2015年1月31日土曜日

今日

2月はやっぱり寒いですねえ。
三重から東京へ帰って来ました。

午後のクラスに心身が心配な作家がいて、
しばらく会えていなかったので今日は朝早くに出発して、間に合った。

最初の表情を見る瞬間、僕らは意識のめを細かくする。
スピードも普段から考えるとかなり早い。
そうやって瞬間で見なければ対応に遅れが出てしまうことを知っているから。

うーん、という感じでちょっと厳しいかな、と言う部分もあった。
ここは勝負所なので集中して、本当に最後の1時間くらいだったけど、
着替えもせずに場に立っていた。
彼は僕とみんなとのやり取りに、時に笑顔を見せた。
筆をとって線を引き出したとき、ようやくほっとした。
気持ちは確実に動いている。
色も穏やかでやさしい作品が生まれた。

もちろん、この時間だけで何かが解決する訳ではない。
むしろ見通しを言うなら厳しい見解になってしまうだろう。
でも、ここで出来る限りのことをしたい。
幸せを感じる楽しい瞬間を一つでも多く創って行きたい。

せめてこの場では安心して楽しめるようにしたい。

僕らは現場に賭けている。
作家達が輝く瞬間を何よりも大切にしている。
生きる証といえる時間を刻みたい。

三重ではよしこ、キクちゃん達と気まぐれ商店の打ち合わせを重ねた。
良いチームワークで気持ちも通い合っている。
仲間の存在が本当に嬉しい。

ミシンの会として保護者の方達を中心にハンドバックを手縫いしている。
この時間も楽しい。
少しづつ場が出来て行く。

ダウンズタウンプロジェクト、ようやく一般社団法人となりました。
よしこときくちゃんと僕とで津まで行って来ました。
書類等、ここへ来るまでの流れを作ってくれた柏木さんに本当に感謝。

公証人という方に会ったり面白いことが色々ありましたが、
それはまた別の機会にでも。

こうして、アトリエ・エレマン・プレザンは、
アトリエ部分はこれまで通りのプライベートで、
制作の場の自由度を守ったまま、
販売、発信部門として合同会社の気まぐれ商店、
ダウン症の人達の文化を定着させる環境としてダウンズタウンは、
より普遍的な形を目指して一般社団法人という形で、
それぞれが総合的に進んで行けるような体制づくりに入りました。

進行状況は随時報告します。
アトリエのフェイスブックと気まぐれ商店のHPも時々覗いて下さい。

さて、明日も良い場を目指します。
今だからはっきり言うことも躊躇しない。
僕が場に立つなら、特別な時間となる。
僕が場に入った時、その場は特別なものになる。
自慢ではない。多くの作家達、数々の過去の場がそうしてくれている。
僕だけでなく場において良いものやことは、
すべて与えられてたものだと言える。
感謝を忘れてはならない。

2015年1月17日土曜日

本気であること

今日も一日頑張ります。

絵画クラスの日は朝早く起きるので、冬場は真っ暗で寒い。

今年は気まぐれ商店の発信をしていきたいと思いますが、
他にも素敵な企画が待っています。
皆様、楽しみにして下さい。

気まぐれ商店のHPも是非是非ご覧下さい。
日々更新されていますので。

よしこときくちゃんが頑張っています。

今日も制作の場でみんなと過ごすのが楽しみ。
本当の意味でこの時間を楽しめるようになったのは最近のことかも知れない。

僕らはやっぱり大きな責任を持って、
繊細な違いを見極める感度を高めて挑んで行かなければならない。
何となくと言うものは仕事の中であってならない。
だから実際に場に立つことは外で見ているような、ただ楽しいものではない。
場に徹底的に教えられ、ある意味で自分を捨てて忠誠を誓った者だけが、
正しく動くことが出来るようになる。

それでも、今はそういった重さは全く感じない。
ただ、ただ楽しいとさえ思う。

例えば歯の治療をしてから、
日常的にもそうだけど食いしばることが出来づらくなった。
噛み合わせを治せば良いのだが、まあ時間もお金もない。

言えるのは人は一ヶ所でバランスをとっている訳ではないから、
力の掛け方や抜き方を変えれば他の動きが出来る。
これは身体だけではなく、心や精神と言ったものでも同じ。
良く聞かれることで気持ちが落ち込んでいるとき、
調子が悪い時にどうしますか、というのがある。
これも一緒でその部分だけでバランスをとっている訳ではないから、
自分の状態によって適切な在り方が変わって来る。
どんな状況でも何かやりようがある。

