2015年3月13日金曜日

森の歌

今日は久しぶりに取材を受けた。

いつも同じようなことを話しているな、と思いつつもかなり熱が入った。
ダウン症の人達の魅力と、それが今の社会にどれだけ必要なことなのかが、
少しでも伝われば嬉しい。

三重も忙しく、大変な時期に子育てしつつ、よし子に頑張ってもらっている。
夫婦ながら頭が下がる思いだ。
大丈夫、心配しないで仕事頑張って、といつも言われて、
有り難いし心強いけれど、家族の中で必要のない存在にならないようにしなければ。

気まぐれ商店のサイトで佐久間の小さな講演がのっています。
これから随時アップされて行くようです。
きくちゃんが纏めてくれました。
入門編です。是非ご覧下さい。

色んなところでお話しするけど、
特に今の社会は人間の感覚を閉ざして行く方へ向かっていて、
本当に狭い価値観に支配されている。
窮屈だし、病気になる人や、人を傷つける人が増えて行く。
差別の問題も、争いの本題も、原因の大きなところには狭い世界観がある。

どんな価値観を生きようが、それは自由だけれど、それがすべてだと思ってはいけない。
まして人の世界を否定してはいけない。

人間の知覚には限界がある。
だからすべての人が偏った見方をしてしまうのは仕方がない。
でもだからこそ、僕達は日々感覚を開いて新しいものに気づこうとすべきだし、
そうやってたくさんの世界に対して耳を傾けて行くことこそが、
生きている幸せに繋がるのではないだろうか。

前に書いたように僕達が場に立つときは無数のラインを同時になぞる。
そこには多様なものがそのままに肯定されているし、
どんなに小さな線も声も、かき消されることはない。

複雑なものが複雑なままで、同時にそこを動かしていることが大切。
大きなもの、見えやすいものだけが存在している訳ではない。

この前、アトリエでイサとピグミーのCDを聴いた。
すべての声がそれぞれ違うラインを歩いていて、しかも同時に存在している。
人も自然も本来はこういう姿をしているはずなのに、
僕達の世界は本当に単調で多くのものをないことにしている。

一番最初に誰も歌わないで森の音だけが入っている。
この数分が素晴らしくて、ピグミーの人達は森をなぞっているのだとわかる。
森の歌こそが音楽の究極だとおもう。

森の声の様に、すべてが複雑に折り重なって、
多様でありながら一つの身体のように活き活きと響き合う。
そんな生き方やそんな繋がり方が理想だし、
制作の場はまさしくそのモデルだと思っている。

人類がどうやって誕生したのか分からないが、
10万年くらい前に生きていた人達と、
今の僕達ではどちらが豊かなのかは一目瞭然だろう。
感覚の開き方が違うし、見ている世界の多様さが違う。
僕達は人として日々退化して来たのではないか。

原始の感覚を取り戻すことこそ、実は前に進むことだと思う。
たくさんの声を聴き、たくさんの感覚を使って、そしてたくさんの世界を生きよう。
人として持って生まれて来た能力をちゃんと使わないから、
争いが絶えないのだと思う。

制作の場が森のようであれば良いと思う。
そこへ入る人達が失われた感覚を取り戻すことにもなるだろう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。