2013年9月16日月曜日

昨日のアトリエで

朝から強い風が吹き続けている。
台風はこれから関東に一番近づく時間だ。

昨日は雨が降ったりやんだりだった。台風の影響で欠席の人も多かった。

少人数でのアトリエだったが、外の喧噪をよそに別世界のような静けさだった。
静寂があり、深さがあり、どこまでも行き渡る注意力があった。
作品はどの作家も素晴らしかった。

静かな静かな、場で、僕達はどこまでも深く深く入った。

アトリエの時間が終わってぼーっとしていると、
さっきまでが夢のように感じられる。
十数年続けていても、この感覚はいつでも不思議で新鮮だ。

本当はいつまでもこの経験を深めて行きたいし、
ずっと制作の場だけを真剣に取り組んで行きたい、という思いもある。
でも、これからはもっと広く進めて行くべき役割がある。

作家もスタッフも、その場にある机や椅子や絵の具を見ているのではない。
ただ、そこに座って手を動かしているだけではない。
もっと、もっと多くのことがそこでは動いている。
僕達は形になる前のものを見ようとしている。
気配を感じとろうとしている。
それが、見え、感じとれるからこそ、1つの世界が共有出来る。

撮影のカメラは絵を書いたり話したりしている姿しか追うことが出来ない。
でも、そこでは本当は見えていない何ものかを作家も僕達も追いかけている。
僕達にとってそれは明白で当たり前のことにすぎない。

もし、具体的な事物を通して、その奥にある見えない動きを、
少しでも感じることが出来るのなら、それは素晴らしいことだ。

制作の場を見学した人達は多かれ少なかれ何かを感じてくれている。
それは不思議なくらい伝わるものだ。

目に見えるものばかり追いかけるのはつまらないことだ。
今の社会や人々の価値観はほとんどそうなってしまっている。
だから表面的、表層的になる。考えも捉え方も浅い。

言葉だってそうだ。
言葉を通して言葉の奥にあるもの、
言葉にならないものを感じとることに意味がある。

人は普段、無意識の内に見えているとか聴こえていると思い込んでいる。
実際には見えても、聴こえてもいないことの方が多いのに。

制作の場に立つ時、一番大切なことは、人の奥にあるもの、
表情や言葉や、姿の奥にあるものを見ること。
絵や筆の動きばかりではなく、その奥でまだ形になってはいないけれど、
確かに強く動いているものを感じとること。
そして、大切に形となって見える領域に持ってくること。

場はただの人の集まりでもなければ、小さな空間でもない。
場には力があり、意思がある。
一緒にいる人達とそれを共有し、今よりももっと良いものを見つけていくこと。

これは単純なことだけれど、
意識をどこに向けるべきかという大切なことの1つだ。

この台風だって、近づく以前に強烈な気配があったように。
今、風の奥に存在の力があるように。
物事の奥にはそれをそれたらしめている動きがある。
まだそこにないのに、すでに動きが感じられるという、人間に備わった能力。
誰しもが持っているそんな力が感性だ。

上っ面ばかり見ていると分からない。
分かっていると思い込んで威張っていると感じられない。
もっともっと大切なものがあるはずだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。