2014年9月30日火曜日

魔法の時間

僕が居ない時も含めて、この東京のアトリエで日々流れている時間。
一度、創造性の源に触れれば、まるで魔法のように自然に美が生み出されて行く。
始まりも終わりもなく、あまりに自然に。

終わってみると、今目の前にあった世界が魔法のように感じられる。

公開制作でてる君が見せた魔法のような時間。
16点並んでいる作品が全て必然のように感じられてしまう。
どこを切り取っても完璧なのに、完璧さに伴う硬さがまるでない。

本当のもの程、美しいもの程、良いものほど儚いものだ。

展覧会も残りわずかな時間となってしまった。
こうして確かに存在して輝いている世界ももうすぐ消えて行ってしまう。
多くの方に見て頂きたい。
そして自分の体験として記憶に残してもらいたい。

夜、ラヴェルを聴いた。
つい最近発売されたチェリビダッケの演奏。
中古でなく新しいCDを買ったのも久しぶり。

チェリビダッケの演奏するラヴェルは、儚い魔法の時間に誘い込む。
美しいものはいかに儚いか思い知らされる。

それにしてもあまりにも美しい。

霧の中で佇んでいるようだ。
現実は遠いむこうにあって、夢とか幻の世界に居る。
お伽噺の中に。
それなのに、現実から離れれば離れるほど、この夢がリアルになる。
現実よりこちらの方が本当なのだとさえ思ってしまう。

特に「マ・メール・ロワ」の美しさ。
全く現実離れしているのに、具体的な現実の記憶や感触が自分の中で甦って来る。
輝く瞬間が今、生まれ消えて行こうとしている。
音楽を聴いて涙が出て来た。

どれだけさみしく、悲しくなろうとも、それ故に輝くものがある。

疲れない為に、失わないために、悲しまないために、生きている訳ではない。
認識の深みに向かって行くことは、儚さや悲しさを見つめて行くことでもある。

見ないようにすることで、本当に美しいものを損なってしまう。

見ていよう、感じていよう、全てを受け取ろうとすることが大切だ。
まだまだ歩き続けなければならない。
旅の途上で見える景色が重なり合って浮かんでいる。

2014年9月29日月曜日

やっぱり凄い高倉健

土、日曜日のアトリエもイサとゆきこさんが、
良い場にしてくれていると思う。
仕上がった作品を見てそう感じている。

次の土日から僕がアトリエなので、
一番多くお客様がおみえになる週末に、
会場に居られるのはこれが最後ということで昨日も一日居ました。

ここへ来て来場者数もグンと増えている。

9日におこなった公開制作と15日の講演会の反響も、
僕のところまで届いている。
終わったことをああ良かったと振り返るのではなく、
多くの人が今想いを持って下さっていることが嬉しい。

いつも書くことだけど、本当に人には恵まれているし、
有り難いとしか言い様がない。

夜はなるべく休んでおこうと他のことを考える。
あれこれCDを取り出して来て聴いている。

昨日の夜、帰って来て何を聴こうか、と思いながらも、
何気なくテレビをつけた。
「あなたへ」という映画が丁度始まるところで、
見ようと思った訳ではないのに最後まで見てしまった。
素晴らしかった。
ストーリーは単純と言うか、もっと言えばありきたりで陳腐なものとも言える。
それなのに感動するのは高倉健という役者の力だ。
他の役者もかなり良かったけど高倉健の前では霞んでしまう。
いや大滝秀治だけは圧倒的な存在感で高倉健すら圧倒していた。

ただ立っていたる高倉健。後ろ姿。ふーっと息をする。つぶやく。
歩く高倉健。じっと想いに沈む高倉健。
どの場面も深い。
たくさん生きてたくさん経験して、良い意味で耐えて来なければ出来ない佇まい。
どの場面も人生の味わいの深さを感じさせる。

