2014年6月18日水曜日

繋がるヒント

今日は曇り。

外での仕事も増えて、ここ数年色んな出会いにも恵まれる。
それはそれで有り難いことも沢山ある。
でも、物事には表と裏、表面とその背景がある。
そして絶えず見えているものよりその奥にあるものも方が遥かに重要な真実がある。

制作の場より面白いものはない。
そこにあるのは表面の上っ面の部分ではなく、人間の根幹に関わるもの。

場での充実感もあるいは辛さというか、
使うエネルギー量も外で行うものとは比較にならない。

生きているということの本当の形。
研ぎ澄まされた素の姿だけがそこにある。
そこから見たとき、様々な物事の見え方や捉え方が変わって来る。

日曜日の午前のクラス、一体どこまで潜るのかという深いところまで行って、
最後は一人の作家だけが残って、そこから更に先に入って行った。
場はもっと行って良いよと言っていた。
場がかなり助けてくれて、僕達は海の底のような場所で、
一体感と安心感とどこまでも果てのない感覚に包まれていた。

みんなが帰った後、スタッフもお昼休みの時間、場から離れようとすると、
場が寂しがる。不思議だ。
あれだけ暖めてくれていたのだから、冷やすのに少し時間が必要なのだろう。
誰もいない部屋に音楽をかけておいた。

何度も何度も経験していることだが、
僕は知覚が変わること、動きが変わること、目の前の事物の意味が変わること、
そういうことにしか価値を感じない。
本当に生きていれば、そして何か大切なものや意味のあるものがあるなら、
それらは理屈ではないはずだ。
具体的に自分を変えてくれるはずだ。
昨日までの世界を終わらせてくれるはずだ。

いつでもそういう何かを追求して行く。

こころと深く繋がることとか、奥の奥にある領域に触れるためには、
カギやヒントとなる何ものかを見つけなければならない。

それは生きることそのもので、
人生を通じて人はより大きな世界と繋がって行くカギを探していると言える。

一つの音楽の中であったり、絵画や映画の中にそれが見つかることがある。
本の中の言葉に見つかることもある。
一つの概念、イメージが現実を大きく変えることもある。

例えば生物学の話を聞いていて、全ての細胞はもともと一つで、
その一つの細胞がたくさんに分かれて行くというイメージが、
実際の自分の動きやこころと身体の使い方を変えた時期があった。
浮世絵を見ていた時、世界との接し方が変化した。
モーツアルトをずっと聴き続けたことがあって、
最後にはモーツアルトのモーツアルトらしさは消えてリズムだけが残って、
セロニアスモンクに行ってアフリカのリズムに行って、
グールドの初期の演奏に行って、歩くテンポや呼吸に行って、
全部がリズムになって、という経験。
食べるにしても、作るにしても、
あるいは美味しい珈琲を探すことにしても、
このカギとかヒントを求めている。

カギはへその緒のようなもので、繋がるための切っ掛けだ。

海を見て、感覚を開いて、皮膚に波のバイブレーションを感じていると、
海のようになれないかな、あのように動けないかな、
とまた一つのキーが現れて来る。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。