2013年11月30日土曜日

潜水艦

※以下のブログの訂正です。
ごめんなさい。すっかり今日が12月だと思って、教室があるように書いてありますが、
今日は5週目でアトリエはお休みです。1、3土曜日クラスの方はお渡ししているスケジュール表どうり来週となります。以下の文章は書かれたままとさせていただきます。


今の季節は光が本当に奇麗だ。
作家たちもどちらかというと、いつもより明晰で色も良く出てくる。
彼らの魅力は、ちょっとぼやっとした曖昧で繊細な部分にむしろ現れると、
思って入るが、明晰さが加わっても、その微妙な感じが損なわれることはない。

今日はどんな作品達が生まれるだろうか。
この1、3週目の土曜日クラスも、場の雰囲気、作品、
一人一人の活き活きした表情と、とても素晴らしい時間を重ねている。

僕は北陸の出身なので湿度には割に強いが乾燥には弱いのかも知れない。
それでも乾いた空気は光や色を美しくしてくれる。

日中の日差しの鮮やかさ、暖かさ。
それから夜の月は静かで美しい。
遠いところに行ってしまいそうなくらいに迫ってくる。

がぐや姫の物語、見たいなあ。
時間がないし、それに混んでそうですね。

月の光に懐かしさを覚える感覚と、自分たちがやって来た場所が、
どこか他のところにあって、今ここにある世界や自分が夢の様に感じられる。
そんな心境が一人一人のこころの中にあるのではないか。

本当は知っているのに思い出せない。
その懐かしい場所に行きたいという思い。
日本人は月を見ていてそんな風な心持ちになっていたのかも知れない。

そして、僕達は制作の場に入ることで、その感覚を蘇らせる。
僕達はずっと先まで進んで行くと同時に、遥かな過去へと、記憶の奥へと遡って行く。

そんな時間をこれからも共有して行きたい。

この前の日曜日、しんじ君の描いた「さくまさんの若い頃」は、
本当に懐かしく深く深く、奥の奥まで潜り込んだ作品だった。
その日、さとちゃんに「このっ潜水艦!」と言われたのだった。

以前に書いたはるこの言葉、もっともっと掘って、というのも思い出す。

さてさて、今日も潜水艦を動かして出発です。

2013年11月29日金曜日

現場魂

あえて、ちょっと泥臭いタイトルにしてみました。

いやー、寒いですねえ。
このパソコンのある部屋は暖房がきかないのでジャンパー着て書いてます。
風邪も流行ってきているようです。
皆様もお気をつけ下さい。
この時期はこの場も注意が必要になってくる。
アトリエでは免疫の弱い人も多いので、
もし風邪をひいたら他の人への配慮もお願い致します。
軽い場合は必ずマスクを、辛そうな時は無理をせずにお休みしてください。
特に長時間一緒に過ごしている平日のクラスの方達、ご注意下さい。

年末はやっぱり忙しくなってしまって、
このブログもなかなか更新出来ずにきてしまった。
その間にたくさんのことがあったので、書くべきテーマもたまってしまった。
まあ、でも焦らずにいきたい。

ゆうたの喘息が出てしまって、入院でよしこは大変だった。
肇さん、敬子さん、三重のみんながいてくれて本当に有り難い。
文香ちゃんも帰って来ている時期で心強い。

居てくれるということが、何よりありがたいことだとつくづく思う。

先日は本当に久しぶりに、共働学舎の悦子さんと電話でお話しした。
毎年、クリスマス会のご案内を頂くのだが、仕事で行けない。
悦子さんの声を聞くと安心する。
あれから長い時間がたっているのに、そんなことはふっと忘れて、
あの頃に戻って行く。
「大丈夫なの?みんな心配してるよ」
と言ってくれると、全然大丈夫なのに、
「うーん。なんとかギリギリやってますよ」と甘えてしまう。
子供の話になって、「あなたに似てせんが細いかもよ」と言われる。
え、僕ってそんなだったっけ、と思い出すと悦子さんにはずいぶん甘えていた。
こっちでは誰からも弱い人間だとは思われていないんだけどなあ。
むしろ逆なんだけど。
でも、ずっとそんな風に見ていてくれる人が居ると力も緩む。

さて、ちょっとわざとらしいタイトルにしたのだけれど、
やっぱり原点。なによりも制作の場を真剣に守って行きたいと思うこのごろ。

今度は女子美でお話することになっているが、
近頃は美術大学にヒーリングや表現を通しての関わりをテーマにする学科も増えた。

社会の流れを見ていても、障害を持った人達に何らかのアプローチで、
関わって行こうとする人達が増えて来たし、増やそうという動きもある。

僕自身はずっと関わって来た人間として、伝えて行かなければならないと感じる。
強い責任感を持って、本気で学び、関わろうとする人を育てたいとも思っている。
今は曖昧な形で何も知らない人が教えていることも多い。