高倉健は小細工をしないからある意味でワンパターン。
またそれ、と思う時もあったけど、今は有無を言わさない凄みに達している。

言葉にならない想いを身体が表す。

色んなことがある、全てのことが刻まれていって、
やがて一つの味わいとなって行く。

進んで行かなければ見えて来ないものがある。

だんだんと色んなものが見えて来るようになると、
言葉にできることは少なくなって来る。
外に表さないでじっと内省してきた経験が高倉健の佇まいに現れている。

同じところに戻ってきてしまうが、
やっぱりこの世界は素晴らしいものであると思う。

2014年9月27日土曜日

金曜日の朝、電車に乗って直接上野の展覧会場へ。
クリちゃん達一家が来てくれた。
再会が本当に嬉しかった。
これからどんなに場所が離れていてもこの仲間達と繋がっていたい。

三重での報告も色々あります。
いよいよキクちゃん達と会社部門が始まります。
HPが出来上がる頃、詳しくお伝えしたいです。

うーん。書くことが沢山あったのに、すっかり東京モードになってしまっている。

そんな訳で気持ちも落ち着いてからゆっくり書いて行きたいです。

展覧会が残り少ないので、会期が終わるまではこちらに集中。

今日は大切な方達を会場でお迎えすることが出来たので、本当に良かったです。

久しぶりの方。いつも必ず駆けつけて下さる方。
普段から尊敬している方。

制作の場での僕の仕事は、いつでも空っぽになって自分を明け渡すこと。
人やこころや事物や、もっと大きなものや風や流れが僕を通過して行く。
流れを淀ませないように繊細な手加減でものに触れる。

生きていて沢山の人に会って、普段過ごしている時間もだんだん、
制作の場のように流れとして見えて来るようになった。

僕はただそこにいて流れて行く様々な形を慈しむように眺めている。
全てのことは今しか起こりえないことだから、
大切に大切にかみしめる。

全てはやさしく消えて行く。
ここへ来れて良かったね。ここにあって良かったね、と。
とても静かに、もっと深く、そしてどこまでも。

風はなく涼しい気配だけがそこにあった。
夜の闇は沈黙している。

2014年9月15日月曜日

感謝

東京都美術館で作家の高橋源一郎さんの後に、
お話しさせて頂きました。

髙橋さん、久しぶりの再会嬉しかったです。
お話、有り難う御座いました。

僕の方は緊張のため、話も上手く纏まっていなかったと思います。
お聞き下さった皆様、有り難う御座いました。

あれもこれも言いそびれたな、と反省していましたが、
終わってから良かったと言って下さる方も沢山いて、本当に有り難いです。

中原さんからもメールを頂きましたが、反響は悪くないそうでホッとしています。

遠くからこの為にお越し下さった方もいました。
恐縮しています。

イサも稲垣君も緊張したと言っていた。
モロちゃんも来てくれていて、緊張したそうです。
こういう仲間達の存在が本当に有り難い。
頼りなくてごめんね。
みんながこの場面で自分のことのように感じてくれていたこと、
支えになったし、これからもなります。

皆さん、ありがとうございました。

明日から三重へ行かせて頂きます。
展覧会も後少しなので今回は早めに東京に帰って来て、
会場でまた皆様にお会い出来ればと思います。

2014年9月14日日曜日

ちょっとづつでも

秋になって虫の声がとてもとても良く聴こえる。

今日は外の光も庭の緑もきれい。

しばらく外にいて、アトリエに帰って来ると充実感に浸る。
沢山の方とお会いしてお話しする日々が続いていた。
そんな中で制作の場に入ると本質的なものだけがあって、
やっぱりここが大切だと思う。
そしてこういう在り方を伝えて行かなければ、とも思う。

