2014年6月27日金曜日

日々のこと

日常と言ってしまうと、それっぽくなってしまうし、
そういうことをコンセプトにしているものをあまり良いとは思わない。
それで、日々と一応言うのだけど、多分同じことかも。

酵素ジュースが出来ているのだけど、
よしこが言うにはゆうたは今リンゴのしか飲まない。

リンゴ、ないぞ、と思って昨日から仕込み始めた。
夏になってしまうと気温は高すぎるし、今の内しか出来ない。

毎日、打ち合わせやら、準備やら、来客の対応だったりで、
仕事が忙しい時期なのだけど、
こんな時に限って、家のことがしたくなる。

もうちょっと時間があれば、あれもしたい、これもしたいということが出て来る。

今、一番始めたいのはぬか漬け。
でもなあ、定住していないとなあ。

酵素を作っていると、毎日、手を入れて育てて行くので、
身近なことばかり考えるようになる。

これまでは外にばかり目が行っていたけれど。

本当に落ち着きなく、歩き続け、走り続け、探し続けて来た。
一ヶ所に居た事はないし、同じことを続けたことはなかった。
ただ一つ「場」という運命的に出会ったもの意外は。

住む場所にも物にも何の執着もなかった。
もっと酷いことを言えば一緒に居る人だって次々変わって行くのが普通だった。

糠床や酵素のように「場」も手を入れて育てて行かなければならない。
そういうものに出会ってなかったら、僕なんてろくな人間になっていないだろう。

反復もそうだけど、日々の積み重ねが大切なのだとようやく認める気になっている。

野村萬斎が狂言サイボーグなら、僕は「場」におけるサイボーグ。
現場サイボーグであり、現場職人だ。
大した人間でないどころか、ろくなことはやって来なかったけど、
場に対してだけは必要な努力も尽くして来たし、
何もかも投げ出してでも打ち込んで来た。

一つでもそういうものがあって良かったと思う。

今でも場に助けられるし、一緒に創ってくれる仲間達に救われる。

そろそろ日々の生活も手を抜かないような人間になりたい。

日本の生活の中には日々、手を入れておかなければならないものが沢山あった。
そこから見ていると、何処にも行かなくても充実した世界があっただろう。
住む場所や使う道具や身近な物に気を配った本当の生活。
いつか僕もそのような生活が出来るだろうか。

うーん。
言い訳としては、やらなくてはならない仕事が多過ぎて。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。