2015年3月7日土曜日

静かな雨

雨ですねえ。
とても静かな朝です。

今日もみんなと一緒に場に入れることが嬉しいです。
丁寧に時間を重ねたいです。

最近またこのブログを開いて下さる方が多くなっているので、
なるべく書いて行きたいと思っています。

でも大切なことはもう殆ど書いたかな、とも思います。

昨日のブログはシンプルだったけど、何か大切なことが書けたと思う。
さらっと書くつもりが、
たまたま色んな人のことを思っていたら、ふっと言葉が出て来てしまった。

そんな訳で続きということでもないが、今日も少しだけ。

制作の場は人生の縮図だと思っている。

そして場はいつでも 「深く生きよ」と言っているように感じる。

生きていて良かったと思える時間。
もう何も要らない、と感じる時間。
もっと言えばこのためにこれまで生きていたのか、と思えるような。
そんな瞬間が生まれることが、場の理想だ。

持っている人ほど、能力のある人ほど、
表面的な部分をなで回すだけで終わってしまう、という場面を何度見たことか。
浅いところをずっと触っているだけで一生が終わる人もいる。

無防備であること、裸であること、何も持たないこと。
いつでもそれが大切だと思うのは、
そういう人ほど与えられるところを見て来たからだ。

自分のことを考えている人、得しようとしている人達。
そういう人達は深い部分にタッチ出来ないようになっている。

場に立っていて、凄いな、と思える人ほど、外では評価されていなかったり、
不遇の人が多い。
逆に偉いと思われている人のほとんどが、
場に入れば見られたものではないほどに浅い。

作家達の中に、とんでもなく深いところから絶えず語りかけて来る人がいる。

逃げようとする人もいる。
なるべくなら触れまいとしたり。
でも、深い部分に触れられないのには、それなりの理由があるので、
それはしかたのないことでもある。

相手が自分の全存在を賭けて投げかけて来るものに対して、
小手先で返す人がいる。
なんて寂しいことをするのだろうか。

逆に投げても表面的な部分にしか触れてくれないだろう、と諦めている人もいる。

だから僕達は場に入れば、それぞれがどんな地点に立っているのか、
感じ合ったうえで対話して行く。

そこから来るのね、じゃあ、こんな感じかな?
こんなところから行くよ、もっとあるよ、もっと掘ってみよう、
一緒にもっと潜ってみよう。
そうですかあ、じゃあ僕はこうだけど。こっち?あっち?
もっともっと深いものがあるよ。もっと奥があるね。
凄いところまで行くね、ついてくよ。見せてくれてありがとう。
一緒に見つけたね。また行こうね。
こうやって僕達は響き合いながらお互いを深めて行く。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。