僕にとっては作家達が一番通じ合える存在だ。

こころは響き合うもの。
何らの感触も実在感もない人が多いが、
ここではみんなはっきりと手応えがある。

投げかけて来たものをしっかり受け止める。
投げ返す。またそれに返して来る。
その繰り返し。
言葉を使ったり使わなかったり、とにかく対話して行く。

人と人が共にいることは、こういうことなのに、
一歩外へ出るとなかなかそうはいかない。

簡単にいえば嘘だらけ、誤摩化しだらけだ。
ゆうすけ君の言葉で言えば「お化け」。

だから誰だか分からない人間がいる。
肩書きはあっても、人としての形が見えない。

生きていることは自分がプレイして行くこと、
目の前に現れて来るものをどう捉えて、答えて行くかで、
楽しさも豊かさも変わって来る。

アトリエでの制作の場とはこの単純な事実に真っすぐ向き合うことだ。
作家達もスタッフもずっとずっとそれを続けて来た。
そこに何かしらヒントを感じてくれる人達がいる。

僕達の方法はいつでも単純でシンプルなものだ。

これから社会との関わりの中でどうして行くべきか。
いつも最善を尽くしているけれど難しい。
みんなにとって良い形はどこにあるのか。
答えは一つだけだとは思わない。
その時、その場では必要な決断をして行かなければならないから、
これで行く、という方向を示して来た。
ただ、それはその時の最良の方向であって、唯一の答えなどではない。
次にはもっと理想に近づくかも知れない。

様々な見解がある。
時に議論することもあるし、批判することもある。
ただ、どんな考えであれ、本当の意味で否定したくはない。
全ては一理はある。
何故なら、そのように考える人、感じる人が一人でもいるのだから。
考えとしては意見としては認めるべきだと思う。

一番大切なことは、歩みを止めないことだ。
いつでも前に向かって行けば、少しでも改善され理想に近づく。

一人一人違うのだから、みんなにとって良いはない、という意見も聞く。
でも少なくともそこへ一歩でも近づくことなら出来る。
今より良くは出来る。出来ることは進めて行く。
力を合わせて。

2014年9月13日土曜日

薔薇の香り

季節の変わり目。
よしこが疲れ気味なので少し心配だ。

昨日も会場で様々な方にお会いしたが、
涙を流す方、こんな作品と出会えて良かったと仰る方、
これまで見た展覧会でベストワンです、とお話し下さる方もいた。

僕達はこういった思いを真っすぐ受け止めて、忘れてはいけない。

何の為にやっているのか、いつも胸に刻んで行かなければならない。

15日は髙橋源一郎さんの後で中原さんとお話させて頂く。
昨日も夜になって中原さんと会場で立ち話していたが、
いつも深い話題になる。
お付き合いさせて頂いて、展覧会の時間の経過とともに関係も濃くなっている。
15日は打ち合わせなしで行くことになっているが、
その前にほとんど話しちゃってる気がする。
でも、また違う感じになるだろう。
人前で話すのは何度経験しても緊張するけど、緊張の中で頑張ります。

今日は土曜日クラス。
ここも午前からかなり濃く深い制作になる。

火曜日の公開制作の中盤位からだろうか、
どこからか急にバラの匂いがしてきて、てる君と2人でなんか良い匂いするねえ、
と話していた。
それはあの場、あの時間に相応しいものだった。
会場でご覧になっている方からのものだったかも知れない。
それでも不思議だ。

