2013年12月16日月曜日

身も心も

何度も言ってもしかたないですが、寒いですねえ。
ゆうたが電話で声を聞かせてくれるのが嬉しい。
本当にやさしい子で、「パパ、大丈夫?パパ疲れた?」
「パパ、東京、お仕事?頑張ってね」とかいっぱい言ってくれる。
「パパ、さみしない?」
間違えて途中で電話が切れると、すぐにかけてきて「パパ、ごめんね」と言う。

それにしても恐ろしいことに気がついてしまったが、
今週中に仕事を全部終わらせておかなければならない。
間に合うのだろうか、と言っている場合ではないが。

今度の土、日、月曜日が今年最後の教室になる。

1、3週日曜日クラスは昨日が最後だった。
保護者の方達が準備してくれて、
少しの時間みんなでケーキを食べて過ごすことが出来た。
亡くなった方、今一緒にいられない方を思って、
こうして過ごせる時間を大切にしたいと感じた。
みんな、本当に良く憶えていて、あの時はああだったと振り返る時がある。

今週も土、日曜日は充実していた。
僕らの醍醐味は場が活き活きと動いている時。
透明で何処にも滞りがなく、軽やかで迷いも不安もなく、
スーっと気持ちが行き交い、作品は気がつくと出来上がる。
全部が見えているのに、あまりにも自然で遮るものが何もない。
ああー、今日は流れてるなあ、と感じる時。
物質に重力を感じないし、何の限界もないような感覚になる。
こういう次元に行く為にこそ、日々、一生懸命挑んでいる。

これからスタッフもより育てて行かなければならない。
場のピークの状態をよく知っておくことが大切だと思う。

僕達の仕事は簡単そうで難しく、難しそうで簡単だ。

僕はスタッフに対しては割に厳しいのかもしれない。
でも、僕自身はもっともっと厳しく育てられて来た。
誰からというわけではなく場からだけれど。

僕にとって場の要求は絶対だ。
場の要求には絶対服従してきた。
真剣にやり過ぎていたこともある。
何故そこまでするのか、聞かれることもあった。
僕にはそのようにしか出来ないから。そんな風にずっと教わって来たから。

場に従う。
これは僕にとって掟のようなもの。
場に入って僕が自分のしたいように振る舞ったことはない。

どんなに悲しくても悲しむなと言われれば、その通りにする。
場が必要とするように動く。
動作も内面のこころの動きであってすら場の命ずるままだ。

それを操り人形とかロボットとか表現してみたけれど、
それでも場の要求に身を任せている時こそ、僕は自由を感じる。

場は多くのものを要求してくる。
だから身軽であろうと思った。そして、すべてを場に捧げる覚悟をした。
身も心もというやつであろうか。
言い換えれば、場に魂を売った。

その結果、とても素晴らしいものを沢山与えられた。
それは今でも与えられ続けている。

何人もの人が「あなたはみんなと居る時が一番良い」と言った。
「みんなと居るときだけ」とも。

ある意味ではそこにしか場所がないというところまで、
ある時期、自分を追い込んで行ったのかもしれない。

でも、言えることは、すべてを捧げた者だけが見える世界がある、ということだ。
(当然、こんな書き方をちょっと恥ずかしいと思ってますが、
今日のところはお許しを)

そんな生き方をする人間がいても良いのではないかと思っている。
勿論、これからのスタッフにそこまでの在り方を要求しているわけではない。
人にはそれぞれ自分の道があるのだから。

ビリーホリデイの声がずっと耳に残っている。
様々な音楽を聴くけれど、人の声はやっぱり良いですね。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。