ずいぶん甘えさせてもらった。

今はまだ、多くを語る気にはなれない。
こころからご冥福をお祈りします。

片山さんが行ってきたような、仕事や役割を継承出来るような実力はない。
でも、有り難うございましたで終わりという訳にはいかないだろう。

最後に会ったのはもう何年も前だ。
僕は今のアトリエでの仕事の本や資料を渡してきた。
友人から「面白かったと伝えてくれ」と言っていたと聞いた。
たぶん、本当に深く喜んでくれて、応援していてくれたのだろう。
言葉で教えるということをされない方だった。
一緒に居る中であたたかいものを伝える力があった。

僕はこれからしばらく、片山さんを思い出すだろう。
あまりに近過ぎて見えなかったものも見えて来るだろう。
偉大な方だった。その偉大さも今、初めて気がついたのだと思う。
その仕事をゆっくり見つめ、受け継げる部分は僅かでも受け継ぎたい。
少なくとも、あのころ僕達にしてくれた事の10分の1でも、
誰かのためにしていきたい。
多分、今回は思いを巡らす時間が必要だ。

片山さんの死を受け入れ、繋がりを自覚して、次に向かうために。
僕はこういう時はいつも早すぎるくらいに、早く気持ちを切り替えてしまうが、
今回はそれをしない。

大切に大切に、ゆっくり丁寧に生きましょう。
どんなことがあっても、最善を尽くして、みんなの事を思って行ければ、
いつでもやさしい気持ちになれる。
大切な事はそんなに多くはない。そんなに難しくもない。
答えはいつもシンプルだ。
こころをこめること。この時を大切に、人を愛して愛して、
悲しみも切なさも味わい尽くして、全身で感じて、
誰かや何かのために自分を使って行けたら良い。
どんどん深まって、どんどん力強いものになって行くだろう。

2013年7月7日日曜日

別れ

急に暑さが激しくなってきた。
この時期は熱中症に要注意。
体力の消耗も激しい。

アトリエの場にしても冬場が一番気を使うけれど、
夏も難しい季節だ。

土曜クラスはお休みが多かったが、静かな制作の時間が流れた。
アトリエが終わって、ハルコとゆっくり歩いた。
新しい道を教えてくれたり、どこの販売機を使っているかと話したり。

これからのこと、今、頂いているお仕事の話を書いて行こうと思っているが、
今日もまだ、その準備が出来ていない。

平日のクラスをボランティアで手伝ってくれていた、
あきこさんは先週が最後だった。
ありがとうございました。

本当に一人一人がかけがえのない存在だと実感する。

あきこさんが居てくれたこと、みんなと時を過ごしてくれたこと、
一緒に場を創ってきたこと、決して忘れることはないだろう。

別れは必ずやって来る。
だからこそ、気持ちをこめて、思いを込めて、一人一人と繋がる。
一緒にいる時間を深く味わう。

かつて、信州の共働学舎にいたころ、
研修に来ていた一人とこんな会話があった。
「ここではいつも別ればかりでしょ。」
「1年に50人以上の人と出会って別れるからね。」
「どうやって気持ちを整理するの。慣れるの。」

僕は最後まで慣れるということはなかった。
それは今でも。

でも、別れるということがあるからこそ、
いずれは離れて行かなければならないからこそ、
この瞬間が輝くのだと思う。
別れから学ぶものは本当に大きい。
10代の頃に多くの別れを経験してきたことで知ったこと、
教えられたことは貴重だと思っている。

死を考えなければ、生が分からないように、
別れを見なければ、出会いというものの奇跡を知ることは出来ない。

僕達が今、ここで一緒に居られることの大切さ。
それを深く実感するためには別れを意識することだ。

僕はいつでも、別れや死を見る。
いつかは離れなければならないし、いつかは立ち去らなければならない。
離れ方、去り方を意識したとき、
人に対して、場に対して、出来事に対しての振る舞いが変わる。

何をすべきなのか、ということもそこから見えて来る。

そっとそこに居て、何かを繋いで、奇麗な流れが生まれて、
何かが起きる。周囲が活き活きと自ら動き出したら、
こちらはそっと立ち去る。
気がつけば流れだけがある。

僕自身は与えられている役割の為に自分のこころも身体も最後まで使って行きたい。
使い終わったとき、静かにそっと消えて行ければ良い
何かと何かの間で、何かと何かを繋ぐために自分が居るのだと思う。

自分は何ものでもなく、何も出来ないという実感は、
いつでも自分を助けてくれる。
自分が小さく、小さくなった時、大きな力、ビジョンが、
見え、聴こえ、こうしなさいと命じて来る。

さて、僕にとってのもう一つの別れを書いておしまいにする。
個人的な話で申し訳ないが。
ずっと飼ってきた犬のジルーと別れた。
三重のアトリエに通う高山さんが引き取って下さることになった。
大切に育てて下さる方が居た事に感謝したい。