あの甘い時間にピッタリだった。
てる君も僕も男には珍しくバラの香りがすきだし。

それはともかくとしても、香るような場でありたいと思う。

2014年9月12日金曜日

美しい佇まい

昨日は雨にも関わらず、多くの方にご来場頂いた。

有り難いなあ、と思うことが沢山ある。

書きたいことは色々あるが、もう少し落ち着いてから纏めたい。

今日はこれから明日のアトリエの準備をしてから会場へ向かう。

昨日の夜、そして今日寝起きから音楽を聴いた。
田中希代子のピアノが今の僕には響く。

尊敬している珈琲屋さんの味を、
清潔で奇麗で、心も身体も洗われるようだ、と書いた。

田中希代子の演奏も同じことがいえる。

あまりに真っすぐ過ぎて驚く。

田中希代子はストイックだ。ただ、何故こんなに心を打つのだろう。

これだけ真っ正面から何かに挑むことは、今の時代難しい。

逃げない、感傷に浸らない。
凛とした佇まい。芯の強さ。
正しい姿勢。
揺るぎない確信。

一つ一つの音が決然として前の音を断ち切って行く。

確かに遊びもおおらかさもない、ある意味で一面的な音楽だ。
でもそれで良いんだと思わせられる。

人は何もかもを手に入れることは出来ない。
ある決断をするとは他を諦めることでもあるはずだ。

勇気をもらうとはこういうことを言うのではないか。

破綻のない端正な、そしてちょっと硬い音楽。
完璧主義が窮屈に感じる人もいるかも知れない。

完璧しか目指せない彼女のような人が必要なのではないか。

正しさとは何かを教えてくれる音楽だ。

自分の中に無駄なものがいっぱい付いて来たと感じた時、
僕は田中希代子の音を聴きたくなる。
真っすぐに前を見ようと思う。

まぎれもない音楽がそこにある。

2014年9月11日木曜日

秋の雨

雨が続きますね。
昨日は上野からの帰りが大雨で美術館の方に傘を借りました。

いい音楽を聴きたいなあ、と最近思っています。
それも新しく出会いたいです。

何も付け加えられていないもの、素のもの。
そのものがそのまま目の前にあったらどうするだろうか。

ここのアトリエから生まれている作品は、
そういう意味で最も素の状態に近いものだ。
彼らの本来持っているものはこういう世界だと言える。

だから見た方の反応も本当に素直だ。
昨日も絵ではないけれど、ものをつくっている方が感動を伝えてくれた。
言わずにはいられないといった雰囲気でこちらも嬉しかった。
大切なもの理想とするものがすべてここにあると仰った。

見るとか経験するとかいうことは本来こういったことで、
あれこれ理屈をこねまわすことではない。

素材や手法や意図ばかり質問してこられる方もいるが、
そんなことは何ら本質的な話ではない。
どんな道具を使って描いてもかまわない。

問題なのは内面が触れ合って、響き合って、一緒に見つけて行っているのか、
それだけだ。

もっと広い場所で沢山の素材を使って自由に制作すれば良い、という意見も聞いた。
そのように思われるなら、おやりになってみてはいかがでしょうか。
はっきり言ってしまえば、このレベルの作品は生まれないでしょう。
それは保証します。
さあ、何でもあるよ、自由にどうぞ、といって、人が自由になれるなら、
誰も苦労はしないでしょうね。

何か下らない書き込みもありますが、
見たら何でも言って良いというのはどうでしょうか。
発言には責任があります。

直接対話させて頂ければ、全てお答えします。

繰り返すが、大切なことは一つだけだ。
目の前の作品が自分のこころに響くものなのかどうか。
何か感じるかどうか。
感じるのなら、心をうつものなら、それは何かなのでしょう。

何も感じないのなら、残念ですがそれは現時点では縁のないものでしょう。

それだけのことです。

作品から何を感じるかは人それぞれです。
自由です。
ただ背景に関しては自分の偏った憶測で、
ああだこうだと詮索するのは下品で無礼な行為と知りましょう。
もし本当に知りたいのであれば、知っている人に聞きに行くべきです。
興味本位ではなく真摯に知りたいと言えば、
本気でやっている人なら教えてくれるでしょう。

まあ、これは人生のことだけど、
良く思うのは耳を澄まさなければ聴こえないものがある。
一生気づかない世界もある。
知れなければ損だよとは誰にもいえないが、
僕自身は気づけることを幸せに思う。
自分の知っている馴染みのある世界が全てでないことに豊かさを感じる。
未知のものに日々出会えることにワクワクする。

