2013年7月18日木曜日

動機

今日はイサと買い出しに行った。

久しぶりの吉祥寺。変わってしまったなあ。
ゆざわやも小さくなっていて、物も少なかった。
こんなに変わるとは。

場所を変えて新宿の世界堂へ行った。
1日で終わる予定だったけど、やっぱりもう一度行かなければならない。

今、よし子のブログを読んで、
三重でみんなが一生懸命準備してくれている姿に感謝した。
やっぱり、みんなの気持ちが集まって何かが出来る。

自分の出来ないところや欠点を、沢山の人が補ってくれているから、
何かが出来ているのだとつくづく思う。

片山さんのこともあり、僕自身のこころの整理のためにも、
一度、信州に行って来ようと思っていたけれど、今回は断念した。

最近、特に動機が大切だと考えている。
本来の意味とか、最初の動機を失ってしまったのに、
活動だけが続いていたり、形だけが残っている、という状況をよく見る。
そして、問いかける。
今、何のために、何をしているのか。
これは何のためにあるのか。何のための自分の仕事か。
もし、動機を失ったら、あるいは違う方向に行くくらいなら、
やめた方が良いのだと思う。

このアトリエにはダウン症の人たちが通っている。
彼らの感性の素晴らしさを守って行きたいから、アトリエがある。
彼らが充分に本来の性質を発揮出来るためにこの環境がある。
そして、そこから見えて来る彼らの豊かな世界に可能性を感じるからこそ、
外部へ発信し、伝えて行く。

ダウン症の人たちは人間の持つ本来の可能性を示している。
多くの人がまだそのことに気がついていない。
彼らから学ぶことがどれだけあるのか知られてはいない。

学ぶことにも、知ることにも時間が必要だ。
時間を無視して早急にことを運ぶと無理が生まれる。

理解し合うためには対話が必要で、対話とは、
お互いの声をよく聞くことだ。

特に現代のような騒がしさの中では、
刺激ばかりに目がいき、静かにひっそりと存在しているものに、
気づくことは難しい。

忍耐強く、語りかけ続けること。
何かのきっかけになる種を播き続けること。

知って欲しいからと言って、勧誘はいけない。
それでは宗教になってしまう。
絶対に良いから分かって、という主張はかえって人が遠ざかる原因となる。

選択する可能性を提示し続ける。
選ぶのは一人一人。良いと思うか思わないかは、その人次第だ。

誰にも何も強制することは出来ない。
だからこそ、一人一人が主体的に選び関わる。
それが人間の尊厳と言えるだろう。

彼らから見えて来るやさしい世界。
ゆっくりと感じてもらえば、きっと自分を豊かにしてくれる世界。
そんな世界が確かに存在しているということを、
少なくとも僕は自分の経験として伝えて行きたい。
どう解釈し、どう判断されるかは、触れた人それぞれに任せする。
きっかけが、ゆっくりと育って行って、
いつの日か、同じ可能性に向かえる人たちが、
一人でも多くいてくれることを願って。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。