こう言っては何だけど、アトリエの場もこれくらい育って来ていれば、
多少手を抜いてもそうそうは変わらない。
いや、変わるのだけど、それに気がつく人はまずいないだろう。
楽に仕事するくらい簡単なことはない。
あるポイントだけ押さえていれば、場は成り立つ。
ただ、それで良しとすれば、極端な話、何のために生きているのか、
というところまで行ってしまうと思う。

だって、僕らが場で何をしているのか、何を見ているのか、
普通の人では絶対に分かる訳がないし、見えるはずがない。
何故そこで、入れるのか、抜くのか。
楽しそうとか、一目見て分かるような場になるのは実はそんなに難しくはない。
見た人が納得するだけのものなら簡単だ。
それでは見せ物と同じになってしまう。

場はいつでも一人一人の芯に触れていなければならない。
自分自身を曝して、どんな風にでもされてかまわない覚悟がなければならない。

本当のものとそうでないものを見分けることは、
そんなに簡単なことではない。

でもこれまでやって来てはっきり言えるのは、
偽物は必ずいつかは滅びる、ということだ。
本当のものはどんな形であれ、何かには繋がって行くものだと思う。
というか、そういう場面を何度も見て来た。

自分を偽らないこと、そこにつきるのではないでしょうか。

さて、今日もアトリエ。
皆さんも良い一日をお過ごし下さい。

2015年1月16日金曜日

晴れ

昨日とはうってかわって今日は良い天気で暖かかった。

お電話でのお問い合わせが増えておりますが、
なるべくメールでご連絡頂けると有り難いです。

中には作品を扱ってあげましょう、と言うような失礼な内容もあったり、
いきなり同じ仕事をしていて尊敬しているから一緒に何かしましょうとか。
そもそも、同じ仕事ではないし、会ってもいない人間同士のやり取りには、
適切な距離や節度があってしかるべきだ。

ご丁寧にご連絡頂いている方々も沢山いらっしゃいます。
電話であれ、メールであれ、お手紙であれ、そういったご連絡に対しては、
こちらもしっかりとに対応したいと思っています。
ただ、小さな規模で続けているのでお時間をいただいたり、
充分なご対応が出来なかったりしています。
申し訳御座いません。

制作の場に関してはしばらくは、
より深く集中していく時間にさせていただきたいです。

今年に入ってからいくつかのブログでは、
これまで言わなかったことを、さり気なくではあったけど書いた。
僕自身、仕事としてどういう方向性を目指すか、
基準や尺度を伝えようと思ったからだ。
もう一つは本物を見てもらいたいからで、
今の自分では本物というレベルまではまだまだなので、
先逹の生き方を書いておこうかな、と思っている部分もある。
これからまた若い頃に出会った偉大な方々の話を書くことがあるかも知れない。

まあ、それはともかく明日の土曜日クラスは、
年明けに日にちを変更して頂いたので今年最初となる。
エネルギーを溜め込んで来る作家もいるので、作品も勢いもかなり凄そう。
体力は使うけど充実した時間になるだろう。

楽しみです。
明日も全力で向かって行きたいです。

2015年1月15日木曜日

素の美しさ

今日は昼間から真っ暗で不思議な一日だった。

雨がいっぱい降った。

皆さんにはすでにお知らせしておりますが、
日赤の「新宿東口駅前献血ルーム」に、
アトリエ・エレマン・プレザンの作家達の作品がデザインに活かされています。
トリミング、加工されていますが、作品の世界観は鮮やかに出ています。

自然さ、明るさ、やわらかさ、調和といった彼らの世界が広がっていて、
本当に素敵な場所になっています。

献血する場所なので見学は出来ませんが、
もし献血されるお気持ちおありであれば、是非見て下さい。

僕もようやく見に行くことが出来ました。
本来なら献血すべきなのですが、本当に情けない話で血がダメなのです。
人のを見るのもダメでクラクラしてしまいます。
そんな訳で献血出来ずに申し訳ない気持ちでした。

