2015年2月6日金曜日

新たな感覚

一週間はあっと言う間だ。
木曜日は本当に寒かったですね。

僕のところはアトリエの上の吹き抜けの一部屋なので、
暖房をつけても暖まらない。エアコンでもストーブでも同じ。
電気代が勿体ないのでもう使うこともなくなってしまった。

だから、寒い。

朝は目が覚めるのは早いけど、布団から出るまでに1時間くらいかかってしまう。
最近はその間に音楽を聴く。

音楽を聴き出すと止まらなくなる。
仕事が終われば一人の時間はほとんど音楽を聴く。

中古のCDショップで音楽をあさっている時の感覚は、
現場にいる時に近いと思う。
責任感から解放されている部分が大きく違うけれど。
ただ、沢山の情報の中から何か一際輝くものを探す感覚。
未知のものへの直感。ワクワクドキドキ感。
見えている僅かな情報から直感するプロセス。
出会えた時の感動。

いくら安くても2枚、
せいぜいが3くらいまでしか一回には買わないことにしている。
何となくこれも入れようか、と思ってしまうと甘くなるから。

あとはビデオで(DVDか)映画鑑賞ぐらいが趣味かな。

アトリエでの制作の場で創造性の動きを追っている時は、
こちらがハズしたら途切れてしまうので必死だ。
楽しむだけの余裕はほとんどない。
それでもこちらはやっぱり本業なので別の醍醐味があるし、
何より命を賭けているから得られるもののスケールは違う。

こうやって趣味の世界と本業の世界を行き来する。

いまいち、体調が悪くてぱっとしない。
風邪とまでは行かないのだけど、鈍い感じがする。
まあ、場に立てばぱりっとしますけど。

イサと話していて音楽とか映画の話題で、
「サスペリア」が出て来て、懐かしいなあ、見たいなあ、と思ってまた見た。
やっぱり良い。安っぽさもオシャレになってしまう。
それにホラーなのにこんなに安らかな気持ちになるのが不思議。
深いところにどんどん入って行く辺りもさすが。

イサがよしもとばななを読んでいるらしく、
よしもとばなながサスペリアが好きで、
自分から見えていた景色があれと全く一緒で自分だけじゃなかった、
と救われたと言う話をしていた。
良い話だ。

僕の場合だったらタルコフスキーがそれにあたる。
やっぱり同じようにこういう風に見えている人がいるということに救われた。

よく考えてみると、どんなジャンルであれ良い作品は、
何かしら分かってしまうというか、外から見ている感じがしない。
懐かしくもあり、自分の内側から出て来ているように感じられる。
良い現場と同じように。
こころの深い部分でみんなが同じような景色に出会う。
そこに触れられているものこそ、そこを思い出させてくれるものこそ、
良い作品と言えるのでは無いだろうか。
これも良い場も同じ。

そして、イサにラップかヒップホップで何か良いのあったら教えてよ、
と言っておくと、CDに焼いて来てくれた。

これが衝撃の体験。
外に出てもそこで聴いた音と同じ景色が見えて来た。
これだよ、このことだよ、と思ったし、これがやりたかったんだよとも思った。
懐かしいものであり、見ていたものであり、知っている世界でもあり、
且つどこか知らない、新しい景色が広がっている。
嬉しかった。
一つ一つの感覚が順番に開いて行って、全方向へ向かって行くようだった。
ここにいるのにここにいない、という奇妙な感じもあった。
こういう出会いがあるから楽しい。

新しい部類に属する音楽だと思うけれど、
こういうのをやっぱり聴いていないとダメだなと思った。

絶えず前に向かって進んで行く気持ちでいなきゃ。
新しいものも素晴らしいものも今でも生まれ続けているのだと実感。

僕達も生み出し続ける仕事をして行かなければならない。

よし子が子育てしつつ沢山仕事をしてくれている。
忙しそうだけど感謝。きくちゃんにも。
気まぐれ商店の商品注文が少しづつ入っているようです。
ご注文ありがとうございます。
引き続き応援して下さいね。

東京都美術館でお話しした内容を中原さんが纏めて下さっている。
とても深い内容で充実している。
有り難い。

私事で恐縮ですが、
プライベートのページでツイッターを始めました。
こことは全然違う雰囲気で、かなり楽に書いています。
くだけた内容なのでもしご興味のある方はフォローして下さい。
でも、まだ上手く使えていません。
気が向いたらちょっと覗く程度の感じでお願いします。
(そんなにちゃんと読むような雰囲気にはなっていません)

これからも本拠地はこのブログということで行かせて頂きます。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。