2015年6月5日金曜日

創造性の律動を聴く

しばらく更新が出来なくてごめんなさい。
暑いですね。

さて、東京です。
今月も来客の予定が続きます。

制作の場に立てることはやっぱり嬉しい。

三重でも色んなことがあった。
気まぐれ商店のポーチづくりの場、ミシンの会が毎週行われている。
とても良い雰囲気。

家族のこと、色々変わって行くところ、考えなければならないこと。

このプロジェクトだけでなく今の社会に向かって行くことは、
相変わらず困難の連続でもある。

出来得る最善を実行して行く以外にない。

音楽を聴かない日々に、グレングールドのバッハクラヴィーアコンチェルトが、
くりかえし、くりかえし頭を駆け巡った。
特に若かりし頃の演奏。
ただただ、奇麗に正確に配置された音達。
無限の反復のような、あるいは運命のような。
音はスピードにのって消えて行く。

制作の場で見て来た無数の景色。
匂いや音や感触。
こころの奥で鳴り響く音楽。
人生で経験して来たたくさんのもの。

立ち現れ、消えて行く。
くりかえし、くりかえし。

僕達が制作の場で、奥へ奥へと向かって行くのは、
それが正しいからでも、目的があるからでもない。
ただただ、生命の律動がそうさせるだけだ。

一度でも場の声を聴いたら、鳴り響くリズムに浸ったら、
忘れられないだろう。

創造性とは生命が形をなして行くリズムのようなものだ。

生命や宇宙や、全ての背景で動いているもの。
その仕組み、法則の前に、僕達は小さくなって素のまま立つべきだ。

絵を描いて、作品が仕上がる。それが制作の場だと思っている人がいる。

僕のいう場とはそんなものではない。
一人一人が素直になって、自分の本質に帰ること。
身につけた嫌らしさ汚さを一時捨てること。
捨てて捨てて、削ぎ落としてまっさらな素になり、透明になること。
その時、この世界は本来の輝きを見せてくれる。
目の前にある世界が裸で迫って来る。

この世界を形にしている創造性と、人間の内側にある創造性とは、
本来は同じものだ。

グールドのリズム。
反復されるすべての音が、必要な場所に刻まれている。
僕達はあの音楽のような世界に生きている。

生命体の根本に流れる音楽を聴こう。
場に入る。深く進むことは、そのような音楽を自身の内側に聴くこと。


書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。