今回のお話はユナイテットデザインの杉山さんからいただきました。
デザインも杉山さんです。

杉山さんとも長い付き合いです。
こうして形になってまた繋がりが深くなって嬉しいです。

仕事になる以前のお付き合いこそが大切だと思っています。
その間にお互いの理解も深まり、気持ちが通い合うからです。
中には直接お仕事と繋がらない方もいます。
でも、それでいいと思っています。
機が熟すということが大事で、決して急いではならないと思います。
大切なものは焦って扱わないものです。

お互いの気持ちが大切です。

人の名前や立場を利用する人が多いです。
自分にとって利益になる人達ばかりと付き合う人もいます。

本当の付き合いをしていきたいです。

先日、久しぶりに目白の古道具坂田へ伺いました。
坂田和實さんの姿勢からはいつも学ばせてもらっています。
このブログにも何度か書いていますが名前は伏せていました。
他にも数人、名前を書かない方がいますが僕なりの配慮です。

坂田さんはその世界では有名な方なので、
ここで僕なんかがお仕事を解説しない方が良いと思います。

ただ、一言で言うなら美しいとはどういうことなのか、
最も根源的に追求していらっしゃる方だと思う。
こういう言葉は使いたくないが、真の目利きと言える方。
世の中で言うところの目利きはせいぜい、
鑑定士のようなことだけど、そういう意味ではなくて、
美を見つけ、美を生きることが出来る方だ。

目上の方でまして尊敬する方を前にした時、
僕はあんまりしゃべらないのが常だが、
坂田さんといるとついリラックスしてしまう。
あとでしまった、調子に乗り過ぎたと反省してばかり。
それくらい懐が深い、偉ぶらない方だ。
こちらが調子に乗って話していても、にこやかに聞いて下さる。
坂田さんは全て承知の上なのに、そうと思えばこそこちらも安心してしまうのかも。

それにしても、たった一人で権威にも伝統にも頼らず、
真っすぐに戦い続ける姿には勇気をもらいっぱなしだ。

僕も近くに尊敬出来る人がいて、
憧れながら生きることが出来ていた時代があった。

今では孤独を感じる場面が多い。
そんな中でジャンルは違えど前を歩いておられる坂田さんの存在は大きい。

僕らの現場でもそうだけど虚勢を張っている人ほど弱いものはない。
ただいつでも根源に立ち返って裸でいるのはかなりの覚悟が必要だ。
殆どの人はそれが出来ない。

坂田さんが美しいと言って選ぶものは、
何ものにも依存しない裸の物で、素朴そのもの。
何も付け加えられることなくただそこに在る美しさ。
その姿は坂田さんの生き方そのものだ。

2015年1月14日水曜日

間、呼吸、リズム

平日のプレ・ダウンズタウンも始まっています。
みんな元気。

昼の光の中でみんなとイサがいる姿は自然で、
ずっと昔からこうで、これからもずっとこうだと錯覚してしまう。

色々と騒がしい世の中ではあるけど、
元に帰って行くこと、シンプルであることをこれからも心がけたい。

削ぎ落として行くことの大切さを思う。

何も無いからこそ、現れて来たものを活かすことが出来る。

場においては、間、呼吸、リズムが最も大切だけど、
それらを上手く使って行くためには空白の状態が必要だ。
空白の空間のようなものが最初にあるから、間や呼吸やリズムを感じ、
つかみ、扱うことが出来る。

小津安二郎と成瀬巳喜男は大好きな映画監督なのに、見ている作品は少ない。
もっと見たいと思いながら機会を逃して来た。

今思い浮かぶのは成瀬巳喜男の「流れる」という作品。
完全な削ぎ落としのスタイルで、間、呼吸、リズムが正確に刻まれていく。
すべてのシーンが完璧。
確かに完璧過ぎて、
得意のゆったりした感じやユーモアがないかも知れない。
でも、一作はこういう完成度の高い職人技を見せられるところが凄い。