世界は奥深いなあ、とため息が出る。

いろんなことがあった。
沢山のことを思い出す。
過ぎて行った夏に再会出来た人たち。
みんながいつでもいてくれたことに感謝している。

2014年9月10日水曜日

今日は少しプレのみんなと会ってから会場へ行こう。

15日のお話が終わって、1、2日中にはまた三重へ行かせて頂きます。
ご不便おかけしますが、ご協力宜しくお願いします。
10月はずっと東京にいる予定です。

ここから冬まで、あっと言う間に過ぎて行くのでしょう。

風が変わって行く、皮膚が感じている。
時々、弱い雨が降ったり止んだり。

色も光も変わって行く。

冷たい空気。

夏の上野は賑やかだった。
イベントや大道芸やスターバックスの行列。

僕達は静かな場所で美に囲まれていた。

確かな感覚。見逃さない目。聞き分ける耳。柔らかい身体。
大切なのは身近で具体的なものを動かせる力だけだ。

どんな困難の前でも怯む必要はない。

そして沢山の人達が残していってくれたものを忘れない。
感謝の思いが僕達を助けてくれる。


2014年9月9日火曜日

スーパームーン

さっきまでずっと月を見ていた。

今日は本当に特別な日だ。

東京都美術館で公開制作を行った。
結果で言うなら生涯最高の場になったと思っている。

制作の場はいつでも奇跡のようだし、一生に何度しかないような体験を、
たくさんたくさん経験して行く。

それでも様々な面を総合的に見るなら、今日のが最高だ。

アトリエを離れて行っていることや、
一対一での場ということで本来とは違う部分が多いが、
エッセンスが凝縮されたとも言える。

ここへ至るまでさんざん自分にプレッシャーをかけて来た。
今回が集大成にならなければ、と思って来た。

それが出来てほっとしている。

てる君という作家と出会えたことに、
十数年も深く深く共有して来れたことに感謝している。

てる君の一番良い部分と佐久間の一番良い部分が出たのではないか。

制作の場において、スタッフにはゴールはないし、
常に満足してはいけない。
やり終えても達成感とは絶えず無縁だ。
でも、今回だけは特別に許される時だと感じている。

これがこそが目指して来た場所なのだから。

中身だけの話で言えば、行ける所までは行ったのだと思う。

特別な時間だったと言うことで言えば、
プロとして場に立って来て、これほど何もしなかったこともない。
今回は小手先のことは全て忘れた。

始めからてる君が答えてくれていたから。
何も付け足すものもひくものもなかった。
それ以上に何をするのも失礼なくらいの場面だった。

改めて思った。
佐久間の良さは技術にもセンスにもなくて、もっと根本のところにある。
作家が答えてくれる男だと言う部分だろう。

実際、今回の意味を僕よりてる君の方が理解してくれていた。
本当に有り難い限り。

プロとして立った以上、楽しいだけの場はあり得ない。
だから今回は初めて楽しんでいたのかも知れない。

プロであることもスタッフである事も捨てることが出来た場だったのだろう。

こんな時間を過ごせて幸せでした。
みんなにありがとう。

2014年9月8日月曜日

またぱらぱらと雨が降り出した。
秋の天気は安定しない。

静かだなあ、と思う。

作家の中では小さな子が1人2人は絶えずいて、
何年も付き合って行くのでいつの間にかみんな大きくなっている。
今は2人いる。

日曜日のクラスでその1人が座った瞬間に、
あれえ、大きくなってるぞ、と感じた。
背丈のことではなくて、何か反応が違う。
そのまま絵を描き始めたけれど、やっぱり作品も、描くプロセスも違う。
今日が境目だったか、と。
一夏の間に本当に成長した。

