2015年6月6日土曜日

生かされている実感

昨日は大雨だった。
今日は涼しく、ちょっと過ごしやすいだろうか。

今月も制作が始まる。

一回一回の場が掛け替えのないものだ。

いつも現場について書くと、もっと違うなあと思う。
仕方なく、反対のこと、矛盾することをまた言わなければならなくなる。

場と言うものは計り知れない。
一人一人のこころの中が無限であるように。

場を通して見てきたし、理解して来たし、
もっと言うなら僕自身は、場を通して生きて来た。

数々の場が自分を創り、動かしている。

必要条件である腕も感度も落ちてしまったけど、
数々の場が今ほど自分を生かしてくれている時期はない。

場において、自分と言うものは通過点でしかない。
それよりも向うから来るもの、動くものが重要で、
全てはどこかから、誰かから、何かからやって来るもの。
作家もスタッフも実はここではどれだけ受け身で居られるかが大切だ。

この世から居なくなった人達や、
もうこの人生において会うことのない人、
もう消えてしまった場、無数の過去、
それらがこんなに近くに居てくれる。
過去は過去ではなく、ここで隣に居る。

生かされているという感覚は、自分以外のものが自分を通過して行く感覚だ。
僕はこれを場において学んだ。

最近実感しているのは、この感覚が日に日に強くなって行くことだ。

場と言う無限は僕達を素直にさせる。
そして生きているのではなく、生かされているのだと気づかせてくれる。

今日もみんなが幸せを感じるな時間になりますように。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。