これまで書いて来たように、僕の仕事は2つある。
1つはダウン症の人たちの未だ知られていない可能性の世界や、
豊かな文化を伝え、触れてもらうきっかけをつくること。
これまではこっちをどちらかと言うとメインにして来た。
でも、もう1つ大切なことがあって、
それは関わること、関係の中で一人一人のセンスを引き出すという、
現場での具体的な仕事をしていく人材を育てて行くこと。

長くなるので今回はさわりしか触れないが、
僕は関係性において個人のこころの中にあって、
外に現れていないその人の本当の部分を引き出して行く、
ということを自分の仕事として来た。
こういうことは僕が始めた頃、まだジャンルとして成立していなかったし、
今でもはっきりとしたジャンルは確立されていない。
僕がこのことを自覚して動き出した頃、
誰も参考にする人も居なければ、助言を与えてくれる人もいなかった。
ただ、数人の人が、お前のやっていることは仕事と呼んで良い、
と個人的に認めてくれるのみだった。

関係性において何が生まれて来るのか、
関わることで何が変わるのか。
経験を積めば積む程、関わる人間によって、内面にある何ものかが、
出て来るのか、出て来ないのかが決定することは明白になった。
そこには勿論、才能や技術も関係してくる。
努力もおおいに必要となる。
勘は最も大切なものだが、勘だけではなく、鉄則や法則もある。
仕組みはむろんある。

これからの為に僕は自分の知っていることは教えて行くつもりだ。
今、2人程、教えている。
この2人が、関わることで相手から良いものを浮かび上がらせて行く、
ということが出来るように、それを仕事としていけるようになってほしい。

いずれは、僕達のやっているようなこともジャンルとして成立することだろう。
指導でもなければ、セラピーでもヒーリングでもない。
教育でもない。
でも、関わることで本質的な何かが生まれる。
そういう関係を作る仕事。

このアトリエだけでなく、外にもそういう人材を育てる為に伝えて行く。

その為に、これまで20年近く、
内面的探求に関してはたった一人でやって来た部分を、
言葉にしていく必要もあるかもしれない。
メソッドやマニュアルには出来ないけれど、
ただ感覚だけでやって来たわけではないので、残せるものは残したい。

そんなことを考えていたりするが、
実際の場を守って行くことが一番大切なので、ゆっくり進めるしかない。

2013年11月22日金曜日

ここはどこ?

久しぶりのブログだ。
熱心に読んで下さっている方達がいて本当に有り難い。
伝えると言う仕事をこれからも大切にしていきたいと思う。
なにせ、核心はこんなところくらいにしか書けない。
取材や何かは自分たちが使えそうなものだけしか伝えないから。
そして世の中のそういった動きは本質から逸れて行くいっぽうな気がする。
一人一人の生き方や興味も、根源から遠ざかり、本質から逸れていくばかり。
虚しくないのかなあ。つまらなくないのかなあ。
人の事は気にしないと言うわけにもいかない。

2週間ほど、よし子と悠太が東京へ来てくれていた。
悠太の誕生日を一緒に過ごす事が出来た。
ご協力いただいた皆様にも感謝です。

とにかく、僕達はまったく未知の領域を追求してきたと思う。
ダウン症の人たちがどのような世界を生きているのか、
というような視点での本質的なアプローチはこれまで全く無理解に曝されてきた。
最近はかなり改善されてきたとは思っていたが、
やっぱりまだまだだと実感する。

こと障害という問題に対しては社会は大分改善されただろう。
オシャレっぽい感じの活動も増えたし、もっともらしくもある。
でも誰も本質的な事には触れようとはしない。
それは、どこかで甘く見ているからだ。
自分が変わりたくないからだ。自分たちの価値観が覆されたくないからだ。

僕自身も確かに伝えるということを強調してきた。
でも、これは勧誘でも布教活動でもない。
沢山の人に広げさえすればよいとする考えにも反対だ。
理解は正しくなければ意味がない。
誤った理解で数だけ増やしても弊害があるのみだ。

だから、あえて言いたい。
何の為にこの場があるのか。
ここはダウン症の人たちの本質である、人間の根源的力を追求する場であり、
彼らの良い部分を引き出し、守るばであり、また積極的に彼らから学ぶ場だ。
彼らに何を見るかは、こちら次第だ。
変わらなければならないのは私達なのだ。
従来のアプローチを続けたい方は続ければ良い。
福祉的なアプローチでの仕事が来る度に思うのは、
ここじゃなくても良いだろう、ということだ。
代わりは沢山あるだろう。

