2015年1月17日土曜日

本気であること

今日も一日頑張ります。

絵画クラスの日は朝早く起きるので、冬場は真っ暗で寒い。

今年は気まぐれ商店の発信をしていきたいと思いますが、
他にも素敵な企画が待っています。
皆様、楽しみにして下さい。

気まぐれ商店のHPも是非是非ご覧下さい。
日々更新されていますので。

よしこときくちゃんが頑張っています。

今日も制作の場でみんなと過ごすのが楽しみ。
本当の意味でこの時間を楽しめるようになったのは最近のことかも知れない。

僕らはやっぱり大きな責任を持って、
繊細な違いを見極める感度を高めて挑んで行かなければならない。
何となくと言うものは仕事の中であってならない。
だから実際に場に立つことは外で見ているような、ただ楽しいものではない。
場に徹底的に教えられ、ある意味で自分を捨てて忠誠を誓った者だけが、
正しく動くことが出来るようになる。

それでも、今はそういった重さは全く感じない。
ただ、ただ楽しいとさえ思う。

例えば歯の治療をしてから、
日常的にもそうだけど食いしばることが出来づらくなった。
噛み合わせを治せば良いのだが、まあ時間もお金もない。

言えるのは人は一ヶ所でバランスをとっている訳ではないから、
力の掛け方や抜き方を変えれば他の動きが出来る。
これは身体だけではなく、心や精神と言ったものでも同じ。
良く聞かれることで気持ちが落ち込んでいるとき、
調子が悪い時にどうしますか、というのがある。
これも一緒でその部分だけでバランスをとっている訳ではないから、
自分の状態によって適切な在り方が変わって来る。
どんな状況でも何かやりようがある。

こう言っては何だけど、アトリエの場もこれくらい育って来ていれば、
多少手を抜いてもそうそうは変わらない。
いや、変わるのだけど、それに気がつく人はまずいないだろう。
楽に仕事するくらい簡単なことはない。
あるポイントだけ押さえていれば、場は成り立つ。
ただ、それで良しとすれば、極端な話、何のために生きているのか、
というところまで行ってしまうと思う。

だって、僕らが場で何をしているのか、何を見ているのか、
普通の人では絶対に分かる訳がないし、見えるはずがない。
何故そこで、入れるのか、抜くのか。
楽しそうとか、一目見て分かるような場になるのは実はそんなに難しくはない。
見た人が納得するだけのものなら簡単だ。
それでは見せ物と同じになってしまう。

場はいつでも一人一人の芯に触れていなければならない。
自分自身を曝して、どんな風にでもされてかまわない覚悟がなければならない。

本当のものとそうでないものを見分けることは、
そんなに簡単なことではない。

でもこれまでやって来てはっきり言えるのは、
偽物は必ずいつかは滅びる、ということだ。
本当のものはどんな形であれ、何かには繋がって行くものだと思う。
というか、そういう場面を何度も見て来た。

自分を偽らないこと、そこにつきるのではないでしょうか。

さて、今日もアトリエ。
皆さんも良い一日をお過ごし下さい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。