思えば僕の膝の上に座って描いていた人達が、
今では一人で堂々と描いている。
中にはもう僕を必要としない作家もいる。

当たり前のことだろうけれど、そうやって進んで行くということは凄いことだ。

最近、特に思うのだけど、瞬間が全てなのではないか。

美も本当は瞬間の中にしかないと思う。

人は何でも自分のものにしたいから、そして永遠にとっておきたいから、
残そう残そうとして逆に本当のものを壊してしまう。

何度か書いたが作品も出来上がった瞬間が一番美しい。
それはよく考えれば不思議なことだ。

ここで制作する作家達が出来上がった作品にあまり興味を示さないのは、
そのような態度は本質的なことなのではないか。

美だけではなく、人生のすべてが瞬間にこそあって、そこで輝く。

それが分かっていれば、もっともっと今を大切に出来るし、
人にやさしくなれると思う。

どんな時も疎かに出来ない。

消えるからこそ、今輝く。

以前、様々な仕事のメンバーで10名くらいいただろうか。
中華料理のお店で飲んでいた時、思わぬ出会いもあって、
意気投合したり、古くからの付き合いの方々と盛り上がっていると、
カメラマンの方が「こうしてるけど、みんな死んで行くんやろうなあ」とつぶやいた。
楽しそうで微笑みながらの発言なのでみんなも笑っていた。

その言葉を自覚した瞬間、その場がより輝いて見えた。

僕達の今は2度と戻っては来ない。

2014年9月7日日曜日

今後の予感

土、日曜日、いつでも全力で挑んで来た。
やっぱり輝くような時間だ。
その日の答えはその日みつけるしかない、ということが面白い。

今日は、学生時代からアトリエ見学やお手伝いをしていて、
今は他の施設で絵の指導を始めるぶんちゃんと、5年ぶりの再会の中野さん、
施設長の方の3名が見学。
午後のクラスが終わると3人とも「凄い!」と感動していた。

場というものは、
やっぱりどこかで伝わって行くのだと最近は確信している。

火曜日の公開制作も良い時間になって、
見た方それぞれの体験となってくれれば、と思う。

いつでもそうだけど、今しか出来ないことがある。
今しかないものがある。

今回の展覧会もそうだし、普段の現場もそうだけれど、
ようやく、ここまで来たと思う。
社会的評価の話ではなく、内容のことだ。
やっとここまで来たし、間違っていなかったな、と思う。

これが落ち着いたら、次はもう少し違う方向を目指すことになるだろう。

個人的な体験で言うなら、僕が見せてもらった世界があって、
それを他の人達にも知ってもらいたかった。
伝えることは教えてくれた人達へのお返しであり、
責任であると感じて来た。

若かったせいもあるだろうし、僕の実力がなかったという部分でもあるが、
誰も信じてくれない時期があった。
佐久間の言っているような世界などない、と。

色々あったけれど、
多くの人がひしひしと何かがあると感じてくれるようになった。

社会的な部分で言うなら、まだまだこれからだろう。
やるべきことも無限にある。

ただ、核心的な部分に関してだけいうなら、
今いるところが一つの答えであり完成形だと言えると思う。

だからこそ次の段階に行ける。

いくつかのことに関してはもう良いかな、と思っているし、
これで終わりというものもある。

これからは生活により近い形を一歩一歩進めて行くだろう。
もっともっとやわらかくなって行くことだろう。

おっと、次の話をするのはまだ早いですね。

今日は蒸暑い時間帯もあったけれど、空気は秋のものだ。
夏合宿から1年経って、夏の公開制作も終わって、
あの人もあの子も子供を産んで、いつでも時間は進んで行く一方だ。

仲間達の成長は嬉しい。
成功するような道にいなくても、一生懸命歩んでいることが素晴らしい。

これって美しいよね、と共感してくれる多くの人と出会って来た。
一緒に信じようよと言い合える仲間にも恵まれた。
尊敬している人達が、良いことやってるよと言ってくれた。
そんな人達と一緒に歩いて来た。これからも進んで行く。

そんなのはないんだよ。世界は一つだよ、と言う人達も沢山いた。
誤解もある偏見もある。悔しい思いもいっぱいある。
非難されたり批判されたり。
出来ると言われる人達がいて、勝っていると言われる人達がいて、
力があったり、お金があったり権力があったりする人達が、
こちらを笑っていることがある。どうだ、ここが本当の場所だぞと。