この何年かでかなり色んな場で話したり、伝えたりしてきたが、
僕自身はダウン症の人たちと一緒に見てきた事の入り口すらまだ語ってはいない。

時間がない、みたいな事はあんまり言いたくはないけれど、
もっと本質に向かおうよ、と思うのだ。

仲間達にも言い合って行きたい。もっと先へ行こうよ、と。

作品は凄いし、制作の場は奥深い。
もっともっと入って行くべきだ。

世俗的な次元の事はどうでも良いではないか。
地位や名誉やお金が欲しい人は、追いかけて行けば良いけれど、
ここの場とは無縁な事は確かだ。

ずっとこの場を続けてきて、いつでももっともっとと先を見てきた。
場に入るいじょうは奥深くまで行きたい。
もっと深く潜ること。もっと奥の奥まで見ること。
どこまでも行くこと。

深く深く、もっと深く。
その更に奥に宝物がある。人間の根源にある何ものかが。
一度行ったら終わりではない。また次も行く。

悠太とたくさん散歩して、疲れたのか「あっこ、あっこ」と言う悠太を抱っこして、
暗くなって行く商店街を歩いていた。
悠太はずっと話している。ニコニコ笑って。
「音ー、するねー。うえかなあー、したかなあー、どこかなあー」
楽しそうにリズムをつけて歌うように、くりかえす。
何度も何度も。
「上かなあー、下かなあー、何処かなあー」
うえかな、しなかな、どこかなー、何度もリフレインされる言葉を聞きながら、
歩き続けた。2人で暗くなって行く空間を真っすぐ進んで行く。
ここは本当に何処なのだろう。
上なのか下なのか。
不思議な夢でも現実でもない場所にいるような気がしてくる。
もっと行こう。もっと何処までも行こう。
うえかなあー、したかなあー、どこかなあー。

ずっと、ずっと奥まで行って、何にもなくなるところまで行って、
そうするとそこは何処でもないどこかで、
そこにはすべてがあって、上も下も、右も左も、前も後ろもない。
僕も悠太もいなくて、ただ名付けようのない無限だけがそこで息をしている。

絵の世界もこころの深くで経験する世界も、
人間のもっとも深いところにある経験は一つだ。
制作の場はそこまで潜って自由になって帰って来る為にこそある。

2013年11月6日水曜日

本物、偽物

もう11月。本当に早すぎる。
毎年、ああもう終わりかあ、早いなあと感じる。
やるべき仕事が間に合わない。

今日は少し掃除をしていて、ハウスダストなのか何なのか、
すっかり鼻がやられてしまった。
むずむずでくしゃみと鼻水が止まらない。
頭はぼーっとするし、ふわふわしてしまって身体に力が入らない。

鼻の奥が熱を持ってしまってじくじくしている。
こうなったら1日は続くので我慢していると、
背中の力が抜けてフーっと軽くなった。
しんどいけれど、緊張が解けて行ってこれはこれでありがたい。
今日は本当に身体が軽くて、ないみたいだ。

前回、ピアニストのポリーニのことを書くと言ったが、
今日は集中力が足りないからまたいずれにしましょう。
でも、今の浮遊しているような身体の感覚はポリーニの音楽のようだ。

当たり前のことなのだけど、
制作に向かっている作家たちは自分の感覚だけを頼りにしている。
そして、あの鮮やかな作品を生み出して行く。

他の何にも頼らず、甘えず、逃げずに、感覚を信じること、
感覚に賭けることが出来るかどうか。
これは今、私達が生きている環境の中で最も大切なことであり、
最も欠けていることなのではないだろうか。

近頃は日展の選考の不正が発覚したり、
食品表示の問題が話題となっている。
勿論、責任ある立場の組織が、
真摯な誠実な仕事をしなければならないのは言うまでもない。

ただ、いい加減に大きな流れを鵜呑みにして信じ込むのはやめた方が良い。
放射能の問題も経済の問題もそうだけれど、
これまでの価値観はもう崩壊している。
ある意味で確固とした何ものもないのが今の状況だ。

権威に媚びたり、偉い人が言ったということで信じ込むのは、
これまでも馬鹿げていたけれど、これからは更に時代錯誤だ。

こんな中でやっぱり大人は、世の中には本物と偽物があること、
そして、それは自らの感覚を研ぎ澄ませて判断すべきことだ、
ということを忘れてはいけない。
偽物がいつまでもまかり通るのは、偽物を許す大人が多いからだ。
本物が時として蔑ろにされ、それどころか弾劾さえされてしまうのは、
身をとして本物の価値を守ろうとする大人が少ないからだ。

子供達はそんな大人を見て育ち、大きくなってこんなことを言う。
本物も偽物もない、と、すべては相対的だ、と。
そんなわけがないと教えるのが大人の責任なのではないか。
本物と偽物というのがはっきりあって、
そこを見極め、判断し、選択するのは個人の責任であり、
時にはその選択において命を賭けるくらいの重大なものが含まれているということを、
しっかりと伝え、自らもその姿勢をみせなければならない。

僕のところで、制作している作家たちは途轍もなく大切なことを知っている。
感覚だけを頼りに迷いなく始めて、美と調和に行き着くすべを。
今、一人一人がそのような勇気と正直さとやさしさを取り戻さなければならない。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。