理由はいくつかあったのだけど、決断したのはゆうたのアレルギーの数値。
動物の数値が食物よりも強くなっている。
犬が居る時に喘息気味になることも分かった。(勿論それだけが原因ではないが)

ジルーと過ごした日々が懐かしい。
優しくて、ちょっとバカで、好奇心の強い、素直な犬だった。
僕の上にのって寝たり、顔をなめてきたり、
背中を押し付けてきてたり。
いつも一緒だったころ。忙しくてあんまり構ってあげられなかったころ。

一心同体と感じるくらいの強い気持ちもある。

これまで一緒に居られて本当に良かった。
可愛がってもらって、幸せに生きて欲しい。
大袈裟だけど、ジルーに教えられた事は一生忘れない。

ありがとう、ジルー。

2013年7月6日土曜日

ゆうたの喘息

皆さんこんにちは。
お元気でしょうか。

三重から帰ってきました。
早速、忙しくなりそうです。

いろいろと書かなければならないことがあります。
これからのこと、これからのアトリエのこと。
でも、今日はそんなに時間がありません。

次回以降で少しづつ書いて行きます。

今日は少し私的なことを書きます。
ゆうたと家族のことです。

このことも、書いておかなければならないと感じるのは、
これからのアトリエのこととも関わって来るからです。

結論から先に言います。
来年の3月以降、佐久間は月の半分は三重で暮らす方向で考えています。
東京の各クラスはしっかりとした体制のもと、
これまで通りの活動が出来るように整えます。
1週2週なのか3週4週なのか、どちらかに寄せて東京におりますので、
各クラス月2回の内、1回は佐久間が担当し、
もう1回は他のスタッフという形となる予定です。
無理なく移行したいと考えております。
また新体制が整いましたら正式にお知らせ致します。

今回は三重で合宿の準備や段取りを進める予定でした。

様々なお仕事が遅れてしまったことを反省しています。

ゆうたのこと。
今回は大きな喘息の発作があり、1週間の入院が必要だった。
小児喘息の中ではかなり重いもので、簡単に治るものではないと説明を受けた。
入院時のレベルは重篤。命の危険もある状態。

点滴と酸素の吸入を続けて少しづつ快復していった。
普段から動き回って縛られることが嫌いなゆうたは、
狭い病室にいるのがいやで、毎日点滴を引き抜こうとしてみたり、
酸素濃度を測る機械をはずして投げようとしたりして、
泣き続けていた。
外へ出て走り回りたいという強い欲求だった。
ゆうたの気が少しでも紛れるように、色んな遊びを考えた。
一緒に絵も描いた。
一日中、よし子のことも僕のことも、傍から離れさせなかった。

暴れ回って疲れた後にようやく寝入った、ゆうたの寝顔を見ながら、
不憫で仕方なかった。
何にも悪くないのに何故、こんなことにならなければならないのか。
ゆうたを思うと涙が溢れてきた。
よし子は冷静に僕に言った。
「私は3才から喘息が始まったけどこの子はこの時期から出てるから、私より重いよ。親は覚悟を決めて向かい合わないとね」

ステロイドによる日々の治療以外にないという判断で帰ってきた。

自分のことなら、と何度も考えた。
外を歩いているだけで石を投げられるような生活は当たり前だった。
誰に何を言われようと、攻撃されようと、脅されようと、
そんなものには屈しなかった。
何にも怖くはない。いつでも死ぬ覚悟で生きてきたから。

これまで、多くのものを犠牲にしてきた。
でも、今回はそうはいかない。
ゆうたを放っておくわけにはいかない。
母親だけに任せておく訳にもいかない。
ここは本気で家族の絆を深めていかなければならない。

ゆうたの喘息と立ち向かって行くために、
僕はよし子にとってもゆうたにとっても支えにならなければならない。
その為には、出来るだけ一緒にいなければならないと思っている。

そして、今回よし子に言われた家族としての僕の欠点は、
本当に深くこころに残った。

これを機に僕自身も変わって行かなければならない。

私的な話題を中心に今日は書いてしまった。
でも、それだけですすむという訳では勿論ない。
アトリエのこと作家たちのこと、家族のこと、三重のこと、
肇さん敬子さんのこと、協力して下さる方々のこと、
みんなにとって良い選択、みんなが喜べる道が必ずあると信じている。
それを見つけ、それを進めたい。

すべてのことが、これがあったから、こっちにいけて良かったよね、
と思えるようにして行きたい。

大丈夫。
真っすぐ前を見て歩き続けるだけ。

これは次回以降で書いて行くけど、アトリエの新しい動きも始まって行くだろう。
僕自身も新たな仕事にも挑んで行かなければならない。

さて、今日の土曜日クラスよい場をみんなで創ります。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。