2014年10月16日木曜日

深く深く潜ること

今日は良く晴れている。
昨日のブログで不気味という言葉を使ってみたけど、
そんなにどろっとした感じでもなく、
ある意味で奇妙さと言った方が適切かも知れない。
それでも何か足りない感じはするが。

外へ出ると複雑な仕事が色々あって、人間関係にしろそうそう単純ではない。

でも、制作の場に立ったら、すべきことはいつでもシンプルだ。
それはいつまでも変わらない。

どれだけ深く潜ることが出来るのか。
それだけだ。
深く深く潜ること、そこに何かがある。

一度でもその景色を見た人間は、一度でも体験した人間は豊かになる。

生きていることは楽なことではない。
自分のことなんてどうでも良いと思っても、
人がしんどい思いをしなければならないのを、見るのは辛いものだ。
そして、全ての人がそういうものを経験しなければならないのが、
この世界というものらしい。

人に何もしてあげることが出来ない。

本当に本当に色んな思いをして行かなければならない。
誰しもが。

そういう現実を前に、制作の場に立っている。
場に立つ時は裸だ。何も持たない。
一人一人とどこまで行けるか。
外で色んなことを経験しているし、この後も経験して行く。
ここでは内側へ潜ろうとする。
そこにだけ答えがあるということを知っているから。

何故、深く潜る必要があるのか。
例えていうなら、見晴らしの良い場所に行って欲しいからだ。
そこに立って見てみた時に、全てが肯定されるからだ。

人には色んなしがらみがあって、悩んだり苦しんだりする。
表面的な部分、浅い部分にしか触れられないと、
そこにある喜びや悲しみが全てになってしまう。
どうしても視界は狭く限定されている。

全体が見渡せるもっと良い場所があることを、
深く潜る経験によって知ってもらう。
それが本当に大切なことだ。

作家達は僕達より遥かに潜り方が上手だ。
でもいつでも問題なく行ける訳ではない。
人はみな同じ。程度の差があるだけだ。

条件が違うから、深く入ることの困難さも人それぞれ。

大事なのは行こうとすること。
もっと先まで見ようとすること。

僕達はみんなでその場所に立ってきた。
ああ、奇麗だねえ、素晴らしいねえ、と。
隣には一緒に来た人達が居て同じ景色を見ていることが出来る。
ここまで来て良かったね、またこようね。と。
全てが見渡せる、見晴らしの良い場所。全てが輝く場所。
行ったことのある人は、その記憶が自分を助けてくれる。
だからなるべくたくさん行って、記憶を刻んでおく。
まだ行ったことのない人は、一度は連れて行きたいし、一度は見て欲しい。

深く深く潜ること。
いつでもそこに答えはある。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。