この作品は僕の中では何も無い場所から、間、呼吸、リズムを刻むという、
ある意味の職人技の参考になる。

これくらい研ぎ澄まされた動きが場には必要だ。

2015年1月13日火曜日

3日間のアトリエ

3日、午前午後で6回の制作が行われました。
まずは制作の場で一年の良いスタートをきれました。

部分的な細かいことはともかく、全体として良いところに行けています。

作家の中には普段の生活では問題を抱えている人も、
この場では本来のリズムを問い戻す強さを見せています。

ぱっと戻れるところが彼らの強みでもある。
そして僕達スタッフはそういう部分を知っていて、
注意力を働かせつつも、時にズラしたり、外したりして、
作家がすんなりと入って行けるようにタイミングを逃してはいけない。

昨日は成人式。
商店街を着物姿で歩く人達ををみかけた。

決して良い時代ではない。むしろ危機を前にしている。
それでも、どんな時でも与えられた生命を全うして行くしか無い。

生きることは、日々の制作の場と一緒で一つ一つの出来事と対話して行くこと。
既にあるものが全てではなくて、それを自分がどう読んで、どう答えるか。

良いもの、悪いもの、どちらでもないもの、それを受け取って、どうしていくか。
生きるとは対話であり創造であると言える。

時々思い出す人がいる。
よしこが御茶ノ水の文化学院に通っていた頃、僕も何度が聴講させてもらった。
芸術学という授業をしていた先生が素晴らしかった。
多くを教えられた。
内容ばかりでなく、その先生の佇まいや生き方そのものが多くを伝えていた。
一言で言えば、美を生きるということ。

その授業の進め方はとにかく美しいものに触れさせるということで、
音楽を聴かせたり、映画の場面を見せたり、
時にはお菓子を配って味で何を連想するかとか、
どの味はどの映像に近いかとか、
その絵画から聴こえて来るとしたらどんな音楽か、とか。
解説するのではなく、感覚を働かせること、
それに美を人生として捉えることを伝えていた。
映画や音楽ばかりでなく、
すきやばし二郎という名前もその先生の話で初めて聞いた。

フランスのある映画監督のお話をされていた時、
その監督の発言に触れて、確か自分は美より現実の方、
リアルな人生の方を描きたいと言う発言に対して、
それは違うと仰って、
美を介在しなければ現実にも人生にも触れることは出来ない、と。
この言葉は本当に凄いな、と思う。
実感を持ってそうだろうなと思えたのは、
その言葉を聞いて10年も経ってからだと思う。

一つの音楽が、一つの映画が、一つの絵画が、それらを本当に生きた時、
見えて来るのものの大きさ。
それに触れるためにこそ生命があったとすら感じる瞬間。

美は観念ではないし、単なる好みでもない。
趣味でも楽しみでもない。

生命と直結した厳粛なる何ものかだ。

外から鑑賞する、比較する、分析するという在り方とは対極の、
美を生きて行くという姿勢に多くを学んだ。

美を生きる覚悟と言えば、洲之内徹の文章もそうだった。
今より読書がもっともっと芯まで届くように響いていた頃、
沢山の本を読みあさっていた。
その後、繰り返し読んだ本とそのまま忘れて行った本がある。
洲之内徹の文章は本当に何度も読んで、強い影響をうけた。

生き方として一筋縄ではいかない人だっただろうし、
ある意味で矛盾の塊のような人だっただろう。
批判する人も多いと思う。
でも、いつでも真剣で命を賭けて美を求める姿勢は凄いと思う。

一枚の絵が人生の全てだったりするような、
掛け替えのない出会いや瞬間の奇跡を、あれほど深く生きた人は少ない。

文章も凄い。
独自の文体で誰も真似出来るものではない。
いつかあんな風に書けたら良いなと思う時もあるが、
それは不可能でだからこそ違う方向性に進もうと思う。

達人と言うような感じで、のらりくらりのスタイルで話し始めて、
いつの間にか大切な場所まで連れて行かれてしまう。
つかみ所のない人だけど、連れて行かれる先には美が直感されている。

美しいものに出会うことで、人生も命も深まって行く。

そこへ行くためにどんな瞬間も真剣勝負で選択し判断して行く。

僕達は一緒にここにいてこの場を創っている。
いつでも全ての人がプレイヤーだと思う。
今あるもの、誰かが言ったもの、それが全てではない。
それを受けて、あなたはどう感じますか?どう答えますか?
という問いかけとして世界を見て行きたい。

