2014年2月20日木曜日

情緒

寒いですが春の気配が感じられるようになって来ました。
ああ、もうすぐ春だなあ、と思って四季を感じていると、
本当に大切なのは情緒なのだということがふと頭にうかんだ。

人間、最後のところで感覚が大切だと何度か書いたけれど、
感覚でつかんだものを今度は味わって行く情緒というのも大切だ。

四季があって、季節の変化の中で情緒が育って行くというのは素敵なことだ。

ダウン症の人たちのことをずっと書いて来たが、
彼らはやっぱりその情緒という部分でも優れている。
季節も出来事も、どんな小さなことでも、反芻し自分の中に入れて行く。

だから彼らはこの瞬間を本当に深く生きている。
つまりは豊かだ。

僕達のアトリエではこういった感じる時間の流れを大切にしている。

一緒に居てくれた人達が居なくなってしまうのは悲しい。
胸が張り裂けそうになる。
でも、悲しみがあるから慈しみ、大切にする気持ちが生まれる。

テレビでドキュメンタリーを見ているとある写真家が、
「悲しいことに人が死ぬ度に腕が上がっていく」と言っていた。
確かにそうだろうな、と思う。

せわしなく過ごす日々だが、こんな時こそ静かな時間を持ちたいとも思う。

本を読むには纏まった時間がいるから、短い時間ですぐに気分を変えられるのは、
やっぱり音楽になる。
最近はクラシックはあんまり聴かなくなっていた。
何故なら長いからだ。好きな曲は交響曲が多いから。
だからクラシックもピアノを良く聴く。

聴く音楽はジャンルを選ばない。
最近はアルトンエリス、ピアソラ、ファイルーズ、
あたりで何の一貫性もなく聴くことが多い。

情緒ということを考えると、クラシックの演奏家はずいぶん情緒を失ってしまった。
そういうのはもう古いとでも言うようにメカニックな演奏ばかり。
人生や人格が匂い立つような演奏は皆無。
もっとも、僕も情に流されないで厳しく自己を律した演奏が好きではある。
でも、ただでさえ生きていることは辛いことなのだから、
音楽くらい甘美なものであっても良いのでは、と思うこともある。
ヴァイオリンで言えば、エリカモリーニやショコンダテヴェートあたりを聴くと、
こういう情緒が何事にも欠けた時代だと感じる。
やっぱり良いなと。
久しぶりにクライスラーを聴くと、これも良かった。

掛け替えのない瞬間を生きているのだから、慈しむように大切に動きたい。

バッハのエールをチョンキョンファのヴァイオリンで聴く。
こちらは厳しいけれど、とても静かで崇高な美がある。
バーバーのアダージョやパッヘルヴェルのカノン、ヴィヴァルディの四季、
それから、とにかく美しい音楽は沢山ある。

オリンピックを見ていると、悔しい思いをした人達も本当に立派だ。
選手達が勝たなければ意味が無いという気持ちで挑むからこそ、
見ていて勝ち負けではないと思わせられる。
勝つべき人が勝てない中で、羽生選手は本当に素晴らしかった。
あれだけ多くの人を感動させたのも珍しい。
やっぱりこんな時代だからこそ、清潔なものに憧れるのだろう。

浅田真央選手はショートは残念でしたね。
フリーはどうなるのでしょうか。
何故か僕の周りでは応援する人が少ないのですが、
キムヨナ選手は凄いと思います。
ショートでの演技、本人は納得していなかったようですが、美しかったです。
彼女はいつも素晴らしいと思います。

僕達は一生懸命に自分に任された仕事をして、
そして全力で生きて行くこと、それがすべてなのでしょう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。