2013年11月6日水曜日

本物、偽物

もう11月。本当に早すぎる。
毎年、ああもう終わりかあ、早いなあと感じる。
やるべき仕事が間に合わない。

今日は少し掃除をしていて、ハウスダストなのか何なのか、
すっかり鼻がやられてしまった。
むずむずでくしゃみと鼻水が止まらない。
頭はぼーっとするし、ふわふわしてしまって身体に力が入らない。

鼻の奥が熱を持ってしまってじくじくしている。
こうなったら1日は続くので我慢していると、
背中の力が抜けてフーっと軽くなった。
しんどいけれど、緊張が解けて行ってこれはこれでありがたい。
今日は本当に身体が軽くて、ないみたいだ。

前回、ピアニストのポリーニのことを書くと言ったが、
今日は集中力が足りないからまたいずれにしましょう。
でも、今の浮遊しているような身体の感覚はポリーニの音楽のようだ。

当たり前のことなのだけど、
制作に向かっている作家たちは自分の感覚だけを頼りにしている。
そして、あの鮮やかな作品を生み出して行く。

他の何にも頼らず、甘えず、逃げずに、感覚を信じること、
感覚に賭けることが出来るかどうか。
これは今、私達が生きている環境の中で最も大切なことであり、
最も欠けていることなのではないだろうか。

近頃は日展の選考の不正が発覚したり、
食品表示の問題が話題となっている。
勿論、責任ある立場の組織が、
真摯な誠実な仕事をしなければならないのは言うまでもない。

ただ、いい加減に大きな流れを鵜呑みにして信じ込むのはやめた方が良い。
放射能の問題も経済の問題もそうだけれど、
これまでの価値観はもう崩壊している。
ある意味で確固とした何ものもないのが今の状況だ。

権威に媚びたり、偉い人が言ったということで信じ込むのは、
これまでも馬鹿げていたけれど、これからは更に時代錯誤だ。

こんな中でやっぱり大人は、世の中には本物と偽物があること、
そして、それは自らの感覚を研ぎ澄ませて判断すべきことだ、
ということを忘れてはいけない。
偽物がいつまでもまかり通るのは、偽物を許す大人が多いからだ。
本物が時として蔑ろにされ、それどころか弾劾さえされてしまうのは、
身をとして本物の価値を守ろうとする大人が少ないからだ。

子供達はそんな大人を見て育ち、大きくなってこんなことを言う。
本物も偽物もない、と、すべては相対的だ、と。
そんなわけがないと教えるのが大人の責任なのではないか。
本物と偽物というのがはっきりあって、
そこを見極め、判断し、選択するのは個人の責任であり、
時にはその選択において命を賭けるくらいの重大なものが含まれているということを、
しっかりと伝え、自らもその姿勢をみせなければならない。

僕のところで、制作している作家たちは途轍もなく大切なことを知っている。
感覚だけを頼りに迷いなく始めて、美と調和に行き着くすべを。
今、一人一人がそのような勇気と正直さとやさしさを取り戻さなければならない。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。