僕達にとっては制作の場で作家達と共に創って行く時間は、
生命そのものであり、人生そのものであり、そこにこそ美がある。

2015年1月10日土曜日

今日からアトリエ

とても寒いけれど、良く晴れた。
アトリエから見える冬の光。

東京もずいぶん寂しくなった。
いくつかの場所は無くなった。

こんな風に仕事したいなあと、尊敬している方が3名ほどいる。
その方達のお仕事を見ていると、よしやらなきゃと言う気持ちになるし、
この方向で間違っていないなと確認させられる。
腕のある職人といえる方達だ。

この人がこのレベルの評価なのだから、世の中と言うものは何も見てはいない、
と思ってみたり、
例え多くはなくとも、こういう人を良しとして一定の人が集まっているのだから、
やっぱり本物は生き残ると感じたり。

いつも珈琲豆を使わせて頂いているお店へ伺った。
立ち話で少し時間が流れた。
環境も味覚も変わって行き、
仕事する上で必要な物もなかなか手に入らなくなっているというお話を聞く。
表面的で分かりやすい、でも中身のない薄っぺらなものに慣らされている現代。
今の社会の中で仕事して行こうと思ったらかなりの気合いが必要。
そんな言葉にこころを動かされた。
本当にその通りだと思う。

こうして本物を貫いておられる方々の存在が励みになる。

あるお店で食事していると、初めて出会った人達と、
店主の方と鬼平犯科帳の話題となった。
今日、鬼平だよね、と言うところから始まって、
気がつくとみんな鬼平ファンだった。
いかに鬼平が面白いか、特に料理のシーン等の話題で盛り上がった。

家へ帰ってから色々と準備していて時間はギリギリ、テレビをつけた。

相変わらずしびれるシーンの連続。
このクオリティを変えないと言うのは凄い。
これだって職人技だろう。
時間も手間もかかる仕事が想像出来る。

さて、今日は作家達と会える。
今年もたくさんの良い作品が生まれることでしょう。
皆様にもご紹介出来る機会があれば、と思います。

2015年1月9日金曜日

本年も宜しくお願い申し上げます。

新年のご挨拶が遅くなってしまいました。

皆様、明けましておめでとうございます。

三重では家族の時間をゆっくり過ごすことが出来ました。
あたたかい掛け替えのない時間でした。

明日から気を引き締めて、今年もとことん良い場を目指します。

今、良い意味で頭の中をいろんな考えが行き来しています。

今年も社会に向けて発信される企画が多く待ち受けています。
一つ一つが希望に繋がるメッセージとなるようにしていきたいです。

何より、きくちゃん達と気まぐれ商店を良い方向に進めて行きたいです。

アトリエ全体の中でいくつか部門も分かれて来たことと、
情報が発信され、作品が世に出て行くことで、
やはり制作の場に徹して行く人間が一人は必要だと思っています。
そして、現時点ではその役割は僕にあるのだろうと感じています。
次の段階に進めばイサが引き継いでくれると思いますが。

今年は再び場への集中を高めて行きたいと思います。
勿論、色んなことを同時に進めて行きますが、
アトリエの中でそれぞれが自分の役割を全うして行くことが出来たら良いな、と。

場を深めて行く人、作品を扱って行く人、商品を作る人、
理想は各パートに集中出来ることです。
今の時点ではまだ難しいですが。

僕自身は場に立っているのが一番むいていると思います。

とは言え、やっぱり必要であれば何でもやります。

ただ、言いたかったのは、
いつでも制作の場に全てを賭けて挑む人間が必要だということです。

ちょっとだけ前進したなと感じている感覚があります。
それは、場を離れている時の感じです。
どこかで場を感じている瞬間があります。
あ、場があるな、と思います。
そこに入ることも出ることも出来て、
かつて経験した場での情景や感触や匂いや音が現れて来ます。
いくつもの場を感じていて、なぞったり、追体験したりすることがあります。
場が活き活きと動き出して来る感じで。
この感覚は今まで全く無かった訳ではないけれど、
確実に何かが変わっています。
新たな部分で何かが見えて来ている感じでもあります。

一言で言うなら、これまでよりも僕の見ている場は重層的なものになっています。

少しだけ、ほんの少しだけ、前進した部分です。

さて、明日からアトリエです。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。