言い続ける人達は変わらないかもしれない。
気づかない人は、いつまで経っても気づかないかもしれない。

それがどうした?
僕達には誰も壊すことが出来ない「場」があるのだから。
宝くじに偶然当たった訳ではない。

みんなが思い合って良くしようと努力して協力して、
みんなの力であたためて来た場がある。
すべてはここから生まれるのだから。

繋いで行こう。

2014年9月6日土曜日

楽しい時間

連日会場通いをさせて頂いておりました。
今日、明日は制作の場に入ります。

沢山の有り難いお気持ちがあって、
教えてもらえたこともいっぱいあって、
最後には一生懸命やって行くしかないな、と思っています。

いつでも力は全て使うし、あるものは全部あげるし、
出し惜しみだけはしない。
もともと何も持っていなかったのだから、失うことを恐れない。
無くなったらまた生み出せばいい。

僕には自閉症の友達がいて、彼と長年生活した後、
別れる時にメッセージをもらった。
最後の所に「でも、君は人付合いがへたくそだった」と書いてあった。

本当にそのとおり。

生きることも多分へたくそだ。
遊べば遊び過ぎるし、真剣になればなり過ぎてしまう。
若い頃はよく「良いけどやり過ぎ」という評価をうけた。

特別な何かがある訳でも、出来る訳でもない。
だからどうしても一生懸命やるしかない、と思ってしまう。

金曜日はお客さんの中から「ここが究極ですね」という言葉までいただいた。
午前中から夜の9時まで会場にいた。
夜、学芸員の中原さんと焼き鳥屋へ。
上野のディープなお店。4人位しか座れなくて、場所も外で屋台に近い。
こういうの良いなあ、と思う。こういう場所にいる時間も良いなあ。
遅くまで話しこんでしまった。
中原さんと僕だとツッコミ役がいない感じでどこまでも真面目。
外から見ていると可笑しいかも。
でも、僕にとっては本当に楽しい時間だった。

地位もお金もないし、器用な生き方は出来ないけど、
人にだけは本当に恵まれているなといつも思う。

さて、今日のアトリエも作家達と共に最高の場にして行こうと思います。

2014年9月2日火曜日

公開制作を行います。

今日はアトリエをイサに託して展覧会場へ。
ダウンズタウンの冊子以来、
ずっとお世話になっているデザイナーの小林さんが会場に来て下さった。
久しぶりにお会いして色々とお話しして楽しかった。
深い部分で理解して下さっている方がいる事だけが支えだ。

しょうぶ学園の福森さんも来ていて展覧会初日以来の再会。
いつの間にかずっと昔からの付き合いのような感じに。
福森さんの人柄なのだろう。人懐っこくて素直な方だ。
9月15日にもお会い出来そうだ。

一日会場にいると多くの方にお会いする。
福祉がどうの、芸術がどうのというお話をする方はむしろ少ない。
みなさんそれぞれが、そのような観念的で抽象的なことに留まってはいない。
もっと差迫ったこと、自分自身の事、今必要なこととして、
ここに何かヒントがあるという直感をもたれている方が驚く程いらっしゃる。
先日も書いたが、見て下さる方々の真剣さに驚く。

お話しした方の中で、学校の先生は夏休みの最後に来て下さって、
教育のこと、個性のことを、考えるきっかけになった、とお話してくれたし、
音楽を演奏される方は創造性とは何か、技術とは何か、と考えさせられたと。
同じように障害を持つ人達と関わる方達もそれぞれテーマをおもちだった。

つまりはジャンルと関わりなく、自分のこととして考えさせる何かが、
この作品達にはあるということだ。

人間とはどんな存在なのか。生きるとはどんなことなのか。
生命や宇宙の仕組みはどうなっているのか。
創造性は何処からやって来るのか。

これまでの世界だけが正しいとはもはや誰も思ってはいない。
変えて行かなければならないし、変わらなければならない。
その為のヒントをみんな探している。
もちろん、僕達も探している。

