2014年5月9日金曜日

やわらかいもの

さてさて、あっと言う間に一ヶ月が経とうとしている。

東京での仕上げの土、日曜クラス、良い時間にしたい。

来週少し用事が残っていて水曜日までは東京だけど、
すでに予定はいっぱいになってしまった。
打ち合わせ、ご見学の日程をお待ち頂く形となった方達、申し訳ありません。
6月に必ず。
そして保護者会も先送りになってしまいました。
こちらも6月はやりましょう。

三重との行き来でまだ良いバランスとスタイルを模索中だ。
今月は少し予定を入れ過ぎて細かな対応が出来なかった。

ご理解とご協力を頂き有り難う御座いました。
引き続きよろしくお願い致します。

東京都美術館での展覧会も近づいて来ました。
ぜひ、見に来て下さい。

不安も多い世の中になって来たし、
確かなものが求められる時なのかも知れない。
「ほんもの」とか「本質」とか、僕自身もテーマとしている言葉だけど、
そういうメッセージをよく見かけるようになった。
小林秀雄とか白洲正子とかのリバイバルも多い。
自然とか食とか身体にも注目が集まっている。
それくらい、色んなものの足場が失われてしまったのだろう。

基本的には良い流れなのだとは思う。

でも、確かなものを求めると硬くなりやすい。
ただでさえ、僕達は生きるために硬くなってしまっている。
硬くなると見えなくなる。

こんな時、ダウン症の人たちの持っている感覚を知るのは役立つと思う。

それとか、僕達が制作の場で見ているものとか、
こころや身体の使い方は、どんな時でも有効だと思っている。

確かさを求めるのではなく、もっと柔らかく流れを見る。
固定しない。力を抜く。外す。捨てる。
明晰に見ようとせずぼやっと見る。
からっぽになる。
そうしていると動いている現実に上手く対応して行ける。

本当はこの現実や世界と言うものは、柔らかくて捕らえ所のないものだ。
こうだとかああだとか言えないもので、何処までも流れて動いている。
現実は柔らかいのに、僕達の認識が硬くなっている。

柔らかい現実に触れている時、身体もこころも自由になる。
決めつけたり固定化しなければ限界もない。

漂うように流れるように、柔らかく変化に順応して行けばいい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。