最終的には人の幸せって何なのか、というところではないだろうか。

よく話していることだけど、
僕達のアトリエは幸福度は他のどんな場所より高いと思う。
世界で一番幸福な場所、楽しい場所を目指して行くのが制作の場だ。

さて、来週の火曜日、9月9日の午後14時頃から公開制作を行います。
今回は作家一人なのでよりシンプルに制作の過程が体感出来ると思います。
作家もスタッフも作品もそして場も生ものです。
いつでも上手く行くとは限りません。
でも恐らくは素晴らしい何かが感じられる時間になるかと思います。
ご興味のある方は是非ご覧下さい。
安定度の高い作家ですし、佐久間の経験と現場感を最大限に使って行きますので、
人が見ていても大丈夫だと思いますが、
出来たら少しだけ離れた位置から見て下さい。
おすすめは上から全体を見ることです。

長いと思っていてもいつの間にか半分終わってしまいました。
この展覧会は多くの方に見て頂きたいです。
後半も沢山の方のご来場をお待ちしております。

2014年9月1日月曜日

健康

今日は雨。
アトリエで打ち合わせがある。
プレのみんなにも久しぶりに会える。

夏の公開制作の真ん中の日に、
尊敬している珈琲屋さんが豆を送って下さった。
凛としていて、身体も心も洗われるような味だった。
こういう仕事をしたい、と強く思った。

清潔で品のある仕事。
しっかりと張りはあっても、柔らかく透明感があるような。

自分はまだまだだと思う。

未だにあるものや人と戦っている部分がある。
戦うのは比較するからであって、そこを超えた所に行かなければならない。

本当のものに近づけた時、良い仕事と思えることを出来た瞬間、
汚い言葉だが、ざまあみろ、という気持ちがどうしてもある。

悔しい想いをずっとしてきたから。
端的に言ったら、僕が出会った人達、今でもずっと関わっている人達が、
ぜんぜん理解されていない。
もっと面白いのに、そしてもっと凄いのに、と思う。

午前のクラスで制作している作家にこんな人がいる。
彼はアトリエに来ると、まず制作の場と廊下とを区切るドアを閉めるのだが、
その時、廊下へ向かって、「おぼえとけよ」と言う。
そのまま椅子に座って紙と絵の具に向かって静かに手を合わせる。
そしてすぐに描き始める。

僕はいつも彼に共感する。
僕も場に入るときはいつでもそんな気持ちだ。
おぼえとけよは、人ってそんなもんじゃないぞ、ということで、
本当のものに僕達は向かって行く、
それが出来る事をこの場で証明してみせるという気持ち。
それから場にたいして感謝と祈りの気持ち。

未だに心ない発言を聞く事がある。
でも、もうそろそろ言い返すのはやめにしたい。
正直に言うなら付き合う時間がもったいない。

これは単なる一例にすぎないが、
しばらく前に作業所の高齢の職員の方が、
絵の具の素材等をもっとこうしたら良い、とかトンチンカンなことを言っていた。
この程度の事は良くある事なので別に腹も立たないが、
もっと大きな話でも同じだ。
そのように思う人は自分でやればいい。
もっと言うなら、やってみせて欲しい。
結果の違いは分かる人には分かる。

外から何かを批判する人の気持ちが本当にわからない。
僕も何かを批判する時はある。
でもそれは自分がやっているからだ。

こちらは形で見せて来た。
それが違うと思う人達は形でそれ以上のものを見せて欲しい。
残念ながら出来ないだろうが。

生きているのだから対話したい。
こう思いませんか、と投げかけたものに対しては、
私はこうですよ、と答えて欲しい。
僕らは場に入ればいつもみんなそうしている。
傍観者のように外から採点する人は一人もいない。
あなたは誰ですか、と聞きたい。
姿形のない人や意見と対話など出来ない。

あの珈琲が教えてくれた事は、美は人を健康にするということだ。
早くそういう世界に行きたい。
良い場も人を健康にする。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。